第2話:走れ! パン切りくん
パン工場。
作業エリアに向かう廊下。
「よお」
どすん、と背中を強く押される。ぶたれる、に近い。
その嘲弄の声音に僕は振り返った。
先輩の工員だった。
「お前の妹の載ってるやつ、こないだ見つけちまってよ。かなり良かったから感想伝えようと思ってな」
にやにやと下品な薄ら笑い。
工員は表情を思い切り歪めて笑い、見下す。
「すっげえエロいなお前んとこの妹ちゃん!」
「……」
僕は拳を握る。
工員が好色に嗤う。
「あんなやらしぃカラダされたらたまんねえよなあ。昨日の夜なんて思わずそれ使ってひとりでヤっちまったよ」
くへっ、と奇声を上げて腹を抱える工員。
その彼に、僕は何も言わず全力で殴り付けた。
が、拳は虚しく空を切る。
躱された。
逆に相手の拳が僕の顔を殴り飛ばす。
転倒する僕に工員は蹴り込み、唾を吐き捨てる。
「今度会わせろよ。いい絵撮ってくれるとこ紹介してやっからさ」
言って、さらにもう一度蹴りつける。
満足そうに笑いながら、工員は作業エリアに向かっていく。
「……しね」
僕はすぐに起き上がれなかった。
痛みのせいではない。
拳を強く握りしめる。
痛いほど。
震えるほど。
ベルトコンベアをパンの塊が流れてくる。
僕はそれをパン切り包丁でスライスする。
「……」
包丁は刃渡り30cm。いい切れ味とは言えない。スライスする機械を導入する気が工場にはないらしい。資金繰りがだいぶまずいと噂されている。
「……」
僕はパンを切る。
コンベアの上のパンを切る装置。
「……」
僕はパンを切る。
パン切り包丁のための僕。
パンを切る。
僕は包丁でパンを切る。
*** *** ***
僕は包丁で原住民を斬る。
包丁は刃渡り100cm。いい切れ味だ。僕が生み出した。地球人なので武器も作れる。
その包丁で、腕から翼が生えた原住民を切り払う。
「&~%$~*+%&*!!」
僕が鳥人と呼んでいる原住民が、解読不能な悲鳴を上げて逃げ惑う。無駄だ。地球人からは逃げられない。
逃げる鳥人の背中を叩き斬る。血飛沫。羽毛が舞う。
僕は目に映る鳥人全てに飛びかかって切り捨てていく。
「~~♪」
包丁は思ったより良い出来映えだった。
2日ぶりの転送。
昂揚した僕は鼻歌交じりに集落の原住民を皆殺しにしていく。
それでも逃げようとする鳥人は熱線で焼き払う。
久しぶりなので今日は全員殺すことにしていた。
「……よし」
全員殺した。
夥しい死体に満ちた集落の血生臭さ。
それに満足した僕は、飛翔して次の場所を探す。
空を飛ぶ。
遠くに、柱状の大きな雲が立っている。
大地に突き刺さった雲霧の柱。
霧の塔だ。
あの塔の中から、僕らは転送されてやってきた。
この惑星の地図を僕は持っていないので、いつも霧の塔を目安に遊んでいる。
霧の塔の近くには原住民も集落を作らない。真っ先に地球人に狙われるからだ。
だから出来るだけ塔から離れた場所に行って、遊び先を見繕う。
今回も僕はそうして塔の反対方向へ飛んでいく。
「お」
途中で原住民の移民集団を発見。家畜――牛と羊の中間のような生物――に移動式の住居と大荷物を運ばせていた鼠人。
熱線で焼き殺す。
跡形もなく焼け死んだのを確認してさらに飛ぶ。
この惑星は民族移動が激しいのか、ああして放浪している原住民達によく出くわす。
原住民の人口に対して、土地が広すぎるせいだろう。
実際この惑星はかなり広い。
僕はまだこの星の隅々まで探検したことがなかった。
霧の塔は惑星に複数設置されていたし、そもそも地図がないのでどこがなんだか分からない。
遊ぶところには困らないので、大きな問題もないのだけれど。
「……あった」
そうこうしているうちに、新しい集落を地平線の先に見つける。
が、最大望遠で捉えた原住民の姿に、僕は思わず舌打ちをした。
「犬かあ」
その集落の住民は、犬のような耳と尻尾、爪先を持った犬人だった。
苛立たしい。
僕はその集落を飛び越え、別の場所を探す。
かなりの距離を飛んだ。
残り時間が心配になった頃、やっとそれなりの村を発見。
住民を確認する。馬人だ。小ぶりな耳と尻尾、足先に蹄。
僕は安堵して、彼らの村の一軒に落下した。
自由落下ではなく力を込めて衝突。
民家は爆発。粉々に破壊される。
馬人が悲鳴を上げて走り出す中、僕は再び上昇。また落下。
別の家に突き刺さり爆砕する。
また上昇。落下。破壊。繰り返す。
色々と溜め込んだときは、単純に壊して回るのが一番だ。
「これで全部か」
僕は全ての家屋を粉砕したことを確認し、周囲に熱線を何発か乱射した。
馬人は逃げ足が速い。
もちろん地球人なら簡単に追いつけるが、それは先ほど鳥人の集落でやった。
作った包丁もまだ手元にあったが、出番がなさそうなので手で潰して捨てる。
地球人の視力は馬人を見逃さない。
熱線で彼らをひとりずつ焼き殺す遊びに興じようとした。
が、
「っ!!」
僕は身を翻してそちらに振り向く。
視た。
遠く遠く、先ほど通り過ぎた犬人の集落。
その上空で、僕とは別の地球人が戦っている。
青い体をした、顔のない地球人が。
――――あの騎士と。
地球人は身の丈を超す大槌を振り回す。
騎士が大楯で受け止めた。
防御と同時に槍を突き出す騎士。
地球人は瞬時に後退。それを躱す。
騎士が追撃。
大楯に乗ってジグザグに飛翔しながら地球人へ迫る。
地球人、雄叫びを上げる。
「――――!!」
大気が激しく震動する。
騎士の突進が弾き飛ばされた。
地球人はすかさず深く吸い込み、超震動波を放出。
騎士、大楯を構えて防御。小刻みに震える。空中から動けない。
地球人、大槌に超震動の力を与える。高音。大槌の輪郭がぼやける。動けない騎士へ突撃して大槌を叩き込んだ。
地球人の腕力と超震動の合成破壊力が騎士を襲う。
騎士が楯の上から吹き飛ばされ、地面に高速落下。
落ちる先には犬人の民家が。
騎士は民家に衝突する前に空中で停止する。
地球人が再び魔素を深く吸い込む。超震動ビームを放とうとしていた。
騎士、原住民の民家を一瞥。
そして構えていた大楯の上に乗り、身を低く沈めて構える。
馬上槍の切っ先を地球人に向けた。
「……避けない?」
僕は訝しむ。戦闘が続く。
地球人、超震動波を放出。
騎士、突進。
槍の輪郭がぼやける。高音をばらまきながら。
超震動波と槍がぶつかる。
その瞬間、互いに放っていた高音が消滅。
ぼやけていた槍の輪郭も元に戻る。
その鋭い槍が超震動の波濤を突き破る。
地球人の口に刺さり頭を貫通。
深々と根元まで刺し込む。
槍、再び高音と震動。
地球人の頭が冗談のように弾け、消失する。
首を無くした青い体が、粒子になって散っていく。
騎士の勝利だ。
「――――」
……遠吠えが響く。
集落から姿を現した犬人たちが、空に向かって一斉に吼え立てていた。
中には騎士に向かって諸手をあげる者もいる。
明らかな賛辞と祝福の様相。
騎士はそれに対して槍を掲げて応え、とこかに飛んで消えていった。
僕はその様子をずっと見ていた。
「なんだあれ」
騎士は原住民を守っている。
原住民を脅かす地球人を斃している。
単独では地球人でさえ敵わない。
地球人を殺す騎士。
「……地球人殺し」
この日から、僕は地球人殺しを倒す使命に駆られ始めた。
あれがいる限り、今までのように自由に過ごすことは出来ない。
あれさえいなければ、僕はどこにでも行ける。なんだって出来る。
僕は自由になれる。
あれさえいなければ。