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i  作者: 浅葱
7/10

鏡、落としました?

随分とご無沙汰しておりました。

自宅に三面鏡があるんですけれど、あれが私は意外と好きです。

無限に映る底知れない世界。美しいけれど、ちょっぴり怖い。

そんな世界が現実に疑似的に作れるなんて、素敵だなと思っています。

独り言がすぎました。今夜もお付き合いください。

 「鏡、落としました?」

 すれ違いざまに誰かに声をかけられた。振り返っても誰もいない。

 その代わり、右手には手鏡、左手には手鏡。

 右手には割れた手鏡、左手には歪んだ手鏡。

 声にならない叫びをあげて、ベッドから跳ね起きた。

 

 夢の話で、実際そんなことはないし、自宅の三面鏡を見て怯えるとか、そのぐらいの実害しかないわけではなかったが、心配する必要性はまったくない。

 

 自己認知の歪みくらい、誰にでもある。


 「あの女」

 そんなことを言われた。見知らぬ大人だ。見知らぬ40代くらいの男。

 お前のことなんて言ってない、と思われるかもしれないが、それは前後の文脈をはじいているからであって、これは私のことだ。

 それがなんだというのだ?それが私にとっては右手に持った手鏡を落として割ってしまうくらい驚いた。


 女、という呼称を生物学的女性に使用する場合、それはなんとなく、大人な雰囲気を持つ。ついでに余計なイメージを付け加えると、妖と艶と堕が付随されることが多いと感じる。

 そんな言葉を自分に対して使われたことに何か一種の恐怖を感じて、ショッピングウィンドウに映る影が音をたてて崩れ落ちた。


 他人から見える世界を少しでも知ってしまうと、人はこんなにも恐怖を覚える。


 足早に、けれど恐怖を知りたい心を抑えて、わざとショーウィンドウの多い通りを俯いて帰路についた。


 俯き加減で自宅に辿りつく。鏡を見るのに、とんでもなく心が逸る。

 洗面台と対峙して、妙に納得して顔が歪んだ。


 そこに映っているのは、まぎれもなく幼い私だった。


 小学1年生の頃、小学6年生は大人だった。中学1年生の頃、中学3年生は大人だった。高校1年生の頃、高校3年生は大人だった。

 みんな、同類なのに。同じ皮を被った子どもたちなのに。自己暗示のフィルターはとてつもない効果を発揮した。


 私は子ども。みんなは大人。

 自分の力では何もできない子ども。子どもに命令を下せる大人。

 守ってもらうことしか生きていけない子ども。切り捨てることができる大人。


 いつかはそんなフィルターを破る瞬間がくる。もう子どもじゃない。

 けれど、私は未だに濁ったフィルターをかけ続けている。

 それはともすれば盲目の子どもよりたちが悪いかもしれない。

 それは自己陶酔の過ぎる子どもよりたちが悪いかもしれない。


 自らの手で手鏡を歪める子ども。その握力は大人のそれだ。


 私は割れた手鏡と自ら歪めた手鏡を握りしめる子ども。


 使えないガラクタを大切に抱えた大人。



「鏡、落としませんか?」


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