2話
「素敵な絵ね」
先輩との出会いは去年の今頃。
私は先生に頼まれて描いた、生徒会選挙のポスターを掲示板に貼ってる時だった。
私は背が小さかったので、貼るのにかなり苦戦していた。今思えば、それを見かねて声をかけてくれたのかもしれない。だけどその時の私は、ただただ先輩に見惚れていた。
自分よりも高い身長に大人っぽい容姿。普通に生活していたら、まず関わり合いになることのない人だった。
「手伝って上げる」
私が放心状態になっていると、先輩は掲示板にポスターを貼ってくれた。すぐそばにいる先輩からはとてもいい匂いがした。ポスターを張っている指は長くて、肌もすごく白い。
「うん、すごく素敵。私、水墨画ってすごく好きなの」
我に返ったのは、先輩がそう口にした時だった。顔は真っ赤になり、すぐに距離をとって私は勢いよく頭を下げた。
「あ、ありがとうございます!手伝ってくれて!」
「いいのよ。こっちこそ、出過ぎた真似をしてごめんなさい」
「そんなことないです。私、身長低くて高いところ届かなかったので、すごく助かりました」
身長は母譲り。癖のある髪は父譲り。この二点だけは、どうしても私のコンプレックスポイントだ。少しだけ嬉しいと思ったのは、祖母と同じ茶色い髪ぐらいだ。
「あら、身長なんて関係ないわ。それに、自分にできないことは他人にできるかもしれない。そういう時は、できる子にお願いするの。だから、また困ったら声をかけてね」
ふわりと浮かべた笑みはなんとも言えない、綺麗なものだった。この笑顔を、形に残したいなんて、つい思ってしまった。
「貴女、美術部?」
「は、はい。一年、です……」
「そうなの……あっ、そうだわ。貴女に一つお願いがあるの」
いいことを思いた。そんな感じで手を叩いた先輩は、無邪気な、子供のような笑みを浮かべていた。
「私、図書委員会の委員長してるの。それで、図書ポスターを是非とも貴女に描いて欲しい」
「え、私ですか!?」
突然のことに、私は動揺する。それに、そういうのって勝手に決めていいのだろうかと。すると先輩は、美術部の部長や先生には話しておくからと言ってくれた。
「ふふっ。私、貴女の絵を気に入ったの」
私の手を取り、そう言ってきた先輩。黒檀の髪が、わずかに開いていた窓の隙間から吹く風で揺れる。レンズ越しに私を見る瞳が、目をそらすことを許さない。そのせいか、なんだか胸がすごくドキドキする。緊張とか、怖いとか、そういうのとは違う。胸の鼓動。
「わ、かりました」
「ありがとう」
ゆっくりと先輩の手が離れていく。その時、少しだけ寂しさを感じた。
先輩はまた私のポスターを見ている。本当に、気に入ってくれたんだなと嬉しくなって、思わず笑みをこぼれてしまった。
「そう言えば、自己紹介してなかったわね。私は涙雨菖蒲、二年よ。変な名前でしょ?最初、みんな読み方がわからないとかよく言われて」
「そ、そんなことないです!」
先輩の名字は、寮に帰ったときに調べた。涙の雨と書いて涙雨。読み方は《なみだあめ》らしい。
悲しみの涙が化して降ったと思われるような雨。ほんの少しばかり降る雨。という古典の言葉。とても響きが、雰囲気が綺麗で好きだった。
聞いたときは当然わからなかったけど、きっと綺麗な言葉だと、確信のない自信があった。
「貴女の名前は?」
「あ、白露百合です。えっと、先ほども言いましたが、一年です」
「よろしくね、白露さん」
「はい。涙雨先輩」
「名前でいいわ。苗字は言いにくいでしょ?」
「それ、じゃあ……菖蒲先輩。あ、私も名前でいいです!」
「わかったわ。百合さん」
それから、私は図書ポスターを描いては先輩に見せに行った。
最初は教室まで見せにいったが、上級生のクラスとはひどく緊張してしまい、いつも声をかけるのに時間がかかってしまう。通い詰めると、気づいたクラスの先輩が菖蒲先輩に声をかけたりしてくれた。
「次からは、図書館にきてくれるかしら」
私を気遣ってくれているのか、先輩はそう提案してくれた。
来るように言われたのは、週末の金曜日。その放課後。
日の傾きが早い図書館はなんだか特別な感じがした。少し緊張しながら中に入れば、先輩はカウンターにいた。
本を読んでいるのか、先輩は私には気付かない。前に少し垂れた横髪を耳にかける仕草が、ひどくドキドキする。目をそらすことができない。
不意に、本に向けていた先輩の視線が私の方を向いた。読んでいた本をぱたりと閉じて、私と目を合わせると、いつもの笑みを浮かべてくれた。
「いらっしゃい、百合さん」
手にしていたポスターで顔を隠しながら、私はその事実に気づいた。
私は先輩に恋しているって……




