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prologue 恋の結末



 タイミング的にここしかなかった。これ以上先延ばしにしたら、意思が萎えてしまう。固めてきたはずのモノが柔らかくなって、何もかもが霧散してしまいそうになる。

 だから、差し伸べられた手を咄嗟に払って口を動かした。

「やめてください」

 告げた瞬間、頬に何かが当たった。冷たい雨粒が、私の頬にぽつりぽつりと当たっては弾けていく。

 天気予報では降らないって言ってたのにな。傘、持ってきてないや。どうしようかな。

吾妻あづまさん、隠していることありますよね。黙っていれば分からないと思いました?」

 我ながらよく言えていると思う。抑えることの出来ないふうを装えている。

 私は上手くやれている。上手くやれているはずなのに、どうしようもないくらいに言葉は震えているし、語尾に至っては消え入りそうだった。

「お手軽じゃなくてすみません。私はきっと貴方には似合わないような重たい女です」

 全部演技なのに、喋り始めたら止まらなくなっていった。予定していたセリフなんて頭からすっ飛んでいた。想像していたより不安や不満が溜まっていたのかもしれない。

 感情のままに紡いでいる言葉のすべてが事実ではないのは分かっている。だけど確かに私は吾妻さんには似合わない女なのだ。

 あくまで主観だけど、彼は素敵な人だと思う。素敵な部分を具体的に聞かれるとちょっと悩んでしまうけど、気が遣えるところや話題が豊富なところが好きだ。一番いいなって思うのは喋っていて疲れないことだ。彼がどう思っているかは分からないけれど、少なくとも私は相性が良いと感じていた。

 吾妻さんは私に安心感を与えてくれていた。

 それに比べてどうだろう。吾妻さんに同じだけの何かを与えられていたのだろうか。そんなこと、一考するまでもなかった。私には何もないのだ。それどころか私は欠損している。始めから、与えられるものなどなかったんだ。

 真っ当な恋愛がしたいなんて夢は間違いだったのかもしれない。

 子供の頃に絵本で読んだ物語(シンデレラ)そのままに、私は王子様を待ち望んでいたのだ。報われない現実にするりと光が透過し、色鮮やかになった世界で私の手を引いてくれる王子様。

 そんな人は居るはずがないって思っていた。思っていたのに、現れてしまったんだ。

 結局私はキャストミスだったけど。吾妻さんと釣り合いが取れるわけがなかった。私みたいな女が彼と幸せを望んだのが悪かったんだ。

 分不相応、という言葉が脳裏を掠めた。

「家まで送るから、とりあえず帰ろう」

 どんな表情で吾妻さんはそう言っているのだろう。少なくとも、声に感情は宿っていなかった。いつだってそうだけど、吾妻さんは平静を崩さない。私が何を言っても、彼の心奥には届いていないのかもしれない。

 そう思うと、胸が痛かった。胸奥からは、きっと血が滲み出ている。

 鉛色の空から降ってくる雨粒は、痛みで腫れた心を冷ましてくれるようで気持ちが良かった。洋服は濡れていくし体温は下がっていくし、最悪としか言いようがないけど、それでもこの雨は気持ちが良かった。

「……私なら後でタクシー呼びますから。吾妻さんは帰ってください。これで終わりです。さよなら」

 心配してくれているのは分かっている。分かっているけど、振ってきた女を心配すんな。馬鹿にすんな。

「悪かった」

 濡れたアスファルトを足音が叩き、次第に静かなモノへと変わっていく。彼の気配が消えたのを確認するように、恐る恐る顔を上げた。

 彼の背がゆっくりと見えなくなる。

 差し伸べられた手を払ったあの一瞬が、吾妻さんの最後の体温だった。そんなの、感じる暇がなかった。もう少しちゃんと触っておけばよかったかな。

 下手だったけど、料理、もっと食べて欲しかったな。

 そういえば、あのときのハンカチも返してなかったなあ。洗ったのに、返しそびれちゃった。

 吾妻さんの目、最後に見ておけばよかった。冷たい瞳の中に垣間見える柔らかさが愛おしかった。

 吾妻さんが隠していた秘密を知ってしまったって、私は好きだった。仮に何もかもが嘘だったとしても、それでこの恋愛が継続できるのであればそれでいいと思っていた。

 最終的に未来が破滅しても、彼に何か与えられるのであれば、それでいいと。

 しかし、それさえ出来ないほどに吾妻さんのことが好きだったのだ。

 考えに考えて結論を出して、それで別れを告げたはずなのに、何故か後悔ばかりが頭の中を駆け巡った。

 でも、何を想ったって吾妻さんとは終わりになるだろう。言った言葉が口の中に戻ることはない。これでようやく彼は私から解放されるのだ。私だって現実に戻ることができる。色恋沙汰で悩まなくてもいいから、仕事に集中することができる。納期の迫っている案件が二つもあるんだ。

 ……明日のことを考えてみるけど、何も思い付かなかった。浮かぶのは、吾妻さんと過ごした思い出達だった。一つ一つ数えてみると、それだけで心が温かくなったし、痛くもあった。

 もしかしたら、私の願いは叶ったのかもしれない。恋愛のゴールが幸せなモノであると誰が決めたのだ。終着地が失恋でも、これはこれで真っ当な恋愛だ。

 様々なことを積み重ねて、経験して、噛み締めて。

「私、ちゃんとさよならできたのかな」

 幾らかの時間が経過した後、私は呟いた。

 どれだけ堪えても、我慢しても、涙はポロポロと溢れてくる。周りには誰も居ないけれど、涙をこぼすことが恥ずかしくて両手で顔を覆った。光のない閉ざされた場所では、涙が持っている熱だけが私の存在を教えてくれていた。


 小雨に彩られた世界で、私はどうしようもなく独りだった。




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