表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
24/36

止められぬ、別れ(3)

 六波羅を出ると、源氏一行はけぶる京の町をひた走り、北東を目指した。

 比叡山延暦寺の西麓を越え、滋賀県に抜けるためである。

「頼朝。犬の姿では、無茶をしすぎる。お前、人型になって私の馬に乗れ」

 ザクザクと、馬が雪を踏みしめる音に混じって、朝長が言った。

 義平の横を走っていた頼朝は鼻に皺を寄せた。

「一人で行ける」

「怪我が悪化したらどうする。それこそ、足手まといだぞ」

 そう言われてしまえば、ぐうの音も出ない。

 頼朝は、大人しくあまねにブレスレットを付けて貰うと、素早く着替え、敢えて、義平の馬に同乗した。

 空いた馬に一人で乗ろうとしたあまねを、朝長が呼んだ。

 可愛げのない弟への、せめてもの嫌がらせらしい。

 朝長らしからぬ振舞いに、思わず、義平が吹きだす。

 頼朝が兄らに噛みつく……あまねは、朝長に何か変わったところがないかと探し、ホッと胸を撫で下ろした。怪我をしている様子はなかった。

 一行は、合戦に参じようとする平家方の兵を装い、進んだ。

 強風は段々と落ち着き、やがて、晴れた空から、ちらほらと粉雪が舞い落ち始めた。

 ……あまねは、不思議な思いで一同を眺めた。

 都での戦を聞きつけ、諸国から集まる兵のため、源氏一行は正規の道を行くわけにいかなかった。

 夜の闇に紛れ、木々を分け入り進む行程は、お世辞にも楽だなどとは言えない。

 叡山を越えるまでに、二度、僧兵らの襲撃を受け、はぐれてしまった仲間がたくさんいた。亡くなった者も、もちろん、いた。……今、義朝を先頭に、供に行動する者は数えるばかりしかいない。

 それにも関わらず、彼らは、不思議と温かかった。

 その横顔には疲労が色濃く滲み、悲壮感が漂い、にも関わらず、温かい……死に慣れてしまったような心の麻痺ではなく――大将義朝ですら、部下の死に、声を上げて泣く姿をあまねは見た――穏やかに、全てを受け入れているかのようだった。

「あら。寝ちゃってる」

 滋賀県に至り、愛知川を渡った頃だった。

 頼朝は、義平に背を預けると眠っていた。

 非常時にけしからん、と言う者はいなかった。あまねもよく忘れかけるが、彼は一三歳――弟の晟と同じ年なのである。加えて、怪我もしていた。いくら犬神憑きだと言っても、回復するにはそれなりに力がかかる。

「まんざらでもないだろう、義平」

 馬を並べて覗き込んだ朝長は、口元をほころばせた。

「母御のようだ」

「何処に鎧を纏う母親がいるってのよ」

 肩を揺すって笑う弟を、義平は半眼で見遣った。

 それから、フッと吐息を吐き出すと、手綱を持つ手と逆の手で、頼朝の髪を撫でた。

 その義平を見て、朝長が言う。

「母御のつもりがないならば、髪を短く切っても良かろうに」

「え……」と目を丸くするあまねに、義平は悪戯っ子のように目を細めた。そうして、ぼそりと言った。

「あたしねぇ、この子のこと、嫌いだったの。――ううん、憎んでた」

「おいおい、義平……」

「良いのよ。だって、今はもう違うもの」

 朝長の指摘に首を振って、義平は続けた。

「あたしの母は遊女なの。おかげ様で、あたし、源氏の長男だけど嫡男扱いはされてないわ。今だって、無冠なのよ」

 彼は過去に思いを馳せるように、目線を遠くへ投げた。

「お父様に仕える人たちは、みんな良い人だったけど……ま、時々さ。いるわけよ。母の身分がーとか、馬鹿にしてくる奴。で、私は酷く惨めになるわけ。同じ父の息子だって言うのに、どうしてあたしだけ、ってさ」

 言って、彼はあまねを見た。

「頼朝が生まれた時、あたしは六歳だった。頼朝のお母様は身分が高くてね。出産の時は、そりゃあ大騒ぎだったわ。お世継ぎの誕生だ、って。だけど、生まれた子供は――――白い、犬だった」

 義平は何も言わなかったけれど、その打ち沈んだ声音は、その時の周りの反応をまざまざと語っていた。

「頼朝の母が何故亡くなったか、幼かったあたしは、本当にね、詳しくは知らないのよ。産褥の経過が悪かったのか、犬神の最初の犠牲になったのか」

 それとも、犬を産んだことを恥じて自ら命を絶ったか。

「でも……とにかく、頼朝は生まれた時から一人になってしまったの。ああ、お父様は彼を慈しんでいたけど、ほら、忙しい方だから、なかなか邸には帰ってこなかったし……あたしはね、そんな頼朝に優越感を感じてた。ざまぁみろって思った。――この子は、何も悪くないのにね」

 義平は、そっと弟の頬に薄く積もった粉雪を、指で祓い落とした。そして語った。

 ある時、頼朝が庭の隅で泣いていたのだと。

 母が恋しくて、泣いていたのだと。

「――そう。この子は、本当に何も悪くなかったの。周りが勝手に期待して、落ち込んで……あたし、なんだか可哀想になっちゃって。この子は、あたしと何ひとつ変わらない『人』だった。か弱く、幼い、命だった。そんな存在を貶めようとする自分が――――酷く嫌になった」

 言って、彼は苦笑する。

「弟の呪いを解いてあげたい。守ってあげたい。慈しみたい――――母のように」

 それは、彼が、得ることのできなかった、一番近い愛情……。

「全部、自己弁護だったのよ」

「――そう。『だった』、んだ」

 朝長の言葉に、義平は「ええ」と吐息を漏らした。あまねは、自分を抱く、間近にある朝長の横顔を見た。次いで、義平の眼差しを見る。

(あったかい……)

 目頭に感じた熱に、あまねは目を閉じた。




 行程は、日に日に厳しさを増した。

 雪が深いため、馬を乗り捨て、歩かねばならなくなった。……馬に乗っていた時こそ、いつもと代わりはなかったものの、歩行になった途端に、朝長は周りに一歩、二歩、遅れるようになった。不安で、あまねの胸の鼓動が早まった。

 耐えきれずに安否を尋ねた。

 もちろん朝長は、「大事ない」と笑った。それでも安心できずに、義平に思うことを伝えた。

 彼は、すぐ様、弟の足を診て――――あまねを振り返ると、ニコリと笑った。

「大丈夫よ」と。

 けれど、あまねは、彼の口の端が一瞬、痙攣したのに気付いてしまった。

 ……雪は粉雪から吹雪に変わった。

 白が渦を巻き、辺りは白い闇に閉ざされた。小野宿、と言うところに、一行が逃げ込んだのは朝方だった。

 村の男たちの動きがきなくさい、落人狩りが始まるかもしれない、とのことで、ぬか喜びもできなかったが、幸いなことに一日、休みを取ることができた。

 凍傷になりかかっていた足を温め、軽く手拭いで身体を拭うと、あまねは泥のように眠った。

 ……そして、夕刻。

 ふいに鼓膜を掠めた声に、あまねは瞼を持ち上げた。

 外は相変わらずの雪のようで、潮騒のような風音が聞こえてきた。隣ではまだ、頼朝が寝息を立てていた。

 あまねは彼を起こさぬように上掛けをどけると、声のする方へ――――義平の寝ている部屋へと向かった。

「どうやったって、ついて来てよ。こんな、こんなところで……!!」

「義平。怪我を診たお前が一番分かってるだろう」

 耳を貫いた義平の悲鳴に、平静な声が答える。――朝長だ。

 あまねは唯ならぬ様子に、頭が真っ白になった。

「父上。……もう、この足は使い物になりません。必ず、足手まといになりましょう」

 ああ、とあまねは息を引き攣らせた。

 それは、最も予測しながらも、最も聞きたくない台詞――

「不肖の息子をお許しください」

 静寂に、衣擦れの音が響いた。スルリ、と刀を抜き放つ気配が続く。

「朝長……っ」

「お暇頂きます。――――義平。頼朝を頼んだぞ」

 義平の制止にも関わらず、嫌な音を……あまねは聞いた。

 荒い呼吸に呻きが混じる。そうして――――

 びちゃり。

 重い水音が跳ね、ゴトリと何かが床を転がった。

「……誰が、お前を不肖などと言うものか」

 義朝の、震える声が告げる。

「義平。みなには、朝長は暫く休んでから同行すると伝えよ」

「はい」

「首は、見晴らしの良いところに納めてやろうな」

 バサリ、と衣を翻す気配、そして、唐突に、戸が開いた。でくの坊のように突っ立っていたあまねを、目を赤くした義平がぎょっと見た。

「………………あまねちゃん」

「朝長さん」

 あまねは、義平が胸に抱く、布に包まれた朝長の頭を目にして、へなへなと座り込んだ。

 歯が鳴る。全身が音を立てて震え始めた。

(泣いちゃだめだ。今一番つらいのは、家族なんだ。泣いちゃだめだ)

 あまねは繰り返した。けれど、涙はちっとも言う事をきかない。

 あまねは歯を食いしばった。せめて、涙を見せないようにと、項垂れる。目元に腕を押しつける……

 そんなあまねに、義平は優しく触れた。

「一緒に、見送ってくれる?」

 彼は、微笑みすら湛えて、あまねを立つよう促した。

「…………はい」

(どうして、この人たちは……)

 宿の、裏に穴を掘った。

 そこに、布に包まれた朝長の首が横たえられる。

 敵方に首を曝かれることを最たる恥辱と考える彼らは、卒塔婆すら立てなかった。

 土が盛られると、やはり、そこだけ新たな土は黒々としていた。

 陽の許で見れば、訝しげに思う者もあるだろう。けれど、それも……雪に埋もれてしまえば、別だ。

 あっと言うまに、雪は首塚を隠してしまった。

 義平が手を合わせる隣で、あまねも倣う。義朝は、薄着のあまねの肩に、自身の打掛けを羽織った。まだ温かい血に濡れるそれは、けれど、あまねを寒さから遠ざけた。

 優しさが、心に爪を立てる――そう、あまねは感じた。

 ……あまねは、暫く落ち着くまで義平と共に肩を寄せ合っていた。やがて、割り当てられた寝所へ戻り、そろそろと寝具に潜り込む。と。

「死んだか」

 頼朝が、背中越しに問うた。

「……うん」

「そうか」

 あまねの答えに、彼は簡素に頷いた。

 頼朝の小さな肩が、震えていた。あまねは何と声をかけたら良いか分からず、背を向けると目を閉じた。

 出発まで、一刻を過ぎている。休める時に、休まねばならないことを、あまねはこの旅で痛いほど学んでいた。けれど、もちろん、寝付くことなどできようはずがなかった。


「今」は悉くあまねを裏切り、嘲笑うかのように、歴史は死を紡いでいく……。

お読み下さり、ありがとうございます。

更新滞っておりまして、大変もうしわけございません。

週2回更新予定です。宜しくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ