前編
「よかった、目を覚ましたんだね」
目を開けると、目の前に誰かの顔があった。
私はびっくりして起きあがろうとし、彼の顔とぶつかった。お互い痛みで頭を抑えながら、彼は呆れた声で言った。
「起きてそうそうにこれか。それが命の恩人に対してとる態度かい」
「うるさい」
彼にイライラしながら、私は周りが気になり周囲を見渡した。それは先程まで自分が見た光景とは違う風景だった。まるで、お花畑のようなところに私はいた。眠っていた間、何があったのだろうか。
「あ、無理に動かない方が良いよ。だいぶあちこち怪我してたからね。直すのに苦労したんだよ?」
「取り敢えず説明しなさいよ。私はこんなとこにいなかった筈なのに」
実際身体を思うように動かせない以上、癪だが彼から情報を得るしかない。少し目つきがきつかっただろうか…いや、目つきも何も無いのだが。
「良いよ、説明してあげる。まず言うと、君は元いた世界で不運にあったのさ。だから僕がここへ連れてきてあげた。千切れた耳だって直したんだからね?」
「じゃあここは元いた世界とは違うって言うの?」
「そうだね、君がかつて暮らしていた世界じゃない。不運に見舞われた者達が辿り着く…簡単に言えば天国さ」
彼の言うことに私の感情は突風を引き起こしていた。元いた世界?不運?天国?あまりにも突拍子の無い話に理解が追いつかない。
「じゃああんたは神様かなんかなの?」
「神?あんな幻想を信じているのかい?君はそのまま御伽噺でもする気なのかい?止めはしないよ、聞かないけど」
「…信じるか信じないかは個人の自由よ」
「ちょっと言いすぎたね。まあ、僕はここのまとめ役をやっていて、かつ哀れな子羊を導く案内人さ」
「…それはつまり私のことも導いたと言いたい訳」
「そういうことだよ」
なるほど、少しずつとはいえ状況が読み込めて来た。確かに私は元いた世界…と言っていいのか現時点では分からない…で不運にも一生を終えることとなってしまった。そのまま消滅する筈が、目の前にいる彼によって別世界へ転生した…ということだろうか。なるほど理解不能である。
「ちょっと来てみなよ」
彼が手招きして歩き出してしまった。私も慌てて追いかける。正直インドア派な私は自分のテリトリー以上に出たことが無く未知の世界にビクビクしていたが、彼に置いてかれる方が怖かった。ふと彼が変貌して、"あの男"のようになったら…という恐怖が彼に逆らえない感情を産んでいた。
彼がふと止まったので、私も止まった。その視線の先には花畑に穴が空いており、その下に小さく陸地が見えた。陸地とこの花畑の間には暗い空間が広がっている。あの子が言っていた宇宙とはこんな感じなのだろうかと一瞬考え、あの子のことを思い出してしまった。わざと忘れようとしているのに、そう思うほど忘れられないらしかった。
「あれが君の、そしてここの住民達の元いた世界さ。こうして具現化しているけど、実際は別次元だからここから降り立って元の世界には戻れないよ。まあ僕達は強く願えば行けるけどさ」
「…願えば行けるってどういうことよ」
「そう言えば君に説明していなかったな。君はここに来ている時点で、まだ死にたくないと願った筈だよね?」
「…だったら何」
「ここの世界の住民は皆"ネガイ"を持っているのさ。"ネガイ"が無ければこの世界にいられず消滅してしまう。逆に言えば、君は今ここにいる時点で何か"ネガイ"を持っているといえるってことさ」
"ネガイ"…。
私は何かを願ってここに辿り着いたらしい。恐らくその"ネガイ"は先程思い出したあの子のその後が気になるからだろうか。多分そうだ。何故ならあの子はある日急にいなくなってしまったのだから。
私とあの子はいつも一緒だった。一緒に遊んで、一緒にご飯を食べて、一緒に寝て。幸せな生活だった。これがずっと続くんだって信じて疑わなかった。あの日までは。
ある日、あの子は急にいなくなってしまった。私達が寝ている内に何処かへ言ってしまったらしい。幾ら探しても見つかることは無かった。数日経って、何処かへ連れて行かれたらしいことを隣りのヤクさんから聞いた。私は悲しんで泣きじゃくったが、怒られてご飯抜きにされた。それ以来私は泣くということが出来なくなってしまった。更に、今の少し捻くれた性格になったのもこれが原因だろう。
「…つまり僕らは"ネガイ"さえあれば何処へでも行けるし何でも生み出せる…って聞いてるのかい?」
彼の言葉でふと我に返る。すっかり昔のことばかり考えて彼の説明に気づいていなかったらしい。
「…ごめん」
「釣れないなぁ。まあとにかく、"ネガイ"さえあれば何でも出来るとだけ記憶しておけば良いよ」
「…分かったわ」
「じゃあ本題に行こうか。君の"ネガイ"はなんだい?」