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i  作者: 浅葱
9/10

嬉しい悲鳴

随分とご無沙汰しておりました。

新しいことを始めてみたのですが、どうもうまくいかないことばっかりで、やさぐれ気味になりかけました。(まぁ、うまくいかないなんて当たり前なんですが)

今日は、先輩のお話。先輩、と言ったって同い年なんですがね。精神的年齢は圧倒的に上ですよ。

私があまりにも低すぎるのも少々問題なのですが……

今回もどうぞ、お付き合いください。

噎せ返るような酸の匂いが鼻をつく。それに誘発されて、また、吐いた。

頭が痛い、眩暈がする、耳鳴りが酷い、顔が熱い。

どうやら体はもう、ついていけないらしい。

体の中は空っぽのはずなのに、また、吐いた。


この様子を見られたら、たまったもんじゃないな


廊下に寝そべった。フローリング素材が冷たくて心地いい。

それでも思考回路は回転し続ける。次のアイディア、その次のアイディア、その次の次のアイディア……止めるな、止まるな、止めるな、止まるな……

やがて体を引き摺って、パソコンの前まで重い“私”を持ってくる。思考回路をパソコンに接続するのさえ、億劫だ。常に接続できていればいいのに。


こんなになるまで、追い込んだのは、ただひとえに承認欲求。

ある人に認められたい、ある人に追いつきたい、ある人に振り向いてほしい

人間の欲求の中でも醜いもののなかに突き動かされて、こんなに醜い姿になっている。

実に滑稽だ。でもそんな“私”を“私”は笑い飛ばすことができない。

可哀想なのだ。あまりにも惨めなのだ。どうしようもないくらい救いようがないのだ。


物心ついた頃から、承認欲求が強かった。

構ってほしいとか、勝ちたいとか、1位になりたいとか、褒められたいとか、認められたいとか……

それが承認欲求と名のつくものだと知ったのは随分とあとだったけれど。

けれど、そんな欲求はどこかで潰えるものだ。どこかで自分よりスゴイ奴は出てくる。何事においても、天才と称される人間でさえ、もっとすごい奴はいるのが、残念ながら世の理だ。

それを“私”は認めたがらなかった。

認められたい、と願う人が、その事実を認めたがらない場合、どうなるのか。


あらぬ方向にねじ曲がっていった。

精神的に病んでいたのだと思われる。

なんとかして、誰かに振り向いてほしかった。なんとかして、認められたかった。なんとかして、愛されたかった。

涙が流れ出た。血が流れ出た。自我すらも流れ出てしまった。


“私”は空っぽになってしまった。


“私”は、意味を無くしてしまった。


“私”を引き換えに何もかも失った。



悲鳴が響き渡った。



ある人は、そんな“私”を引っ叩いた。ふざけるな、と叱った。

実体のない、ないはずの“私”を相手に。


まともに、目を見た気がした。

底なしの虚空のような目に、光を当ててくれた。


“私”はここにいる、と、叫んだ。



出発のベルが鳴り響いた。

大きすぎる外套とぶかぶかの帽子を深々と被り、空っぽのトランクケースを重そうに引き摺って、電車のステップに足をかける。


「おいで」


その人はそんなことは言わない。ただ黙って我が道を駆けるだけだ。

追いつこうとするのは、自分の勝手。それは分かってる。


「待って」






「ふぅ……」

やっと1本書き終わった。思わず後ろに控える仕事量を確認して、折角の爽快感を台無しにした。苦笑いが零れる。



列車は出発したばかりだ。今のところ、あんまり景色は変わらない。

その人は、時たま、“私”のいる車両の窓をコンコンと叩いたりする。

そうすると“私”は窓を全開にして、必死に話したいことを詰め込むようにして、話す。

忙しいのはお互い様で、少しも話せないで、しばらく会えないこともざらにある。


それでも、頑張れる。

必死に、追いつくしか、“私”にはレールが敷かれていない。


「待って」



メールの着信音がした。

また、仕事の依頼だ。

次のタスク、と書いたメモ帳に書き足していく。

相変わらず、体は悲鳴をあげている。

けれど、それは喜んでいるようにも聞こえる。


嬉しい悲鳴だ。




「待ってて」


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