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七色のローレリア -蝶の魔女編-  作者: 龍ヶ崎キョウ
第一章 旅の始まり
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第一話 邂逅


 レディエール・シルバーストームは油断していた。

 祖国フェルドランドを離れ早一年。冒険者になり、剣技からつけた偽りの家名である「銀嵐」の名も、そこそこに知られるようになってきた。

 自分はやって行けている、これなら父も納得するはず……そんな驕りが、現在の状況を招いた。

 脇腹の感覚が、ない。不意に現れた手長熊(ゴーグリ)の一撃を躱すことが出来なかった。

 辛うじて繰り出した一太刀が、手長熊の右腕を断ったことで追い払えたが、血が止まらない。

 無頼を気取って一人で活動しているツケが回ったのだ。少なくともパーティーを組んでいれば、もう少しやりようはあったはずだ。

 薄れていく意識に膝を折り、その場に仰向けに倒れ込んだ。自分の命が、地面に吸われていくような感覚が襲う。

 ……道半ばで果てるのか。

 ぎりと唇を噛み締めたところで、レディエールの意識は暗転していった。




 レディエールが目を開くと、見知らぬ天井があった。

 青臭さが鼻を抜ける。これは薬草の臭いだ。冷たい地面はいつの間にか、暖かなベッドに様変わりしていた。

 助けられた。そう気付くのに時間はかからなかった。ここは診療所なのだろう。

 脇腹を恐る恐る擦ってみた。薬草を包帯で巻いているのだろうか、こんもりと膨らんでいた。しかし、意識した途端に鈍痛が走る。


「っぅ……」


 まだ起き上がれそうにはない。レディエールが苦悶の声を上げると、何者かがぱたぱたと足音を立てて近づいてきた。

 橙色の癖毛に雪のような白肌。翡翠色の大きな目。額には青い水晶をつけた飾りを下げていた。

 何より特徴的なのは、その長耳。まだあどけない少女に見えるが、彼女はエルフであった。


「ああ、よかった! かなり深い傷でしたから、どうなるかと思いましたが……あ、無理はしないでください。当分痛むはずですから」


 なんと、心地よい声なのか。

 鈴のなるようなという表現は正しく彼女のためにある。

 長い睫毛にほんのりと垂れた目元は、幼いながらも慈母を思わせるではないか。

 華奢な体付きもなんとも庇護欲を掻き立たせ、思わず抱きしめたくなる。

 そう興奮するレディエールであったが、脇腹の鈍痛に冷水をかけられて、眉間に皺を寄せた。


「ぃ、っつ……あ、有難うございます。お陰で助かりました。……治療はあなたが?」


 院内には他に人影もなく、そもそも建物自体がこじんまりとしている。ベッドもレディエールが使っているものを合わせて二つしかなかった。

 規模から考えればここが都会ではなく、村の小さな診療所であることは容易に想像がついた。であれば、お抱えの治癒師が何人もいるのは考えにくい。

 エルフという種族は年齢と外見が往々にしてかけ離れている。この幼い少女も、ともすれば妙齢の女性かもしれず、ベテラン治癒師である可能性も大いにあった。


「はい。薬草を摘みに行った先でお姉さんが倒れていましたので、驚いちゃいましたよ……。

 ひとまずその場で応急処置をして、村から人を呼んでここに運んでもらったんです」


 少女のか細い腕でどう運んだのかも気になっていたが、なるほどとレディエールは得心した。

 この少女が治癒師であるというのも間違いなさそうだ。相当な深手だったはずなので、それを治療したとなればその実力の高さが窺える。


「なんと感謝すればよいのか……私はレディエール。冒険者をやっています。

 あなたに見つけてもらえなければ、私は死んでいたことでしょう。この御恩は、必ずお返しいたします」


 少女は照れくさそうに頬を紅潮させた。


「そんな、大したことでは……ありましたけど、でも気にしないでください。治癒師として当然のことをしただけですから。

 それよりも、今は治療に専念してください。まだ治ったわけじゃないんですから」


 確かに起き上がることすら出来ない体では恩返しも何もない。レディエールは少女の言に従い、再び瞼を閉じようとした。


「ああ、そうそう。申し遅れました。わたしはアニスと申します。

 これからしばらくよろしくお願いしますね、レディエールさん」


 アニスさんか。名前まで可愛らしいな。

 口元を緩めながら、レディエールは微睡みの中に落ちていった。




 レディエールが村について、3日が経った。

 朝・昼・晩と3回に分けて包帯を変え、体力増強剤(ポーション)を飲むことで徐々に傷も癒え、歩ける程度には回復した。

 患部を押すとまだ少し痛むが、我慢できない程度ではなかった。


「うん、だいぶ良くなってきてますね」


 靭やかに鍛えられた上半身についた傷跡を診ながら、アニスはほっと息をついた。


「本当に助かりました。まさか、こんなに早く治ってくれるとは……アニスさんは、名医なのですね」


「いやあ、そんな。

 レディエールさんの体が丈夫なのです。

 でも、これならあとはもう、魔法でなんとかなりそうですね」


 事もなげにそう言ったアニスに、レディエールは目を剥いて、回復魔法が使えるのか、と問うた。

 都会であれば、回復の魔法や魔術を使える術師は、確かにいる。

 教会所属の聖医師がその代表例だろう。

 回復術というのは一般的に、火や水、そして光のマナを制御し、行使される。

 複数のマナを高いレベルで制御できる使い手は少なく、重宝されている。

 それを村の一治癒師が使えるというのだから、レディエールの驚きは無理からぬことであった。


「まあ、あまりマナが多くないので、大きな怪我だと効果が薄いんですけどね。

 ですからこうやって、治りかけのときに仕上げとして使っているんです」


 はにかみを交えた笑みを浮かべながら、アニスはポーチから銀色のナイフを取り出した。

 柄の意匠には、平和の象徴である蛾が象られており、武器というよりは工芸品に近い代物であった。

 取り出したナイフで、何か描くように空を切った。剣閃で魔法陣を描くタイプの、魔剣士が主に用いる詠唱方法だ。

 陣を結び終えると、ぽうと描いた陣が淡く光り、そこから青色の蝶が数匹現れ、レディエールの傷口までひらひらと飛んでいく。

 傷口に蝶がぶつかると溶けるようにレディエールの体に吸収され、じわりとした熱とともに、傷口がみるみる内に塞がっていった。


 なんて、美しい魔法なんだろう。


 燐光を帯びた青い蝶はレディエールが今までに見た何よりも神秘的で、儚く、思わず息を呑んだ。


「ふう、よし。

 ちゃんと治ったみたいですね、よかった」


 アニスの声にハッと我に返り傷口を見れば、傷跡は寸分も残っておらず、すっかり元通りの肌に戻っていた。

 擦っても押しても痛みはなく、完治しているようであった。


「魔法による治療は何度か受けたことがありますが……ここまで綺麗に治ったのは初めてです。

 魔法自体も、とても美しかった。

 あの、アニスさん……あなた、実はお忍びの聖女様だったりはしませんか?」


「まさかぁ。

 そんな大げさなものじゃありませんよ。

 でも、そう言ってもらえるのは嬉しい、です。母に教わった、大切な魔法なので」


 アニスは嬉しそうに目を細めた。女の子の肌に傷を残してはいけない。

 そう思ってアニスの母が作り出した魔法なので、それを褒められるのは自分のことを褒められるより嬉しかった。


「いや、本当にすごいです。治りはしても傷跡は残るだろうなと思っていましたので。

 立派なお母様をお持ちなのですね」


「ええ、自慢のお母さんでした。もっとも、もうだいぶ前に死んでしまったのですが」


 レディエールの血の気がさあっと引いた。

 考えてみればそんな母親がいると言うなら、この診療所にいるはずなのだ。

 気付けなかった己を恥じるように瞼を伏せ、アニスに頭を下げ詫びた。


「あっ、気にしないでください! 流石にもう、立ち直っていますので……!」


 気落ちした様子のレディエールに、悪いことを言ってしまったとアニスは反省した。

 あんなふうに言えば、誰だってこうなるのは少し考えればわかるはずだった。

 取り繕うようにティーポットを手に取り、二つのカップに茶を注ぐ。

 エリングスを煎じた茶は素朴な甘い香りを放っており、心を落ち着かせるのに実に適しているのだ。

 よかったらどうぞ、と渡された茶をレディエールはゆっくりと嚥下した。

 体の芯までぐんと温まって、ほうと息を吐き出した。

途中で断筆した拙作のリメイクです。

更新はゆっくり目になると思います。

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