第4話:やわはだをふるわせまさぐる者共。鬼。けもの
昔、妹を迎えに行ったときがあった。
「兄さん?」
夜、撮影スタジオのロビーで待っていた僕を見つけると、妹は驚きの顔を見せる。
僕は手を振り、
「父さんは急用が出来たから、代わりの迎え」
「そっか」
妹は苦笑する。
寂しい笑い方だった。急用と僕が濁した言い方に気付いている。
僕は手にしていた自分のではないコートを、妹に渡す。
「車じゃないから、電車で帰ろう。これ着た方がいい。けっこう寒い」
「持ってきてくれたの?」
妹は表情を緩める。
僕らが以前デパートに行ったとき、兄妹そろって一目惚れしたコートだ。
男女どっちが着ても様になる不思議なデザイン。
あのとき、お互い顔を見合わせて「「欲しい?」」と声を揃えたのをよく憶えている。ふたりで笑い合った。
結局僕が買って贈った。
そんなコートを、妹は愛おしそうに羽織る。
まるで親鳥にくるまれる雛のように。
僕は先導してロビーから抜ける。
車道側を歩きながら妹と話した。
「着たくないなら僕が着るつもりだった」
「兄さんが着ると大きさちょうど良いもんね」
妹はおかしそうに微笑む。
実際、妹の華奢な体にはそのコートは大きすぎた。
袖口が長いので指先以外隠れているし、折れそうに細い腰に対してコートのウェストが広すぎる。
無理して大人の服を纏っているような、危ういアンバランスさが彼女にはあった。
その不安定さがみんなの目を集めることを、僕は知っていた。
広い襟元の白い鎖骨から目を背けつつ、
「妹のコートを着たことある兄貴って、字面だけだと相当やばいよな」
妹に贈ったが、未練がましく一度だけ着させて欲しいと頭を下げたことがある。
妹はあっさり快諾し、それ以来、着たいときは誰でも着て良いことになったコート。
僕はそれ以来一度も着ていないが。
「そう? このコートは家族共用みたいなものだから、私は別になんとも思わないけど」
このときも、妹はさらっとした口調で首を傾げる。
「兄っていう生き物は、いつ妹に気持ち悪がられるか日々怖がってるものなんだよ」
「……私が? 兄さんを?」
「そういうのは自分じゃ分かんないから、いやだと思ったらすぐ言って欲しいって意味。出来るだけ直したい」
震える心を隠しながら、僕はまるで何の気もないかのように言う。
直したいのは本当だった。
「僕には我慢しなくていい」
「……」
妹は真剣な顔で考え、重々しく口を開く。
「実は、ある」
「……マジ?」
「夜にお腹空いたからって、台所でおいしそうなの作るでしょ。ダイエット中なのに。あれの匂い本当においしそうだから拷問なの」
「なんで知ってる?」
「どれのこと?」
「僕が夜にひとりで豚バラの照り焼き作ってたこと」
「兄さんが隠せてると思ってたことが驚きだよ」
妹は心の底からおかしそうに笑った。
いつも小さい笑い方をするから、今みたいな開けっぴろげな表情は珍しかった。
僕らは駅前のロータリーまで辿り着く。
夜風が吹く。
冷たい空気。
だけど隣には妹がいる。
「……ねえ兄さん」
「ん」
「欲しいものとか、ない」
「なんだよ急に」
「いいから」
一番欲しいものは手に入らない。
なので僕は少し考える。
「休みが欲しい」
「学校の?」
「お前の」
「っ」
妹が息を呑む。
僕は顔を見ず、
「この間ニュースでやってたろ、イヌイヌランド。犬が大量にいるやつ」
「言い方」
「飼えないから一回くらい行ってもいいと思って」
「行きたいなあ」
「忙しそうだ」
最近はなかなか家にも帰ってこなかった。
「……うん」
妹は俯く。
「でもね、お父さんもお母さんも、買いたいものあるって言ってたから。頑張るよ」
「……」
「みんな喜ぶなら、私は頑張れる」
妹は顔をあげる。
僕を見る。
微笑んで。
「兄さんが欲しいものあったら、私はそのために頑張るよ」
「僕は……」
そのとき、妹の携帯電話が鳴る。
びくっ、と妹が肩を震わす。
血の気の引いた顔で、妹はバッグから携帯電話をおそるおそる取り出す。
「―――はい……はい……」
一方的な通話。妹は頷くだけ。
そして話が終わる。
妹は硬い顔で僕を見て、
「ごめん、急に仕事が決まって、今から打ち合わせしないといけなくなっちゃったって……」
「今から?」
「帰りはマネージャーさんが送ってくれるから」
妹はちらっとロータリーを見やる。
僕もそちらを振り向く。
ロータリーに一台の車。
運転席にいるのは、妹のマネージャーだ。
「ごめんね、せっかく来てくれたのに」
「それはどうでもいい」
「怒らないで」
「怒ってない」
「お休みもらえるよう、頼んでみるから。埋め合わせってことで。そしたら、一緒に行こ、イヌイヌランド」
妹は微笑み、僕の頬を撫でた。
滑らかで冷たい繊手。
ひとの血を熱くしてしまう香り。
汚したくなるほど白い雪の肌。
「じゃあ」
妹は僕から離れる。笑いながら。
あのマネージャーの車に。
僕はそれを見送った。
妹が帰ってきたのは、次の日の朝だった。
打ち合わせが長引いたのでホテルに泊まったと言った妹。
そのあと部屋に一日中閉じこもった妹。
このときの埋め合わせとして、妹は休みをもらった。
僕らは約束通り、イヌイヌランドに行った。
*** *** ***
その魔獣は空から降ってきた。
落下の衝撃波で犬人の街の1/3を破壊した魔獣は、伸びる多数の触腕で原住民を捕食していった。
魔獣の体型は芋虫のような筒型だ。
体高は2階建ての建物を超え、全長は高さの3倍。
特徴は、触腕の数が非常に多いことだ。背中でびっしりとイソギンチャクのように繁っている。
魔獣は街をゆっくり這いずっていった。
ゲル状の体を伸び縮みさせ、建物を取り込んで消化。
その無数の触腕で避難する原住民を存分に取り込み、肉と骨をぐずぐずに溶かして食べていく。
僕はその光景を、農家の二階から眺めていた。
魔獣が落下し、地球人殺しが現場に到着するまでの12秒間で、街の住民の8割が喰い殺された。
タイミングが悪かった。
地球人殺しは別の羊人の街で3人の地球人と戦っている最中で、そちらを片付けるのに10秒を要してしまった。
地球人殺し、体長さの何倍もの触腕を展開する魔獣に相対する。
魔獣が、ふと動きを止める。
「~~~…―~~――~~~~~~………~~~~~~―~~~」
魔獣の触腕に変化が生じる。
背中に生えた触腕群のうち、頭――頭部はないのでつまり進行方向――に近い1/3が黒く変色する。
どろどろの半液体めいたものから、シリコーンゴムのような柔らかい固体に。
その黒い触腕が、地球人殺しに殺到した。
無数の黒い鞭の嵐。
地球人殺しは正面から突き破る。
正面から迫る鞭を馬上槍で貫き、横からの攻撃を左手の小楯で弾く。
残りの触腕の殴打を足場にした大楯が機敏な機動で回避。
その黒い触腕の全てを瞬く間に破壊し尽くす。
「~~~~~~~~~―~」
魔獣、さらに変化。
胴体部分の触腕群、原形質めいたそれが様々な形状に変形していく。
うち一本が地球人殺しに迫る。
先端からワイヤーが伸び、カプセルのような長球体と繋がっている。
その長球体が音を立てて震動しながら、地球人殺しに叩き付けられた。
遅い。
僕でも殴り返せる。
当然、地球人殺しはあっさり長球体を槍で破壊。それと繋がっていた触腕も続けざまに刺し貫く。
が、そこで異変が起きた。
「……っ」
地球人殺し、僅かに身震い。その動きが鈍る。
魔獣は次の触腕を繰り出す。
先端がお椀のようなカップ状になっている触腕だ。
カップの底には細かいブラシ状の触手が高密度に生え、それが不規則かつ高速で回転している。
この触腕は二股に枝分かれしており、その先端にそれぞれ例のカップ状の部位を形成していた。
底に回転ブラシを持つカップが2つ。
それが地球人殺しに近付いていく。
「!」
地球人殺しは大楯を正面に構える。
カップのうち1つが楯を包んだ。
カップはゴムのように柔らかい。大楯にフィットし、奥のブラシの複雑な震動を楯に与える。低い回転音。
地球人殺し、耐える。
………おかしい。
僕は訝しむ。
地球人殺しは、なぜかその場から動かない。
大楯はひとりでに宙を浮いていた。そのため持ち主は自由に動ける。
だというのに、地球人殺しは大楯の後ろに隠れていた。
その地球人殺しの頭上から、もう片方のカップもどきが迫る。
地球人殺しは反応。
左腕の方形の楯で受け止める。
カップ、小楯をやはり包み込み、ブラシの高速振動を騎士本人に浴びせた。
地球人殺しの体が、跳ねる。
これもおかしい。
カップ状の触手は不気味ではあるが、それほど力があるようには見えない。
膂力においては地球人すら凌駕する地球人殺しが、明らかに苦戦している。
「………!」
地球人殺し、震える体で右腕の馬上槍を振るった。
高周波音を撒き散らし、槍の輪郭がぼやける。
その刀身は左腕を包むカップの触腕に叩き込まれ、一瞬で敵手を爆砕させる。
大楯を震わせているもうひとつのカップにもそのまま攻撃。
ようやく触腕を破壊する。
「何してんだ……」
僕はそれを眺め、思わず口に出した。
僕の熱線を掻き分けられる地球人殺しが、あんな触手ひとつに手こずっている。
そのことが、どういうわけが非常に気に入らなかった。
魔獣は休むことなく攻撃を続行。
今度はかなりの数の触腕を一斉に送り込む。
やはり先端が変化している。
それが何の形なのか、今回ははっきり分かった。
木製クリップ。
洗濯バサミだ。
ワニ口になったそれらがヘビのように鋭く地球人殺しへ押し寄せる。
地球人殺し、反応する。
しかし明らかに精彩を欠いていた。
槍を一振り。
それでハサミ型触腕の半分は吹き飛ぶが、残りの肉薄を許してしまう。
クリップが甲冑のあちこちに食らいつく。
足先から兜、楯も小手も構わず。
地球人殺しが小刻みに震える。
触腕を振りほどけない。
「~~~…―~~! ――~~~~~~! ~~!!」
魔獣、吼える。
フルートを思わせる音。気の滅入る音色。
その音を響かせながら、さらに別の触腕を次々と繰り出していく。
太い先端が首を振ってうねる触腕。
先が二股や三股に細く分かれている触腕。
先端の球状部分のみ激しく震動する触腕。
細かい触手を無数に伸ばす触腕。
球形の粒がいくつも数珠つなぎになった触腕。
多量の粘液を垂れ流すだけの触腕。
縄状の触腕。
手枷型の触腕。
等々……。
禍々しい形状の触腕群を前にして、地球人殺しはやはり動けずにいた。
否。
震えている。
力なく。
あの地球人殺しが。
クリップ状の触腕達に吊し上げられたまま。
異形の触腕群が騎士を呑み込む。
甲冑の隙間へ潜り込む触腕。
地球人殺しがびくんびくんと跳ねて揺れる。
楯も鎧も機能していない。
槍と大楯が、浮力を失って地面に落ちる。
粘液が浴びせられ、さらに多くの触手が潜り込んだ。
異様な光景だった。
騎士が夥しい数の触手に陵辱されている。
「……!」
僕は農家から飛び出ようとした。
しかし思いとどまる。
―――なんで今、あいつを助けようと思った?
このままなら地球人殺しは魔獣に倒される。
あの魔獣は特別強そうでもない。
なので僕なら殺せる。
地球人殺しのいない原住民も同様。
つまりこのまま眺めているのが一番得策だった。
なのに。
逡巡する。
これでいいのか迷う気持ち。
なぜ?
僕の迷いなど知らない戦闘に、変化が起きる。
「……なんだ?」
変化を見せたのは、魔獣の尻尾の触腕群だ。
多数の触腕がひとつに融合し、幅広の新しい部位を形成していく。
それは一枚の鏡だった。
薄さはともかく、その大きさは魔獣本体に匹敵する。
磨き上げられた表面が、触手に弄ばれる騎士を映し出す。
その鏡像が、激しく乱れる。
砂嵐。
明滅。
そして安定。
映る。
地球人殺しが、ではない。
部屋だ。
明らかに地球の調度品。
画面中央に大きなベッド。
そのベッドの上で。
人間の男が誰かを押し倒している。
男は背中しか映らず、顔が見えない。
しかし男に押し倒されている者は見えた。
地球人殺しは見た。
僕も見た。
見てしまった。
衣服が乱雑にはだけられ、
露わになった淫靡なほど白く柔らかな部分を揉みし抱かれている少女。
清楚な美貌を恐怖で凍り付かせ、
しなやかな髪を震わしている、
僕の、妹が。
「………なんで」
画像が切り替わる。
妹が見たことのない男に手を引かれている。
父と同じかそれ以上の年齢。
見るからに裕福な身なり。
妹の腰を引いて密着しながら、高級ホテルに入っていく。
画像が切り替わる。
やはり男に連れられていく妹。
先ほどとは違う男。
その顔は、僕も知っている人間だった。
妹の事務所の、社長。
人気のない場所のホテルへ、妹の体をべたべた撫でながら入っていく。
「やめろ」
画像が切り替わる。
真夜中の駐車場。
一台の車。
揺れている。
フロントガラスに一瞬だけ顔が浮かぶ。
妹の顔。
画像が切り替わる。
夜の公園。
画像が切り替わる。
風呂場。
画像が切り替わる。
画像が切り替わる。
画像が切り替わる。
画像が切り替わる。
画像が切り替わる。
画像が切り替わる。
……最後に映し出されたのは。
妹。
妹の顔のアップ。
光のない瞳。
作り物のような表情。
半開きにした朱唇と、そこから垂れる唾液。
その唾液を舐め取る、誰かの舌。
「―――――――!!」
僕は飛翔した。
先ほど逡巡した自分を憎みながら。
上昇の衝撃で農家が爆発し吹き飛ぶ。
僕は全身全霊を込めて空気を吸い込む。
ピピピピピピピピピピピピ!!
あっという間に警告音が鳴る。
関係ない。
僕の全身が青く灯る。青い火花、帯電。
上空から最大望遠でそれを睨む。
吐き出す。
青い熱線。
いつもの熱線とは比べものにならないほどのエネルギー密度。
大気を焼き焦がし、熱波が大地を払い飛ばす。
極太の青い光芒は遥か先の犬人の街まで一瞬で到達。
突き刺さる。
魔獣の背中にできた鏡に。
妹の姿ごと。
魔獣もろとも。
「~~~…! ―~~―! ―! ~~~! ~~~! ………!!」
魔獣が吼え、もだえる。
「――――」
地球人殺しの兜が動く。
こちらへ向いた。
僕を、見た。
目を合わせた。
そんな気がした。
「!!」
地球人殺しが全身を震動させる。
それまでのような怯えの震えではない。
槍に与えていたのと同様の高周波の震動だ。
甲冑の全てから超震動が放たれる。
地球人殺しを陵辱していた触腕、その全てが跡形もなく消し飛ぶ。
魔獣、フルートに似た音で悲鳴を上げる。
地球人殺し、手を横に翳す。
馬上槍と大楯が地面から浮上。主の手元に舞い戻る。
地球人殺しは大楯の上に乗り、馬上槍をまっすぐ前に構える。
魔獣は一部に残った最後の触手群を使って騎士を叩き落とそうと足掻いた。
地球人殺しの槍、切っ先が変形。
4つの長い刀身が剣山のように生えた円盤を顕す。
円盤、残像も残らないほどの高速で回転。高周波を撒き散らす。
騎士が突進する。
いくつもの触腕が襲い掛かった。
無意味。無力。
槍の先端に触れるだけで消滅する。
一瞬で全ての触腕がこの惑星から掻き消えた。
魔獣が絶叫する。
騎士、魔獣の体に背中から襲い掛かる。
ゲル状の体に高速回転ブレードを激しく突き刺した。
「~~~~~!!!!!!!!!!!」
魔獣の体が瞬く間に撹拌され、引き千切られていく。
弱点の顔が出るのを待つとか一切関係ない。
暴力で蹂躙する。
一方的に。
魔獣の肉体は次々と削り取られ、ついに前と後ろに引き裂かれた。
地球人殺しはそのまま頭へ槍を向ける。
魔獣の下半身が独自にうねって反撃しようとする。
「失せろ」
僕は再び熱線。青い熱線。
魔獣の下半身を呑み込む。下半身、全て弾け飛ぶ。
地球人殺し、上半身を貫通。
魔獣を無数の欠片に撹拌した。
「~~~~~…~……、~~……」
魔獣、地面に落ちた比較的大きな欠片から呻く。
そこに、顔があった。
3つの穴。
蠢く口と目。
騎士はその肉片を見つけ、踏み付ける。
「……」
そして回転をやめた槍の切っ先で、突く。
魔獣、悲鳴。
突き刺す。
悲鳴。
突き刺す。
悲鳴。
悲鳴。
突き刺す。
突き刺す。
突き刺す。
突き刺す。
突き刺す。
突き刺す。
突き刺す。
突き刺す。
突き刺す。
……どれくらい、騎士はそうしていただろう。
魔獣はとっくにただの物質になっている。死んでいた。
地球人殺しもようやく我に返ったのか、刺突の動きをやめる。
「………」
地球人殺し、地面に膝をつく。
俯く。
肩を震わせていた。
ずっと。
ずっと。
「――――」
僕はそれを見ていた。
地球人殺しはかなりの力を消費している。
対して安全を無視した僕の力はかつてないほど高まっていた。
今なら倒せるかもしれない。
だというのに、僕はただ見ていた。
目が離せなかった。
惑星の風が目にいたい。
次の日。
元マネージャーが変死体で発見された。




