9話 真理と若葉
よろしくお願い致します。
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「──どうして若と別れたの?」
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先程までの穏やかな雰囲気は消え失せ、真理は射る様な視線で俺にそう問い掛けてきた。
俺はそれには答えず、もう一口ビールをあおる。
「あんたが振ったの……?」
俺は静かにビールのジョッキを置いた。
「いや、別れたいって言ったのは俺じゃない。若葉ちゃんの方からそう言ったんだ。」
そう答える俺の目をジっと見据える真理。それに負けじと見つめ返す──しばらく沈黙が続いたが、やがて彼女の方が折れ、深いため息と共に言葉を吐き出した。
「はぁ~。まあ、そうだろうね。でも多分、原因を作ったのは洸、あんただね」
「……なんで、そう思うんだよ?」
「若があんたに、何て言ったか教えてやろうか?」
「………」
真理は身を乗り出しながら、再び鋭い目を俺に向けてくる。そしてゆっくりと言葉を口にし始めた。
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「──私、あなたが何を考えているのかが、分からない」
物語の朗読をする様に──
「──あなたが私の事、いつになったら想ってくれるのかが、分からない」
絵本の読み聞かせをする様に──
「そんなあなたの事、見ていて、そして一緒にいるのが辛いから──だから、別れましょう……」
噛み締めるような口調で話す、真理。
その言葉を淡々と口にする彼女の姿が、三週間程前に別れを告げてきた元彼女、若葉ちゃんの姿とフラッシュバックする。
別れを告げるその時、彼女は静かに泣いていた──
今でもその事を思うと胸がチクリと痛む。
だが、後悔はしていない。なぜなら、あのまま続けていたとしても、彼女も俺も上手くいかなかっただろうから──
俺はともかく、それは彼女にとって、余りにも不毛な時間となるだろうから──
俺は付き合う前から若葉ちゃんに対して特別、恋愛感情を抱いてる訳ではなかったのだから──
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「……良く分かったな」
真理は乗り出していた身を、自分の席へと戻した。
「そりゃ……ね、あたし自身、あんたに対してこういう状況になった事があるからね──経験者語るってやつだよ……ちなみにさっきの言葉も、あんたに対して言ったのはこれで二度目……」
「………」
俺は無言で真理を見つめた。彼女はそれに対し不意に視線を逸らす。
「若、泣いてたよ。本当はあんたと別れたくないって……」
「……うん」
「でも、多分このまま続けていても、私達はいつか終わる。きっと幸せにはなれない──だからって……」
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俺が若葉ちゃんと知り合ったのは一年程前、真理とその彼氏の同じ大学の友人として、飲み会に参加していた彼女と引き合わされたのが最初だった。
第一印象は、少し茶色がかった黒髪のセミロング。大人しそうでやさしそう。それで美人だけど、可愛いっていう印象の方が大きい。良い感じの子だな──初対面の時はそう思った。
何度か四人で……そして二人で食事をしたり、遊びに出掛けたりした。そんな中、俺のどこが気に入ったのか分からないが、俺に対して若葉ちゃんは言ってきた。
「付き合って欲しい」──と。
おそらくその告白は、彼女の大人しそうな印象からしてかなり勇気がいる行為だったと思う。
今考えれば、残酷だけどその時に断っておくべきだったのかも知れない……だけど! それでも!──
今はなくても付き合っている内にもしかしたら、彼女に対して恋愛感情が芽生えてくるのかも、そういうものなのかも──
だけど、そう思い、俺が取ったその選択は、結局は間違いでそうはならなかった。
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ホントにバカだな、俺って……その事は昔、幼馴染みである真理の事を酷く傷付けた事で、良く分かってた筈なのに──
勿論、俺は若葉ちゃんの事を疎外にしたつもりはない。自分なりに大切に接していた筈だ。でも、他の恋人同士達とは何か違う。そんな違和感を感じ取っていたのかも知れない……いや──多分そうなんだろう。
俺は、若葉ちゃんの事を異性に対しての─“愛おしい”─っていう、感情を持つ事ができなかったのだから──
そして、どちらともなくお互い距離を置くようになり、付き合ってからの後半なんて、とにかく仕事が忙しくて、毎日の生活に振り回されてしまってて……彼女の存在すら忘れてしまう有り様だった。
……まったく呆れ返る。
やはり、恋愛感情を持つ事ができない俺にとって、それは難しい事なのかも知れない。初恋だってした事のない俺にとっては──
そして真理、若葉ちゃん。二人に対して辛い思いをさせてしまった。
俺は恋愛経験もなく、恋をした事もない。それに多分、もうその資格もない最低な野郎なんだ……!
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「洸。あんたは、裏表なく真っ直ぐ過ぎるんだよ──」
「え……?」
真理は俺から視線を逸らしたまま、テーブルの一点を見つめ、呟く様に話し始めた。
「それに自分に対して見返りを求めず、それでいてやさしいから、尚更たちが悪い」
「……何? それって、俺の事?」
「──自覚がないのも許せないな……」
皮肉めいた笑みを浮かべながら、俺に対して人差し指を立てる真理。そしてそれは悪戯っぽい笑みへと変わっていく。
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「ふふっ、以上。洸の一番の親友である真理さんからの尋問は、これを以て終了とします」
「ははっ、なんだ、それ。俺って今まで尋問されてたのかよ」
「え~っ、それも自覚なかったんだ。やっぱあんたは超鈍感だよ、このヘタレ──あはははっ!」
「──てってめぇ……でも否定できん……へへっ、ははははっ!」
お互いにひとしきり笑いあった。そして一呼吸の後、真理が口を開く。
「若との事、あたしはもう何も言わない……でもね」
俺と目を合わさず、横目で視線を宙に泳がせた。
「……洸、いつかあんたも誰かと幸せになって欲しい。ずっとそう思ってる……でないと、あたしが落ち着かないし……」
そして、遠い目で窓の外を見つめる。
「──みじめだから……」
そんな真理の姿を俺はただ、無言でぼんやりと眺めていた──
◇◇◇
居酒屋を出て彼女を駅へと送る。そして別れて、自分の駅口に向かう為に、俺は踵を返した。振り向き様、真理へと声を上げる。
「──真理。今、お前は幸せか!?」
「うん、勿論!!」
元気な声の返事に、俺も自然に笑みが溢れるのを感じた。
「そりゃ良かった。今度はちゃんと彼氏も連れてこいよ。じゃ、またな──」
「ん、またね──」
手を振りながら向き直り、前へと歩き出す──すると、再び後ろから聞こえてくる真理の声。
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「お~い洸、この世界の何処かに、あんたが愛しいって思える──そんな人がきっといると思う。だから、たまには自分の事に対してさ、一生懸命になりなよ!──大丈夫、あんたはすっごくいい男なんだからさ!!」
右手をブンブンと振り上げながら、ピョンピョンと勢い良く両足で跳ねる真理。
「案外、もうその時は近くにきてるのかも知れないよ~っ! じゃあね、バイバイ!!」
その動きに合わせて、彼女の大きなポニーテールが元気に揺れていた。
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真理と別れて駅前を歩く。
──気分が良かった。今回の飲み会は正直、最初は嫌だったけど、何だかんだ言って、真理と会って良かったと思う。取りあえずのモヤモヤは晴れた様な気がして、足取りも軽くなった。
ふと、前に目をやると、再び目に入ってくる複数のカップル──そのどれもが、幸せそうに肩を寄せ合いながら歩いていた。
──やっぱり羨ましい、正直そう思う。
多分、彼ら、彼女らは互いに求め合い、今、恋をしているのだろう。そのふたりの間にあるのは、俺が今まで感じた事がない『恋愛感情』──
俺にもそんな感情を抱ける。その時がくるのだろうか? そしてそれを経験する事ができれば、今の退屈と思える日々が変化するのだろうか?
虚しく空いた胸の隙間を埋める事ができるのだろうか?
──そうだ。男の癖に気色悪いが、多分俺は今、恋に恋い焦がれているのだろう──
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俺は無意識に近道の為に路地裏の中へと入って行った──そして歩き進むにつれ、人の通りも少なくなっていく。
真理は言ってた。『俺が愛しいと思える人が何処かにいる』─って。
「──何をするんですか!? やめてくださいっ!!」
俺はそんな人と出会う事ができるのだろうか?──って、なっ、何だ!? 誰か何か言ったか??
歩きながら考え込んでいた俺に、女性の甲高い声が響いてきた。
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……このシチュエーションは──前に何処かでって──これってどっかで聞いた有名なフレーズだな─って、おい! そうじゃないだろっ!
ホントに最近、何処かであった様な……これはデジャヴっていうやつ? それでよろしいのでしょうか?