第7話:異世界転生
壊れた蛇口のように血を吐き出す。
信じられない量の液体が、僕の口から吐き出される。
生命力を司る液体。
それが次々と溢れ出る。
止められない。
……いったいどれほどの時間、それを垂れ流していただろう。
404号室。
転送装置の部屋。
その部屋の床が、血の池になった。
「………」
体の感覚が薄い。
意識も曖昧だった。
恐ろしいほど眠い。
体の重ささえもう感じない。
自分がどう立っているのかも分からない。
分かっているのは、
「あいつは……」
僕は部屋を出る。
家へ向かう。
*** *** ***
外は土砂降りだった。
その中をどう帰ったのか、憶えていない。
気付けば自分の家に戻っていた。
家の、妹の部屋。
扉は開いていた。
妹はそこにいた。
血の海の中で。
「………」
床に横たわり、口から大量の血を垂らしている。
手には、黒い紙切れ。
紙に描かれているのは、銀の鍵と転送装置のデザイン画。
ナイコーポレーション。
「………」
僕は妹のそばに身を寄せた。
視覚以外は全てが鈍い。
感覚のない手で、妹を抱き起こす。
血で汚れた頭を撫でた。
感覚が薄い。
あの獣のような衝動も、今はなかった。
ただ、妹の髪を撫でる。
そして、妹が目を開いた。
「………」
口を開こうとする妹。
動かせない唇。
分かる。もう何も出来ない。
僕は妹の手を握った。
妹は目を細めた。
微笑んだ。
そして、目を閉じる。
もう開かなかった。
「………」
僕は妹を抱きしめた。
血に浸る部屋で。
僕は致命的なほど魔素を吸っていた。
妹はもっとだ。
魔素が僕らの命を奪う。
助かる方法はひとつだけ。
「……」
僕は妹を抱え上げた。
どこにまだそんな力が残っていたのだろう。
あのお気に入りのコートに妹をくるむ。
そして、廃工場を目指した。
*** *** ***
簡単な話だ。
また惑星Xにいけばいい。
あっちなら魔素は毒にならない。
地球では生きられない僕らだけど、惑星に行きさえすれば。
*** *** ***
ずぶ濡れになって廃工場に辿り着いた。
あとは404号室に行けばいい。
廃工場の廊下を歩く。
なのに、
404号室なんて、なかった。
「………え?」
その廊下には、403号室までしかなかった。
404号室という部屋は存在しない。
隠し部屋を設けるスペース自体、そもそも残っていなかった。
404号室という部屋は存在しない。
「……」
僕は廊下で途方に暮れる。
なぜ。
殺されたから?
だけど部屋自体が無くなったことなんてなかった。
どうすればいい。
どうすればいい?
僕は妹を工場の廊下に置く。
微動だにしない、血で汚れた妹。
彼女を見て、気付く。
妹は自分の転送装置を持っていた。
あの黒い紙だ。
あれに何か書かれているかもしれない。
そう信じるしかない。
僕は妹をその場において、来た道を引き返す。
妹の頬を撫でて。
廃工場の前。
土砂降りの雨。
ろくに街灯がない道。
暗黒。
感覚の薄い僕。
考えられない僕。
だから気付かなかった。
2つの強烈な光。
低く重いエンジン音。
クラクション。
「――――――――」
衝撃。
宙を舞う、僕。
最後の力がしんだ
*** *** ***
そのトラックが、赤いテールライトを残して闇の中へ消える。
トラックに轢かれたのだと理解できたが、そこまでだった。
地面に横たわる僕。
指ひとつ動かせない。
雨の感覚はない。
なにもかんじない。
ねむい。
ああ、でも。
妹を、あっちに送らないと。
こっちでは生きられないから。
妹を、助けないと。
こっちでは誰も助けてくれないから。
誰も僕らを助けないから
…………暗闇に、男が立っていた。
黒い男が。
黒いロングコート。
黒い顔。
服も肌も、信じられないくらい光を反射しない。
輪郭も凹凸もはっきりしない。
まるで黒い塊が人の形を取っているかのよう。
その男が、暗黒そのものの双眸で僕を覗き込んでいた。
だれ?
そう思いながら、僕の意識は小さくなる
*** *** ***
気付けば、僕はどこかの寝台に横たわっていた。
404号室に似ている部屋。
けど何かが違う部屋。
どう違うのかは分からないが、どこでもないどこかのような部屋で。
転送装置の筐体があった。
それの前に、あの黒い男が立っている。
彼は銀の鍵を差し込み、何か調節をしていた。
それが終わると、彼は床から何かを抱え上げる。
妹だ。
コートにくるまれた、僕の妹。
彼女を僕のそばに横たわらせる。
転送装置が動き始めた。
黒い男が僕らを見下ろす。
だれ?
僕は声も出せず、薄い意識の中だけで尋ねた。
すると男は、懐から何かを取り出し、僕に見せる。
名刺だった。
2枚。
『 ナイコーポレーション 代表取締役社長 』
『 "万古なる者をあやす会" 副会長 』
読めたのは肩書きだけ。
名前は読めない。
書いてあるのだが、なぜか認識できない。
名前の中に大量の意味があって、脳みそが処理できないかのよう。
それに、もう僕は何も考えられなかったし、感じることもなかった。
消えていく。
動き出した。
転送装置が。
眠い。
妹をみろ。
一緒に行こう。
犬の大量にいるところ
あっちにあるかもしれない。
行こう。
あっちへ。
そうして。
僕の意識は消えた。
*** *** ***
*** *** ***
*** *** ***
*** *** ***
僕の体は、人間ではなかった。
オオカミのような胴体。
恐竜のような四つ足。
ヘビのような長い首。
ウツボのような頭。
トカゲのような尻尾。
コウモリに似た翼が2枚。
何にも似ていない獣だ。
手にはあのコートを抱えている。
コートにくるまれた、ひどく小さなもの。
僕は翼をはためかせて飛翔する。
どこだ。
雲の中。
知っている。
霧の塔だ。
僕は飛んだ。
目指す場所は決まっていた。
飛ぶ速さは人間だった頃とは比べものにならない。
地球人殺しよりも早い。
つまりこの惑星の何よりも早かった。
だからすぐそこに辿り着いた。
原住民の街。
犬人の王国。
地球人殺しが守った場所。
………その広場に、僕は舞い降りる。
犬人達が集まってくる。
武装した犬人や、そうでない犬人。
僕は広場の中央に、コートを置く。
その中に、小さな小さな生き物が。
――――――犬人の赤ん坊。
犬人たちがざわめく。
僕は自分の体を抉る。
その中から骨を2本、引き抜く。
骨は瞬く間に形を変えた。
馬上槍と、円形の大楯。
犬人、さらにいっそうざわめく。
僕は赤ん坊の横に、その2つの武器を置いた。
あとは、ただ、待つ。
しばらくすると、ひときわ身なりの良い犬人が現れた。
護衛が何人かついていた。
しかしその犬人は僕の目を見詰め、しばし目を合わせると、その護衛を下がらせた。
威厳のある犬人はひとりで僕と赤ん坊の前にくる。
そして赤ん坊を抱き上げた。
僕を見上げる。
そして厳かに深く僕へ告げた。
言葉は分からない。
しかし獣の異能なのか、その意味は理解できた。
勇者の生まれ変わりとして、
王国は深くこの嬰児を愛し、
永遠に守ることをあなたに誓う
僕は頷く。
犬人は再び頭を下げた。
そして見守る他の犬人へ、赤ん坊を高く掲げて見せ、高らかに吼えた。
全ての犬人が吼えて返す。
共鳴して重なり合い、どこまでもどこまでも遠吠えが続く。
祝福の遠吠え。
僕はそれを浴びながら羽ばたき、犬人の街から去る。
赤ん坊は女の子だ。
灰色の毛並み。
飛び去った僕の瞳は、遥か遠くから飛来するものに気付いていた。
青い肌の地球人達。
霧の塔からの来訪者。
僕は空気を吸う。
魔素で力がみなぎる。
戦いに向かった。