27話 別れ
よろしくお願い致します。
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久遠が指定した日時、俺はその場所に向かって全力で駆けている!
──今度は夢なんかじゃない! 現実の事なんだ──!!
そしてその場所に辿り着いた。
最後に会い、お互いの気持ちを確認し合った場所。あの夜の公園だ──今はちょうど夕暮れ時、晴れた空が辺り一面を赤く染めている。
久遠──彼女はもう既に、公園のベンチにひとり腰掛けていた。
うつ向き加減に地面へと向けて、その視線を落としている。俺はそんな彼女の前に立ち、ゆっくりと近付いて行った……やがて、その外見の変化に驚く──
彼女の美しかった背中まで伸びた艶やかな黒髪……それがバッサリと首元まで短くなっていた。そしてそのショートボブとなった頭には、常に欠かさず付けていた彼女のシンボルともいえるピンクの花、スターチスのヘアピン──その姿も見受ける事ができない……俺はたまらなくなり、声を絞り出して彼女の名を呼んだ。
───
「──久遠」
その声に彼女は、一瞬ビクッと身体を震わせる。そして地面に向けていた視線を外し、ゆっくり顔を上げた。
俺と目が合う──
「……洸」
一度、彼女は驚愕の表情をその顔に浮かべ、次に大きな瞳から大粒の涙が溢れ出してきた。
「……ごめん、ごめんね。私、失敗しちゃった……」
「久遠……?」
「一体、どこで失敗したんだろう? いつから間違えちゃってたのかな……?」
ぼろぼろと涙をこぼしながら、ただ呆然とそう呟く久遠。
俺は彼女の隣に座り、その右手を両手で包み込んだ。
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「洸。せっかく君と逢えたのに……ずっと一緒にいたかったのに……ごめんね。ごめんなさい……」
「……久遠、一体何があったんだ?」
俺のその問い掛けに、彼女は直ぐに返事を返してはこなかった。おそらく気が動転してしまっているのだろう。落ち着いて話せる様になるまで、俺は待った──少しの静寂の後、久遠は静かに話し始める。
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「……彼の家族が亡くなったの……彼ひとりだけを残して……」
──!!
予想してなかったその答えに、俺は絶句した。
「……彼の妹さんが運転免許を取ったからって、その試運転も兼ねて彼のご両親と三人で家族旅行に……その道中、カーブを曲がり損ねて、それで……」
……何て事なんだ。俺がのうのうと普段の生活を続けていた──その最中で……。
「ちょうど、彼は友達と約束があったみたいで、それには参加してなかったの。それがこんな事に──彼はひとりぼっちになってしまったの……」
久遠は力ない声で話を続ける。俺は彼女の手を握る自分の手に、ギュッと力を強めた。
「お通夜やお葬式。これからの彼の事……色々と忙しくて──連絡遅くなって、本当にごめんね……」
その答えに俺は──
「久遠。それじゃ、お前は……」
また訪れる静寂の間。そして──
「お葬式の日にね、彼の親族が皆帰った後、ふたりだけになった時に彼は私に言ったの……もう俺にはお前だけしか残ってないって……俺をひとりにしないでくれって……彼は泣いていた。小さい頃からずっと近くにいたけど、彼のあんな姿見るの初めてだった……確かに私も凄く悲しかった。彼の家族とも親しくして貰ってたし、何より彼の事がとても可哀想で……だけど──」
ここで久遠は一旦、話を途切る。そして彼女は空いていた自分の左手を、そっと俺の両手に添えてきた。
───
「──私も泣いた! 悲しくて、ひたすらに……でも頭に浮かんでくるのは、洸。君の姿ばかりが思い浮かんできて……私にとって彼の境遇よりも、君と一緒にいられなくなる──その事の方が大きくて悲しいのか……もう何がなんだか分からなくなってしまっていた。そしてこんな状態になってしまった世界と私自身を恨めしく思った……なんでこんな事になってしまったんだろう?……って、もうただ悲しくて泣くばかり……だけど、こんな状態に自分自身を追いやってしまったのは、中途半端な関係のまま放っておいた私自身の責任……だから──」
そう訴えるように言葉を言い終えた彼女は、俺の目に自分の目を合わせてきた。
「……その責任を果たす為に、私は彼の傍にいようと思うの……多分、彼はもう私なしでは生きていけない……だから、洸──ごめんなさい……」
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……俺はその彼の事を知らない。だけど、久遠はその人生の中で大きく、そして深くそれと関わってしまっている。今の彼女を取り巻く境遇の中で、彼の存在を否定し、俺と一緒になる未来は、おそらく幸せなものとは言えないだろう。
仮に俺の幼馴染みである真理に恋人がいないものとして、今の久遠が置かれている立場に俺が立たされる事になったのならば……多分、俺も久遠ではなく真理を選ぶだろうから……。
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「……そうか。俺達はもう、ふたりで一緒にいられないんだな……」
俺の口から自然にその言葉が漏れる。
その直後、久遠は俺の胸の中に飛び込んできた──そしてその両腕を、きつく俺の背中へと回してくる。
俺の胸の中で、久遠のくぐもった嗚咽が身体を通して響いてきた。俺はそっと彼女の背中を撫でてやる。
「……ごめんね。こんな事になってしまって……私の事、愛しいって言ってくれたのに……こんなにも君の事が好きなのに……ずっと、ずっと一緒に生きていたかったのに……ごめん、ごめんね……うっ、ううっ、うわあああん!──うわああああああん──!!」
ずっと俺の胸の中で泣き続ける久遠。そんな彼女に対してかけてやる言葉が、何一つ思い浮かばなかった……だから、せめてその背中をやさしくさすってやる。
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彼女は俺と生きる道を選ぶ事ができなかった……いや、選ぶ余地すら与えられなかった──なんて不憫なんだろう。そしてこんな仕打ちをした世の中は、どうしてこんなに理不尽で残酷なのか!
これなら隕石が降り注ぐ狂った世界の方が、まだいくぶんかましだっ!!─って俺は一体何の話をしてるんだ……!?
……もしも俺自分だけの事を考えるのであれば、このまま彼女を連れ去り、駆け落ち紛いの事をしてでも、何処か遠くでふたりで生きて行く──その事に久遠は強く拒む事はないだろう。そんな選択だってまだ残っている。だけど、きっと彼女はそれを望まない。なぜなら、それで俺達ふたりが、幸せと感じて暮らせる未来が在ろう筈がないのだから……。
気付けば俺の目からも涙が流れ出していた。
──そうだ。もうこの現実を、俺達ふたりは受け入れるしかないのだ──
不意に俺の胸の中で、久遠がか細い声でそっとささやいた。
「……こんな世界、消えてなくなってしまえばいいのに……夢なら醒める事ができるのに──」
……そしてしばらくの間、俺達は互いを慰める様に抱き合って、ずっと泣いていた──
◇◇◇
──辺りはすでに暗くなっていた。俺と久遠ふたりは今、駅前にいる。
最後の見送りだ。もう二度会う事はないだろう。ふたり共そのつもりだ。
最後に俺達は向き合う。
───
「私、これから幸せになるように精一杯がんばる。だから、その為に洸。君の事、忘れられるように努力する」
静かに久遠は両手のひらを自分の胸に押し当てた。次に祈る様にそっと目を閉じる。
「……だけど、君に対して感じたこの想いは、決して忘れない……きっと、これが最初で最後の恋だと思うから──」
そして目を開け、俺に何かを差し出してきた……それを受け取り、ズボンのポケットの中へと押し入れる──受け取ったのはおそらくは例のヘアピン。
久遠──彼女は今でも寂しげではあるが、俺にやさしく微笑んでくれている。
だけど、もうこれで、この笑顔も見る事はなくなるのだろう。
───
「久遠、ありがとう。短い間だったけど、俺もすっごく満たされていると感じられて、とても幸せだったよ。時間は掛かると思うけど、俺もお前の事、忘れられるように努力してみるよ──あんまり自信ないけどな……」
「……そう言ってくれるのは嬉しいけど、ダメだよ! それじゃ、きっと君は幸せになれないから。ちゃんと私の事はきっちりと忘れて、きっと誰かと幸せになってね。きっとだよ──」
その時になって、ようやく俺も久遠に対して笑顔になる事ができた。
……もう迷わない。彼女がそう望むのなら、俺はその道を進んで行こう。そう思った──
俺は久遠に笑顔で答える。
「分かった。でも俺は久遠、お前と逢えた事。その事は絶対に後悔なんてしない!! それじゃ、元気でな──」
そして最後に紬ぎ出される言葉は──
──『また明日な』 『また今度』 『また会いましょう』──
そう、俺達の間に再会。またはない……だから──
「さようなら、久遠……」
「うん……さようなら、洸……」
俺達は振り返り歩き出す──
───
「──ばいばい……」
………。
──そして再び俺の胸にポッカリと大きな穴が空いた──




