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犬神憑きの少年と、その兄弟(1)

 ゴォッと耳鳴りがした。

 押し潰されんばかりに空気の密度が増して、あまねは身体を支えきれずに、床に丸まる。

 一体自分はどうなるのか――背を、冷汗が流れた。乱暴に放られたように、一瞬、床から身体が浮き――そして間髪入れずに、ドンッと重い衝撃に襲われる。

「いっ、いたたた……」

 暫く縮こまっていたあまねは、これ以上、動く様子のないエレベーターに、恐る恐る身体を起こした。

 内壁が、すぅっ、と濃緑に溶けた。

「………………ここ、どこ?」

 ぽつん、と唇から問いが落ちる。

 それもそのはず――――あまねは、見知らぬ山道座り込んでいたのだ。

 鬱蒼と茂る草や、すっかり葉の落ちた木々に挟まれた道の上には、底が見えるかのような青い空が細長く伸びていた。

 地には、ぼこぼことした霜の跡。鼻孔を湿った土の香りが擽る。

「過去…………」

 ややあってから、あまねは呆然と呟いた。思い当たるのは、それしかない。

「寒っ」と、小さく悲鳴を上げて両腕で自身を抱く。混乱で上昇していた体温が辺りの気温に飲まれて、急速に下がる。それをなぞるように、気持ちも静まった。

 季節は、冬。

 しかし、今は一体いつの冬なのか。

「どうしよう。何処に行くエレベーターだったのかな……」

 もしかしたら、内壁を見ればヒントがあったのかもしれない。が、今では確認しようがない――ガクリ、と肩を落としたあまねは、重大なことに思い至って、唇を引き攣らせた。

「と言うか……どうやって、戻ればいいの?」

 問いに応える者はいない。

 思考が止まる。

 あまねは魂がぬけたように、ぺたん、と尻持ちをついた。

 チィ――ッ

 と、突然、森を震わせた甲高いクマゲラの鳴き声に、あまねはびくり、と身体を強ばらせた。

 天を見上げる。

 時折、囀る野鳥の声が視界を攪拌する。ぐるり、と世界が回る。

 どうしようもない孤独が胸に迫った。……あまねは、今、言葉通りに、この世で一人きりだった。

「と、とにかく、人に会わなきゃ」

 不安を振り払うようにして、声を出す。立ち上がったあまねは、膝小僧についた砂を叩き、「よし!」と気合いと共に、ほっぺたを叩いた。

 道があるなら、人がいる。

 人がいるなら――希望的観測かもしれないが――何かしら、事態を好転させる助言を得られるかも知れない。そう考えて、前方を見据えた時だった。

「あ……」

 前からやってくる人影……風を切るように歩く三人の男も、あまねに気付いた。

 彼らはこそこそと耳打ちし合い、あまねを盗み見た。

「女だ」

 そんな声が聞こえた。

 人相は極めてよろしくない。チンピラ然としている。

 が、この際文句は言っていられない、とあまねは拳に力を込めて、唇を開いた。

「あのぉ、すいません! 此処は――――いっ!?」

 男の一人が、あまねの顎を取ると、無理矢理上向かせた。顔を覗き込み、ちっと舌打ちする。

「……ガキかぁ」

「まあ、とびきり美人って訳じゃないが、金にはなるだろ」

 ニヤニヤと下卑た笑いをもう一人の男が零す。その不穏な空気に、今更ながらに身の危険を感じて、あまねは一歩退いた。が。

「きゃぁッ」

 問答無用の、力強い腕に捉えられ、荷物を担ぐように、軽々と男の肩に担ぎ挙げられてしまう。

「ちょ、何するんですかっ」

「余り暴れるなよ。痛いのは好きじゃないだろ?」

 と、あまねが言葉を飲んだ時だった。

 前方の、右側の藪が、ガサガサと音を立てた。

「―――――――――何だ?」

 訝しげにする男の肩の上で、あまねはギクリとする。

 理解できない不安に、ぞわり、と逆毛が立った。

 ガサガサガサガサッ

 草木を掻き分ける音は、段々と速度を上げて近付いてきた。やがて、ザッと葉と土を蹴り散らし、黒い影が転げ出てくる。

 それは……白い、人ほどの大きさの、四足獣だった。

「ちぃッ! こんな時に……っ」

 驚くべきことに、ハッキリと、その犬は人語を発した。

 次いで、チンピラ三人をへ向かって、盛大な舌打ちをする。

「悪いが、あんたらを助ける余裕はねぇ。死んでもオレ様に祟るなよ。これ以上は背負いきれねぇんだ」

「い、いいいい犬!? が、しゃべ……ッ」

 驚き、情けない声を上げた男に、侮蔑の眼差しを向けて、獣はさっさと道なりに走り去ろうとした。が。

「―――――あ? 女ぁ?」

 一瞬、動きを止めて、勢いよく振り返ったその犬は、担ぎ上げられたあまねの姿を認めると、不機嫌そうに鼻に皺を寄せた。

 あまねは、ぽかんと、獣を見返した。

 白々と輝く、毛並みの美しい犬だ。

 アイラインを引いたかのような、くっきりと縁取られた目は薄茶色。それは、つぶらでいて、厳しい色を湛えている。

「ちぃ! 来やがった!!」

 犬は、自分が出てきた藪を振り仰いだ。

 視線の先に、絡みつくような、うめき声をあげながら、黒い靄がぞろぞろ現われる。

 白い獣は、素早い身のこなしで低く構え、間合いを計った。靄は、ゆるゆると、けれど確実に、彼を中心に据えて半円を描いた。

「な、なな、なんだ、ありゃあ……」

 チンピラの一人が、声を震わせる。

「ぎぃやっ…………!」

 と、彼は突然、目をカッと見開き、膝から崩れ落ちた。

 その彼の上を、幾つもの影が踏み越え、獣を目指した。

「……怨霊」と、あまねの唇が象った。

 怨念の塊。

 触れるだけで、人に死を与える、悪霊より更に邪悪な、恐ろしい存在。

「――――こ、こいつ、狗憑きだ!!」

 あまねを担いでいた男が、倒れた仲間を目にして、歯の根が合わないほど取り乱し始める。

 彼は、あまねを無造作に放った。そうして、犬神憑きと呼んだ獣とは逆方向に走り出した。が、影は二重にも三重にも群れを成し、白い獣と、あまねたちを取り囲んでいる。男に逃げ道はない。

「だ、ダメですよ! そっちに行ったら……」

 強く打ちつけた尻の痛みを無視して、あまねは慌てて、声を張り上げた。けれど男は聞こえなかったのか、そのまま走り――すっかり、影に取り囲まれてしまう。

「ななな、何なんだよぉ……俺が、何したっつーんだよぉ」

 涙声をあげて震え上がる男を、影たちは容赦なく、牽いて進んだ。

 靄がすっと男を通り抜けると、彼は泡を噴き、くるくる回転しながら地に伏した。

「ひっ……ひいいいっ」

 最後に残った男が、頭から抜けるような声をあげて、パニックを起こす。逃げだそうとして、前につんのめり地を舐めた。意を決して駆け寄ろうとしたあまねに、

「そこを動くな、女!!」

 鋭い声が飛ぶ。

 彼は――犬神憑きは、厳しい眼差しで影らに対峙しながら、あまねに言った。

「七面倒だが、仕方ねぇ。助けてやる。オレ様は都の男だからな。女は見捨てねぇ。――――って、ちょ、おい……!?」

 が、あまねは彼の助言には耳を傾けず、今にも怨霊らに飲まれようとしていた男に、走り寄った。暗い影は、あまねの姿を認めると、ギクリ、と動きを止め、のろのろと距離を取り始める。

「私は大丈夫です。足手まといにはなりません」

 あまねは、男を守るように両手を広げると、白い獣を振り仰ぎ、ハッキリ告げた。

 思わぬことにポカンとしていた犬神憑きは、やがて、ニッと口の端を持ち上げると、低く唸った。

「可愛げのねぇ女」

 濃紺の腰巻きの下から伸びた、毛の長い尻尾をゆらりと揺らし、彼は後ろ足で地を蹴ると、怨霊たちに躍りかかった。

 敵に牙を立て、振り回し、噛み千切ってとどめを刺す。間髪入れずに、襲ってくる影を避け、続く二匹目を咥えてぶぅんと振った。ぶつかった別の敵が、吹っ飛ぶ。

「も、もももも、もうダメだ、もうダメだ……」

 目前で繰り広げられる苛烈な戦いに、チンピラは、顔面の前で両の手の平をすり合わせ、仏に祈った。

 その彼に、「落ち着いてください」とあまねは、できる限り、穏やかな声で語りかけた。

「えっと、とりあえずは安全です。彼らは私には近づけないはずなので……」

「あ、あんたは……巫女さんか、なんかか」

「へっ? あ、ま、まあ、そんな感じです。だから落ち着いてくだ――――」

「さっきはすまねぇ! もう二度とあんなこたぁしねぇ。仏に誓う。だから、頼む、助けてくれ!!」

「は、はあ……」

 男が、地に頭を打ち付けて土下座する。

 あまねはどう返答して良いか決め倦ねて、ふいに過ぎった疑問を口にした。

「あの……それで、さっき言ってた犬神憑きって言うのは……?」

「あ? あ、ああ。あの犬コロのことだよ」

 きょとんとした男は、少しばかり不審げな眼差しであまねを見てから、言った。

「どでかい恨み背負った奴は、獣みてぇな姿で生まれちまうんだ。そいつら憑き者の周りには血生臭い不幸が付きまとう。――――こんな風に」

 男は痛ましげな眼差しで、倒れた仲間を目で示した。あまねは促されるまま、視線を滑らせ、息を引き攣らせる。

 黒々とした染みが、地に広がっていた。倒れたようにしか見えていなかったが、二人の男の横顔には血の気がない。肌色は、青を通り越して、白かった。

 死――――

 あまねは、口元を右手で覆った。

「お、おい、巫女さん? 大丈夫か? おい?」

 急に訪れた恐怖に、あまねは目眩に襲われた。視界が真っ暗になる。

「お、おい? おい!?」

 ぼんやりと輪郭を無くした、男の焦った声は、段々と、遠ざかり――――

 あまねは、自身でも気付かないうちに、意識を手放していた。

お読みくださり、ありがとうございます!

週2回更新予定です!

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