パソコンがねぇとゲームは作れねぇんだよ
前話の続きとなります。コメディなのに少しシリアスな場面になってしまうこともあり、己の未熟さを痛感しております。拙いお話ですが、楽しんでいただければ幸いです。
その日の放課後。
「え? 部費ねぇの?」
「当たり前です。部費の割り当ては前年度の活動内容と実績で、年度末に決定されるものですから」
オレ様は椿生徒会長に呼ばれて生徒会室まで足を運んでいた。残りのメンバーは教室で待機させてある。今週中に活動内容のスケジュールを提出しなければならない他、部室の場所や定期的に行われる部長会議なるものへの参加を義務付けられていることなど、部活動に関する雑多な決まりごとを説明された。面倒なことこの上ない。
「部室があるだけマシだと思いなさい。あたしが先生方にお願いしてわざわざ用意してあげたんですからね」
「そりゃどーも」
「誠意が感じられませんわっ」
膨れっ面で顔を背ける椿先輩はちょっと可愛い。先輩は生徒会長としてそれなりに人望もあるらしく、テキパキと後輩なのか部下なのか判らない連中に指示を出していた。
「今お渡ししたレジュメには一通り目を通しておいてください。部長として当然の責務ですから怠らないように」
「はいはい」
オレはテキトーに相槌を打ってA4の紙束をぱらぱらとめくった。細かい字でいろんな規則などが記載されているようだ。あとで沙羅にでも読ませておこう。
「製作物等がある場合は、必ず部長会議でその進捗を報告してください。いいですわね」
「えー? お前も同じ部活なんだから別にいいじゃん」
「あのね、猿木くん。部員としてのあたしを生徒会長と同列で扱わないで。仕事は仕事。きっちり区別すること。それから先輩に向かってお前とは何事ですかっ」
「うるせぇなぁ、失せろよ三次元」
椿先輩は澄まし顔の額にピキピキと血管を浮き出させながら、手元の書類の端を机で叩いて整える仕草を見せた。何だか怒っているようだ。短気な人だなぁ。
「伝達事項は以上です。それでは本日より活動を開始してください。あたしもこっちの作業が一段落したらそちらに向かいますから」
「え? マジで来てくれるの?」
「え? 行かなくてもいいの?」
「いいえ?」
「どうして疑問調なんですかっ!」
「いや、ほんとに来てくれるとは思ってなかったからさ」
「行かなくてもいいなら行きませんわよ」
「え? 生徒会長、部活サボんの?」
「くっ! 口だけは達者なんですからっ」
「っつーわけで、サボんなよ、栂村先輩」
「あたしをンガムラと呼ばないでくださいっ!」
オレ様は生徒会長のお小言を曖昧にやり過ごし、教室に戻ることにした。
教室に入ると、まだ残っている生徒に混じって沙羅と白百合が困った顔で向き合っていた。すみれは自分の席でひとり俯いたまま何かに耐えているように見える。せっかく同じ部活のメンバーなのだから、三人でだべっていればいいものを。
「サルー、ちょーといーい?」
「んだよ、カスが」
「どーして手招きしただけでカス呼ばわりなんさー」
呆れた表情で手を腰に乗せる白百合の隣で、沙羅が心配げな顔ですみれを見つめている。何かあったのだろうか。
「どうした? 何かあったのか?」
「んとねぇ。うん」
「意味わかんねぇよ」
沙羅は曖昧に頷き、白百合がオレに耳打ちをしてきた。
「あーのすみれちゃんってコ、なーんかヤバくね?」
「いや、お前のほうがヤバいだろ、いろんな意味で」
「あっしのことはどーでもいいんさー。すみれちゃん、話し掛けても返してくれねっぺー」
「お前の人徳の問題だろ?」
「あっしだけならこーんなこと言わねーさー。沙羅ちゃんでも同じなんさー」
「じゃあ沙羅にも人徳がないんだろうな」
「さっきねぇ、クラスのコにも聞いてみたんだけどぉ」
沙羅が横からオレ様に耳打ちをしてきた。なんか奇跡みたいに女の子にサンドイッチされてるぞ、オレ様。いくら三次元に興味がないとはいえ、この状況はちょっと興奮するな、うへへっ。
「すみれちゃんねぇ、他の子が話し掛けてもぉ、あんな感じらしいよぉ」
「うへへっ」
「気ー持ち悪いなぁーサルー。なーにニヤニヤしてんだー」
白百合に頭を叩かれた。ちょっと痛い。
「わかった。すみれにはオレ様から話をしておくから、とりあえずお前らは部室に行け」
「部室ぅ?」
「どーこにあんのー部室?」
「図書室とパソコンルームが四階にあるだろ? その間に資料室っつー狭い部屋があるらしい。これ、カギな。そこがオレ様たちの部室になるらしい」
「えー? 専用の部屋とか用意してくれないんだー」
「パソコン部もパソコンルームが部室だしな。文芸部も図書室が部室だ。ということらしいぜ。文化部用の余ってる部屋がないらしい」
「わーがったっぺー。んじゃ、沙羅ちゃんと行ってくるよーぅ」
オレ様から鍵を受け取った白百合は、沙羅の手を取って教室を出ていった。沙羅は「かーくんと一緒がいいよぉ」とでも言いたげな表情をしていたが、無視した。
やれやれといった感じですみれに目を向けると、すみれもオレ様に不安げな視線を送っていた。目が合うとすぐに顔を背けられた。ちょっと傷ついた。オレ様は彼女の隣まで歩み寄り、声を掛けた。
「おい、すみれ」
「な、ななななな何ですか、マシラキさん」
多分に挙動不審ではあるが、オレ様が声を掛けるとすみれはちゃんと返してくれる。今朝の様子を見ると、沙羅や白百合が声を掛けるとどもって黙り込んでしまうようだ。沙羅と白百合が嫌いというだけなら分かるが、どうも他の連中が声を掛けても同じらしい。そして先日のすみれ本人の言質から、羽坂すみれは猿木狩人に対しては驚くほどスムーズに話をすることが出来るようだ。それ以外にも家族とは普通に会話を出来る、という趣旨の話をしていた記憶があるので、すみれにとってオレ様は家族のように感じられる人物、ということなのか。それこそ意味が解らない。
考えていても埒が明かないので、オレ様はすみれを連れ立って部室に行くことにした。
「部室が決まったから、行くぜ」
「おおおおおおおおお待ちください、マシラキさん」
「待たねぇよ」
オレ様はすみれの手を取ってさっさと教室から出ることにした。すみれは慌てふためいた様子で何度も机や椅子に脚を引っ掛けながらも、オレ様にちゃんとついてきてくれた。
「お前さ、なんでオレ様以外の人間とは話が出来ねぇの?」
教室を出て、廊下を歩きながらすみれに尋ねてみた。
「いやーそれがもう全然わたくしにも分からないんですよー。ぶっちゃけるとお父さんやお母さんともあんまり上手に話せないんですけど、マシラキさんってとてつもなく変な人じゃないですか。何と言うか、あの時マシラキさんに声を掛けられた瞬間から、なんだか言葉が溢れて勝手に口から出て来るんですよー。でも他の人にはやっぱり今までとおなあなたが特別みたいな勘違いは止してください!」
「何も言ってねぇだろうが」
「そうですよねー。わたくしみたいなキモくて暗鬱で陰気臭いオタク女になんて勘違いなんかしませんよねー。あーでもマシラキさんもキモくて暗鬱で陰気臭いオタク野郎ですから、その辺りで共感を得ているのかもしれませんね。だって学校以外で家から出ることはないんですよね、わたくしと同じじゃな誰がキモくて暗鬱で陰気臭いオタク女ですか!」
「お前が自分で言ったんじゃねぇか」
「でもわたくしとても心配なんですよー。ほら、わたくしこんな性格じゃないですか。今まで部活動どころかグループ活動すらまともにやったことがないので、こうして複数の人が集まって共同作業をするという活動を上手くできるかどうか不安なんですよー。不安と言うか、無理ですね、はい。わたくしは対人コミュニケーション能力が皆無なので、きっとみなさんにご迷惑をおかけすると思うんです。やはりわたくしは参加を遠慮したほうがよいのあっ、そう言えば先日の〝エンジェル・ビースト〟録画に失敗してたんでした。鬱です」
「ものすげぇ話の飛び方だな」
すみれはこの日一日分の溜め込んできたものを全て吐き出すかのように、部室までの短い道のりを行く間ひたすらにオレ様に語り続けた。すみれの口調は馬鹿丸出しで、とても面白い。ツッコみどころも満載だし、話していて飽きないヤツというのは結構レアだ。オレ様は意外にコイツのことが好きかもしれない。
結局なぜオレ様以外の人間と話が出来ないのかは不明だが、どうもオレ様が変人であるからという結論がすみれの中では定着したようだ。オレ様が変人であることは他の誰よりもオレ様自身が知っているが、人に言われるとちょっとヘコむ。
部室に到着して中に入ると、すみれはまたも借りてきた猫のように大人しくなってしまった。これはこれで慣れてもらうしかないだろう。オレ様は白百合の「どうだったの?」という視線に肩を竦めて答えて見せた。それだけで白百合は事情を察したようだ。
資料室は通常の教室を半分に切ったような大きさの部屋だった。その四方にはびっしりと書棚が並んでおり、ただでさえ狭い空間を圧迫しているような錯覚さえ受ける。書棚には全て鍵がついており、中を閲覧することは出来ないようだ。いったい何に使う部屋なんだろう。疑問は尽きないが、どうでもいい。オレ様は適当な椅子に腰を掛けて、ぼんやりと部屋を観察した。
すみれは窓際の端っこにスチールのパイプ椅子を置いて、そこで丸くなっているようだ。沙羅と白百合は横長の折れ脚テーブルを囲って手持ち無沙汰そうに頬杖をついている。うん、ギャルゲー部って部を作ったのはいいんだけど、何をすればいいんだろう?
「ねぇ、かーくぅん」
「んだよテメェ、殺すぞコラ」
「ギャルゲー部ってぇ、何するのぉ?」
「知るかよカスが、ググれ」
「うん、ちょっと調べてみるねぇ」
「いーまの会話、成立してたんだぁー!」
白百合の吃驚に頷いて、沙羅がケータイで検索を始めたようだ。最近のケータイは高性能でパソコンのブラウザと同じ機能までついていたりする。そんなに便利にする必要があるのかどうかは知らないが、こういう時にさっと調べ物ができるのだから、やっぱり便利なのかもしれない。
五分ほどケータイと睨めっこしていた沙羅が、泣きそうな顔でオレを向いた。
「わかんないよぉ、かーくぅん」
「検索ワード、何て入れた?」
「ギャルゲー、部活、で検索したよぉ」
「分かるわきゃねぇだろ馬鹿じゃねぇのお前」
「かーくんの意地悪ぅ」
「そーんなこと言ったってー、あっしらド素人なんだからさー」
「うむ、経験者が一人でもいれば違うんだろうがな」
その後、三十分ほどオレ様と沙羅と白百合で話し合ったが、全く建設的な案が出て来なかった。ギャルゲーを作るって予想以上に難しいのかもしれない。
そうこうしているうちに、扉をノックする音が聞こえてきた。誰だろう。客が来るとは思えないのだが。白百合が「どうぞー」と声を上げると、椿先輩が入ってきた。
「遅れて申し訳ありません」
少しも悪怯れた様子はないのだが、言葉だけを聞くと謝っているように聞こえるから不思議だ。オレ様が椿先輩に現状を伝えると、先輩は溜息を一つついて両手を腰に乗せた。
「いいですか、みなさん。何かを始めるには、ある一定の目標を設けることが必要ですわ。何も考えずにだらだら続けていてもいたずらに時間だけが過ぎていくのが落ちです。まずは明確な目標を設定しましょう。それも現実的なものをです」
椿先輩は、急に張り切った様子でみんなに講釈を垂れ始めた。みんなの前に立って話すことに慣れているのか、淀みなくすらすらと語り続ける先輩の話は、なぜか説得力に満ちている。
「この部活はギャルゲー部ですから、ギャルゲーを作ることが目標ですわ。まずは明確な期限を設けましょう。初心者の集まりであるあたしたちでも可能な規模のゲームを作ることを想定します。まずは夏休みまでに作れる簡単なゲームから始めるのが現実的かと思うのですが、皆さんいかがかしら」
しかも先生の話なんかよりもずっと具体的で生産的な内容だ。伊達や酔狂で生徒会長をやっているわけじゃないらしい。
「すげぇな、急に話が進み始めた気がするぜ」
「さーすが生徒会長だぁー」
「当たり前ですわ。あなたたちにビジョンが不足しすぎているのですわ」
椿会長は胸を張って全員を見渡した。沙羅は椿先輩の言葉を丁寧に要点だけを抜粋してメモしているようだ。言われなくても出来るコってエラいなぁ。
「ギャルゲーを作るのに必要なものは何ですか、はい、猿木くんからどうぞ」
「シナリオ」
「絵ー」
「音楽ぅ?」
すみれだけは俯いたまま何も答えなかった。椿先輩は首を傾げてオレ様に視線を落とした。オレ様は肩を竦めて返した。それだけで、先輩は会議を続けることにしたようだ。なかなか機転の利く人だ。
「シナリオと、絵と、音楽、あとはゲームを動かすためのエンジン―――プログラムも必要ですわ。巧拙を考えなければ、これだけのものがあればギャルゲーを作ることが出来ることになりますわ。部活動ですから、当然みなさんで分業をしましょう」
「オレ様、シナリオな」
「あっしは音楽さー」
「絵を描くのは、双樹さん?」
「いや、絵はすみれが描く」
「あら、そう。では双樹さんとあたしでスクリプトをやりましょう」
「マジすげぇな。あっという間に役割分担まで決まっちまったぞ。オレ様たちが三十分かけても少しも進まなかった話が、こんな短時間で現実味を帯び始めたぜ」
「んだんだー。先パイ実は出来る人だったんだぁー」
オレ様と白百合の大絶賛に気を良くしたのか、椿先輩は「当然ですわ」と頬を赤らめながら顔を背けた。可愛いなぁ、先輩。
「それでは、次は企画を決めましょう。どんなお話にするか、どんなゲームにするか、どんなジャンルにするか。これを決めてから具体的な作業に入りましょう。猿木くん、ちょっといいかしら」
「なんすか?」
「あたしはちょっと猿木くんにお話がありますから、皆さんで話し合いを進めていてください」
椿先輩はオレ様に視線を送ると、黙って部室から出ていってしまった。
「なんさー、先パイ。サルー先パイになんかしたのー?」
「知らねぇよ。とりあえず話きいてくるわ」
「頑張ってねぇ、かーくん」
何を頑張ればいいのか全く分からないが、オレ様はとりあえず先輩を追って部屋を出た。廊下に出ると、先輩が腕を組んで待っていた。怒っているというよりは、困っているといった表情だろうか。
「猿木くん、いいかしら?」
「なんすか?」
「あの羽坂さんってコ、ちっとも溶け込めてないみたいだけど、大丈夫なの?」
「あァ? 大丈夫っすよ。ちょっと先輩が怖かっただけっすから」
「あたしの所為じゃないでしょうっ!?」
「浮いてるだけなら、先輩のほうが上っすよ」
「あたしは浮いてませんっ!」
「一人だけ上級生だからな。最近ほうれい線とか気になりません?」
「なりませんっ! あたしはまだ十七歳ですっ!」
「とにかく、すみれは誰に対してもあんな感じらしいっすね。オレ様とだけは話をしてくれるんすけど、沙羅も白百合もお手上げみたいっす」
「非協力的なコがいると、部の雰囲気にも影響しますわ。何とかしてくれないかしら?」
「オレ様が、じゃなくて、みんなで何とかしねぇとな。少しずつでも受け入れていければと、オレ様は思ってるよ」
椿先輩は安心したように微笑んだ。
「そう。あなたって意外にリーダーに向いてるのかもしれないわね」
「はぁ? 意味がわからねぇよ」
「だって、みんなあなたには気兼ねなく話を出来るんでしょう? あなたはそういう話しやすさみたいなものを持ってるのよ、きっと」
「先輩は話しにくいっすけどね、生徒会長なのに」
「そ、そんなことはありませんわっ! あたし、その、あの……そんなに、話しにくいですか?」
「いいえ?」
「だからどうして疑問調で否定するんですかっ!」
「ググれ」
「ググって分かるわけないでしょうっ!」
「さーせん、ふひひっ」
「何ですか、その謝り方はっ!」
「そろそろ戻ろうぜ、先輩」
「くきぃーーっ!!」
椿先輩は地団太を踏んで悔しがっていた。楽しいなぁ、この人。
オレ様は後ろで打ち震えている椿先輩を残して、部室に戻った。当然だが椿先輩もついてきた。廊下で一人で地団太を踏んで悔しがっている生徒会長とか、傍から見たら面白そうだったんだけどなぁ。
「で? 何か決まったのか?」
「ううん、何にも決まってないよぉ」
オレ様を見ると、沙羅は安堵の表情を浮かべて微笑んだ。何がそんなに嬉しいのかさっぱり分からないが、沙羅が笑ってくれるなら別にいいかと思えてしまうオレ様は馬鹿なのかもしれない。
「あっしギャルゲーってよーく知らないから、沙羅ちゃんに教えてもらってたんさー」
「それは良かったな」
「サルの反応は、なーんかいちいちムカつくよーぅ!」
白百合は頬を膨らませてぷんすかしていたが、とりたてて怒っている様子もなさそうだ。
結局その後みんなで話し合ったが、どんな話にするかは決まらなかった。翌日の活動までの宿題ということでお開きになった。
椿先輩は生徒会の仕事があるらしく、押っ取り刀で生徒会室に戻っていった。暇なのか忙しいのかいまいち分からない。オレ様はすみれを強引に引っ張ってきたので、帰り支度を済ませていなかった。沙羅と白百合を先に帰し、いったん教室へと戻ることにした。
「ま、まし、マシラキさん」
「あぁ~ん?」
教室に入ると、後ろから呼び止められた。この独特の呼び方をする女はすみれしかいない。オレ様は振り返りながら自分の席まで歩み、カバンを引っ提げた。
「んだよ、コラ。オレ様に何か用か、あァ?」
「いえいえいえいえいえいえ、別に用事はないんですよー。わたくしもカバンを持ってきていなかったので取りに戻ったのですが、そうしたら偶然にもマシラキさんがいるじゃないですかー。もちろん無視しても良かったんですが、そうすると視界に入っていながら声を掛けてもらえない可哀想な男子生徒のような構図が出来上がってしまい、マシラキさんにとって不名誉極まりない称号を与えてしまうかと思ったので、慈愛と憐憫の情で仕方なくこうして声をではお疲れ様でしたー」
「待てやコラ」
「な、何ですか。こんな夕陽の差し込む放課後で男子生徒と女子生徒が一人ずつ、しかも周囲に人影はなく、野球部の掛け声とボールが打ち返される音が遥か遠くに響くだけ、なんてシチュエーションでやることと言ったら一つしかないじゃないですかー。やーもうマシラキさんって見た目どおりの下衆野郎だったんですねー。わたくしもそんなウハウハなシチュエーションに実はちょっと期待してたりしてなかったりするんですが、今がまさにそんな状況だと思っちゃったら、なんだかちょっとドキドキしてるんで強姦は犯罪ですよ、マシラキさん!」
「うるせぇよ、テメェ。オラ、帰んぞ」
「ちょちょちょ、待ってくださいよーマシラキさんー」
小柄なすみれは机の間を縫い、小走りで自分の席に引っ掛けてあるカバンを拾うと、両手で抱えてオレ様の後についてきた。小動物みたいなヤツだなぁ。
教室を出て、靴を履き替えたオレ様たちは、まだ運動部の声のやまないグラウンドや体育館を横目に悠々と学校を出た。部活動をしていない者はとっくに帰宅し、部活に勤しむ学生はまだ校内に残っている。そんな、ちょうど人気のない時間帯らしい。辺りには人影らしいものが見当たらなかった。
住宅街をくりぬいて建てられた我が高校の周辺には、便利な商店やショッピングセンターはない。周囲にあるのは個人経営の小さな文具店と、学生にとっての憩いの場とも言えるコンビニが一軒だけだ。それ以外は全て昔ながらの住民の住まう安普請の家屋が立ち並んでいる。貧相な町だ。派手好きな学生には物足りないだろうが、三次元に興味のないオレ様には静かな環境のほうがしっくり来る。必要なものは駅前まで行けばたいてい手に入るのだ。何も不自由はない。オレ様はこの町が好きだった。
校門を出ると、すみれはなぜかオレ様についてきた。おかしいな、前回は校門を出たところで別れたはずなんだが。
「おい、すみれ」
「何ですかマシラキさん。わたくしを舐めるような目つきで視姦するのはやめてください。
目が合うだけで子を孕ませると評判のマシラキさんには分からないかもしれませんが、女のわたくしにはマシラキさんのエッチな視線は痛いほどよく感じるんですよー。今もほら、わたくしの薄い胸をまじまじとご覧になっていますよね、そういう視線も多少は許せるんですけど、やりすぎは良くないですよー。やはり会話をする時は目を見てほ誰の胸が薄いんですか!」
「お前のじゃねぇの? 自分で言ってたしな」
「はぁーそうですかー。確かにわたくしの躰は全体的に見て、標準的な女子生徒のそれよりも幾分か小さいことは認めないでもないですが、飽くまでも平均値と比べればという話であって、わたくしと同年代でもわたくしより未発達な幼女はいくらでもいると思うんですよー。マシラキさんの特殊な性的嗜好にイチャモンをつけるつもりはありませんが、できればわたくし以外でお願い誰が未発達な幼女ですか!」
「知らねぇよ。お前以外の誰かだろ?」
「ははー、そうですよねー」
それっきり、すみれは黙り込んでしまった。黙られても困るんだが、黙ってくれないと質問が出来ないので、ちょうど良かったというべきだろうか。
「お前んチって、あっちじゃねぇの?」
オレ様は以前にすみれが走り去っていったほうを指差した。
「いいえ、違います」
「こないだお前ここで向こうに走っていったじゃん」
「いやー何と申しますか、あの時はマシラキさんが一緒だったじゃないですかー。腹の黒さにかけては右に出る者はいないと評判のマシラキさんと一緒にいたなんて噂が立ったら、死んだご先祖様に何と言い訳すればいいんですか。そもそもマシラキさんはいろんな女を取っ替え引っ替えしすぎなんですよー。全部二次元ですけどねーぷぷっ。そんな女のいろはも知らないチェリーマシラキさんとは一緒にいたくなかったので、あの時は足早に逃げ去ったわそれではお疲れ様でしたー」
「ちょっと待たんかい、小娘」
オレ様は逃げようとするすみれの首根っこを捕まえた。
「きゃー、もう何をするんですか! この変態童貞ボーイ! わたくしはあなたの毒牙には掛かりません! 毒牙と言っても未使用新品未開封ですけどねー。あぁまだ未開封なんですか? それは残念ですねーご利用は計画的に。わたくしの操はお貸ししませんので、ご利用の際はどうぞご自分で穴倉をお探しください。三十歳までサクランボーイ(造語)のままだと魔法使いにクラスチェンジできるらしいでいつまでわたくしを拘束するおつもりですか、この童貞野郎!」
「お前マジ殴るよ?」
「ゴメンなさい」
掴んでいた制服の襟首を離すと、すみれは肩を丸めてカバンを抱え込んだ。オレ様が先に行くと、すみれもちゃんとついてくる。どうやら嫌われているというわけではなさそうだ。心なしか、すみれの頬が緩んでいるような気がした。笑うと可愛いんだな、コイツ。オレ様は少しペースを落として歩くことにした。
しばらく無言で歩き、片道二車線の国道に出た。この交差点を真っ直ぐ進むとオレの家の近所に着く。すみれはそこでオレ様に頭を下げた。
「わたくしの家はあちらなので、ここで失礼します」
「そうか、気をつけてな」
「はい、ありがとうございました」
ぺこりともう一度お辞儀をすると、すみれはそのまま駆け足で右折して行った。すみれの行く先には大きめの橋があり、ちょうどオレ様とすみれが初めて出会った場所もその橋の麓だ。アイツ、あっちに住んでるからあそこにいたのか。
オレ様は青になるまでが日本一長いのではないかという疑惑のある交差点の信号を待ちながら、ぼんやりと空を見上げていた。
たったったっと誰かが駆けてくる音がした。振り向くと、すみれだった。
「何してんのお前?」
息を切らしたすみれが、カバンを両手で抱えたまま真っ直ぐオレ様に視線を向けた。
「マシラキさん!」
「いいえ?」
「いやいやいや、どこからどう見てもマシラキさんじゃないですか! 顎にケツを携えて頬骨と鼻筋が歪に折れ曲がっているその容貌は、紛うことなくキツいのを三発くらいもらったジャワ原人―――失敬、マシラキさんしかいませんよー。たとえ顔が悪くても人生を諦めちゃダメです! マシラキさんくらいになると鏡で自分の顔を見るのも嫌になるかもしれませんが、そんな不細工でも生きていればきっといいことがそろそろ本題に入ってもよろしいでしょうか」
「早くしろよ、カスが。ブッ殺すぞコンチキショー」
人の顔を散々コケにしておいて、その言質すらも華麗にスルーするすみれは相当な天然ボケだ。たまにブン殴ってやりたくなるが、どこか憎めないヤツだった。
「あの、わたくし頑張ります」
「あァ?」
すみれは真摯な眼差しでじっとオレ様を見つめながら言った。
「これまで誰とも上手に話せませんでしたが、マシラキさんと出会えて、ちょっとだけ変われそうな気がするんです」
「そいつは良かったな」
「はい、良かったです。だから、他の皆さんともお話できるように、頑張ります」
「応、頑張れ」
「はい、だからこれからもよろしくお願いいたします!」
すみれは小さな躰をぺこりと折り曲げた。
「あァ? んなもんヨロシクされなくてもこっちからヨロシクだよコンチキショー」
なぜだか涙ぐみながら、すみれはこれまでで一番の笑顔を見せた。
「お疲れ様でした、マシラキさん!」
走っていくすみれの後姿は危なっかしくて、思わず手を差し伸べたくなるくらい儚げだった。あ、コケた。
オレ様は思わず苦笑をして、信号を向き直った。ちょうど赤に変わったところだった。このイライラは誰にぶつけたらいいのだろう。
「帰ったぞーべらんめぇ。メシだメシ!」
家に帰ったオレ様は、玄関に沙羅の靴があったので、まだ夕食には早い時間だったがとりあえず勢いで言ってみた。沙羅はのろのろとした足取りでオレ様を出迎え
「お帰りなさい、かーくん。もうお腹すいてるのぉ?」
にぱぁっと嬉しそうに微笑んだ。別に腹は減ってない。ノリで言ってみただけだ。オレ様は靴を脱いでカバンと上着を沙羅に預けると、ずかずかと自室に戻った。沙羅は従者のようについてきてオレ様の部屋に入ると、預けた制服をハンガーに掛けながら振り向いた。
「お夕飯もう少し待っててねぇ。いま作るよぉ」
「あー、いやお袋が戻ってくる頃でいいわ」
「おやつとか食べるぅ?」
「テキトーに頼むわ」
「うん、わかったよぉ」
オレ様がベッドに寝っ転がってボーっとしていると、沙羅はアイスティーとアンパンをトレイに乗せて戻ってきた。よく出来た娘だ。コイツはきっと、将来いい嫁さんになるだろう。オレ様はアンパンを頬張りながら、部活の企画について思考を廻らせた。
「かーくん、お話どうするのぉ?」
「それをいま考えている」
「わたしねぇ、白馬の王子様が出て来るお話がいいなぁ」
「それは良かったな」
「うん、わたしがお姫様でぇ、かーくんが王子さまなのぉ」
「それは良かったな」
「かーくんがわたしにねぇ、キスするとぉ、お姫様が目を覚ますのぉ」
「それ白雪姫のパクリだからな」
「えへへっ」
パクリは良くないが、パロディは面白いかもしれないな。ギャルゲーでもパロネタ(別の作品の内容を話の種にすることな)は笑えるものが多いし、それを主眼にしてみても楽しいかもしれない。沙羅にしてはナイスアイデアだ。
パロディと言っても何をネタにすればいいんだろう。ギャルゲーをやる人間が分かるネタだとすると、アニメとか同じギャルゲーとかになるんだろうか。するとみんなが知っている有名どころをネタにする必要がある。
あれ? なんでみんなが知ってる必要があるんだ? そもそもオレ様はギャルゲーを作ってどうしたいんだろう。フリーでみんなに配布する? 夏の祭典で売る? それすら考えていなかった。オレ様は単純にギャルゲーが好きだからギャルゲーを作ろうと思っただけなんだが、ただ作るだけでは自己満足になってしまうな。
「うーむ」
「どうしたのぉ?」
沙羅はニコニコとオレ様を見つめている。何が面白いんだろう。家に帰ってボーイズラブゲームでもやっていればいいものを。
「オレ様はギャルゲーが好きだ」
「うん、知ってるよぉ」
「だからギャルゲーを作ろうと思ったんだが、作っただけで終わりでいいのだろうか?」
「ダメなのぉ?」
「ダメかどうかも判らん。ただ、作っただけでは自己満足になってしまうのではないかと思ってな」
「自己満足じゃダメなのぉ?」
「え? いいの?」
「作ることが目的ならぁ、わたしは別にいいと思うよぉ」
「そうか、別にそれでもいいのか」
「上手になりたかったらぁ、人に見てもらうほうがいいけどぉ」
「だよなぁ。やはり人に見せることを前提に作ったほうがいい。その方がモチベーションも上がるし、評価もしてもらえる。金儲けが目的じゃねぇから、フリーソフトとして配布しよう」
オレ様は躰を起こして、パソコンに向かった。決めたことをテキストファイルに記入して、残しておこうと思ったからだ。同時に、何か思いついたことを言語化することで企画のアイデアを膨らませよう。
沙羅がオレ様の背後からパソコンを覗きながら、間延びした声で呟いた。
「あのねぇ、わたし思うんだけどぉ」
「あぁ~ん?」
「ギャルゲー作るのってぇ、パソコン要るよねぇ」
「あぁ、そうだな」
「ギャルゲー部ってぇ、パソコンないよぉ」
「あぁ、そうだな……って、パソコンねぇじゃん!」
オレ様はバシンと机を叩いて立ち上がった。
「わっ、ビックリしたよぉ」
「沙羅、ギャルゲー部にはパソコンがねぇぞ」
「うん、だからどうすればいいのかなぁって」
「どうすればいいんだ?」
「買う、とかぁ?」
「言い忘れていたが、ギャルゲー部には部費がないんだ」
「そうなのぉ?」
「うおおおおおおおおっ!? どうすればいいんだ!?」
「これを持ってっちゃダメなのぉ?」
沙羅がオレ様のパソコンを指差した。オレ様のマシンはミドルタワーの自作パソコンで、ハードディスクを四基も積んでいるのでかなり重たい。しかもモニターは二十インチのブラウン管という骨董品だ。これを学校に持って行くのは人力では無理だ。そもそもこのパソコンにはオレ様の命の次に大事な機密データが保管されているのだ。易々と人の手に触れられる場所に持っていくなど言語道断だ。
「馬鹿かお前は。これはオレ様の魂だぞ。存在意義だと言っても過言ではない。剥き出しの心臓を他人に触らせるヤツがどこにいるんだ」
「わたしは使ってるよぉ」
「お前はいいんだよ」
「えへへっ、わたし特別ぅ?」
「そうだな、お前は特別アホだからな」
沙羅はたまにオレ様のパソコンでインターネットを使用するが、OS標準搭載のブラウザしか使わないので履歴を探られる心配もないし(オレ様は他社製のウェブブラウザを使っているのだ)、オレ様の大切なデータは通常の方法では辿り着けないほど深い階層に埋没させてあるので、沙羅にオレ様の機密データを見られる心配も皆無だ。この女はパソコンのいろはすら解ってないからな。
沙羅はなにやらご満悦のようで、へらへらと頬を緩めていた。オレ様は突然に湧いた轍鮒の急に頭を抱えていた。そう、ギャルゲーを作るにはパソコンが必要なのだ。パソコンがないということはギャルゲーを作れないということだ。ギャルゲー部は早くも存亡の危機を迎えていた。
沙羅に夕飯を作ってもらって、お袋と一緒にそれを頂戴した。沙羅は料理が上手い。母親のいない沙羅はよくウチのお袋に料理を教わっていた。親父さんに料理を食べてもらいたいんだとか。健気な娘だなぁ、本当に。
ちなみに沙羅は驚くほどにハイスペックだ。炊事洗濯はもちろん掃除も裁縫も得意で、いつお嫁に出しても恥ずかしくない。喋り方はアレなのに、空手は腕前は黒帯だし、学校の成績も恐ろしく良好だ。なんでオレ様と同じ学校に通っているかというと、オレ様の頭がいいからではなく、沙羅がオレ様と違う学校に行くのを嫌がったからだ。馬鹿なヤツだ。沙羅はオレ様なんかにはもったいないくらい良くできた女だ。早くいい彼氏が見つかればいいのに。
沙羅が来てくれると、お袋はとても機嫌が良くなる。何か頼みごとをするなら沙羅がいるうちに済ませてしまったほうがいい。オレ様は殴られるのを覚悟でお袋に尋ねてみることにした。
「おい、クソ母親」
「何だよ、ドラ息子」
「パソコンが欲しい」
「買えよ」
「金がねぇ」
「じゃ諦めな」
「お小遣い」
「ねぇよ」
はい、会話終了。とても親子とは思えません。
その後、沙羅の親父さんから日が変わる頃には帰宅できると連絡があった。沙羅が親父さんに食事を用意してあげたいと言ったので、お袋は夕飯の残りを沙羅にもたせてあげた。沙羅は何度もお礼を言い、自宅に戻った。殊勝なことだ。自分で作ったメシなんだから持って帰るのにお袋の許可なんざ要らないだろうに。
「一応ウチの材料を使ってるだろ? 作ったのはあのコだけど、金は全部ウチが払ってる。そういうことだよ」
「んなこと気にしねぇだろ、アンタはよ」
「あのコが気にするんだよ。そういう気遣いのできる、いいコだよ、ほんとに」
「全くだ」
お袋は沙羅のことを本当に気に入っている。オレ様も沙羅は好きだが、アイツは妹みたいなもんだ。
「将来はお前のお嫁さんになるのかねぇ」
「ならねぇよ」
「もらっちまえばいいじゃねぇか」
「はン。オレ様はアイツだけは嫁にしねぇって決めてんだよ」
「馬鹿だねぇ、お前。まだそんな昔のこと気にしてんのかい?」
「昔じゃねぇよ。現在進行形だ」
何というか、ほんのちょっと昔、オレ様は沙羅を助けて結構ヒドい怪我をした。その怪我の所為でオレ様は空手を続けることが出来なくなった。その頃からかなぁ、オレ様がゲームやアニメにハマり始めたのは。現実は悪意に満ち溢れている。アニメやゲームの世界でも悪意が描かれていることはあるが、直接オレ様に関わることのない、他愛のないものだ。総じて二次元は楽しくて、可笑しくて、面白い。嫌なことなんてない。恋愛だって出来るんだ。だからオレ様はギャルゲーが好きだ。これはそんなお話。
お袋は溜息を一つついた。目が笑ってない。真剣な話をしようとする時のお袋は、いつも怖いくらいにマジな眼差しを向けてくる。
「アタシはお前の人生に口出しするつもりはねぇよ。パソコンが欲しいんだったか?」
「ん? あぁ、自分で何とかするさ」
「バイトでもしろよ。十五歳の高校生でも、探せば雇ってくれるところくらいあるだろ」
「ガラにもなく心配してんのか? らしくねぇんだよ」
「馬鹿か、テメェは。母親が息子の心配して何が悪ぃんだよ」
「そりゃそうだ。そういやアンタはオレ様の母親だったな」
「ちっ、少しくらい小遣い恵んでやろうと思ったのに、興が冷めちまったぜ」
「あ、ウソ。ママン、お小遣いちょーだい」
「やらねぇよ。テメェで稼げ」
「おかーさん、許してよぉ」
「きめぇんだよ! さっさと風呂に入って寝ろ!」
お袋は食べ終わった食器を流し台に運んで、そのまま部屋に戻ってしまった。
「たまには道場に顔くらい出せよ。みっちりしごいてやっからよ」
そんな捨て台詞を残して。
だから真面目な話をするのは嫌なんだ。
オレ様は風呂に入って部屋に戻ると、企画を練ることにした。
とりあえず何でもいいや。話を書いてみよう。オレ様はざっと妄想した話をテキストエディタに書いてみることにした。
結論から言うと、とても他人に読ませられる内容のものにはならなかった。自分で読み返しても恥ずかしい。登場人物と概要を紹介しよう。
登場人物
カルト(主人公の名前は変更可能な仕様にするつもりだよ?)
ヒロイン(名前を考えるのが面倒だった)
ワルモノ(いい名前が浮かばなかった)
話の概要
ワルモノ「ぐへへへへっ、犯してやるぜぇ」
ヒロイン「助けて、カルト!」
ワルモノ「そんなヤツは来ねぇよ! 大人しくしな、ぐへへへへっ」
ヒロイン「きゃー、助けてー」
カルト 「おらぁ!」
ワルモノ「ぐはぁっ!? ば、馬鹿な、なぜお前がここに!?」
ヒロイン「カルト! 助けに来てくれたのね!」
カルト 「待ってな、今コイツをブチのめすからよ」
ワルモノ「馬鹿め! この人数を相手に一人で勝つつもりか!」
カルト 「おらおらおらっ!」
ワルモノ「そんな馬鹿な! ぐはぁ!」
ヒロイン「素敵、カルト」
カルト 「オレに惚れるなよ」
オレ様は頭を抱えてうずくまった。何だこれは。小学生の作文か? 夜中の三時までかけて書き上げた力作なのに、たったの十分で読了できてしまう分量にしかならなかった。しかも恐ろしく拙い。こんなものを読んで楽しめるヤツがいるのだろうか。話の流れとしては似たようなアニメやゲームは山ほどあるが、これをそのままゲームにするのは書いたオレ様ですら忌憚を感じてしまう。なぜだ。シナリオなんて誰にでも書けると思っていたが、いざ文章を書いてみると驚くほどに言葉が出て来ないし、呆れるくらいにアイデアが湧いてこない。面白い話を書けるヤツって、実は天才なんじゃないだろうか。道理でつまらないギャルゲーが多いわけだ。名作と呼ばれるゲームは、星の数ほどある中のほんの一握りしかないしな。
こんな駄文を人に読んでもらうのは恥ずかしいにも程があるが、それでもオレ様は一応プリントアウトして学校に持っていくことにした。これはとりあえず原案だということにしておこう。こんな話を作ろうと思っているという意思表示だ。
企画以前に、パソコンはどうしても必要だ。複数の人間が寄り集まってゲームを作ろうというのだ。それを共有するにはやはりパソコンがないと話にならない。出来れば人数分の台数は欲しいところだ。バイトをするにしても一体いくら必要になるんだろう。一台十万円だとして、五台で五十万円だ。一体どれほどの時間を費やせばそれだけの金が手に入るのか、オレ様には検討もつかなかった。
沙羅が親父さんにこのことを話していなければいいなぁ。変に気を遣わせてしまうかもしれない。もしそんな申し出を受けたら、きっぱりと断らないとなぁ。
オレ様は胡乱な頭でそんなことを考えながら、気付いたら眠っていた。
翌朝。
何の前触れもなく、エルボーがオレ様のみぞおちを穿った。メリメリと硬い肘が腹の肉に埋まっていく。い、痛い。呼吸が止まるかと思った。
「ってぇなコラ! テメェには優しさとか思いやりってもんがねぇのか!」
「ねぇよタコが。おら、目ェ覚めたろ。ちゃっちゃとメシ食って学校いきな」
「あぁ~ん? 腐れ外道、ちょっとそこに直れ。毎朝テメェの拷問に耐えてきてやったがよ、さすがのオレ様も堪忍袋の緒が切れたぜ?」
「あっそ。じゃあな」
エルボーの犯人―――お袋は興味なさそうにオレ様の部屋から出ていった。なんだ、機嫌が悪いのか? いつもならもっと食いついてくるはずなんだが。オレ様は腹をさすりながら周囲を見回した。そうか、沙羅がいないのか。時計を見ると七時半過ぎだ。この時間に沙羅が来ていないのは珍しい。いつも小春日和みたいなぽかぽかの笑顔を見せてくれるアイツの顔がないと、どこか調子が出ないな。そんな日もあるだろう。
オレ様は朝食を取って、身支度をして学校に行くことにした。
オレ様んチの隣家は沙羅の家だ。前日は夜遅くに沙羅の親父さんが帰ってくるとかいう話だったからな。もしかしたら夜更かしをして寝坊でもしてしまったのだろうか。オレ様が沙羅の家のインターホンを押そうとすると、新聞でも取りに来たのか、パジャマ姿の親父さんが家から出て来た。
「おや、おはよう。狩人くん。沙羅を呼びに来てくれたのかい?」
「いいえ、違います」
「ではなぜウチのチャイムを押そうとしていたのかね」
「さーせん、ほんの出来心で、ふひひっ」
「そ、そうかね。まぁ、上がっていきたまえ。お茶でもご馳走するよ」
「いやね、おやっさん。今からお宅にお邪魔してモーニングティーを振舞われてやってもいいんだけど、オレ様も沙羅も遅刻しちゃうよ?」
「なんだってー!!」
このおっさん、仕事は出来るらしいけどどこかすっ呆けてるんだよな。この親にしてあの子ありか。沙羅の温容な性格は間違いなくこのおっさん譲りだろう。
「おーい! 沙羅! 狩人くんが来てるよ!」
親父さんの叫ぶ声が沙羅の家にこだましてから三秒後、物凄い勢いで何かが転がり落ちてきた。パジャマ姿の沙羅だった。沙羅は涙目になりながら、オレ様ににぱぁっといつもの笑顔を見せた。
「か、かーくん、おはよう」
「目ヤニついてるぞ」
「えっ? や、やだよぉ。恥ずかしいから見ないでよぉ」
「パジャマは恥ずかしくないのか」
沙羅は寝グセでぼさぼさの頭をしたまま、奥のほうに走り去ってしまった。
「さぁ、こんなところで立ち話も何だ。上がりたまえ」
「だからね、おやっさん。遅刻するんだって」
「たまには遅刻もいいじゃないか。学生は一回や二回、遅刻するくらいのほうが可愛いんだよ」
「おやっさんは社会人だけど大丈夫なの?」
「えっ? いま何時?」
「七時五十分くらいかな」
「な、なんだってー!!」
今度は親父さんがすごい勢いで転がっていった。忙しい親子だなぁ。
その場で五分ほど待っていると、先に親父さんが出て来た。短髪の所為か寝グセはほとんどついていなかったし、パジャマを脱いでスーツを着込んでカバンを持ってきただけなのだろう。それでも様になっているのはさすがだ。沙羅はまだ少し時間が掛かるかな。
「時間は大丈夫かい? もし遅刻しそうだったら先に行ってしまってもいいからね」
「オレ様はいいんだけど、アンタは大丈夫なの?」
「うん、無理かもしれない」
「じゃ急げよ」
「あぁ、そうそう。狩人くん、パソコンが欲しいんだって?」
「え? 要らないよ?」
「あれ? 沙羅が昨日そんなようなことを言ってたと思ったんだけどな」
「あぁ、単にパソコンがもう一台あったらいいなって話をしてたんだよ。別に必要ってわけじゃない」
「そうかい。どうしても必要ならいつでも言ってくれたまえ。会社に余ってるパソコンがあったら、それを拝借してくるからさ」
「お心遣いだけでいいっすよ。今アンタがやらなきゃならねぇことは、子持ちの親として給料を削られないように全力で遅刻を回避することだ」
「そうだね、狩人くん。君はいつも冷静で羨ましいよ、はははっ」
「笑ってねぇで行けよ」
「うん、行ってきまーす!」
親父さんはくたびれた革靴を履いて、足が渦を巻くくらいすごいスピードで疾走していった。もういい歳なのに、身軽だなぁおっさん。
沙羅は案の定パソコンの話を親父さんにしていた。いつも世話になりっ放しなのに、こっちの都合でさらに世話をかけるわけにも行かない。やんわりと断っておいたが、聡いあのおっさんなら理解してくれるだろう。オレ様は腕時計を見ながら、沙羅がやってくるのを待った。
八時を回った頃に、ようやく沙羅が来た。髪の毛がまだ乾ききっていないが、それ以外はいつも通りだ。目ヤニもちゃんと取れているから安心だ。
「かーくん、お待たせぇ」
「おら急げよ。普通に歩いて二十分は掛かるんだからな」
「うん、急ぐよぉ」
沙羅はのろのろと靴を履きながら、玄関口の姿見で髪型をしきりにチェックしていた。
「だから急げっつってんだろ」
「うん、行ってきまぁす」
オレ様に急かされた所為か、沙羅は髪型のチェックをやめて家から出て来た。ドアを開けっ放しのままニコニコと通りに出ようとするので、思わず呼び止めてしまった。
「ドアは閉めなくてもいいのか?」
「ふぇ? し、閉めるよぉ」
ガチャンと扉を閉めて、今度こそはと通りに出ようとする沙羅を、オレ様はもう一度だけ呼び止めた。
「鍵は掛けたのか?」
「ふぇ? か、掛けるよぉ」
沙羅はポケットをゴソゴソとまさぐり、慌てた様子で家の中に戻っていった。
さらに五分、オレ様は待った。
「ふぇーん! 鍵がないよぉ」
この日、オレ様と沙羅は遅刻した。
昼休み。
オレ様と沙羅は購買で昼食を買って部室に行くことにした。せっかく部室を手に入れたのだ、どうせだから有効に利用しようと思い立ってのことだ。いったん教室に戻って白百合とすみれを拾っていこうと思ったが、すみれはすでにどこかに行ってしまったようで、白百合だけを道連れに部室へと足を運んだ。
昨日は鍵をかけずに帰ったので、開きっ放しになっているはずだ。中の資料を読むには別の鍵が必要みたいなので、無用心ということはないだろう。盗られるものなど何もないからだ。
部室のドアを開けると、すみれが窓際にちょこんと座って、窓の向こうを眺めながら弁当を摘んでいた。オレ様たちを発見すると、ビクリと肩を震わせて箸を落としそうになっていた。相変わらずチキンなヤツだ。
「なんだ、お前もここにいたのか」
「こ、こここここんにちは、マシラキさん。今日は珍しく遅刻していましたね。しかも双樹さんもご一緒に遅刻なんて、昨日は一体どんなプレイでしっぽり弾けていらっしゃったんですか? きゃーもう二次元だけでは飽き足らず三次元にまで触手を伸ばすなんて、コイツはとんだ性倒錯野郎ですね。そんなに二次元がいいなら写真に穴でも開けてツッコんでい何てことを言わせるんですか!」
「テメェが勝手に言ったんだろ」
すみれの雑言を無視して、オレ様たちは折れ脚テーブルを囲んでメシを食うことにした。
白百合がちらりとオレ様を見て肩を竦めた。どうやら窓際に張り付いたすみれをこっちに連れてこようと画策しているようだ。オレ様は顎でゴーサインを出した。ちょこちょこと弁当を摘みながらチラチラこちらを窺っているすみれに、白百合が特攻した。
「すーみれちゃんもー、こっちで食おうぜー」
「ひぇっ!?」
すみれの弁当箱を取り上げて自分のそれの隣に置いた白百合は、満面の笑顔を作って手招きをした。動揺して視点の定まらないすみれは、次第に目に涙を浮かべ始めた。アクシデントに弱いのか、それとも人間そのものへの耐性がないのか、とにかく恐ろしく繊弱なヤツだ。白百合でも弁当箱でもなく、オレ様に助けを請うような視線を向けるすみれに、オレ様はただ頷いて答えた。すみれは両手で箸を握り締めたまま、ちょこちょこと白百合の隣に腰を下ろした。とは言っても、手を伸ばしてぎりぎり弁当に手が届くくらい離れた場所にだ。白百合は困った表情で
「そーんなに離れなくってもー、取って食ったりしないよーぅ」
けれど柔らかくすみれに微笑みかけた。面倒見のいい女だなぁ。オレ様なら完全に無視するか、徹底的に排除するかのどちらかだろう。オレ様はすみれに嫌われていないので、別に攻撃したりするつもりはないけど。
白百合はすみれが食べやすいようにと、弁当箱をすみれのほうに寄せてやった。いきなり仲良くなろうという試みは諦めたようだ。賢明な判断だ。すみれの人間嫌いは並大抵じゃない。それでも白百合は沙羅を交えながら何度もすみれに話し掛けていた。
早々にメシを食い終えたオレ様は、そんな白百合とすみれの様子をボーっと眺めていたが、
「あら? 皆さんお揃いでしたの」
我がギャルゲー部最後のメンバーが顔を出したことで、はたと思いついた。
「うむ、ちょうどいい。メンバーも揃ったところで、貴様ら雑兵に我が部の問題を提起したい」
「この部の問題はあなたがいること以外に何かあるのかしら?」
「あぁ、年増の人の目尻に深いシワができ始めたこと、とかなぁ?」
「あたしの肌にシワなんてありませんっ!」
「あ、眉間にシワが」
「お黙りなさいっ!」
「キャンキャンうるせぇなぁ。学校一の問題児がよぉ」
「学校一の問題児はあなたでしょうっ!」
「実は我らがギャルゲー部には深刻な問題が発生している」
「勝手に話を戻さないでくださいっ!」
「オレ様たちは新年度に入ってから部活を創設したので、部費がないらしいんだ」
「無視しないでよっ!」
「先輩、さっきからうるせぇよ」
「くきぃーーーっ!!」
バンバンと地団太を踏む椿先輩を横目に、オレ様は話を続けることにした。やっぱ面白いなぁ、この先輩。
白百合が「はーい」と手を上げた。
「サルー、部費がないとなーんか困るのー?」
「うむ、パソコンが買えない」
「そーいえばそーだねー。パーソコンがないと、ゲーム作れないさー」
「どうだろう諸君。何かいいアイデアはないだろうか」
みんな腕を組んで黙ってしまった。鉛筆やノートくらいなら自分で買えばいいという話になるが、さすがにパソコンとなると高校生の小遣いだけでは厳しい。バイトをするにしても簡単に手に入る金額ではないだろう。
「言っておきますが、あたしが生徒会長だからといって、部費を捻出することは出来ませんからね。予算は前年度末に決定することになっていますから、国会みたいに追加補正予算案を組むことも出来ませんわ」
「つっかえないなー、生徒会長」
「仕方ねぇよ、名前だけだし」
「どうしてあたしが非難されないといけないんですかっ! そもそもあなたたちが何の計画もナシに部活なんて作るからいけないんでしょうっ!」
「責任転嫁はカーッコ悪いよーぅ、生徒会長」
「仕方ねぇよ、名前だけだし」
「なんであたしが悪いことになってるんですかっ! 大体あたしは名前だけではありませんっ! ちゃんと仕事してますっ!」
オレ様たちの三文芝居をニコニコ眺めていた沙羅が「はぁい」と挙手をした。
「何かね、沙羅くん。グッドアイデアでもあるのかね?」
「パソコンルームにぃ、パソコンいっぱいあるよぉ」
「それだっ!」
オレ様は諸手でテーブルを叩いて全員に視線を送った。
「椿先輩、パソコンルームには何台のパソコンがあるんだ?」
「えっ? 五十台ほどだったと思いますが」
「なら五台くらいもらっても支障はないだろう」
「大アリですっ!」
「なんで?」
「パソコン実習は二つのクラスが合同で実施しますが、一つのクラスが三十人前後の我が校にはパソコンが足りていません。不足しているところからさらに徴収するなんて、出来るはずないでしょう」
「なんで五十台なんて半端な数にしたんだよ。ひとクラス三十人なら六十台きちんと揃えるのがセオリーだろ?」
「まだあたしが入学するより前の話ですから知りませんわっ」
「ふーん、そうやって問題を棚上げにして見なかった振りをするのが、生徒会長の流儀なのか。ダメだな、コイツ」
「あなた何だかんだ言ってあたしを悪者にしたいだけでしょうっ!」
「うん」
「認めないでくださいっ!」
鼻息を荒げる椿先輩を宥めすかして、オレ様は一つ提案をした。
「どうだろう。ダメ元でいいから先生に頼んでくれよ。五台は無理でも一台や二台なら何とかしてくれんじゃねぇの?」
「それ以前の問題ですわ。そもそもパソコンルームのパソコンはパソコン部が使用していますから、先生方に頼んでも、まずパソコン部と話し合えと言われるのが落ちですわ」
「つまりさ、パソコン部のヤツらを説得すれば、一台くらいなら何とかなりそうってことだよな」
「ですが、パソコン部の部員数は五十名以上ですわ。容易に納得していただけるとは思えないのですけど」
どんだけいるんだよパソコン部。確かに今のご時勢じゃ需要は大きいだろうけど、多すぎだろ。
「なぁーに、口八丁で言い包めちまえば問題ないさ」
「あまり遺恨の残るようなことはしないでくださいね」
「向こうが納得すればいいんだろう? 納得せざるを得ない状況に追い込んじまえばいいんだよ、クククッ」
「どうしてこうも邪悪な笑みを作れるのかしら」
椿先輩は困った表情で溜息をついた。
「なーに考えてんのー、サルー?」
「クククッ、貴様にも一枚かませてやるよ」
「なんさー? なーんか面白そうなこと考えてる顔だよねー」
「あぁ、楽しみにしてろよ」
白百合はどことなく楽しそうだった。コイツはオレ様の無茶なノリにでもついて行ける麒麟児だ。沙羅は無条件でオレ様に従ってくれるから問題ない。問題はこの二人ではオレ様の考える作戦を遂行できる能力がないということだ。椿先輩はパソコンとか詳しそうだけど、この人を当てにするのはマズい。となると、残るすみれに頼るしかない。すみれがどれくらいパソコンの造詣が深いか、あとで探りを入れておこう。
食事を平らげたオレ様たちは、チャイムがなるまで下らない雑談に興じた。すみれは最後まで会話に混じってくることはなかったが、時々物欲しげな視線を送ってくるところを見ると、会話をしたくないわけではなさそうだ。すみれの問題も解決しないとなぁ。
放課後。
オレ様はパソコンを手に入れるための下準備を始めることにした。企画の話? そんなものは後だ。オレ様は偵察部隊長に白百合を抜擢し、三年生の教室の調査を命じた。椿先輩は生徒会の仕事があるらしいので「今日は来なくてもいい」と伝え、沙羅とすみれはパソコン部の偵察に向かわせた。
白百合に調べさせているのはパソコン部の部長のデータだ。名前とクラスはすでに椿先輩から聞き出してある。オレ様が欲しいのはもっと詳密なデータだ。
沙羅とすみれにはパソコンルームを見学したいと嘘を吐かせ、部長の顔といつも部長が使っているパソコンがどれなのかを調べさせた。この日に限って特別に違うパソコンを使っているという可能性は少ない。実習などの授業なら話は別だが、部活として使用するなら必ず同じパソコンを使いたがるはずだ。
この学校のパソコンはドメイン参加型のログインシステムを使用しているので、どのパソコンでも同じように使えると思われがちだが、共有できるデータは定められたフォルダに入れなければならず、アプリケーションなどは共有できない。したがって、違うマシンでログインしても、それは使い勝手の悪い他人のパソコンと大して変わりがない。使い慣れた環境でパソコンを使用するなら、同一のマシンを使わなければならないのだ。
同一のマシンを使用し続けると、必然的に個人的なデータが蓄積していく。部で共有するようなデータは共有フォルダに入れるだろうが、それ以外のデータは個人的に作成したフォルダに入れるだろう。オレ様はその個人的なデータをちょいと閲覧したいわけだ。
上手く行けばパソコン部はオレ様の言いなりになるかもしれない。ただ、パソコン部などオレ様の興味の埒外だし、パソコン部の部長にも興味がない。今回限りのお付き合いにしたいものだ。
オレ様はひとり優雅に紙パックのコーヒーをすすりながら、偵察兵どもの報告をのんびりと待った。
最初に帰ってきたのは白百合だった。白百合は何だかとても楽しそうな表情で息を切らしている。どうやら面白い情報をつかめたようだ。
「サルー、聞いて聞いてー」
「聞いてやるから話せ。笑えるネタなんだろうな?」
「そーれが超笑える話だったんさー! 衝撃の事実が明らかになったよーぅ!」
「そいつは重畳」
「パソコン部の部長さん、なーんとンガムラ先パイのことが好きなんだってー」
「あァ? 誰だそのンガムラとかいうヤツは? 日本語の常識を揺るがすけしからん野郎だな」
「サル、忘れるの早いよーぅ! あっしらの生徒会長さんさー!」
「それだっ!」
オレ様は思わず目の前の折れ脚テーブルをバシンと叩いた。
「でかした、白百合! お前なかなか優秀じゃないか! 将来はオレ様の助手として使ってやってもいいくらいだぞ!」
「にひひー、褒めて褒めてー」
「これはもしかしたら、とんでもなく楽しいイベントになるかもしれないぜ」
「椿先輩も巻ーき込むのー?」
「うむ、場合によってはな。体よく名前だけ使わせてもらってもいいが、明日の調査の結果次第だ。お前のために最高の脚本を用意してやらないとな」
「サルはあっしなーにをやらせるつもりなんさー?」
「クククッ、お前は囮だ。だが、ただの囮じゃないぜ? ゲームがより楽しくなるよう、明日までにシナリオを練ってこないとな」
「なーんだかワクワクするよーぅ! サルのことだから、きっとしょーもないこと考えてるんだろうけど、なーんか面白くなってきたよーぅ」
「うむ。白百合、他の基本情報の調査も完了しているんだろうな?」
「当ったり前さー!」
白百合はメモに記したパソコン部部長の詳細データをオレ様に差し出した。生徒番号から前の学校の情報まで、かなり事細かに調べてきたようだ。なかなかやるな、コイツ。オレ様がやるとたぶん相手を怒らせて終わりだが、白百合は人から情報を聞きだすのが上手い性質らしい。
オレ様は白百合のメモを見て、口元が歪むのを堪えられなかった。
「わーるそうな顔してるねー、サルー。なーんか悪役みたいだよーぅ」
「舞台に善人ばかりでは客が喜ばないさ。いつの時代も、勧善懲悪は大人気だ」
「するとサルがやられることになっちゃうっぺー?」
「はン。どちらが悪かは、いずれ分かるさ。いつの世にも悪が栄えたことはない」
「勝ったほうが正義だからねー」
「その通りだ。白百合、お前わかってるじゃないか」
「あっしは意外に大人だよーぅ!」
白百合はオレ様の隣の腰を掛け、オレ様が手にしているメモを指差しながら肩を引っ付けてきた。相変わらずパーソナルスペースが極端に狭いヤツだ。オレ様はちょっとだけドキドキしながら白百合の話に耳を傾けた。
「ほら、こーれ見てー? 部長さんが椿先パイに惚れたのは、中学の修学旅行の時だって、お友達が言ってたよーぅ。エピソードもあるんさー」
「なんだ、椿先輩とパソコン部の部長は同じ中学か」
「うん、あっしと同じ中学さー」
「聞いてねぇよ、カスが」
「サルも沙羅ちゃんもー、学校から家が近くていいねー」
「近いからこの学校を選んだんだよ」
「あっしは学校まで一時間くらい掛かるからさー。毎日たーいへんさー」
「それは良かったな」
「サルはもーちょっと女のコの話を、マージメに聞いたほうがいいっぺー」
「失せろよ三次元。オレ様の耳は世俗の徒事を収めるようには出来てねぇんだよ」
「アダゴトってなんさー?」
「俗事の儚さを嘆く雅語だよ」
「意味わーかんないよーぅ」
「ググれ」
「つーめたいなー、サルー」
白百合は口を尖らせてジト目でオレ様を睨んできた。拗ねた顔が意外に可愛いな、コイツ。オレ様は立ち上がって白百合から距離をとることにした。いくらオレ様が三次元に興味がないとはいえ、こうも接近されるとドキドキしちゃうからな。べ、別に白百合に惚れてるわけじゃないよ?
オレ様が窓の向こうに視線を移すと、部室のドアが開いた。やってきたのは沙羅とすみれだ。どうやら偵察を終えて帰還してきたらしい。
「ただいまぁ、かーくぅん」
「ご苦労だったな、下衆女ども。戦果の報告をしろ」
「うん。部長さんはねぇ、一番端っこだったよぉ」
「分かった、もうお前には聞かない」
「な、なんでぇ?」
「すみれ、報告は貴様に任せる」
名指しされたすみれはピクリと背筋を伸ばして固まった。やはり口から言葉は出て来ない。その代わりに両手に抱えていたスケッチブックに、何やら鉛筆で絵を描き始めた。オレ様も白百合も小首を傾げてその様子を見守ったが、二~三分ですみれの筆は止まった。すみれはスケッチブックを返して描いた絵をオレ様たちに向けた。何の絵かと思ったが、パソコンルームを写生したものらしい。部長がいつも使用している箇所が丸く囲われており、〝ここ〟と脇に記してあった。なるほど、分かりやすい。場所の説明は言葉でするより図示したほうがイメージしやすいからな。
「へぇ。お前もしかして背景とかも描けるの?」
すみれは会釈でもするみたいに大きく頭を頷かせた。肯定の意思を示したいらしい。ラフ画とはいえ、僅か数分で背景を描けるのなら、コイツは相当な腕前だ。
「うむ。諸君らの功績は評価に値する。明日の昼休みにもう一度この部室に集まってくれ。作戦の概要を説明しよう。それまでにオレ様は必要なものを用意しておくことにする」
この日はそれでお開きにすることにした。
オレ様は沙羅と白百合を先に帰らせ、すみれに話を聞くことにした(沙羅は「待ってるよぉ」と言って聞かなかったので、「好きにしろ」と答えておいた)。
残されたすみれはスケッチブックを両手で抱えたまま俯いている。時折ちらちらとこちらに視線を送ってくるところを見ると、自分から話し掛ける勇気はないけどこちらの話を聞く準備はあるということなのだろうか。オレ様はとりあえずすみれにいくつかの確認をすることにした。
「掛けたまえ」
オレ様は顎でパイプ椅子を指して、すみれに着席を促した。すみれはそれに従ってちょこんと腰を下ろした。
「お前みんなの前だとあんまり喋らねぇからいくつか確認したいんだけど」
「なな、何でしょう? 放課後の狭い部室に女体の裸のことしか頭にない性欲の塊であるお年頃の男子生徒なマシラキさんと、可憐でか弱い婦女子代表のわたくししかいないというこの状況で、妄念と淫乱―――失礼、法然と親鸞のごとき師弟の会話をしようなどとお考えなのでしょうか? まさか全日本淫蕩選手権高校生の部第一位のマシラキがそんな高尚な訓戒をわたくしに説諭するはずがありま先週の〝エンジェル・ビースト〟の録画ファイルとか、まだお持ちでしたらぜひ貸して欲しいんですけど」
「圧縮してねぇからメディアに入らねぇよ」
「いやいやいや、でしたら明日わたくしが大容量のUSBメモリでも持ってきますよー。こう見えてもわたくしパソコン関係はかなり詳しいですからねー。だって友達がいないと暇で暇で仕方がないじゃないですかー。インターネットがあれば大抵のことが出来る世の中になりましたからね。そうするとパソコンに詳しくなったほうがいろいろ便利じゃないですか。だからって別にパソコンが友達とかいうわけじゃないですよー。でもネット上にも友達なんていなそろそろ本題に入っていただけませんか?」
「お前と会話するのってなかなか慣れねぇなぁ」
「慣れなんて必要ないですよー。マシラキさんがいつも皆さんにやっているような、どう見てもセクハラにしか見えないエロトーク満載の会話で大丈夫ですよー。マシラキさんの知能レベルではご自身の発言がいかに相手を不愉快にしているかなど思慮の片隅にも上らないでしょうが、周りの方々が理解力のある篤厚な御仁ばかりでとても良かったですね。これがステイツの裁判所だったらとっくに摘み出されてまなかなか話が進みませんね、早くしてください」
コイツ、こんな勢いで話してて疲れねぇのかな。オレ様はすみれのパソコンに対する造詣を知るべく、いくつか質問を投げかけてみた。すみれはオレ様の予想以上にパソコンに詳しいらしく、問いかけに対して全て即答が返ってきた。さすがにプログラミングまでは習熟していないようだが、言語に関する基本的な概念くらいは理解しているようだ。よっぽど暇なのかな、コイツ。オレ様も人のこと言えないけど。
「じゃあ何か。USBデバイスからのマイナーOSのブートとかなら問題なく出来るってことか。そこから階層を辿って画像検索とか出来んの?」
「ソフトがあれば簡単じゃないですか?」
「うむ、完璧だ。ネットワーク経由でアタックをかけるのは無謀だからな。内側からなら問題なく閲覧できるだろうしな」
「いやー、仰ることはよく分かるんですが、かなり危ないことをやろうとしていらっしゃいますね、マシラキさん」
「あァ? なんで? 何も危なくねぇよ。何か法に抵触してる部分でもあるのか?」
「やーそう言われるとわたくしも分からないんですけど、大丈夫なんでしょうか?」
「大丈夫だろ。他人のパソコンってわけじゃないんだぜ? 学校施設で公開されているある一つのパソコンの中身を、違うOSで閲覧するだけだ。何も問題ない。問題があったら謝れば良くね?」
「はぁーまぁマシラキさんが警察の方のお世話になるのはわたくし的には一向に構わないんですけど、わたくしや他の方々に累を及ぼすようなことはなるべくしないでいただきたいんですよー。もし何か問題が発生した場合わたくしは全てマシラキさんの責任にしてトンズラこきますけど、後で文句とか言わないでくださいねー。わたくしはギャルゲー部の部長命令に従っただけという体裁を繕えれば、指示に従うことにはやぶさかではないんところでマシラキさん、〝ドキどきマテリアル〟の神条祈璃を攻略サイトを見ずにクリアしたというのは本当ですか?」
「うむ。このオレ様の神懸った能力を持ってしても三日もかかった、悪魔のような女だったよ。すでに陥落した城塞に興味はないがな」
相変わらずキャッチするのが難しい話の振り方だな。オレ様でなければ取りこぼしているところだろう。すみれと会話のキャッチボールをするのはほぼ無理なので、こちらで新しい球を投げ続けるしかない。しかも球を打ち返してくれるか、見送って懐から違う玉を出して投げてくるかはすみれの気分次第というスリリングなキャッチボールだ。
「お前さ、二次創作とかじゃなくて、オリジナルのキャラクターとか描けるの?」
「はい。描けますよー。むしろ二次創作はあんまりやらないですねー」
確かにコイツは自分で夢想しているものをそのまま出力しているような感じだったな。
「パソコンで色とかつけられんの?」
「はいー、ペンタブもスキャナーもトレス台も揃ってますよー。作画ソフトも画像編集ソフトも一通り持ってます」
「絵関連の必需品は自分で持ってるってことか。ラフを描くだけなら紙が一枚あればいいからな」
「そうですねー、線画にして色をつけるだけでしたら一日あれば出来ますよー。ギャルゲ塗りでもアニメ塗りでもどっちもいけますから、ご希望があれば仰ってください。イベント絵なんかでしたら、背景もあわせて二日あれば余裕です」
「早っ! プロ並みじゃん!」
「やーもう照れますよー。わたくし小学校に入る前から絵ばっかり描いてますから、こう見えてもけっこう上手なんですよー。そりゃ皆さんが友達と遊んでる時間を全部スケッチブックに投入してますからねー、これで下手クソなままだったらそもそもわたくしは何のために生きているのかって話であぁわたくしはいったい何のために生きているのでしょうか。友達ゼロの高校生ってちょっと普通にヒきますよねー。鬱です」
すみれは一人で勝手にヘコみ始めてしまった。忙しいヤツだ。コイツ本当に友達いないのか。確かにこの性格じゃ友達作りは難しいだろうけど。こういう手合いは下手に慰めるより相手の心配をさせたほうがいい。慰めると余計に落ち込むタイプだ。
「あァ? じゃ何か? お前にとってオレ様は友達ですらねぇってことか? そうか、オレ様はお前のことを唯一無二の親友だと思っていたんだが、お前はオレさまなんざ眼中になかったんだな」
オレ様は殊更に悄気た表情を作ってうなだれて見せた。案の定すみれは動揺して食いついてきた。
「ち、ち、ち、違いますよー。マシラキさんはわたくしにとって掛け替えのないお友達です。そりゃーもう確かにマシラキには友達が一人もいないかもしれませんが、も、も、もちろんその、わた、わた、わたくしでよろしければおおおお友達になってあげなくもありませんよー。え? わたくし人生で初のお友達ゲット? きゃーもう恥ずかしい! 恥ずかしいですよー! 友達から始まる恋とか最近はやってるじゃないですかー。するとマシラキさんはむしろわたくしに惚れてるということなんわたくしはあなたと結婚するつもりはありません!」
「いや、別に結婚しろだなんて言ってねぇよ」
「ははー、そうですよねー」
それっきり、すみれはまた黙り込んでしまった。あーもう面倒くせぇヤツだなぁ。オレ様はカバンを手にとって立ち上がり
「おら、今日はもう帰っぞ」
そのまま部室のドアに手をかけた。すみれは
「ままま、待ってくださいよー」
慌ててカバンを引っ提げて、小走りでオレ様を追いかけてきた。
すみれを連れて校門まで行くと、沙羅と白百合がオレ様たちを待っていた。なんだ、コイツら本当にオレ様を待っていたのか。敢えて無視してみようかと思ったが、先に沙羅に発見された。
「あ、かーくぅん」
主を見つけた子犬のように、沙羅が小走りで駆けてきた。先に帰っていればいいものを、なんでいちいち待っているかね。どうせ帰った後もコイツはオレ様の家に来るのに。理解しがたい女だ。
「待たせたな。では行くぞ」
「なーんでサルは人を待たせておいてそんなにエラそうなんさー?」
白百合はちょっと不満そうに頬を膨らませている。
「頼んでねぇよ。お前らが勝手に待っていただけだろう? 文句を言われる筋合いはねぇんだよ。ブッ殺すぞコンチキショー」
「うわぁー、なーんだこの人。感じ悪ーい」
「じゃあな白百合」
「なーんでせっかく待っててあげたのに来た瞬間さよならなんさー!」
「お前がオレ様を悪し様に唾棄するからだ」
「ねぇねぇ、かーくぅん」
白百合と話すオレ様の袖を、沙羅がくいくいと引っ張ってきた。うるせぇなぁ、早く帰らせろよ。
「あんだよ」
「ほらぁ、見てよぉ」
沙羅は校門から真っ直ぐに続く道を指差した。この時間帯は人通りも少なく、特に目立った違和はない。
「あぁ、見たぞ。じゃあ帰るか」
「かーくん、かーくぅん」
「だから何だよ。お前の指差すものが何なのか、オレ様には分からねぇんだよ」
「ほらぁ、桜がないよぉ」
「桜は先週で散ってただろ? もう新緑の芽吹く季節なんだよ」
「うん。でもぉ、道に落ちてた花びらもないよぉ」
「そうだな。市の清掃業者も大活躍だな」
「キレイだったのにぃ」
何だコイツ、路傍の端で薄汚れたピンクの残骸に風情を感じるタイプのヤツだったのか。咲き乱れる桜を愛でる嗜好はオレ様にもあるが、道端で砂埃と排気ガスにまみれた花びらの塊をキレイだと思ったことはあまりないぞ。
「じゃあ帰るか」
オレ様はどうツッコんでいいか分からなかったので、今の会話をなかったことにした。
「うん、帰るよぉ」
沙羅はにっこり微笑んで、オレ様の隣を歩き始めた。いや、今お前すごくヘコんでだよね? どうでも良かったの? なら初めから話を振るんじゃねぇよ。オレ様は胸襟で悪態をつきながら歩き始めた。
沙羅はニコニコとオレ様を見ながら左隣を歩いている。後ろでは白百合が積極的にすみれに話し掛けているようだが、あまり功を奏していない。オレ様は前方に見えてきた電柱に紙一重でぶつからないように位置を調整しながら歩き続けた。
「いたぁっ!?」
前を見てない沙羅が電柱に衝突した。馬鹿め、まんまと罠にかかりおったわ。前方不注意は車でなら罰金物だぜ。
「なーにやってんの、沙羅ちゃん?」
「う、うん。痛いよぉ」
白百合が心配そうにハンカチを差し出したが、出血はしていないようだ。電柱が刃物みたいに尖ってたら、さすがのオレ様もこんなことはしないよ?
国道に差し掛かり、商店街周辺に居を構えるすみれと電車通学の白百合は、右折して行った。白百合は道すがらずっとすみれに話し掛けていたが、すみれは「あ」とか「う」以外の単語を発することが出来ていなかった。難儀なヤツだ。
家に帰ったオレ様は、早速パソコンを起動して目的のブツを入手すべくインターネットであちこちを見て回った。USBメモリなどの外部デバイスからの起動を可能とするOSはいくつかあるようで、そのほとんどが無料で公開されているものだった。オレ様は今回の目的に適うものを見つけ、それを手持ちのメモリに入れた。自分のパソコンで何度か実験してみたが、概ね上手く行くようだ。学校のパソコンなんてそこまで堅固なセキュリティを組んでるわけでもないだろうから、この程度で何とかなるだろう。
実験の結果、オレ様のパソコン内の画像の検索をかけると八分ほど時間を要した。学校のパソコンはもっとスペックが低いだろうから、この二倍くらいは掛かるかもしれない。それを全てメモリに収めるのは困難だ。メモリにデータを移動させるのは非常に時間のかかる作業だし、恐らく容量が足りない。
学校のパソコンのドメインユーザーのアカウントはクラスと生徒番号で固定されているから、そのアカウントを名前に含むフォルダのみを検索対象に絞ってデータを抽出する。それを出来うる限りメモリに移行することで作戦は完了だ。
今回の作戦は、〝パソコン部部長の恥ずかしい画像をゲットして、それをネタにギャルゲー部との友好的な関係を築く〟ことだ。ターゲットが男子高校生である以上、PCの中には必ずいかがわしい画像データが入っているはずだ。このオレ様のパソコンがそうであるようにな。違う人もいるかもしれないけど、大抵の男子なら検索エンジンの履歴が恥ずかしいことになって困った経験があるはずだ。ターゲットもその事例に準拠するものと予想しての作戦だ。作戦コードネームは〝ブルーインパルス〟にしよう。青い衝動って日本語にすると、健全な男子高校生の性情を実によく表している。お誂え向きの作戦名だ。
パソコン部部長の赤裸々な秘密を手中に収めることで、オレ様はパソコン部に対して絶対的に優位な戦況を構築することが出来るだろう。だが、椿先輩の要望で「遺恨の残らない」形での決着を迎える必要がある。したがって、あまりイジメすぎてしまうといろいろ問題になる可能性があるので、その辺は上手くやるしかないだろう。幸い、ジョーカーは手元にある。パソコン部部長は椿先輩に懸想をしているという話じゃないか。それを餌にすればいくらでも交渉の余地はあるというものだ。オレ様は無意識に口の端が吊り上がるのを抑えきれなかった。
パソコンからデータを抜き出す作業に要する時間はおよそ三十分程度と見繕おう。最悪、メモリを抜いてポケットにしまってしまえばいい。まさか女の子のスカートのポケットをまさぐろうなんて勇敢な男はそうそういやしまい。メモリを抜いてパソコンの電源を落としてしまえば、証拠は何も残らない。次にパソコンを起動する時には、普通に標準のOSが起ち上がるのだからな。
ここまでの作業と並行して行わなければならないのが囮作戦だ。パソコンでのパートはチームすみれに任せることにして、囮作戦は単独で行なってもらわなければならない。かなりの危険が付きまとう任務になるだろう。純粋な戦闘力だけで人員を選出するなら間違いなく沙羅だが、あの女はスペックと性格が全く比例していない。今回の作戦遂行には不向きだろう。したがって予定通り囮作戦は白百合にやらせることになる。アイツならきっと上手くやり果せるはずだ。もちろん悪ノリが過ぎないよう厳重に注意しておくことにする。
さて、問題は白百合だけで三十分もの間パソコン部の部長の注意を引きつけておけるかということだ。入念にシナリオを練らなければならない。残念ながらパソコン部部長の性格や喋り方までの情報は収集できていない。彼がオレ様のように三次元に興味のないタイプだとお手上げだが、椿先輩に懸想していることからも、それはないと断言できるだろう。白百合の媚びた演技に期待するとしよう。
まずパソコン部部長を校舎裏にでも呼び出して……うん、そこからどうすれば三十分も時間を稼げるというのだ。いきなり告白してしまってはその場で終わってしまう。歩かせるか。グラウンドを抜けて、人通りの少ない住宅街の隘路まで歩きながら話をすることにしよう。その過程で趣味や特技などの情報を聞き出しつつ時間を稼ぐ。単純な世間話ではなく、随所で頬を赤らめる仕草などを演技してもらわなければならない。かなりの高等テクニックを要する任務だ。白百合で出来るだろうか。
そうだ。最悪の場合、泣いてしまえばいいんだ。泣いている女を見捨てられるなら見上げたものだ。その時はこっそりオレ様が尾行してその現場を押さえた振りをすればいい。うん、尾行はいい考えだ。チームすみれの作業にオレ様は必要ないが、白百合の行動を逐一観察しておくのは悪くない。通話料がもったいないが、ケータイ電話にリンクさせたブルートゥースのヘッドセットを装着して髪の毛に紛れさせておけば、こちらから指示を送りつつ会話の状況を把握することも出来る。いちいち無線に頼らなくても何とかなるはずだ。
オレ様は会話の概要と方向性、具体的な動作などを記したテキストをプリントアウトし、チームすみれの作戦内容も出力しておいた。そう言えば白百合のケータイってブルートゥースに対応してたっけ? 無理ならオレ様のケータイを白百合のものと交換して任務に当たればいいか。
食事や風呂などを挟みつつ、一通りの作業を終えた頃にはすでに日付が変わっていた。けっこう時間が掛かったな。オレ様は作戦決行に向け、充分な睡眠をとるべく早めに床に就くことにした。
翌日。
「かーくぅん、起きてよぉ。朝だよぉ」
ゆさゆさとオレ様の躰を揺らす女郎の声が聞こえてきた。甘ったるい萌えボイスは心地よい睡眠導入剤のようで、気付け薬にはほど遠い。オレ様は貝のように固く閉じた眼をゆっくりと開けた。天井からお袋の膝が降ってきた。
「ぐぼぉっ!?」
残虐なニーキックはオレ様の鼻梁を砕き、メリメリと頭蓋を穿って脳に食い込んだ。常人なら致死レベルの攻撃だろう。オレ様は一気に覚醒した躰を勢いよく起こして、お袋を吹き飛ばした。
「馬っ鹿野郎ッ! 起き抜けに顔面ニーキックなんざ食らわしたら普通に即死するんだろうがっ! テメェ、人が下手に出てりゃいい気になりやがって。いいぜ、ここで終わりにしてやんよ」
「クククッ。おはよう、下等生物。そんなにアタシの鉄拳をご所望なら、余すところなくテメェの躰にブチ込んでやんよ」
「上等だ、この阿婆擦れがぁ! ここで人生を完結させてやるぜぇ!」
「あわわわわっ。会話の内容がケンカを超えてるよぉ」
母親と五分ほど格闘した結果、オレ様はボコボコにやられて轟沈した。つ、強ぇ。我が親ながら人外の膂力を有しているようにしか思えん。腫れ上がった顔を濡れたタオルで冷やしつつ、食事を取って家を出た。
いつもの道を沙羅と噛み合わない会話をしながら進んだ(余談だが、沙羅と会話をするのはすみれと会話をするのと同じくらい難しい。沙羅のほうが若干ラクだけど)。国道沿いの待ち時間が日本一長いと評判の信号まで着くと、何やら視線を感じた。視線は片道二車線の広い国道の向こう側から送られてくる。もちろんオレ様は訓練された忍者ではないので、相手の気配を読んだり気配だけで人物を特定するような特殊能力は持ち合わせていない。感じる視線は気の所為かもしれない。気の所為かもしれないけど、なんか湿った感じがする。湿った視線ってどんな感じだよ。自分で思っておきながら、思わず自分でツッコんでしまった。
信号待ちの間にどんどん溜まっていく人ゴミに紛れ、いつの間にか視線は消えてしまった。何だったんだろう? 何となく覚えのある感覚だったんだが。
日が暮れるんじゃないかと思うほど待たされて、信号はようやく青に変わった。この信号の所為で、朝はかなり余裕を持って出掛けなければならない。無駄な道路工事に金をかけるくらいなら、歩道橋でも作ればいいのに。
信号を渡ると、霧散していく人ゴミの間を縫って、また湿った視線を感じた。なんかこう、ぬるっとした感じがとても不快だ。オレ様は矢のように振り返って、オレ様に陰湿なストーキングをする輩を発見しようとした。すみれだった。
「何やってんの、お前?」
「おおおおおはようごじゃいます、マシラキさん」
「あ、すみれちゃんだぁ。おはよぉ」
「あ、う」
沙羅が声を掛けると、またすみれは黙ってしまった。オレ様には話し掛けられるのに、どうして沙羅には挨拶すら出来ないんだ、コイツは。
日本一の信号(略称。こうやって略すと意味が解らないな)から徒歩で五分ほど進むと我らが高校に辿り着く。オレ様はもちろんオレ様のペースで歩き、沙羅とすみれは早足でオレ様についてくる。オレ様がもっと優しければ、きっとコイツらも苦労せずに済むんだけどなぁ。
道に学生の姿が溢れ始めたところで、オレ様は異変に気付いた。
「お、お……」
すみれが呻き声を上げ始めた。胸を押さえて苦しそうに嗚咽を吐き出している。
「ど、どうした、すみれ? どっか痛ぇのか?」
「すみれちゃん? 大丈夫ぅ?」
「お、お、おは、おは……」
「何だ? 何が産まれるんだ?」
「く、苦しいのぉ? すみれちゃん」
「おは、おは、おは……っ!」
「おっはよーぅ! サルー! 沙羅ちゃん! わぁー、すーみれちゃんもいるよーぅ!」
すみれを注視するオレ様にラリアットかます不逞の輩が現れた。勢いよく前のめりにブッ倒されたオレ様は、アスファルトにキスをしながら怒りに打ち震えた。
「なんさーサルー? そんなところに寝っ転がてー、そーんなに大地が恋しいのー?」
「白百合、テメェ。このオレさ……」
「おっはよーぅ、すみれちゃん」
「あ、う」
オレ様の怒りは須らく無視された。すみれの嗚咽は白百合の出現で止まったようだ。口を噤んで俯いてしまったすみれに、白百合は積極的に話し掛けた。
「今日もいー天気だねーすみれちゃん」
「あ、う」
「天気予報だと、しーばらく雨も降らないみたいだよーぅ」
「あ、う」
「ゴールデンウィーク、どーっか遊びに行かね?」
「あ、う」
「うん、じゃああっしが行き先いろいろ考えておくよーぅ」
「あ、う」
すみれは「あ」と「う」しか話していない。白百合が勝手に話を進めているだけなのだが、なぜかゴールデンウィークはすみれと白百合のデートということになったらしい。
「サルと沙羅ちゃんも、いーっしょに行く?」
「はぁ? 行かねぇよ。オレ様は常に忙しいんだよ。貴様の暇つぶしに付き合ってる時間はオレ様にはねぇよ」
「沙羅ちゃんはー?」
「うんとねぇ」
沙羅は顎に指差しを当てて
「サルとサラってぇ、ちょっと似てるよねぇ」
「うん、じゃー四人でどーっか遊びに行こうねー。椿会長も誘ったほうがいいかなー?」
何だろうな、この理不尽さは。全ての会話が噛み合わず、白百合の思うがままに事が運んでしまった。どうせ暇だから別にいいけど。
その後オレ様は白百合の「どーっか行きたいトコあるー?」という質問を六回ほど受けたが、その全てに「行かねぇよ、カスが」と答えておいた。でもきっと行っちゃうんだろうなぁ、オレ様。
昼休み。
オレ様は沙羅と白百合とすみれを連れて部室を訪れた。放課後に行う作戦―――ミッションコード〝ブルーインパルス〟の打ち合わせを行うためにだ。椿先輩の姿がないが、先輩に来られると説明するのがとても面倒なので、今回はいないほうがいいだろう。
オレ様は前日に作っておいたレジュメを三人に手渡した。チームすみれとエース白百合による二面作戦の概要が記してある。
「では、作戦内容を説明する」
三人とも弁当や購買で買ったパンを頬張りながら、オレ様のレジュメに目を通している。本当は居住まいを正してしっかり傾聴して欲しかったけど、時間も押していることだし、この際かまうまい。
「本作戦の目的は〝パソコン部の部長が我々ギャルゲー部にパソコンを寄贈せざるを得ない状況を作る〟ことである。勘違いしないでもらいたい、〝パソコンを手に入れる〟ことが目的ではない。最終的にはパソコンを入手するのは当然だが、本作戦の目的はそこではないことを念頭においてもらいたい」
「なーんか違うのそれー?」
「いい質問だ、白百合。いいか、本作戦の主眼は、パソコン部の部長とより良い関係を築くことにある。これまで事前にパソコンが欲しいなどの打診をターゲットに直接してこなかったのは、我々の最終目的をターゲットに勘繰られることを忌避するためだ。警戒心を与えず、無防備な状態のターゲットに仕掛けを講じるための調略だと考えてもらいたい」
「まーわりくどいなー。具体的にどーすんのさー?」
「うむ、レジュメの一枚目を見て欲しい」
三人はオレ様のレジュメに視線を落とした。
「本作戦は二つのミッションを同時展開することで完遂される。一枚目のレジュメに記してあるのは我がギャルゲー部のエース白百合女史に行ってもらう作戦内容だ」
「あっしー? こーれ見ると、パソコン部の部長さんにあっしが告白するみたいな流れになってるよーぅ?」
「概ね間違いではない。もしお前が本当にターゲットを好いているなら、流れで告白してもかまわんが、本作戦の主眼はお前の恋愛成就ではない。飽くまでもこの流れを利用してターゲットを誘き出し、パソコンルームから遠ざけておくことが目的だ」
「要するに三十分くらい足止めしておけってことだよねー」
「そうだ。この三十分の間にチームすみれに行ってもらうミッション内容が、レジュメに二枚目に記載されている。二枚目を見てくれ」
三人はやる気なさそうにレジュメをめくった。あぁ、学校の先生が壇上から生徒を見る時って、こんな風に見えるんだ。生徒のやる気のなさとか、きっとバンバン伝わってくるんだろうなぁ。世知辛い世の中だ。だからといって、オレ様の授業態度が変わるわけではないけど。
「チームすみれに行ってもらうのは、ターゲットがいつも利用しているパソコンから画像データを抽出してメモリにコピーするというミッションだ」
「かーくぅん、チームすみれちゃんって、わたしも入ってるよぉ」
「沙羅。お前には、すみれの壁役をやってもらう。隣にいると思われるパソコン部員の目が、すみれの作業内容に行かないよう注意を引き付けてもらいたい」
「何をやればいいのぉ?」
「具体的にはすみれと隣のパソコン部員の間に入って、たまに部員に質問したり、流し目で気のある振りをしたり、その部員を褒めちぎったりしてくれればいい。そしてこれは白百合にも言えることだが、決して嘘は吐くな。椿先輩の強い希望で、パソコン部との間に遺恨を残さないことも、本作戦においては重要だ」
「いやいやいや、ウソ吐かなくても、きーっと部長さん怒っちゃうよーぅ」
「安心しろ。事後の折衝はオレ様が行う。こちらには最強のジョーカーがあるからな。恐らく上手く行くだろう」
沙羅は人差し指を顎先に当てて虚空を眺めている。作戦内容をよく理解していないといった表情だ。
「うん、よくわからないけどぉ、隣の人を褒めてればいいんだよねぇ」
「その辺りは臨機応変にやってくれ。すみれの作業に邪魔が入らなければ何でもいい」
「うん、わかったよぉ」
沙羅はにぱぁっと笑顔を見せた。多分まだよく解ってない。まぁ何とかなるだろう。
「本作戦の要はすみれ、お前だ」
「ひぇっ!?」
突然に名前を呼ばれて、すみれが口の中の物を吹いた。オレ様の顔面に米粒が乱れ飛んだが、我慢してやろう。オレ様は説明を続けることにした。
「作戦実行直前に渡すUSBメモリにはすでにOSとブートローダーが入っている。起動中のパソコンにそいつを挿せば、自動的に再起動してメモリ内のOSが起ち上がるようになっているはずだ。あとはその中のアプリケーションを利用して画像データを抽出するというわけだ。詳細はレジュメに書いてあるから、それに目を通しておいてくれればいい。お前ならそう難しい作業ではないはずだ」
すみれはレジュメを読みながらコクリと頷いた。パソコンが友達と豪語するすみれなら、この程度は容易いだろう。
「作戦決行時刻は本日の放課後だ。ミッション達成後は速やかに部室に戻ってくるよう。では、今回のブリーフィングはこれで終了とする。解散」
と、オレ様は打ち合わせを打ち切った。解散と言いながら、まだ誰も弁当を食べ終わってなかったので、結局その場で食事をして、余った時間をテキトーなだべりで費やしながら、オレ様たちは昼休みを終えた。
放課後。
ついに作戦を実行に移す時がやってきた。
オレ様たちは帰りのホームルームが終わってすぐに部室にやってきて、最終ミーティングを行った。質問のある者にはそれに答え、遺漏なく準備を終えてオレ様たちは出発した。ちなみに部室には椿先輩宛に「すぐに戻ります」と書き置きを残しておいた。
沙羅とすみれはパソコンルームの入り口付近で、オレ様は階段脇で待機した。白百合がパソコンルームに入って部長を呼び出すところから、ミッションスタートだ。
白百合はパソコン部の部長を廊下にまで誘き出した。白百合のケータイにはすでにブルートゥースの設定をしてあるので(授業中にオレ様が設定してやった)、マナーモードにしてある白百合のケータイにオレ様は電話を入れた。白百合はすぐにそれに応答し、そのままポケットに仕舞い込む。白百合の右耳にはブルートゥース対応のヘッドセットが装着されているが、髪の毛で外からは良く見えない。何かのアクセサリくらいにしか思われないだろう。
「せーんパイ、ちょっと外でお話したいことがあるんさー」
「な、何かな? こ、ここじゃマズいのかい?」
「うん、ちょーっと人には聞かれたくないんさー」
「そ、そうかい。それじゃあ行こうか」
ターゲットの声が聞き取りにくいが、まずまず上手く進んでいるようだ。ていうか白百合のヤツ、相手は先輩なのに敬語を使わないとかあり得ねぇ。オレ様は白百合に「敬語を使え」と指示を出して、尾行を続けた。
野球部やサッカー部が必死にボールを追いかける放課後のグラウンド。その脇を通って白百合がターゲットを誘導している。二人とも先ほどから黙ったままだが、足音や遠くから運動部の掛け声が聞こえてくることから、ヘッドセットの不調というわけではなさそうだ。オレ様は白百合に「何か話せ」と指示を出した。
「先パイ」
「な、なんだい?」
なんでこのヒト答える度にどもるのかね? あぁそうか。きっと女のコから告白されると勘違いしているからだ。やべぇ、なんか楽しくなってきたぞ。オレ様はワクワクしながらケータイから聞こえてくる音に耳を澄ました。
「先パイの趣味って、なーんですかー?」
「ぼ、ボクの趣味かい? ははっ、そうだなぁ。サーフィン、かな?」
「サーフィン? そーんな色白なのに、サーフィンなんてやーるんですかー?」
「うん、サーフィンって言ってもネットサーフィンだけどね」
「インターネットかよっ!」
オレ様は思わずツッコんでしまった。白百合が耳元を押さえる仕草をしている。しまった、オレ様の声は白百合に筒抜けなんだった。オレ様は白百合に「すまん」と謝り、誘導を続けるよう指示した。
「先パイ、特技とかって、なーんかありますー?」
「特技? うん、そうだね。画像の編集なんかは、けっこう得意だよ」
「へぇー、デジカメで撮った写真の手ブレとか赤目補正とか、でーきるんすかー?」
「うん。そのくらいなら簡単だよ。難しいのはね、ある写真の首から下と、別の写真の首から上を繋げたりする加工とかかな?」
「アイコラっ!?」
またしてもツッコんでしまった。白百合は耳を押さえて苦しんでいる。オレ様はもう一度「すまん」と謝って、そのまま続けるように指示した。
「んでも先パイ、パッと見けーっこう強そうに見えますよー。なーんかやってたりするんですかー?」
「そうかい? 確かにボクはそれなりに強いほうだと思うけどね。色白だからかなぁ、巷じゃ〝白狼〟なんて呼ばれてたりするんだけどさ」
「ハクロウ? なーんか強そうな名前ですねー」
「うん、オフじゃ無理だけどね。オンラインじゃ誰にも負けないよ」
「ネトゲかよっ!」
ゴメン、白百合。コイツ無理だわ。ツッコまずにはいられないよ。白百合はちらりとオレ様を振り向いて、ジト目で睨んできた。オレ様は「後でジュースおごるから」と白百合をなだめ、尾行を続けた。
「えーっと、権平さん、でいいのかな?」
今度はターゲットから白百合に話し掛けてきた。いいぞ。順調に誘導できている証拠だ。
「あっしのことは、名前で呼んでくださいー」
「えっ? いきなり下の名前で呼ぶのはちょっと抵抗あるなぁ」
なんか勘違いを始めたぞ、この人。
「うん、じゃあ白百合さん」
「なーんすか、先パイ?」
「そ、そろそろ、ぼ、ボクを呼び出した理由を、き、聞いてもいいかな?」
やべぇ! なんかもう目的とかどうでも良くなってきたな! 早くこの続きを知りたいぞ! オレ様は胸を躍らせながらケータイを耳に押し付けた。
「まーだここじゃ人目があるから、もーちょっとあっちでもいいっすかー?」
「う、うん。そういうことなら、わかったよ」
何が分かったんだよ、このエロ親父。オレ様にはお前の考えていることが手に取るように分かるぞ。自分を好いてくれる女をあわよくば手篭めにしようと考えているんだろう。半ば予想通りではあるが、なかなか面白い展開になってきたな。オレ様は白百合に「作戦を続行せよ」と指示を出して尾行を継続した。
裏手の門から学校を出て、白百合とターゲットは住宅街の細い路地を真っ直ぐに歩いた。この通りを抜けると、サイクリングロードのある堤防沿いの道に出る。人通りは多いが、見晴らしが良くて盗み聞きをしようなどという輩はあまりいない場所だ。二人っきりで話をするには、実は絶好のポイントだったりする。
堤防を越えて川の見える場所で腰を下ろすと、白百合がターゲットに聞こえないように、小声でオレ様に指示を仰いできた。
「サルー、ちょーっとヤバげな雰囲気だよーぅ」
「作戦は順調だ。そのまま続行しろ」
「今どーこにいるのー、サルー?」
「お前とターゲットを確認できる位置でスタンバっている。いいから続行しろ」
「ちゃーんと助けてくれるー?」
「安心しろ。オレ様よりケンカの弱いヤツはなかなかいないぞ」
「嘘ばーっかり」
そう言って、白百合はターゲットにぎこちない笑顔を向けた。なぜ白百合がオレ様の言辞を嘘だと思ったのかはよく分からないが、作戦に支障がなければ気にすべき問題でもないだろう。オレ様は利き手である右の拳を強く握れないので、ケンカがあんまり強くないというのは本当だ。もちろん日常生活に支障はないぞ。重たいものは持ち上げられないけど、箸や鉛筆、ゲームのコントローラーくらいなら問題ない。キーボードだって普通に打てるさ。
オレ様は気にせず白百合とターゲットの観察を続けることにした。ターゲットが白百合の隣に腰を下ろすと、白百合はその距離を嫌がったのか、少し腰の位置をずらした。いつもはあんなにベタベタしてくるくせに、肝心な時に意気地のないヤツだ。
作戦開始からすでに十五分が経過している。ここまではゆっくり歩いてきたから十五分かかったが、普通に歩いて戻れば十分で戻れてしまう。あと五分は足止めをしてもらわなければならない。オレ様は白百合に何か話せと命じた。白百合は溜息をついて視線を落とした。男とのデート中にそういう態度は好ましくないぞ。
「先パイ、好きな人っていーるんですかー?」
「えぇっ?」
「いーないんすかー?」
「いや、その……」
白百合はちょっとだけ悲しそうに微笑んで、視線を川の向こう側に移した。どこを見ているのかは、ここからでは分からない。
「なーんだ、いるんだー」
立ち上がってスカートの砂埃を払う白百合を見て、ターゲットが明らかに動揺した。何をやっているんだ、白百合。オレ様は「あと五分は足止めしろ」と指示を出したが、白百合から応答のメッセージは返ってこなかった。
「あっしは、好きな人いるんですよー」
「そ、そうなんだ」
「うん。一目惚れ……だったのかなー。ウチの中学ってー、けっこー空手がつーよかったんですよー」
「へ、へぇ、そう。ウチの中学も空手部は強かったよ」
そりゃそうだ。アンタと白百合は同じ中学だからな。アンタはそんなこと知らねぇだろうけど。オレ様はケータイを耳に押し付け、白百合の話を聞くことに専心した。
「あっしが二年生の時、当時の空手部の部長がすーごく強くってー、インターハイ出場確実って言ーわれてたんさー」
何だろう、とても嫌な予感がするぞ。続きを聞いてみたいのに、すごく聞きたくない。そんな感じだ。
「んでも、どーっかの中学の二年生の子が、その部長さんを後ろ回し蹴りで一発ノックアウトしたんさー。すーごかったー。鳥肌が立ってどうしようもながったっぺー」
知っている。オレ様はその話の結末を知っている。
「その日あっしは友達と空手部の応援に行ってたんだけど、その人が地区大会で優勝して県大会に出るっていうから、あっしは会ったこともない人だったけど、その人のこと応援しに次の大会も見に行ったんさー」
やめろよ、白百合。そんな話を聞かせて何になるんだよ。もう充分だ。そんな話は聞きたくない。
「んでも、その日以来その人が大会に出て来ることはなかったんさー。どーんだけ探しても見ーつからなくってー、あっしはその人に会うのを諦めたんさー」
傾ぎ始めた日の光が、白百合を斜めに照らしていた。夏と言うにはまだ冷たい夕風が、白百合の髪を優しく揺らした。
「でもね、先パイ。あっしはもう会えないと思ってたけど、会えたよ」
「えっ?」
「奇跡みたいに、もう一度その人に会えたんさー」
遠くを見つめていた白百合は、部長に視線を落とすと
「先パイ。奇跡っていうのは、意外にあーるかもしんないよー? だーから先パイも、頑張ってくださいねー」
この日一番の笑顔を見せて、颯爽と去っていった。冷たい春のそよ風が、白百合のスカートを微かにはためかせた。もしかしたらオレ様は、そんな白百合の様子に見惚れていたのかもしれない。
堤防の草の上で呆然としているパソコン部の部長を放置して、オレ様は白百合を追うことにした。さっきの話? 知らねぇよコンチキショー。白百合は話の主が誰かなんて一言も言っていない。だからオレ様も知らない。それでいいさ。
白百合の後姿を見つけて、オレ様は少し駆け足で近寄った。
「おい、白百合。オレ様の指示を無視して勝手に持ち場を離れるんじゃねぇよ」
「んー? なんさー、サルー。もう充分だっぺよー?」
「うむ、時間的にはギリギリ大丈夫だろうが、部下は上官の指示に従うものだぜ」
「わがったよーぅ。次からは気ーをつけるさー」
「んじゃ、部室に戻るか。もうすみれたちも戻ってきてるかもしれねぇしな」
オレ様は少し歩く速度を速めて、白百合よりも前に出た。白百合の顔を見たくなかったからだ。
「ねー、サルー」
「あぁ~ん?」
ちょっとだけ振り向くと、白百合は頬を染めてそっぽを向きながら呟いた。
「聞かないの?」
「あぁ、聞かねぇよ」
それだけ言って、オレ様は前を向き直った。後ろから「そっか」という囁きが聞こえてきたが、オレ様は無視した。この話はこれで終わりだ。これ以上は聞きたくもないし、話したくもない。
「あぁ、そう言えばさ、白百合」
「んー? なんさー?」
「お前、さっきパンツ見えてたよ?」
「えっ?」
「今日は水色か。春らしいなぁ」
言って、オレ様は駆け出した。後ろから
「んもーぅ! サルはしょーもないとこでスケベなんだからー!」
頬を膨らませた白百合の、そんな叫び声が追ってきた。
それだけで、オレ様たちはいつものオレ様たちに戻れた。
部室に戻ると、すでに沙羅とすみれが戻ってきていた。すみれはスケッチブックを抱えて俯いたまま、沙羅は窓の向こうをぼんやり眺めながらオレ様たちの帰還を待っていたようだ。二人の間に会話は全くなかったようだが、すみれはいつもの通りだし、沙羅はこんな性格なので、そんなに重苦しい空気が漂っていたわけでもない。
「たーだいまー! 沙羅ちゃんにすみれちゃん!」
「うむ、首尾はどうだ?」
オレ様が尋ねると、すみれは小さくコクリと頷いた。沙羅は
「うん、よく分かんないけどぉ、上手くいったよぉ」
と、ニコニコと目を細めた。よく分からないのに上手くいったのか。お前の方がよく分からないよ。
オレ様はすみれが差し出したメモリを受け取った。部室にはまだパソコンがないので中のデータを見ることは出来ない。家に持ち帰ってじっくりと賞味することにしよう。
「よしっ! みんなご苦労だった。本日の作戦はこれにて終了とする。各自すみやかに休養し、英気を養うように。明日の放課後ここに集合だ。では解散」
「えー? 中のデータ見れないのー?」
「馬っ鹿お前、パソコンがねぇだろ。オレ様の予定では明日にもパソコンは手に入るはずだから、その時にたっぷり見せてやんよ」
白百合はぶちぶち文句を垂れていたが、パソコンがないんだから仕方あるまい。オレ様の家に招待するという方法もあるが、あの汚い部屋に沙羅以外の女を入れるのは憚られるし、四人は定員オーバーだ。
オレ様は中のデータを早く見たかったので、三人を残してさっさと部室を出た。出たんだけど
「待ってよぉ、かーくぅん」
「サルー、あっしも帰るよーぅ」
三人ともついてきた。面倒くせぇなぁ、全く。女三人で姦しく帰ればいいじゃねぇか。結局この日もオレ様はこの三人と一緒に帰ることになった。
家に帰って沙羅にオレ様の部屋への立ち入りを禁止すると、オレ様は早速すみれに吸い取らせた部長のデータを閲覧することにした。
メモリは画像でほとんどいっぱいになっていた。どんだけ画像を溜め込んでるんだ、この人。オレ様は複数の画像をサムネイル表示できるアプリケーションを起ち上げて、データを覗くことにした。もちろん中には意味の分からない画像もたくさんあったが、
「うわぁ」
案の定と言うかやはりと言うべきか、パソコン部の部長も御多分に洩れず健全な高校男子をしていることを証明する画像が山のように出現した。中には過激すぎてお見せ出来ない写真もあり、むしろ沙羅たちを連れて来なくて本当に良かったと、オレ様は胸を撫で下ろした。
マウスのホイールを下に回して行くと、エッチな写真が唐突に見当たらなくなった。ファイル名を見ると、違うフォルダに保存されていたものらしい。そのうちの一つを、オレ様はダブルクリックして拡大表示した。見覚えのある人物が写っている。次の画像も、その次の画像もそうだ。見間違いなんかじゃない。椿先輩の写真だった。
うん、やっぱり他人のパソコンの中身なんて覗くもんじゃねぇなぁ。知りたくもない事実がわんさと出て来る。椿先輩の中学時代の写真から、高校一年生、二年生と、何か行事がある度に撮ってきたのであろう栂村椿の画像集が、そこにはあった。椿先輩、昔からけっこう可愛かったんだな。
中学時代の写真の椿先輩は、レンズを向いてピースサインをしたり、とにかく楽しそうにしているものが多かったが、高校に入った辺りからぱたりとカメラ目線の写真がなくなった。それだけで、パソコン部の部長と椿先輩が疎遠になったのだろうことが窺えた。
オレ様は段々見るに堪えなくなって、アプリケーションを閉じた。あの人、マジで椿先輩のこと好きだったんだ。オレ様はそこはかとない罪悪感を胸に感じつつ、ベッドに躰を横たえた。
エロ画像だけなら、可愛いもんだったんだけどな。こんな生々しい気持ちとか見せられても嬉しくねぇんだよ。
だから嫌なんだ、三次元は。
翌日。
オレ様は珍しく早起きをしてしまったので、一人で学校に行くことにした。沙羅が後で騒ぐかもしれないが、オレ様の知ったことではない。オレ様の来訪を待ちかねたかのように、オレ様が交差点に着いた途端に日本一の信号が青に変わった。ラッキーデーなのかもしれないな。なのにどうしてこんなにも気分が重いんだろう。
前日の画像はいくつか見繕ってプリントアウトしてある。もちろん椿先輩の写真は入っていない。エッチな写真だけを選んで持ってきた。これをネタに強請るわけだけど、なぜだか気分が乗らなかった。
教室に行っても誰もいないので、オレ様は部室で時間を潰そうと校舎を四階まで上がった。階段を上り、廊下を右に折れようとしたところで、左の方から声が聞こえてきた。オレ様は咄嗟に壁に張り付いて様子を窺った。
「ど、どうしても、ダメかな?」
「ゴメンなさい。あたしはあなたのこと、そんな風に思えないから」
一人は前日のパソコン部部長だ。そしてもう一人が、件の椿先輩だった。何てこった。ラッキーデーどころか、たかが信号待ちくらいで全ての運を使い果たしてしまったみたいだ。オレ様が遭遇したのは、パソコン部の部長が椿先輩に愛の告白をしている場面だった。ついてないなぁ、本当に。いや、待てよ? やっぱりラッキーデーなのかもしれないなと、オレ様は考え直した。上手く立ち回れば強請りなんてあくどい手法を使わなくてもパソコンをゲット出来るかもしれないぞ。しかもパソコン部の部長を立ち直らせられるかもしれない。正に一石二鳥だ。
パソコン部の部長がこのタイミングで椿先輩に告白したのは理由があるはずだ。そう、白百合のあの話を聞いた後だからこそ、こうしてこんな早朝からアタックをかけているに違いない。あの女は「奇跡は意外にあるかもしれない」なんて言いやがったら、部長はその奇跡とやらに賭けてみようと思ってしまったのだ。
馬鹿だなぁ、あの人。奇跡は起こらないから奇跡というんだ。人の言うことを鵜呑みにするんじゃありませんって、ママに教わらなかったのか? ともかく、人のいい部長は白百合の言う奇跡を信じてしまったのだ。
オレ様は廊下の陰から二人の様子をじっと窺った。
「ぼ、ボクは、君のことをずっと見てたんだ。だから、他のヤツなんかより、きっとずっと君のことが好きだ」
「そ、そう。お気持ちは嬉しいけれど」
「だ、だから、もし、もしボクの気持ちを受け入れてくれる時が来たら、その時はボクに伝えて欲しい」
「は、はぁ、来ないと思うけど」
「ゴメンね、時間を取らせちゃって。それじゃ」
パソコン部の部長は気丈に振舞っていたが、声が震えていた。何でもなかったように手を上げて別れを告げると、つま先を見ながら真っ直ぐ廊下を歩いていった。
椿先輩は小さく溜息をついて、生徒会室の鍵を開けて中に入った。
左に人影はない。そして右方にもパソコン部の部長の姿はなかった。恐らく部長はパソコンルームへと吸い込まれたのだろう。通い慣れた部室の方が、少しは気分も落ち着くはずだからだ。
さて、次にオレ様が取るべき行動は何だ。椿先輩に挨拶をする? そんなことに意味はない。パソコン部の部長を懐柔するなら今しかないのだ。オレ様は迷わず廊下を右に折れ、パソコンルームを目指した。
パソコンルームのドアを、音を立てないように開けた。以前にすみれが描いてくれた端っこの席で、部長は頭を抱えて項垂れていた。気持ちは分からなくもないが、アンタに落ち込んでてもらう暇はオレ様にはねぇんだよ。
オレ様はなるべく気さくに声を掛けてみた。
「やぁ、部長。見てましたよ」
ビクッと肩を震わせて、部長が顔を上げた。濡れそぼった顔は真っ赤に染まっていて、メガネの向こうから涙が溢れている。うわぁ、キッツいなぁ。男の泣き顔ってどうしてこうも美しくないのかね。じゃあ女の泣き顔は美しいのかと言われると、そうでない場合のほうが多いんだけど。要するに、オレ様は人の泣き顔なんて見たくないのだ。
「な、なんだ君は?」
涙でおかしくなった声で、部長はオレ様への警戒心を示した。さぁ、ここからどうやってこの男から信頼を勝ち得るかが、腕の見せ所だ。オレ様は努めて笑顔を作り、部長に歩み寄った。
「いやいや、まさかあの生徒会長に告白するなんて、度胸ありますねぇ」
「な、何だよ君は。誰なんだ」
「オレ様は隣のギャルゲー部の部長っすよ。オレ様も椿先輩を落としたくて部に誘ったんですけど、さっきの反応を見る限りどうもオレ様には脈がなさそうっすねぇ」
「き、君には関係ないだろう。ボクはあの通りフラレてしまったんだ」
「おや? そうやってオレ様を油断させるおつもりですか? これから少しずつ椿先輩を口説いていこうって腹なんでしょう?」
「えっ?」
「だってアンタ、君のことをずっと好きでいるから、いつまでも待ってるよ、ってなことを言ってたじゃないですか。オレ様ならフラレたらそれでお仕舞いですからね」
「でも、そんな日は来ないって言われたよ」
「なぁーにを仰るんですか。分かっててやったんでしょう?」
「えっ? 何を?」
「椿先輩はツンデレだってことをっすよ」
「な、なんだって?」
「そりゃツンデレですからねぇ、最初はあんな反応でしょう。だからこそ、アンタは自分が相手を好きだと、そして諦めないという意思表示をしたんでしょう? 一発で口説き落とせるツンデレなんてどこの世界にいるんですか。そんなのツンデレじゃありませんよ、そうでしょう?」
「うん、確かにそうだね」
「別に嫌いだとも、もう近寄らないでとも言われたわけじゃない。つまり、脈はあるってわけだ」
「えっ? そ、そうなのかな?」
「当たり前でしょう。相手はツンデレ生徒会長ですよ。そう簡単に相手に隙を見せるようなヤワい相手じゃない。だからこそ布石を打っておいたんでしょう? これから口説きにいくからなって」
「いや、あの、そういうわけじゃ」
「椿先輩も、しばらく表面上の態度は固いままでしょう。ですが、内心ではあなたに声を掛けられるのを心待ちにしているはずだ。けど今はまだアンタに対する好奇心と猜疑心がせめぎあっている状態だ。だから、アンタは少しずつ椿先輩の心を溶かしてあげればいい、そう考えている。違いますか?」
「あ、あぁ、まぁね」
来た! パソコン部の部長はオレ様の言辞に考えを改め始めた。行ける。この調子で言い包めちまえば、勝負ありだ。
「アンタ、なかなか大人っすね。いやぁ、オレ様なんかじゃアンタには勝てねぇなぁ」
「ははっ、そうでもないよ」
「いいでしょう。本当はオレ様が口説こうと思ってたんですが、部長さんには勝てねぇって分かっちまったからさ、取って置きの情報を教えますよ」
「な、なんだい?」
「もちろんフラレた手前、露骨な口説き方はしないでしょうけど、アンタはさりげなくプレゼントでも贈りたいと考えている、そうでしょう?」
「プレゼントか。いいね、それ」
「いま椿先輩が欲しがってるもので、アンタが簡単にプレゼントしてあげられるものが一つあるんですよ」
「な、何だい、それは?」
「パソコンですよ。椿先輩は一応ギャルゲー部に所属してくれていますからね。ですが、新年度になってから創設された部活動に部費を割り当てることが出来ないと難儀しているみたいっすね」
「このパソコン部のパソコンを、プレゼントしろって言うのかい?」
「プレゼント、だなんて大仰な言い方はしないつもりなんでしょう? とぼけなくたって分かってますよ。アンタはパソコン部の部長として、お隣で困っている新興の部活動に援助をするつもりだ」
「ふむふむ」
「確かにパソコン部としてもパソコンの数は足りていないかもしれないが、一つもないお隣さんを見過ごすことは出来ないと、義侠心から部の血肉であるマシンを一台お隣さんに寄贈する。すると、椿先輩はアンタの男気に心を打たれるって寸法だ。もちろん、その程度で椿先輩のツンがデレに変わることがないこともアンタは知っているわけだが、そうやって少しずつ好感度を積み重ねて行く算段を、頭の中で立てているんでしょう? 全く狡猾なお人だよ、アンタ」
「そ、そうでもないよ、はははっ」
「おっと、アンタが自分で持って行くのは止したほうがいいぜ。あぁ、そんなこと言われなくてもわかってるって? そりゃすいません」
「な、なぜだい?」
「アンタも人が悪いなぁ。今朝フラレたばっかりなのに、わざわざギャルゲー部にパソコンをあげるよ、だなんて露骨な真似をアンタがするはずがない。向こうも顔を合わせづらいだろうしな。だから代理を立てて持っていかせようと考えているんでしょう? そうすれば、細やかな気遣いも出来る人だと、アンタの評価も上がるわけだし、アンタの男気も見せられる。どこまで先を読み通してるんだよ、アンタ」
「はははっ、そうだね。もちろんボクが直接なんてするわけがないよ」
「よしっ、オレ様も男だ。アンタのために一肌ぬいでやろうじゃん?」
「えっ? 君が運んでくれるのかい?」
「あぁ。さりげなくアンタの良さを言い含めておいてやるぜ」
「ありがとう。君はなんていい人なんだ」
「よせよ。オレ様はアンタのその明晰な頭脳と先見の明に荒肝を拉がれただけさ。男が男を認めたら、そいつのために力を貸すなんてなぁ、当たり前すぎて聞くだけ野暮ってもんだぜ」
「うん、それでもありがとう。本当はちょっと落ち込んでたんだけど、君と話してたら元気が出て来たよ」
「そりゃ良かった。オレ様なんかでも、アンタの役に立てたみたいで嬉しいよ」
「よーし、早速マシンを用意しておくよ。椿さんはどんなマシンが欲しいのかな?」
「さぁな。ただ、アンタが男気を見せたいってんなら、なるべくハイスペックのほうが喜ぶとは思うぜ。使い物にならねぇパソコンを贈られても嬉しくねぇだろ?」
「うん、そうだね。それじゃあ昼までには用意しておくよ」
「わかった。オレ様は放課後に取りに来るからさ」
勝った。一丁上がりだ。部長さんもフラレたのは残念だったけど、新たな希望を見出せたんだ。結果は上々だろう。
オレ様はパソコン部の部長に別れを告げ、開けっぱなしのドアを抜けてパソコンルームから立ち去った。
……ところでグイッと手を引っ掴まれて、隣のギャルゲー部の部室に連れて来られた。誰かと思ったら椿先輩だった。
うーわぁー。やっべぇところを見られたなぁ。オレ様は穴があったら入りたい気持ちになった(どうでもいいが、穴があったら入りたいって、どうしてエロく聞こえてしまうんだろうか。謎だ)。
椿先輩はバタンとドアを閉めると、凝然とオレ様を睨みつけた。明らかに怒っている。当たり前だ。自分をダシに使われたのだ。怒らないほうがどうかしてる。先輩は強い眼差しをじっとオレ様に向けて放っていた。
「彼を焚き付けたのはあなた?」
「いいえ?」
「どうして疑問調で否定するのよっ!」
「じゃあ真面目に。オレ様じゃありませんよ」
「ではなぜあなたはこんなに都合よく、朝早くに学校に来ているの?」
「たまたまですよ。たまたま目が覚めちまったんで」
「ではお尋ねしますが、あなたはたまたまあの人があたしに告白する現場に居合わせて、たまたまあんなデタラメな口八丁を並べ立てた、とでも言うつもりですか?」
「えぇ、それが?」
「信じませんわ」
「アンタが信じようが信じまいが関係ねぇよ」
「あなた、このギャルゲー部にパソコンがないことを懸念してましたよね」
「あぁ、そうだけど」
「あなたのやったことを見るとね、どう考えても下衆な方法で人を騙したようにしか見えませんわ。どう弁解なさるおつもり?」
椿先輩の視線は厳しいままだ。確かに先輩から見れば、おっさんがフラレるのを承知の上で先輩に告白するようそそのかし、落ち込んでいるところを体よく言い包めてパソコンを手に入れようとした、ようにしか見えないだろう。事実、オレ様はあのおっさんからパソコンを手に入れようといろいろ画策はしていたのだ。オレ様の思惑とは異なる展開になってしまったが、現象だけを見ればそう大差はないだろう。
では椿先輩がこんなに怒っている原因をもう少し分析してみよう。
まず、オレ様がパソコン部の部長を陥れてパソコンを強奪した形になったこと。
次に、オレ様のその行為によってパソコン部の部長は酷く傷ついてしまったこと。
最後に、これらの事実が椿先輩の預かり知らぬところで行われたこと。
以上のような事実から、椿先輩は非常に憤慨しているものだと思われる。
では、どうすれば椿先輩の怒りを鎮めることが出来るのか。オレ様は、原因から推論される最適な方法を考えた。だが、原因からだけでは打開策を見出すのは困難だ。相手が椿先輩だということも考慮に入れて事態の収拾を図らなければならない。
椿先輩はまだ付き合いの浅い人間だが、とても真面目な性格をしていることはすぐに分かる。だが、初見でオレ様の強引な論法に押し切られるところを見ると、意外に押しに弱い。そして、やる気のなかったギャルゲー部の活動でも、オレ様たちが困っていると手を差し伸べてしまうくらい情に厚い。これらの情報を総合して、オレ様は最適な解を導き出した。つまり、泣き落としだ。
「先輩、オレ様の手を握ってみてくれないか?」
オレ様は右手を差し出して、拳を握って見せた。拳を握ると言っても、キツく握り締められるわけじゃない。どんなに頑張っても、指一本分の隙間が出来てしまう。オレ様の右手は、何かを殴ったりは出来ない張りぼてみたいなものだ。
「な、何ですの急に」
「いいから、出来るだけ強く握ってくれ」
先輩はおずおずとオレ様の差し出した右手を手に取り、両手で握り締めた。通常の人間の手なら当たり前のように奥まで曲がるが、オレ様の拳は拳にすらならない。じゃんけんでグーを出すことも出来ないのだ。
「力を、入れているわけではないのね。どうして曲がらないのかしら?」
オレ様は置きっぱなしのパイプ椅子に腰を掛けて、自分の右手を見つめた。
「オレ様はさ、ちょっと前に悪いヤツらにハメられてね。拳がイカれちまったんだ。あぁ、このことは沙羅には聞かないでくれよ。アイツが一番オレ様の拳を気にしてるからさ」
椿先輩は突然こんな話を振られて動揺している様子だった。よし、掴みは良好だ。オレ様はさらに攻め立てることにした。
「酷いヤツらでさ、人を傷つけることを厭わない、悪魔みたいな連中に思えたよ。結局オレ様は、この怪我の所為で夢を一つ諦めなきゃならなくなった。当たり前だ。拳の握れねぇ空手家に、何の意味がある」
「空手を、やっていたのね」
「あぁ、中学の二年まではね。まぁ、そんな酷いヤツらに騙されて、オレ様は夢を失くしちまったんだよ。けどさ、だからこそ、オレ様は人を陥れるような真似はしないって決めてんだ。もちろん強引に言い包めることはあるけどさ、それで人を傷つけるようなことだけはしないって、そう決めたんだよ」
「猿木くん……」
「だからさ、オレ様はアンタの言うような卑劣なことはやってない。さっきのだって、あの人を慰めるためにやったんだ。落ち込んでるヤツのテンションを上げるのに、オレ様の欲しかったパソコンという手段を使っただけさ。オレ様も得するし、あのおっさんも立ち直れる。いい方法だと思ってやったんだけど、ダメだったかな」
「そ、その、そんなことは」
「誓って言うけど、オレ様はあのおっさんに告白しろだなんて一言も言ってない。焚き付けるような真似もしていない」
言ったのは白百合だからな。オレ様は嘘は言ってないぞ。白百合だってまさか次の日に告白しろだなんて言ってはいないんだ。
「今日オレ様が早く来たのは本当に偶然なんだ。信じられねぇかもしれねぇけど、本当なんだ」
これは本当だ。オレ様だって、まさかいきなりパソコン部の部長が椿先輩に告白するなんて考えてもいなかった。
「信じて、くれねぇか。仕方ねぇよな。オレ様みたいなヤツの、何を信用しろって言うんだって感じだよな」
椿先輩は困ったような表情をしていたが、けど真摯にオレ様の話を聞いてくれていた。怒っていたことなんてどこかにすっ飛んでしまったみたいにだ。よし、行ける。あとは椿先輩をこっち側に引き込んじまえばチェックメイトだ。
「猿木くん。空手は、もう続けられないの?」
心配そうな顔で、椿先輩がオレ様を見つめてきた。オレ様は立ち上がって、素早く左の拳を先輩の目の前に突き出した。もちろん寸止めだ。
「ひっ!?」
驚いた先輩が一歩後退る。続けてオレ様は右手の拳を先輩に突き出した。左の拳よりも、ずっと遅い。
「分かるかな? 拳を握れないとさ、腕を鍛えられねぇんだ。力が入らねぇからな。それに、利き手が潰れてるのに勝ち残れるほど、空手は甘くねぇよ」
椿先輩は、唖然とした表情でオレ様の拳を見つめていた。一度に突きつけられた事実に、まだ理解が及んでいないのだろう。よし、詰めに入るか。
「ま、信じちゃくれねぇよな。今のだって、わざと腕を遅く振っただけって思われてるのかもな。仕方ないんだけどさ」
「そんなこと、そんなことありませんわ」
「そんな目でオレ様を見るな。哀れむな。嘲笑うな。だから三次元は嫌いなんだ。だからリアルは嫌いなんだ」
「あの、あたし」
おろおろと動揺する椿先輩を横目に、オレ様はドアの方へと歩いた。
「ど、どこに行くのよ」
「帰るよ。ここにもオレ様の居場所はないみたいだ。だからもう、来ないよ」
オレ様は椿先輩に背を向けたまま口元が歪むのを抑えられなかった。勝った。先輩は絶対に食いついてくる。オレ様には確信があった。そして、オレ様がドアノブに手をかけると先輩は
「信じるっ! 信じるわっ!」
案の定オレ様の陥穽に落ちた。あとはこちら側に繋ぎとめておけば終わりだろう。オレ様は殊更に驚いた表情を作って先輩を振り向いた。
「せ、先輩」
「ゴメンなさい、疑ったりして。確かに、あなたのやったことで傷ついた人は誰もいないわ。あなたは人を上手に慰めることが出来る人なのよね。なのにあたしは自分の狭い了見であなたを追い詰めてしまったわ。本当にゴメンなさい。あなたがこんなに苦しんでるなんて、あたし知らなかったのっ」
うん、別に苦しんではいないんだけどなぁ。泣き落としって、予想以上に効果があるんだな。あんなに怒っていたのに、いつの間にか心配されちゃってるし。オレ様は内心で北叟笑みながら、先輩の目を見つめ返した。
「ほんとに? 信じていいの、先輩?」
「もちろんよ。あたしはちゃんと、あなたのことを信じるわっ」
椿先輩の真摯な瞳は少しも揺らいでいなかった。とんでもないお人好しだ、この人。きっとこの人と真面目な話をしちゃダメだ。物凄い正論を振りかざされるのが落ちだろう。
「よ、よしてくれよ、先輩。オレ様は真面目な話は嫌いなんだ。みんなで馬鹿やって、笑ってるくらいがちょうどいい」
「そうね。あたしも人の笑顔を見るのは好きよ」
どうしてこうも好意的に解釈できるのかね。もっとも、だからこそオレ様もああいう論調で攻めたんだけど。ここまで人がいいと、ちょっと心が痛むなぁ。
「椿先輩はさ、オレ様のボケに鋭いツッコみを入れてくれるくらいが一番いいんだ。これからもそういう関係でいたいよ」
「クスクス。わかりましわ。でも、あたしのツッコみを期待するなら、あなたはちゃんとここに来なきゃダメよ?」
「あぁ、椿先輩がいてくれるなら、オレ様は毎日ここに来るよ」
「えっ?」
と椿先輩は驚いた様子を見せたが
「そ、そうね。あなたみたいなコは、あたしがちゃんと見てあげてないとダメみたいだからね。ちゃんと毎日くるのよ?」
「お目付け役かよ」
「そうよっ。あなたが馬鹿なことをしでかしたら、あたしがツッコんであげないと可哀想でしょう?」
ちょっと頬を赤らめて、視線を逸らしながらもそう言ってくれた。本当にいい人だな、この人は。椿先輩を見ていると、なぜだか心が温かくなった。オレ様は俯き加減で「ありがとう」と呟きながら、先輩に見えないように口元を吊り上げた。
ともあれ、これにてチェックメイト。椿先輩もパソコン部の部長も、そしてオレ様以下ギャルゲー部員の誰もが大きく傷つくことなく、パソコンを手に入れることに成功した。軽微な損傷はあったけど、上首尾だと言えるだろう。
それにしても、パソコン一台を手に入れるのにどうしてこんな苦労をしなきゃいけないんだか。それでも、これでやっとギャルゲー作りに入ることができると思うと、オレ様は放課後の部活が楽しみだった。
この作品はあくまでコメディなので主人公以外の視点で物語を書くつもりがありませんでした。それゆえ主人公が語りたくないと思っている過去の話も具体的には語られませんし、この後のお話でも語られることはないので、読者様のご想像にお任せする形となります。このあたりの技量も、作家に求められるのだと、書き終えて痛感いたしました。なにとぞご容赦をいただければと思います。