4:にげる
カー・ラジオから流れてくる音楽が、エンジンの振動音と一緒に軽快に耳に飛び込む。マグレブ・カーは駆動音がほとんどしないので、鼓動やいななきのようにも聞こえるエンジン音は、俺にとっては実に新鮮な感覚だった。
結局俺が選んだのは最短距離を走る、ルート59だった。
不可解な行動を取るアンドリューの提案に乗るのが癪だという気持ちと、ただでさえ明日の朝一になるはずだった到着が遅れたことで、少しでも早く着きたいという思いが俺にはあった。また、下手に市街地の人ごみの中で逃げ出されると、探し出すのが骨だと言う理由もある。もっともそれに関しては、手錠以外の保険もかけたので何とかなって欲しいと思っているが。
しかしよもや、電気自動車どころか骨董品のようなガソリン自動車をレンタルされるとは思わなかった、と俺は内心でもう何度目かになるボヤキを零した。
どうやら二日間、荒野の道を全速力で走ろうとするのにバッテリー式の電気自動車はいささか不安があるらしい。確かに、荒野の真ん中で電気切れを起こして立ち往生するくらいなら、予備のガソリンを積んで走った方が正解だろう。もっともインターナル・コンバッション・エンジン(内燃機関)を搭載している車も今やほとんどない訳だから、燃料補給の苦労はどちらにせよさほど変わらないかも知れないが。
「あんた、まさかUGV限定免許じゃないだろうね?」
車を借り受けた時、派手な老女店主に念を押すようにそう言われて、俺は思わず苦笑してしまった。昨今は人間が運転する必要のないUGV(全自動走行車“Unmanned Ground Vehicle”の略語)のみに使える自動車免許しか取得していない若者も増えているらしい。
俺は仕事の関係上、普通免許を持っているがこの分ではますますルート59のような古い道路は見向きもされなくなるに違いない。
ルート59は確かに、見捨てられた街道であるらしかった。ちらほら見える建物も、人が立ち入らなくなって久しいようだ。午後の強い日差しに照らされ、どこか張りぼてじみた空虚な印象を与えていた。
張りぼてと言えば、隣に座っているアンドロイドもそれに近いものがある。背筋を伸ばしてお行儀よく助手席に収まっているアンドリューは、まさにマネキンそのもので運転に集中しているとついその存在を失念してしまうこともしばしばあった。もっとも、地面の隆起によってガタガタと揺れ動く車内で姿勢を保ち続けているということは、常にバランスを取るよう細かな調整をしているのだろう。そう言う時はだいたい、煙草を吸おうと無意識に懐に伸ばした手が手錠で繋がったアンドリューの腕に引っかかることで、禁煙と相手の存在をいっぺんに思い出すことになる訳だが。
午後の日差しはどこか黄みがかって、一枚のフィルターを重ねているようだった。単調な景色と単調な運転は、どうしたって眠気を誘発する。ラジオの音楽にも飽きだした俺は、隣に座る張りぼてに声を掛けた。
「なあ、お前のご主人様であるエリザベス嬢はどんな女性だったんだ?」
俺の言葉で、ようやくマネキンはからくり仕掛けの人形になる。しかしこちらを振り向いたロボットは、まるでためらっているかのように黙りこくっていた。俺はああと気が付き、言い添える。
「取調べじゃないんだ。守秘義務に反するようなことまで言わなくていいぞ。周囲の印象だとか、世間話程度のことで構わない」
人を傷つけないなどの三原則の取り決めとはまた別に、通常の一般販売されているロボットには利用者のプライバシー保護のため、一種のプロテクトが掛けられている。特に富裕層が主な購入先となっている高級アンドロイドなら、取り分け仕組みは厳重だろう。それをクリアするのが電子情報管理法であり開示キーであるのだが、それ以前はこいつのように中央本部まで運び込みプロテクトを解除しなければ、情報一つ入手できないのが普通だった。
「――お嬢様は、使用人などに対してもとてもお優しい方です」
アンドリューは言葉を選ぶように、ゆっくりと話を始める。
「また、自分の意見をしっかり持っていらっしゃり、それを口に出し、実行することにためらいがありません」
「へえ、そいつは意外だな」
俺はその言葉にいささか驚きを覚える。深窓の令嬢というイメージから、控えめで大人しい女性を想像していたが予想外に芯の通った性格をしていたらしい。もっともあの我の強いチャドウィック氏を思い出すだに、その性格が遺伝したのだと言えなくもない。
「だとすれば、件の婚約者も苦労してたんだろうな」
俺は、本来なら明後日の今頃、婚約発表を行っていたはずの婚約者の苦労に思いをはせる。そんな気の強い女性だったら、結婚前からさぞや尻に敷かれていたことだろう。
しかしアンドロイドは、予想外のことを口にする。
「婚約者の方が、お嬢様とお会いしたことはございません」
「そうなのか?」
俺はびっくりして聞き返した。
「お嬢様の婚約者になられた方は、旦那様の仕事のお取引相手でいらっしゃいますが、お嬢様ご自身とは面識はなかったと存じます」
それは随分と不可解な話だが、金持ちの結婚と言うのは概してそういうものなのかもしれない。庶民の俺には理解できない世界だ。
「お嬢様は――、」
アンドリューは、そこで唐突に言葉を切る。俺は思わず奴に視線を向けるが、アンドロイドは何事もなかったかのように話を続けた。
「お嬢様は、私をアンディと呼んで下さっています。お嬢様にお仕えすることができて、私は、とても幸せです」
「お前みたいなロボットが、幸せを感じたりするのかよ」
一瞬話が飛んだような気がしたが、それを失念するほど俺は本気で吹き出していた。
昨今のアンドロイドは一人前に冗談も言うらしい。ロボットにしては随分と気の利いた冗句を、俺は手放しで笑い飛ばす。だが、アンドリューはいつものように生真面目な表情で、まっすぐ前を向いていた。
「機械は主を選べませんので」
さり気なく放たれたその言葉に、俺は一転しかめっ面を作る。例えどんな主人でも、どんな仕事でも喜んで従事するのがロボットだ。機械がしぶしぶ仕事をするなんて、それはひどく不遜で傲慢な事に思えた。
「だがお前はロボットだろう」
「ええ、私はロボットです」
俺は冷たく吐き捨てる。血の通わないヒューマノイド・ロボットは、それを肯定した。
「プログラムされた通りに、命じられたままに動く。それに不満を抱く事もなければ、喜びを感じる事もない。それがロボットって奴だろう」
「……はい、その通りです」
アンドロイドは、それもまた肯定する。俺はその答えに満足する。満足しているはずだった。だがどういう訳か、俺の中の苛立ちは秒刻みで増していく。
「あなたは――、」
ふいにロボットが口を開いた。
「人間は自ら主を、仕事を選ぶ事ができます。それでも時には不満を、時には喜びを抱き、そこに幸せを感じるものなのですか?」
「それは」
アンドリューが、無機質な眼差しで俺を見ている。そこには何の色も感情も浮かんでないにも関わらず、追いつめられ責め立てられているかのような錯覚を俺は覚えた。
「それは……」
俺は口ごもる。これはただの雑談で、適当に答えたって何の問題もない。だが俺はそれに答える事ができなかった。
「――うっせえな。別にどうだっていいだろっ」
突如会話を叩き切るような俺の言葉に、アンドリューは口を閉ざす。
そもそもロボットと言うのは、人に使われる道具である以上、勝手に動いたり話しかけてきたりすべきではないのだ。もちろん所有者によっては生きているかのように振る舞い、自発的に人間に関ってくるようカスタマイズされている場合もあるだろう。だが、少なくとも俺はそれは望んでいなかった。
その点、このアンドリューは、予想外な動きで逃げ出したことはさて置くとしても、人に勝手に喋りかけてくる俺にとっては欠陥品同然の最悪なロボットだ。その一方で、人に決して逆らわず反論もできないロボットに当たり散らしている自分だって、非常に情けない最悪な部類の人間であると自覚せざるをえなかった。
車はガタガタと揺れながら、代わり映えのない荒野の一本道を走り続けている。雑音混じりのカー・ラジオの音楽と徐々に伸びゆく影だけが、のんきに過ぎた時間があることを知らしめていた。
「悪かったな……」
どれだけの時間がたってからだろう。俺はぼそりと隣のアンドロイドに呟いた。太陽は地平線にだいぶ接近し、向かいの空は夜の藍色に浸食され砂粒のような星が散っている。街灯は道しるべ程度の役にしか立たないほど遠間隔で、日が完全に落ち切る前にヘッドライトを点けなければならなかった。
「さっきのは俺の八つ当たりだ」
「いいえ、どうぞお気になさらず」
アンドリューは平素と何も変わらぬ、淡々とした調子でそれを受け入れる。
どちらにせよ、俺の謝罪になど本当は意味はない。例え俺がどれだけ理不尽に当たり散らした所で、ロボットはそれを不快に感じる事もないし、何かを思うこともないのだ。所詮、すべては俺の間抜けな独り相撲であり、端から見れば良い年をして人形遊びに興じているようなものだ。
だが落ち着き払った声音が謝罪を受け入れたことで、俺は自分の中の乱れた感情が幾分か収まるのを自覚した。
(実に勝手だな……)
俺は自身の身勝手さに苦笑する。一人で苛立ち、八つ当たりし、謝って、それで気を済ます。そうした感情の昂りに左右されず、冷静に仕事をこなせるロボットが、俺は実に羨ましかった。
「お前のお嬢様は、お前になんて命令をしたんだ?」
俺はアンドリューに尋ねる。奴は、考えるかのように少し間を置いて、おもむろに答えた。
「最後まで、お嬢様の味方であるようにと、言われました」
「そうか、そいつは……いいな」
それは無邪気にロボットに信頼を寄せられる主人に対する賞賛か、それともどんな主であろうと変わらぬ忠誠心を持ち続けられる機械に対する羨望なのか。
アンドロイドは何も言わず、黄昏の中で人形のように姿勢正しくただ真っ直ぐ前を向いて座っていた。
親父が死んだという連絡が入った時俺が抱いたのは、もう仕事に追われずに済むのだろうという同情心だった。
父母を早くに亡くした親父は、最低限の教育を受けた後、早々に働きに出た。就いた職種は、当時人材が足りず働き手の増員が強く求められていた介護職だった。
人口に比して老年層の占める割合がピークだった時代だ。体力・精神力が共に求められるきつい仕事だった介護職は、若者のなり手が少なく、その分国から受けられる保証は手厚かったと聞く。だが、それも親父が働きに出てから十年足らずまでの間の話だ。
年々逼迫するする労働力問題は、まったく想定外の方向から解決策を提示された。それがロボット介護士の導入だ。当初は反感も多く、ロボットによる介助への不安も大きかったのだが、人手不足には代えられず強行するかのように実行に移された。
だが事前の懸念に反し、それは存外スムーズに人々に受け入れられた。すでに様々な分野で、アンドロイドの社会導入が進んでいたという背景もあるだろう。それにより、介護現場における人手不足という問題は一気に解決した訳だが、その一方でまったく真逆の問題が新たに発生していた。
あまりにも急速に、ロボット介護士へと需要が移り変わったため、今度は人間の介護士が職にあぶれるようになってしまったのだ。別の業種に移れたものはまだ良かった。しかし、他に仕事を見つけられなかったものは、過酷で条件の悪い同職種に働く場所を求めるしかなかった。
俺の親父は、そうして同じ仕事に固執し、条件の悪い職場を選んだ介護士の一人だった。学もなく、若くして働き出したため他の仕事を知らなかった、という事もあるだろう。昼も夜も追い立てられるように働き続け、帰って来れば強い酒を飲んで短い睡眠を取り、また仕事に駆り出される。
『なあ、マーク。よおく覚えておけよ。仕事をしている奴は労働者だが、仕事をさせられている奴はただの奴隷だ。お前は――、』
そうして酒を飲むたびに聞かされる愚痴に、俺は辟易していた。また仕事にくたびれ果てた情けない父親の姿を見るのも嫌で、家にも帰らず街で仲間とたむろす日々が続いていた。
そんな俺を気にかけてくれていたのは、まだ制度が変わる前に職に就いた定年間際の老刑事だった。俺が今の仕事を選んだのも、少なからず彼の影響があっただろう。彼は俺を叱咤し、仕事以外のことを気に掛ける余裕のなかった親父に代わり俺の面倒を何かと見てくれた。退職後は故郷に戻ってしまったので連絡も途絶えてしまったが、今でも悠々自適な隠居生活を送っていることを祈っている。
親父が死んだ時、俺は親父に同情するとともに同じ道は歩みたくないと思っていた。だが結局はその影を追うように、似たような運命を辿りつつある。もし天国と言う場所があるのなら、果たしてそんな俺を見て親父はそこで何を思っているのだろうか。
目が覚めると同時に感じたのは、肩やら背中やらの強張りだった。筋肉が軋み、痛みを覚える。狭い車内で無理やり眠りについたのだから当然だろうと、俺はあくびを噛み殺す。
荒野の一端が濃い橙色に染まり、そこからじわじわと空が白み始めている。どうやらちょうど明け前の時間らしい。
昨晩、月が昇る頃合いまで走り続けた俺は、適当なところで一晩明かすことにした。宿も何もない荒野のど真ん中だから野営以外の選択肢はない訳だが、一晩くらいの車中泊で体を壊すはずもなく、俺は市内であらかじめ買っておいた栄養バーを夕飯代わりにかじると、さっさと毛布を被って寝ることにした。
隣でともに夜を明かすのは、色っぽい美女なんかではなく逃亡防止用の手錠でつながったままのヒューマノイド・ロボットだ。嬉しくもないシチュエーションではあったが、俺はつまらない夢の一つも見てしまうほどぐっすりと寝入ってしまったようだった。
俺は寝起きの一服を求めて、無意識に懐に手を伸ばす。手錠ががちゃりと音を立てたことで、俺はげんなりしながらまた禁煙のことを思い出した。だがその一方で、あまりにも抵抗なく手を動かせたことにぎくりとする。
隣には気が散らないように被せた毛布が膨らんで、その隙間から機械の腕が飛び出している。だが、俺がさらに腕を引くと、それは抵抗なく引き出され座席の間に前腕部だけが無造作に転がった。俺は乱暴に毛布を引き落とす。そこには積み重ねられた荷物がうまい具合に一人分の体積を演出していた。
「……ふっざけんなああぁっ!!」
俺はハンドルを怒りに任せに殴りつけ、腹の底から猛り吼えた。
SF=死んだファーザーの話