雪降る夜、思い出を重ねて
童話にしては初恋の描写が甘酸っぱいというより重く感じる方もいるかもしれません。ご了承下さい。
よろしくお願いします。
「ねぇ、おじいちゃん。このうさちゃんちょーだい?」
雪がしんしんと降る年末。年に一度の大掃除が落ち着いた。
妻と嫁が夕飯の支度をする中、窓辺のロッキングチェアから雪を眺め、コーヒーに口を付けたところだった。
孫娘のマリーが可愛いミルクティー色のうさぎのぬいぐるみをひょこりと見せてきた。
埃っぽいが色褪せは少なく、一瞬で数十年前の記憶が鮮やかに蘇った。
確か、6歳だった。
穀物屋を営む僕の家に、彼女は初めて父親の買付に付いて来た。彼女の家はパン屋で、よく買付にくる父親の事は知っていた。
「やぁ、グウェンは初めてだよね。娘のメグだ」
「はじめまして!メグよ」
赤毛でそばかすがあって、笑顔がとっても可愛い子だった。
メグは三姉妹の末っ子だけど世話焼きが好きで、近所の子供達の面倒もよく見ていた。一歳歳下の僕の事も「弟が欲しかったの!」と言い、それからよく店に来るようになった。
「僕は君の弟じゃない」
「知ってるわよ。それより朝食のジャムがほっぺについてるわよ。ほら拭いてあげるから」
「ちょ、やめろよ!」
逆に僕は三兄弟の長男で、口では素直に言えなかったけど、メグが構ってくれる事が嬉しかった。
よくしなる枝をサーベルに見立てて騎士ごっこした時も。
石垣の上に更に石を積んで、通る人の目の前で崩して驚かせて遊んでいる時も。
兄弟喧嘩で拗ねている時も。
褒める時も怒る時も慰める時も、1番に来てくれたのはメグだった。
そんな淡い初恋を自覚した、10歳の時だった。
「私ね、好きな人が出来たの。グウェン、相談に乗ってくれない?」
そばかすを真っ赤に染めて。それは世界の終わりのラッパの音みたいだった。
絶望と嫉妬が荒れ狂う心を隠して、僕は懸命に話を聞いた。
「あのね、新しくお弟子になった人なの。五歳年上なんだけど、とても優しくて笑顔が素敵なの」
家族に相談して気まずくなったら弟子を辞めてしまうかも、と思うと姉妹にも相談出来なかったようだ。
メグに連れられて、こっそりお店を覗きに行った。
新しい弟子はサラサラの髪をバンダナに隠して、忙しい時も笑顔で接客する爽やかな男だった。
10歳の僕から見た働いている16歳はとても大人に見えた。
「かっこいいな」
「ええ!ねぇ、時々でいいの。話を聞いてくれる?」
「…っ、しょーがねーなー!」
その日の夜は布団で泣いた。泣きまくった。
それから数日後、メグはあのミルクティー色のうさぎのぬいぐるみを持ってきた。
「おばさん、このぬいぐるみお店に飾ってもいーい?」
「あらぁ、可愛い。いいの?お店に置いちゃって」
「うん!お店に来た時遊びたいから」
メグは母と話したあと、僕の所に来てこっそり教えてくれた。
「このうさちゃん、背中にポケットがあるのよ。ねぇ、遊びに来た時ここにこっそりお手紙を入れるから、グウェンもお返事を書いてここに入れてよ」
「お、おう」
「2人の秘密よ」
「ひ、秘密な」
それは甘美な響きだった。
相手の恋の話を、腹が捻じ切れる思いで読み、歯を食いしばって返事を書く。
だけど、ぬいぐるみに手紙を仕込む時、「2人の秘密」と思うと甘いものが胸を満たした。
ときめきと嫉妬が交互にやってきて、僕は完全に初恋を拗らせた。
だけどそれも15歳の時に終わりを迎える。
メグは弟子と結婚したのだ。
結婚式の朝、僕はぬいぐるみに最後の手紙を託した。
“I wish you happiness”
祝福の鐘が鳴る中、僕はメグに沢山の花びらのシャワーを浴びせた。
懐かしさに苦笑を浮かべ、マリーに話しかけた。
「やぁやぁ、何処で見つけたんだい?また古いものを」
「屋根裏よ。お片付けをしている時パパと一緒に上がったの。隅っこに宝箱が置いてあって、中にこの子がいたのよ」
「宝箱か…他に何を入れたかなぁ」
「色々あったわ。本とか、錆びたナイフに先の曲がった万年筆、穴の空いたマフラー。ブリキの騎士人形とか」
「あぁ、そうか。そうだね、そうだった。それは確かにおじいちゃんの宝箱だ」
1番お気に入りだったおもちゃ、成人のプレゼントに貰ったナイフ、妻が初めて編んでくれたマフラーなどを挙げられて、僕は深く頷いた。
「ねえ、ダメ?やっぱりこのうさちゃんも宝物?」
マリーは口元にうさぎを構えて前足をピコピコ動かした。可愛いその仕草に、勿論ダメなど言えない。ゆっくりと頭を撫でて頷いた。
「いいよ。大事にしてくれるかい?」
「やったあ!絶対大事にする!ありがとうおじいちゃん!」
ひとしきりぴょこぴょこ飛び跳ねると、マリーは僕の膝に座った。
「お名前はあるの?」
「名前は知らないなぁ。でも仕事は知ってる」
「お仕事してるの?」
「そう、この子は郵便屋さんなんだ。手紙を運んでくれる。ほら背中を見てごらん。真ん中がボタンで止まっているだろう?」
内側に仕込まれた小さいボタンを外すと、指が半分くらいの深さの隠しポケットがある。
あの最後の手紙は入れっぱなしだっただろうか。
マリーは小さな手をずぼりと差し込むと、メモきれを引っ張り出して目を輝かせた。
「本当だぁ!」
マリーが黄ばんだ紙を開くと一言あった。
“me too”
「わたし、も?何が私も?」
僕は信じられない思いでメモを見た。
“君の幸せを願う”
“私もよ”
(返事が、いつ?)
メグが結婚した後、僕は店を継いだ。暫くは見習いとして。
正式に譲り受ける時に、母好みの可愛らしい内装から、シンプルな内装に変えたのだ。その時、うさぎのぬいぐるみは引退した。
ただ数年後にお嫁さんを貰うと、また可愛らしい内装に変わってしまったのだが。
(そうだ、見習いとして継いだ時、メグがお祝いに
…)
まるで妖精のイタズラを目の当たりにした様だ。
光が乱反射するように、目がチカチカする。
「おじいちゃん?泣いてるの?」
マリーの声に、妻と嫁がキッチンから顔を出す。僕は慌てて笑顔を浮かべた。
「それであなた、あのぬいぐるみはなんですか?」
眠る前に、妻は疑いの浮かぶ顔で僕を見た。
長年連れ添った彼女とはお見合い婚だったが、信頼と愛情を確かに重ねてきた。
僕は恥ずかしさを浮かべて、懐かしい初恋の話をした。
「まぁ、そんなものを取っておくなんて。お相手はどんな方なの?」
嫉妬だろうか?可愛い妻の反応に微笑む。
「君も良く知っているよ。パン屋のメグさ」
「えっ!?あのおしどり夫婦のメグさん?」
「そう。あのおしどり夫婦のメグだ」
その途端、妻は気の毒そうな顔で僕を見た。5年片思いして愛を勝ち取り、今でも仲良し夫婦なメグの恋話は有名なのだ。僕は苦笑するしかない。
「また、叶わぬ横恋慕を…」
「はは。もうずいぶん昔、子供の頃の話さ」
窓の外にはまだ雪がゆっくりと降り積もっている。
しんしんとゆっくりゆっくり積もる雪は、僕の心のようだ。ぬいぐるみを見ても、もう甘さも痛さもない。ただ懐かしく、その上に妻と育んだ時間が、息子が、孫が、思い出達が絶えずゆっくり重なっていく。
“私も”と書かれた紙を思う。
見つけたのが今で良かった。
僕は笑顔で答えられる。
とても幸せだ。願ってくれてありがとう、と。
「そういえば、君に手紙を書いた事はあっただろうか?」
妻は考える仕草をして、首を傾げた。
「君に手紙を書いたら読んでくれるかい?」
「ええ!勿論よ。では私は新しいぬいぐるみでも用意しましょうか」
「それは楽しみだ。マリーにも書こうかなぁ」
「きっと喜ぶわ」
また新しく、積もってゆく。
〈おわり〉
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