糸杉の森にて 1
母の宮殿での出来事から3日。
レヴァイノス帝国第一皇女レミニアリスのザーシュバルド王国の王太子との婚約は国内外の知ることとなった。
だが、レミニアリスはとてつもなく不機嫌である。
「どういうことかしら、これは」
不機嫌の理由はただひとつ。
────何故か、貴族達からの祝いの品が届くのだ。
私室の片隅に高く積まれた贈り物をは髪飾り、宝飾品、ドレス、調度品……。
「わざと嫌われようとして頑張ったのに……」
隣にいつもいるノエルはいない。野暮用で兄である皇太子へ手紙を届けさせる、という名目で強制的に休暇を取らせたのだ。
「あ!まさか暗に『はやく嫁いでしまえ!』というメッセージ?はたまた、『行かないでください?』…ううん、都合が良すぎるわ……」
延々と考えるのは性に合わない。そこでレミニアリスは気分を変えるため、遠駆けにでることにした。
珊瑚色のドレスを脱いでクローゼットの中にある遠駆け用の薄橙色の衣装を引っ張り出す。ぴっちりとした黒いタイトなズボンはレミニアリスのラインを強調し、すこし緩めに作られた上着からは白いうなじや細い手首が見え隠れする。
「……糸杉の森にでも行こうかな」
鏡の前で長い髪を高い位置で結ぶと黒髪はさらりと揺れた。
行く先は糸杉の森。この宮殿が立ち並ぶ皇宮の北を取り囲む大きな森である。
突然レミニアリスだけの部屋に篭もられ、出てきたときには遠駆け用の衣装に早変わりした主に女官達は驚く。
「少し気分転換に、よ。糸杉の森にいるから」
そう言われれば従うしかできない女官達は「かしこまりました」としか言えないのである。
*****
「こんにちわ、トリス」
厩舎へ向かったレミニアリスはにっこりと笑って厩舎番のトリスへ愛馬のシャロットを出すように言いつける。
「シャロット、お久しぶりね」
ブルルルと首をふるとシャロットは「早く走りたいの!」とでもいうように蹄をカツカツとさせた。
「殿下〜。ご準備が整いましたよ」
「あら、トリス。さすがに準備が早いわね」
「ええ、まぁ。…一つ、ご確認しますけど。どなたかのお断りは…?」
「もちろん、私の独断よ」
どう?と片目を瞑って胸を張るとトリスはげんなりとした。
「なによ、私にだって気分転換ぐらいいじゃないの」
ひらりと姫君らしからぬ身のこなしでシャロットへ跨り、馬上からトリスを見下げる。
「ふふ…。シャロットだって楽しそうよ?じゃあ、一駆けしたら帰って来るわ!よろしくね!」
はっ!と手綱をさばくとシャロットが駆け出す。お気をつけて〜!というトリスの声は風で一瞬で掻き消えた。
「シャロット!どうかしら、久しぶりに駆けるのは!」
馬に言葉は介せなくとも、気持ちはわかるものだ。気持ちよさげに疾走するシャロットは全走力で駆けて行く。糸杉の森は一言で森というには足りないほど大きい。
整備された遊歩道から外れ、レミニアリスは森の最奥である糸杉の森が造った誰も知らない空間へシャロットの足を向ける。
「ん〜〜!!やっぱりここは最っ高ね!」
やわらかな草のうえに降り立ち、シャロットを手近な木へくくりつけると、シャロットはもそもそと草を食べ始めた。レミニアリスは別の木にもたれかかり、上を見上げる。木漏れ日がキラキラと降り注ぎ、風が吹くとサワサワと木々を揺らす。何もかもが澄んでいるここはささくれた心を溶かしてくれるようだ。目を閉じれば、小鳥の鳴き声も聞こえる。
すこし疲れているのか、瞼がいつもより重く感じる。
レミニアリスはそのまま、糸杉の森に包み込まれるようにして眠り落ちた。
もしかしたら、夜にもう一本上げるかもですm(_ _)m