おばあさまと婚約破棄と
私も婚約破棄が書きたかった。
‡‡‡‡
「あら、婚約破棄……?妾も舐められたものよね」
くつくつと笑う美女の前で私ははあ、としか言えない。
隣に並んだ弟に至っては「姉ちゃんしか関係ないのになんで俺もここにいるの?」と言いたげな顔だ。許せ、姉ちゃん一人で魔王と戦うのは無理だ。姉ちゃんの職業ランク落ちたから。
「のう、妾の愛しい子。お前の美貌はいかほどか?」
「ええっと、自分で言うのは恥ずかしいですけど美人じゃないっすかね」
「のう、妾の愛しい子。お前の姉は阿呆ものか?」
「いえ。公爵令嬢として、王太子妃になるものとして、相応しい成績とふるまいをされています」
話を振られて気が抜けてへんな回答になった私と違って弟はきりっと表情も変えて模範的な回答をした。
どうしよう、イケメンの弟に褒められるとか姉ちゃんむっちゃ照れてる。
「弟君、もっと褒めていいのよ?」
「うん、姉ちゃんはあとは内弁慶的なそれを直してくれたらパーフェクトだよ」
「それは褒めていないよ、弟君」
酷い言葉である。内弁慶ちゃうし。お前弁慶知らないのに勝手に弁慶って言葉つかうなよ、姉ちゃんのまねか。
「真似だよ」
「弟君、人の心を読んではいけないし特に女の子と変態おっさんの心は読んじゃいけないんだ」
「後者は俺も絶対に読みたくない」
こそこそとそれなりに音量に気を付けて会話をしていると目の前の美女が辛抱たまらんとばかりに大笑いし始めた。
それを合図に薄暗い室内の演出用に閉められていたカーテンが開けられ、外で待機していたメイドさんたちが机と椅子とお茶を運んできてくれる。
「おばあさま、こう、雰囲気のためだけに机と椅子を運び出させるのはやめた方がいいと思います」
「あと暗いところで文字を読むのは目に悪いですよ」
「うむ、妾の愛しい子たちは妾に対して言いたい放題よな。結構結構」
楽しげなその美女は自分用のフカフカの椅子に座ると私たちにも椅子をすすめてくれた。ようやく座れるよ、なんで令嬢なのに立たされてんだよ私。
「しかしのう、妾の生き写しのような娘を相手にこのような手紙だけで婚約を破棄しようなどと笑止なことをされておるのじゃ、こんな喧嘩買わずにどうするというのだ?」
「燃えないごみで捨てる」
「粗大ごみで捨てる」
「お主ら、というかリゼルよ、お主姉に染められすぎじゃぞ」
紅茶をすすりながら――弟のように気を抜いていても音が出ないすすり方ができるように姉ちゃんなりたいよ――二人で返すとがっくりと美女は肩を落とした。
とてつもない褒められ方をしたがそれが冗談でも過大評価でもなく、私はこの目の前の美女とうり二つの外見をしている。
黒い髪は光を当てるとちゃんと天使のわっかと呼ばれるキューティクルができるしぽったりとした厚めの唇に溶けだしそうな金色の瞳。
肌だって透き通る美白肌だし爪も元もいいがメイドさんたちの努力で美しい桜貝のような爪になっている。
隣で優雅に茶菓子に手を出している光を通すとキラキラとする赤毛の弟とは大違いである。こいつ目の色も鳶色だし。
目の前の美女はこの公爵家の首領である。
一応公爵の位はいまは父が継いでいるのだが、この目の前の女性はそれよりもずっと前から公爵家にいて、領地の隅々まで支配している恐ろしい人だ。さらにその人生で築いた人脈は代替わりをしても続くほど強固なものも多く上位貴族の中にもこの人に逆らえない人が数多くいるとか。
そう、それほど老獪で権力を持っていて、とにかくこの国の重要人物なのだ。
私が王太子の婚約者にと見初められ、その代わりにと養子として弟が引き取られてからは領地経営にやる気を出している両親の代わりに王都で私と弟の面倒を見てくれていた、通称がおばあさまだ。
私たちの祖母ではない。お父様もこの方のことを「長老」と呼んでいたりするのでかなりの年齢だろう。年齢の話をするといい笑顔で頭をぐりぐりされるので聞いたこともないが。
「それにしても。やっぱりあの人はメアリさんを選んだか」
「まあ、学園にいたころから王子とゆかいな仲間たちはメアリ・エルボンスさんにつきっきりだったからねえ。私より前に婚約破棄されたりこっちが願い下げじゃと言わんばかりに婚約破棄した令嬢もいたそうだよ」
メアリ・エルボンスはとても愛らしい人だった。
たれ目のくせに妙に威圧感のある我が一族特有の顔つきとは違ってアーモンド形というのか、くりくりとした大きい瞳にふわふわとした髪のいずれも明るい茶色をしていて全体的に明るく元気で、さらに優しそうな雰囲気がする。
ぽってり、とした唇の私と違いぷっくりとした唇はつやつやで、使っている口紅を知りたいくらいだ。あれは化粧ではなく自前かもしれない。
性格も天真爛漫、思慮に欠けると眉を顰められることもあるが物怖じしない性格はうらやましくも感じるほどでその性格で王子とゆかいな仲間たちを落としていったわけだ。
彼女はまるで効率厨乙女ゲーマーのごとく同時攻略をこなしていった。
友人ではいられなくなる最後の一線だけは超えない。彼らの告白に是非のどちらも答えない。最終日目前でセーブして全部のエンディング見てやるぜとか言いだしそうなソレに私は思わず拍手してしまい、弟にため息をつかれたものだ。
そういえばイケメンの弟は無事なのか、と問われれば攻略失敗していた、と答えるしかない。
メアリ嬢は学園中のイケメン、それも上位貴族以上の人を攻略していたので弟も例にもれず狙われていた。
自分と一緒にいろ、何故自分をいじめる奴と一緒にいるんだ、王子と一緒にいる方がいいに決まっている、私が好きではないのか、等々。
意訳したとはいえこんな内容をよく言えるものだ。自信に満ち溢れた凄いセリフだなあと思いながら聞いていると弟の答えはすべて
「私には恐れ多いことでございます。姉上の傍にいる必要がありますから」
だった。私を引き合いに出すな、おかげで彼女からのヘイトが順調にたまっていただろうが。
メアリ嬢は最初から私を目の敵にしていたらしい。やった覚えのないいじめの数々を王子自ら叱咤しにきたりもしたくらいだ。
やってないし証拠もないので聞き流していたがそれがさらに悪かったらしい。
「婚約破棄に続いてお前の罪を裁くと書いてあるが、フェルノ、お主足がつくようなことをしたのかえ?」
「いや、そもそも私にメアリ嬢をいじめる必要性がないんですけど」
王子と私の婚約は家同士のつながりのためである。
私は王子を好きになった覚えはないし、そもそも婚約当日から私のことを「王族の地位を狙う女狐」扱いしている子供にどうやったら愛情を築けるというのだろう。
それに、たとえ私が王子のことが好きだったとしても猶更いじめる必要はないのだ。
家柄から見ても新しく男爵になったレベルの、彼女の代まで爵位があるかもわからないような家では王子の正室には絶対になれない。愛があろうがなかろうが正室になれるのは今のところ私しかいなかった。
むしろいじめればこうして王子の暴走が始まるかもしれないのだ、学園ならではの痛い青春だと見逃しているほうがお得である。
「姉ちゃんはそもそも王妃教育で放課後も休日もなかったわけだし、昼休みは特別講義、短い休み時間は教室移動と令嬢同士の会話しかできなかったわけだから王子なら気づくのが正しいんだけどね」
「私が人を使ったと思ってるらしいよ。いやあ、私なら詰問された程度で首謀者の名前を出すようなとーしろは使わないけどね」
尋問レベルならやぶさかじゃないが男爵令嬢への態度程度でそれは王子でもできないわけで、こうして私につながる証拠があると嬉々として手紙に匂わせている時点で私は関係がないのだ。
「うむうむ。して?お主らはこの手紙を受けて、どうするのだ?」
そう聞かれて思わず弟と顔を見合わせる。
どうするもこうするも、さすがの公爵家の人間であっても王族からの命令に従うほかない。
たとえそれが陛下が関係していなくても、それを知ることができない以上私はこの【婚約破棄】を受け入れ、【断罪の場】に行く以外の道は持っていないのだ。
弟はそれについてくると主張している。これ以上巻き込むことは胸が痛いが弟からすればそんなところに猛獣を一人で行かせるわけにはいかないと。うん、弟くんは後で体育館裏な?
「それに、この日時からすると王家主催のパーティでやらかすみたいですし、王家主催のそれに行かないという選択肢は最初からありません。せいぜい道化らしく踊ってきますよ」
そう言って少し冷めてきた紅茶に舌鼓を打つ。
うん、さっきは熱くて味がわからなかったからこっちのほうがおいしいわ!
うんうんと頷く私に、美女はそうか、とにっこり笑った。
†††††
何度目かわからないため息をリゼルは呑み込んだ。
隣にいる黒髪の美女はゆったりと笑みを浮かべている。
視線を前に向けるとこちらに向かって何か叫んでいる王子と、隣で勝ち誇った顔を王子にばれないように浮かべているメアリ・エルボンス男爵令嬢。あと取り巻き達。
大人たちはかかわりたくないとばかりに遠巻きにしているし姉に好意的な子供たちは王子はさすがに無理なのでメアリ・エルボンスをにらみつけている。それがまた優越感を得られるらしいメアリ嬢はリゼルが見ていることに気付くとはにかんだ笑顔を向けてきた。
(さっきまで怖い顔してたのによくとりつくろえると思うよなあ)
何度目かわからないため息を、今度もちゃんと呑み込む。
「あまりため息をついてはいけないわ」
ふふふと楽しげに笑う隣の『フェルノ』にすみませんねと肩をすくめた。
「聞いているのかフェルノ!」
余裕の笑顔が癪に障ったのか、王子が姉の名前を叫ぶ。
「ガヴェイン、も、もう、いいの……!フェルノさんが謝ってくれれば、それで」
「ああ、なんてメアリは心美しいのだ!」
ハイハイ茶番乙。
なんて、姉だったら口にしないまでも心の中で思ってしまうだろう。
乙、とはお疲れさまとかいい加減にしろとかいう意味を込めてあるらしい。姉はどうしてだかそういった変な言葉を使うのが上手かった。
使い慣れていない姉語を使いたくなるほどにはこの茶番を見飽きているのだ。
そうではない大人たちはひときわ大きくざわめいている。主に王子が婚約者の前で身分の低い女を抱きしめていることに対してだろう。
「礼儀知らずな」
「あれが王太子か」
王子の方に対して批判的な言葉の方が多いのだけれど、気づいているのだろうか。
ざわめいていない一部に固まっている貴族たちは『フェルノ』の方を見て青い顔をしている。彼らは目がいいらしい。
「俺はフェルノ、お前との婚約を破棄し、メアリと婚約を結ぶ!」
ああ、言ってしまった。
会場入りして、こうしてやれメアリに謝れだのメアリにしたことを許さないだのと言いながらも手紙の内容については触れないのでさすがに思い直したかと思ったのに、国王陛下が入ってきたのを確認してから言ってきた。
どうやら聞いていなかったらしい国王陛下は驚愕の表情を王妃様と共に浮かべ、ついで『フェルノ』の顔を見て慌てたように駆け寄ってきた。
王族の、それも国のトップがマナーも忘れて行動するとはさすがに大きすぎることをしたと気付いたのか宰相閣下の息子の顔色が変わる。
その宰相閣下自身は額に手を当てて青い顔をしながらもため息をつくにとどまっている。が、となりに閣下に少し似ている、見覚えのない青年が立っているのを見るに息子の方の立場がどうなるのかは推して知るべし、といった所か。
「お前、ガヴェイン!何をしているのだ、何を言っているのだ……!」
「父上、これはこの国のためにも必要なことなのです!」
どうだ、と言わんばかりの顔をする王子に陛下は息ができないのか口を開けて閉めて、声が出ない御様子だ。
「何を考えているのです、ガヴェイン!ああ、お久しぶりでございます、挨拶もなしに息子に声をかけてしまい、申し訳」
王妃様は王子をしかりつけた後ではっとした様子で『フェルノ』に頭を下げる。一段と外野の声が大きくなった。
「お久しぶりですわ、王妃様。今宵の私はただの『フェルノ・リトルアロー』でございます」
「そのように、させていただきますわ」
『フェルノ』の言葉に王妃様はうなずき、陛下も目礼にとどまった。
王子も取り巻きも、メアリ嬢も何が起こったのかわからずしばらく茫然としていた。
「くっ」
後ろで笑いをこらえる声がしたのでちらりと視線を向ける。
護衛兼『フェルノ』の面倒を見る役として付いてきた、詰襟姿の長髪の護衛が顔を背けて肩を震わせている。
「一応、こらえてくれるか」
「申し訳ございません、リゼル様」
恭しい口調だが声の震えが抑えられていない。
はあ、とため息をつこうとして、なんとかこらえてとにかく目立たないようにと告げるにとどめた。
「あ、あの!初めまして、私はメアリ・エルボンスです!ガヴェインとは仲良くしてて」
この場で一番偉いのは国王陛下である。
誰もが知っていることだ。
こうした社交の場では位の高い者が、先に声をかける。
誰もが、知っている、はずの、ことだ。
空気が張り詰める。国王に対して忠実な貴族たちの目がすっと鋭いものに変わる。
さすがのゆかいな仲間たちも顔色を変えてメアリ嬢を止めようとするが、この場で声を出す勇気はないらしい。
唯一その権利を持っている王子はといえば
「父上、こちらがメアリ嬢です。話していた通り、王家にふさわしい心配りのできる娘なんですよ」
まったく使い物にならなかった。隣と背後から肩を震わせている振動が伝わってくるような気がする。よくこの状況で笑えるよね。
「ガヴェイン、お前は何を言っているのだ」
陛下は寛大にもメアリ嬢を咎めることなく自分の息子と話す方を選んだらしい。まあ、叱ってすらもらえないともいうのだけれど。
「貴方とフェルノ嬢との婚約は我が国にとって必要なことと、あれだけ教えたはずだわ。ガヴェイン、貴方、自分が何を言っているのかわかっているの?」
王妃様はさすがに自分の息子を見捨てられないのか必死に考え直すように言葉を続けている。
「何を言っているのです、母上。メアリを私に近づいたという理由だけでいじめるような人間が、国母に向いているものですか」
何言ってんだと言わんばかりに鼻息荒く王子が言うがそれこそ何を言っているんだ状態である。
「ねえ、王太子様」
元々赤い唇を紅で彩ることで妖艶さの増したその唇がようやく開いた。
『婚約者』の名前も呼ばずに呼びかけて、扇でそっと口元を隠す。
たれ目のはずのその瞳は黄金の剣のごとく王子の首元を狙っているようだ。
「他人の婚約者に気安く声をかける、それも、身分のことも考えられぬような娘に正しい道を示すのは、いじめ、でしょうか?」
「一人の男だけでは飽き足らず、多くの男に声をかけ、その婚約者たちに涙を流させる女をいさめることの、どこがいじめでしょうか」
「最低限の礼儀もわきまえぬ娘に、せめて学園の規則は守れと口にすることの、どこがいじめでしょうか」
その口から語られるのは正しくフェルノがしたことである。
姉はその立ち位置から生徒たちの見本である必要があった。
だから男爵令嬢が王族に声をかけてはいけないと、その人には婚約者がいるのだからみだりに触れてはならないと注意をした。
日に日に冷たくなる己の婚約者の態度に涙を流す令嬢を慰め、そのお相手に忠告をしに行った。その邪魔をするメアリ嬢にも他人の婚約者だと理解しろと注意をした。
その取り巻き達が上位の貴族であることからそのようなふるまいは国のためによくないと彼らに注意をしに行った。
廊下を走る、授業に出ない、王族とその婚約者くらいしか使えないサロンを無断で使うことに対して校則の書かれた手帳を持ってまで注意をしに行った。
姉は決して暇じゃない。昼休みに講義をしてくれる先生に頭を下げ、休み時間でもそれが目についたら注意をして、放課後は残れないので後ろ髪を引かれる思いで王宮へ向かっていた。
正直そこまでする必要はないと思ったけれど、直せるなら直した方がいいからと姉は疲れた顔で笑っていた。
あの、姉がだ。趣味に生きたいといつもこぼして、そうして豪快に笑っていた姉がだ。
だから俺はメアリ・エルボンスが嫌いだった。
人の姉の婚約者をたぶらかしておきながら――まあこいつは最初から姉どころか王太子という位にもふさわしくないくらい性格悪かったけど――自分が敵対行動をとっている人間の弟に粉を吹っかける。
馬鹿か、色狂いか、なにかおかしいやつか。
とにかく近寄りたくないお相手なので姉にべったりくっついてやった。その結果、姉が注意しに行くのについていきそこでも色目を使われるという結局何の解決にもなっていない現象が起きたんだけども。
「ねえ、お答えになって?」
「うっ……。だ、だが、だからといってメアリの私物を傷つけたり階段から突き落とすような真似が許されるはずがない!」
「そうです、それにメアリに対して暴言を吐いたとの証拠もあります」
宰相の息子は本当に愚か者らしい。
明らかに劣勢になった王子の味方をするのは利益がないと踏んだらしい数人の取り巻きは口を閉ざし必死に気配を消そうとしているのに。
メアリ嬢はそんな二人に感動したように涙を目にためて「二人とも……」と感極まったような声で呟いていた。
「その、証拠とは?」
隣にいる『フェルノ』はとても楽しそうだ。
この人はこういった場面が大好きだからなあ、とつい気を遠くに飛ばしてしまう。
「エリオン伯爵令嬢、クノレア子爵令嬢、ワイドーン伯爵令嬢が証人だ!」
名前を呼ばれた女性たちがびくりと肩を震わせる。近くにいたのは家族か、婚約者か。ものすごい形相で隣にいるその女性たちを見ていた。
「わ、私は……」
「ち、違いますわ!私は、そう答えろと言われただけで」
あわあわと顔色を変えて弁明をする二人の令嬢に両親らしき人物たちが慌てて頭をこちらに下げていた。
年若い男性が一緒に頭を下げているがあれは兄だろうか。婚約者だったらものすごくいい人だと思う。
「私は、リトルアロー公爵令嬢と親しいのか、と言われたのでその通りです、とお答えしました。エリオン伯爵令嬢もおなじでしたわ。そうして、私たちはメアリ・エルボンス男爵令嬢が私の婚約者であった方にあまりに馴れ馴れしいので、私の独断で苦情を言いに行き、私が自分の意思で令嬢としてふさわしくない言葉を使ったとも言いました。この件で私は婚約を無かったことにされていますもの、間違いがないですわ」
冷たい目で王子を見返すのはワイドーン伯爵令嬢。たしか騎士団長の息子と婚約をしていたはずだ。
そういえばあの人も取り巻きにいるなあ。ちらりと視線を向けると難しい顔で何かを考えている様子だ。もう無駄だろうに。
「私の言葉がフェルノ様にご迷惑をおかけしたのであれば、いくらでも罰をお受けいたします。ただ、それが故意に捻じ曲げられていないのであれば、でございますが」
「なんだと!」
「ひ、ひどい……。あの方、すごく怖いです……」
「大丈夫だメアリ、俺がいる」
「ガヴェイン……!」
いや、さすがに今はその茶番する時じゃないだろう。
きっとにらみつけていたワイドーン伯爵令嬢も、娘を止めようとしていた伯爵たちもドン引きしている。
王妃に至っては「これが、私の息子……?」と王子偽者説を信じ始めている始末。気持ちはわかりますがオタクの息子さんは最初からこれくらいバカでしたよ。
「よい、ワイドーン伯爵令嬢は己のために戦おうとした。それは良き事ですわ。エリオン伯爵令嬢も、我が誇りとワイドーン伯爵令嬢の誇りのために戦ってくれたのですね。ところで、クノレア子爵令嬢にそのような指示を出した、恐ろしい人間はどなたなんでしょうねえ。人の口に戸は立てられませんから、きっとすぐに判明するのですけれど、気になりますわ」
ふふふと楽しそうな声。
顔色が変わったのは、クノレア子爵令嬢と、子爵と――
「メアリ・エルボンス男爵令嬢?顔色が悪いですわね」
「なっ!」
指摘されて慌てる姿を見る限り、そういうことなのだと思う。
ただの男爵家の娘が公爵家、それも王太子妃になる予定の娘を陥れようとするなんて、これは娘だけでなく家を巻き込んだものになってしまうだろう。
まあ、こんな状態の娘をあの学園に入れてしまったのだから保護者としての責任を問われても仕方がないのだけれども。
「な、なによ!悪いのはあんたじゃない!それにあんたと違って私はヒロインだし、悪役令嬢のあんたを信じる人がどんだけ」
「いるのよねえ?だって、私は、公爵家の人間ですもの」
何を焦っているのか、意味の分からないことを言い始めたメアリ嬢をゆったりとした言葉で押さえつけてみせる『フェルノ』。
「階段から突き落とした、という話も証拠が、証言者がいるんですの?ふふ、まさかメアリ・エルボンス男爵令嬢の言葉だけ、とは言いませんでしょう?」
「っ……」
どうやら言うらしい。
いやいやいや、確かに被害者の言葉に重きを置きたくなるのはわかるけれど、調べもしないのはだめだろう。
さすがにこんなに王子達が愚かだったかと首をかしげたくなってしまう。もう少しこざかしい愚か者だった気がするんだけどって、こんなこと思ってるなんて知られたらさすがに不敬罪にでもなってしまうか。
「う、うるさいぞ!婚約破棄されたからといって抵抗するなど、たかが公爵家の娘が!」
「ガヴェイン!!」
雷が落ちたような声は国王陛下のものだった。
ひっと息を呑むメアリ嬢に目を向けることなく顔を真っ赤にして陛下は王子をにらんでいる。
「お前は、王家主催のこの宴の場を勝手なことで乱したばかりか他人をその爵位で見下そうというのか?それをいうのであればそこのメアリ嬢はこの場に呼ばれるはずもない、男爵家の人間のはずだが?」
「そ、それは。メアリは俺の婚約者となる娘です!だからこそこの場に」
「しかし今のお前の婚約者はフェルノ嬢だ。私も、公爵も、お前の話を聞いてすらいなかったのだからな」
怒りを押し殺そうと必死になっている陛下の言葉はとても重く、恐ろしく聞こえる。
さすがの俺も震えそうだ。隣では楽しそうにそれを見ている人がいるわけだけれども。
「ああ、なんていうこと。ガヴェイン、フェルノ様に謝りなさい」
「なぜわたしが!」
王妃の最後の、必死の親としての愛情も蹴り捨てた王子は周囲の冷たい視線に気づかないのだろうか。
これで彼が王太子から外されることは決定したも同然だ。
幸いなことに、陛下にはほかにも世継ぎになれる人材がいる。正室の息子は残念ながらこのガヴェイン王子だけだが側室が産んだ男児はいるのだ。正室も自分の子供にこだわるような人ではない。和を乱さないためにも長子であり正室の子である王子を、としていただけなのだから。
「ガヴェイン、私はお前とフェルノ・リトルアロー嬢との婚約を破棄することだけは認めるしかないようだ」
「それでは!」
「ああ、お前を王太子から外す」
「……え?」
呆然としているのは王子だけである。
「陛下」
「ああ、リトルアロー公爵。すまぬ、我が愚息の所為でフェルノ嬢にいわれのない傷をつけてしまった。この愚か者と婚約していたという傷をな」
陛下は息子に対して辛辣になってしまった。
まあそれはそうだろう。父も訂正することもなく頷いている。
「婚約破棄の話、受けさせていただきます」
「ああ、本当にすまない」
「待ってください、父上!どうして、そんな」
「お前が選んだことだよ」
疲れ果てたような国王陛下はただ、それだけを言った。
「あれ、つまらぬのう。妾の筋書きではその方か、その方が妾につかみかかるまでを考えておったのじゃが」
呆然と座り込む王子と、状況を呑み込めていないメアリ嬢含め取り巻き達を見て『フェルノ』がつまらなさそうに唇を尖らせた。
「フェルノ……?」
不思議そうな顔をする王子に本当にこの人は姉の何も知らないのだなあと逆に感心する。
「愚息が巻き込んでしまって申し訳ありません、リトルアロー女公爵閣下」
「私からも、謝罪をさせてくださいませ」
「まあ、よかろう。さすがにこれ以上フェルノの真似は意味がないからのう」
つまらない、と言いながら国王たちが頭を下げていることに委縮することもない彼女の顔はとても整っている。染みどころかほくろ一つない。
対して、俺の姉であるフェルノ・リトルアローには目の下にほくろがある。「泣き黒子ってここだっけ?」と笑っていた姉の顔をちゃんと見ていれば誰だって気づけることなのに。
「あ、あんたなんなのよ!」
空気が読めないメアリ嬢が彼女を指さして叫ぶ。
他人を指さすことも、こうして声を荒げることも立派なマナー違反だ。というか公爵家の人間によくそんなことができるなと感心してしまうほどだ。
「妾か?妾は公爵家を見守るおばあさんじゃ」
「自分で言うんですか」
「うむ」
「そ、そんなの、知らない。ゲームにいなかったじゃない。なんなのよ、どうして、ヒロインなのに」
呆然とした顔の彼女に首をかしげていると国王が指示した兵士たちによってメアリ嬢と王子は連れていかれてしまった。もちろん、取り巻き達も兵士たちに促されて出ていく。
「さて、皆の者には迷惑をかけてしまった。楽しめ、と言われても気まずいかもしれぬが主催者としてそう言うほかないことを許してくれ」
国王の言葉に、ぎくしゃくと頷きながら、あるいは目の前のスキャンダルを楽しむように、ようやく宴が始まったのだ。
クノレア子爵令嬢と子爵は近くに来た兵士が何か言う前にうなずいて退場していった。まあ、この場にい続けるのは厳しいだろうから妥当な判断だろう。
「あれ?おばあさま。私何時までこの格好してるんでしょう」
後ろにいた長髪の護衛がふと声を出す。
何も考えずにこの人のお遊びに全力で乗っかるからだとお気楽なその声に肩を落とす。
それでも、ちゃんとフォローの準備はしてしまうのだから俺はこの人が大好きなんだろう。
「姉上、控室に服は用意していますから着替えてきますか?」
そっと声をかければどうしようかと目の下にある黒子をポリポリと掻きながら悩み始める。まあ、そっくりの顔なんだからもう気づかれてはいるみたいだけれども。
「フェルノ嬢、息子が申し訳ないことをした」
「フェルノちゃん、本当にごめんなさいね」
国王陛下と王妃は護衛姿の姉に対して謝罪を始める。最初に見たときから気づいていたらしいがそれはまあ、そうだろうな。
「まあ、はい。大丈夫です」
対する姉は遠くを見ながら早く解放されたいと言わんばかりの態度だ。
姉は別に国やら王族やらが嫌いなわけではない。
謝られるとは思っていなかったのだろう、本当に困っているようだ。
「姉上」
「こほん、国王陛下ご夫妻にはいつも目をかけていただいておりましたから。私の方こそこのような終わり方をして申し訳ございません」
頭の中を切り替えて優雅に礼をする姿はとても美しい。と、思う。
この人は取り繕うのは得意だ。まあ、もう少しやり様があったんじゃないかと思わなくもないけれど。
「フェルノ、とにかく着替えてきなさい。長老、先に皆様にご挨拶を」
「そうじゃのう。ではフェルノ、リゼル、また後で」
優雅に笑う彼女の手を父が恭しくとる。母はその隣に寄り添い、三人で歩き出した。
「姉上、行きましょう」
「ええ」
手を差し出せば自然に取ってくれる。
二人で国王夫妻に頭を下げ、一度会場を抜け出した。
「姉ちゃん、動かないで」
「髪を引っ張るから頭も引っ張られるんだよう」
おろしていた髪を結いあげるためにいじっているのに頭を動かすものだからうまくいかない。
本人は化粧をしながらなのでこっちも大変だと言いたそうだが少しはこらえてくれないものか。
「とりあえずこれくらいでいいかな。そっちはどう?」
「んー、まあこれくらいしておけばいっか」
姉も及第点の化粧になったらしい。道具を控えていた王宮のメイドに返して立ち上がる。
おばあさまよりも控えめの化粧は今回悲劇の主人公になっていた姉にはぴったりだろう。控えめの方が受けはいいはずだ。
髪型もそれに合わせて大人しめに飾り付けた。まあ、時間がなかったのもあるけれど。
「行こうか、姉ちゃん」
「おうとも弟よ」
手を差し出せば、楽しそうに姉は笑った。
‡‡‡‡‡
「いやあ、なるような結果になった、って感じだねえ」
思いっきり笑っていると弟は苦笑しながらそうだねと返してくる。
空になったカップに紅茶を注いでくれる甲斐甲斐しい弟を持って私はとても幸せだ。
「つまらぬのう。もっと醜態をさらせばよいものを」
おばあさまはご不満らしいがあれらがこっちに突っかかってくるのはもう面倒だ。
全てを無くした人間はなりふり構わずこちらに一矢報いようとしてくるから面倒なのだ、出来るだけ関わりたくない。
あれが昔読んだ小説に出てくる【痛い系ヒロイン】ならなおさらだ。
まさか私が悪役令嬢になっているとは思わなかった。いやあ、人生死んだ後も何があるかわからないものだねえ。
「でも、姉ちゃんは良かったね。これであんなに忙しくしなくてもよくなるよ」
「弟と遊ぶ時間ができるわけだな」
そう口にすれば少し驚いたように、そしてうれしそうに笑った。
なんてこった、弟が可愛すぎて生きるのが辛い。
「そうよのう。王妃にはもう絶対にさせぬからな。あの小僧がどうしてもというから許可してやったというのに、まったく」
おばあさまはぷりぷりと怒っている。そうか、陛下もおばあさまにとっては小僧なのか。
おばあさまの力でうちの家は王家を凌ぐほどの力を持っていると言われてきた。そんな家があっては国が不安定になってしまうということで前々から血を混ぜようという動きがあったらしい。
うちの家はおばあさまのような長命の方が生まれる反動か子供が生まれにくいため普段は分家――それも子供が二人以上生まれた場合にようやくできた、現在ではものすごい遠縁のところだ――から養子をとって縁を結んでいたがちょうど同じ年の異性の子供が生まれたこと、現国王陛下が側室の子であるため立場が弱かったこと、それでいておばあさまが懇意にしていたことから直系の私が嫁ぐ話になったのである。
その話も白紙に戻り、さすがの国王陛下もこれ以上無理を言うことはできないと次の王太子の婚約者は別の公爵家からとることになった。
王子は離宮へ、他の取り巻き達も順次後継者から外されているらしい。
宰相家なんて優秀だが妾の子だからと隠されていた子供をわざわざ引っ張り出してきて嫡子を廃嫡したもんだから奥方の実家とかなりもめたらしい。まあ、王族とうちの家に喧嘩を売ったってことでどうしようもないということになったけど。
メアリ嬢とそのご家族も爵位を返上して細々とやっていくらしい。
男爵自身は先代の王に認められたくらい優れた商人だったみたいだけど初めての子供の教育には失敗してしまったということだ。
それでも無理に爵位を継ぎ続けるよりもすべてを清算してしまうあたりはさすがというべきか。ただの商人なら国外へ商売に行くことも難しくはないだろうし、情勢が落ち着くまではそうするのだろう。
私はというと、こちらに非がないとしても元々王家と婚約をしていて、破棄されて。さらにおばあさま率いるリトルアロー公爵家の実子ということで侯爵家以上の家じゃないと無理だし声をかけるのは怖い、といった感じで宙ぶらりんの状態だ。
「しっかし、私が嫁がないとリゼルが養子になった意味が無くなっちゃうしねえ」
私がいなくなるから公爵家を継ぐ人間が必要、という形での養子縁組なので私がいつまでもいると目の上のたんこぶである。
「妾の血をしっかり引いておる愛しい子を外に出すのは嫌じゃ」
「いや、おばあさまはわがまま言わんといてください」
むくれているおばあさまに肩を落とすが、まあ言いたいことはわからなくもない。
おばあさまにそっくりという時点で私の将来は決まっちゃってるもんなあ。どうせならおばあさまの記録を更新して超☆長寿がいいなあ。
なんてことをぼんやり考えていると不思議そうに弟が首をかしげていた。
「あれ、父上に聞いてないの?てか姉ちゃん、ちゃんと二人と話した?」
「してないけど?」
なんのこっちゃとこっちも首をかしげてみせる。可愛くね?この感じ可愛くね?あ、今はそんな時じゃないと。
「姉ちゃんはずっとこの家にいるって話」
「は?」
つい口を開けて呆けてしまった。紅茶をこぼしていないのが奇跡的なくらいびっくりだ。
どうした親父、ぼけたか、それとも私の嫁ぎ先を探すのをあきらめたか。面倒かもしれないがもっと熱くなれよ!
「行き遅れの行かず後家になれとでも!?姉ちゃんさすがに後ろ指さされるのは嫌だ!」
このご時世、さすがにそれは許されないだろう。これでも公爵家の娘だ、家のためにもちゃんと結婚せねば。
まあ、これ以上家を大きくすることもないんだけどさ。
「姉ちゃん、父上とちゃんと話をしないと。まあ、母上も賛成しているからあとはおばあさまと姉ちゃんに話をするだけだったんだけどね」
三人で何を話してたんだろう。そういえばいったん領地の方に戻ったときに何か言いたそうにしていたような気もする。
正直小言だろうなあと思って聞こえないーをしてしまった。くそう、なんだなんだ気になるじゃないか。
「弟よ、姉に詳しく話したまえ」
「そうじゃぞ、妾にもはよう」
同じ顔に見つめられてさすがに弟が体を引いた。ドン引きは許さぬ。
「俺は公爵家の血を引いていないから姉上が王家に嫁がない限り、姉上が婿を取って家を継ぐことが一番だ。だから、俺と姉上が結婚するっていう話になった」
「わっと?」
「ほうほう」
「姉上は王妃教育が忙しくて領地に関しては手を付けてないからね。俺の方が詳しい。だからこれが一番いいってことになったみたいだ。おばあさまは、これでよろしいですか?」
弟よ、なぜ当事者の私ではなくおばあさまに先に聞くんだ。最終決定権を持っているからか、その前に私が止めるとは思わないのか。
「妾はもちろん歓迎じゃ。愛しい孫が二人とも手元に残るでな」
幸せそうにおばあさまは笑っている。まあ、おばあさまはそう答えるだろうなと私も思っていましたさ。
「それに、あまりこの血を外にばらまくことは良しとはしておらぬ。フェルノには悪いがこの結末以外ではお主を嫁がせるつもりはないからの」
「なにその無理ゲ」
行かず後家か弟と結婚するか選べって、鬼畜すぎだろこれ。
「リゼルはそれでいいのか?落ち着いているか?混乱状態か?」
「混乱してるのは姉ちゃんの方」
はい、そうですね!
「俺は姉ちゃんと一緒にいられるし公爵家から出て行かなくていいしおばあさまや父上、母上が本当の身内になるし困らないけど?」
ああ、そうだった。養子に来た時に弟は結構酷いことを言われていたんだった。
何度も言うがおばあさまの力でめっちゃすごい公爵家になったからよその人間がそれを引き継ぐってことで散々ね、私が王家に行くからお鉢が回ってきた弟に対して、それはもう。
なにせ恐ろしいおばあさまの実の子孫じゃないわけだからこそこそとはいえ言うやつは言うし、それを止める人も少ない。たしか元々はもう少し下の家の子だったかな、それもあって「成り上がり」なんて言葉を使うやつもいたっけ。
私直伝の剣の腕前と努力家ゆえの領地経営の才能と、持ち前の美貌でどんどん黙らせていってたけど、おばあさまは弟の味方にはなってくださらなかった。
だからこそ、一族の多くが弟を認めなくてもいいなんて考えていたのだけど。
そのことでおばあさまと殴り合いのけんかをしたのは本当に懐かしくも痛々しい思い出だ。おばあさまの右ストレートむっちゃ痛かった。
「別に何か言われるからってわけじゃないし俺は気にしてないけど、姉ちゃん――フェルノが罪悪感で俺と結婚してくれるのならそれでもいいよ?」
「弟よ、自分を大事にしておくれ……」
「じゃあ喜んで結婚して?」
「うちの弟がおかしくなった!」
叫んでいると弟が酷いと言いながら笑う。
それを見ていたおばあさまはとても楽しそうだ。
「ほほほ、フェルノよ、これは逃げられないのう」
「おばあさまめ、他人事だと思いやがって……!」
「おばあさまに対して口の利き方がなっておらんのう」
この口じゃな、と口の端を引っ張られる。痛い、普通に痛い!
そのままわーぎゃーと騒ぎ続けた私たちにメイドたちは生温かい目を向けてくる。
結局、リゼルもおばあさまも説得できなかった私はリゼルと婚約することになってしまったのだった。
ああ、なんて波乱万丈。