3:捕まる
遥か後方から、女性の甲高い悲鳴が聞こえた気がするが、知ったことではない。ホームの床に叩き付けられる衝撃を自ら転がる事によって殺した俺は、警報を鳴らして緊急停止する列車を尻目に全力で走り出す。
ふざけるな――という怒りが、俺の頭の中を占めていた全てだった。
それはいきなり逃げ出したあのアンドロイドへの怒りもあるし、証拠品から目を離すというあり得ない失態を犯した自分への憤りでもあった。
俺は窓から見かけたアンドロイドの進行方向へ、ひたすら走り続ける。速度を優先したせいで、次々とぶつかる他の客の迷惑そうな顔も、僅かな罪悪感を抱く間もなく次の瞬間には記憶から吹き飛ぶ。それくらい、俺はもう気が気ではなかった。
(――捉えた……っ!)
そしてついに、俺は人ごみの合間にあの乳白色の光沢を見つける事に成功した。一瞬、同系統の別の機体かも知れないという不安も脳裏を過るが、さすがに時代遅れの最高級機種が、同じ駅構内に何体もうろついているとは思えない。俺はあの機体こそが“アンドリュー”であることに賭けていた。
どうやらあのいかれロボットは、駅の出口に向かっているようだった。
ロボットは、人ごみの中では人間を傷つけないよう、出せる速度を人間並みに制限されている。その為、今はまだこうして辛うじて機体の影についていく事も可能だが、外に出れば人間には追いつけない速度で一目散に逃げ出すだろう。
それを逃さない為には、駅の中でどうにかしてケリをつけるか、全速力のロボットに追いつく手段を用意するかだ。
俺は溢れんばかりの人の群れと、“アンドリュー”との距離を測る。そして意を決すると、思い切って奴とはまったく別の方向に走りだした。
ターミナルを出た先の街並は、小綺麗に整えられつつも閑散としていた。
ターミナルにはショッピングモールやホテル、映画館、ビジネスオフィス、病院など、様々な施設が併設されており、その一角だけで小さな街として成立してしまう程の充実振りを売りとしている。
逆に言えば、そこだけですべてが事足りてしまう為に、ターミナル周辺部は街としての外観だけを用意された無用の空箱だった。特に、車の通る中央道路を外れた路地などは、人っ子一人いない為ゴーストシティさながらである。
今、そこを一体のアンドロイドが歩いている。
人気のない殺風景な通りを、ロボットだけが歩みいくその光景は、一昔前のSF映画で流行った滅亡後の世界のような寂寞感を、見るものに与えるだろう。
先ほどまで休む事なく駆け通していたロボットだったが、周囲に足音一つしないことで警戒の度合いを僅かに落としたようだった。
旧型デザインのヒューマノイド・ロボットは、そのまま燃料が切れたように歩みを止める。途方に暮れたかのように天を見上げるその様は、まるで己の道を見失った放浪者のようだった。
だが“奴”は、唐突にまた走り出す。そう、気付かれたのだ。
「――待っちやがれぇぇっ!!」
俺は気配を殺して相手を伺うのを止め、即座に全速力で相手を追いかけはじめる。
相変わらず、ビルの隙間に響き渡る足音はしない。それもそのはず。今、俺の足は反社会的なけばけばしい塗装をなされたマグレブ・ボード( 磁気浮上“magnetic levitation”の略語)を踏みしめ、音もなく地面の数インチ上を滑っているのだ。しかも恐らく違法改造が施されているのだろう。その速度と来たら、オートモービルに匹敵する。お陰で、疲れも知らず走り続けるアンドロイドまでの距離は、ぐんぐんと縮まっていった。
ターミナルの人ごみの中、走るアンドロイドに追いつけない事を悟った俺が向かったのは、地下駐車場だった。
そこにはお約束のように、大人や社会に反抗せずにはいられない捻くれたガキどもがたむろして、流行りのマグレブ・ボードに勤しんでいた。
マグレブ・ボードは、今ストリートの若者たちの間で一番人気のスポーツである。
近年、磁気浮上車が一般的な交通機関になって以降、市内の道路には全面にわたって磁気発生装置が備え付けられるようになった。
それを利用して、電磁石を組み込み、簡易的ながらも車と同じように浮上・推進を可能にしたのがマグレブ・ボードだ。見た目は、長い歴史を持つ雪上スポーツのスノーボードや、大昔に流行った(そして今でも懐古主義の愛好家がいる)スケートボードに似ている。
もっともマグレブ・ボードによる交通事故や転倒事故、推進装置の違法改造により出力を上げたうえでの暴走行為などが頻発しているため、良識のある大人たちにとっては頭痛の種となっていた。
俺はパトロール中に何度か声を掛けて顔見知りになった市内の悪たれ坊主たちに、このマグレブ・ボードの乗り方を教わったことがある。その結果判明したのは、市街地での機動力にかけてはマグレブ・ボードはかなりの優位性を持っているということだった。
その経験から、俺はターミナルの地下駐車場にいるであろう地元の悪ガキどもから、マグレブ・ボードを借り受けることにした。
もちろんここのガキ共とは初対面のため、随分と反発を食らったが俺の心の籠った説得によって、最終的には惜しげもなくボードを貸し与えてくれたのだった。
マグレブ・ボードは文字通り宙を滑り、高速で奴を追いかける。さすがのヒューマノイド・ロボットも二足歩行の機能上、移動速度には限界があった。
あともう少しで手が届く。そんな距離にまで近づいた俺は、奴の乳白色のボディに向けてぐっと腕を伸ばした。だが、その背に指が掠めかけた次の瞬間、奴は思いがけない行動に出た。
“アンドリュー”は真っ直ぐだった進行方向を、僅かに斜めに逸らせる。向かう先にあるのは、ビルの壁面だ。
速度を落とさず走り続け、そのまま壁にぶち当たる――、そう思った俺の目の前で、機械の足が壁にかかった。一歩、二歩と壁面を駆け上ったアンドロイドは、重力に引かれて崩れるバランスに合わせて壁を蹴り、宙返りする。そして体を捻り百八十度向きを変えて着地すると、そのまま逆方向に再度走り出したのだ。
「――てめえは、ニンジャかよっ!」
俺は背後を振り返りざま叫ぶが、奴の姿は再び遠ざかっていく。さすがにあのアクロバティックな動きには、即座に対応できない。そんなことができるのは、それこそコミック誌に載っているような架空の職業人だけだ。
だが、このまま悠長に速度を落とし方向転換をしていては、またもや奴を見失ってしまうだろう。
だから俺はそのまま路地を飛び出て、車の通りのない四車線道路に突っ込む。目の前にそそり立つのは、地面との接着部分が円弧になって壁を作っている中央分離帯だ。
顔見知りの悪がきの中でも特に腕の立つ奴らが、自慢げに何度かやって見せてきただけで、俺自身が試してみたことは一度もない。だが、ここまで来れば腹を括るしかなかった。
俺は覚悟を決めて、足の裏をボードの両端に乗せ真っ直ぐ突っ込む。ボードはそのまま中央分離帯の壁を駆け上がり、発射台のように空中に飛び出した。
ボードの先端を軸に、後ろ足を置いた尾端を振るように体を捻って、空中で百八十度回転する。天に向かって飛び出したボードは、今度は重力に従って鼻先から地面に落下していく。
俺は体勢を崩さないよう、重心をやや背後に傾けた。ボードは火花を散らしながら底を壁面に擦らせ、円弧を滑り降りて無事に地面までたどり着く。
速度を落とすことなく、そのまま真っ直ぐ来た道を駆け戻りつつ、俺は内心では歓喜の咆哮を上げていた。だが、俺は難易度の高いトリックに成功しただけで満足するガキじゃない。
これによって発生した損失は十数秒。まだ、十分に取り戻せる。
再び俺の眼前に、ヒューマノイド・ロボットの姿が現れる。
「アンドリュ――――ッ!!」
俺は奴の名前を叫ぶ。アンドロイドはまるで驚きでもしたかのように、こちらを振り返った。
そして今度こそ、俺の手は乳白色の光沢のあるボディを捉えたのだった。
「はあっ!? 磁気浮上車が使えない?」
「そうさ。だって、ルート59を使いたいんだろう?」
驚きに声を上げる俺の前で、平然とそう言い返したのは七色に染め上げたカーリーパーマの、白塗りお化け――もとい、厚化粧の老女だった。
逃亡劇を繰り広げたロボットを無事とっ捕まえた俺は、当然のことながら、何故突然逃げ出したのかをそいつ自身に問い詰めることにした。だが、アンドリューから返ってきた答えは完璧なまでの『黙秘』だった。
「……あのなぁ、お前がいくら口を閉ざしたって、本部にある電子調査機関に行けば記録は全部暴き出されることになるんだぞ」
「分かっております。ですが、それでも私からお答えすることはできません」
頑として理由を言おうとしないアンドロイドに、俺は頭を抱えた。
「なら、せめてこれだけは答えるんだ。お前は通信によるリアルタイムの命令を受けているのか」
「いいえ」
アンドロイドは首を振る。
「じゃあ、……お前はぶっ壊れた機械で、そのせいで暴走をしていたのか?」
「いいえ、私の機能はすべて正常です」
表情をちらりとも変えず、生真面目な口調で答える。
どうだかな、とその答えに疑いの目を向けつつも、俺は諦めた。どちらにせよ、俺にできるのはこいつを本部まで運ぶことだけだ。
最悪のパターンを想定し、俺はこいつの片腕に手錠を掛け、もう一端を自分の腕に掛けた。ロボットは人体に危害を与えるような行動を取れないため、これで突然走り出すなどの突発的事態は防ぐことができるだろう。問題があるとすれば、手錠でヒューマノイド・ロボットと手を繋げあった俺の姿が恐ろしいまでに異様に映るということ。そして、トチ狂ったこいつが人間の安全を無視して走り出した時には、俺の腕が引き千切れるということだけだ。
高速鉄道のターミナルに戻ると、駅はダイヤの乱れによってかなりの混雑を見せていた。残念ながら今日はもう、座席のキャンセルも出そうにない。もっとも一度はキャンセルの切符を取得できただけでも、幸運だったのだ。二匹目のドジョウを期待するのはずうずうしいだろう。
仕方なしに俺が向かったのは、レンタカー会社だった。
「だからさ、言ってるだろう? 中央エリア都市までの最短距離を選ぶならルート59。ただしこの国道は磁気発生装置が整備がされていないから、マグレブ・カーを使いたいならこっちのルート182を選ぶんだね」
ふんぞり返ってそう言ったのは、七色の髪がやたらとケバケバしい、年老いた女店主だった。彼女の手元にある地図には確かに、渦を描くように大回りをしながら中央エリアに向かうルート182と、直線を描いて中央まで真っ直ぐに向かうルート59がある。
前者は新しく作られた国道で周辺の市を経由しながら進み、後者は昔からある国道で最短距離を突っ切るため他の市には一切掠らない。道の周辺は荒野や廃墟ばかりだという。
「あー、どっちがいいかな?」
「さてね。好きにすれば」
タブレット端末で雑誌を捲りつつ、興味もなさそうに答える素っ気のなさに、俺はこの老婆には商売気と言うものがないのかと呆れかえる。
マグレブ・カーではないのだとすれば、今ではすっかり人気のなくなったオートモービル(四輪以上の車輪ついた自動車)を使うことになるのだろう。磁気浮上式の方が平均速度は圧倒的に早いが、幾度も通過する市街地ではじれったくなるほどの走行制限が敷かれていることは疑いようがない。
一方、四輪自動車は速度こそマグレブ・カーに劣るが、荒野を走るなら制限を気にせにすることなく、最初から最後まで最高速度を保ち続けることが可能だ。
地図の前で、どちらの道が合理的かについて頭を悩ませていると、ふいに横から指が伸びてきた。
「どちらのルートでも夜21時から翌朝7時まで休憩を取ることを前提にすれば、ルート59の方が三時間ほど到着時間が早まるという計算結果が出ます。しかし、途中の宿泊施設等の有無による疲労度合、安全性などを鑑みると、ルート182の方が妥当であると考えられます」
紙面を乳白色の指先で辿りながら、理路整然と説明する“そいつ”を俺は仏頂面で睨みつける。
「誰もてめえの意見なんか聞いてねえよ」
「申し訳ありません。出過ぎた真似をいたしました」
剣呑な俺の声に、奴はすっと頭を下げて身を引く。一見しおらしいが、その実こいつが何を企んでいるのか分かったものではない。俺は牽制するようにもう一度、アンドロイドをきつく睨みつけた。が、
「ちょっとあんた! ロボットちゃんに当たるんじゃないよ!」
俺はいきなり頭をはたかれる。女店主が俺の言動を見咎め、叱責してきたのだ。
「違うってば、バアさん」
「誰が婆さんよ!」
俺は慌てて否定するが、若作りの努力だけは勤勉な女店主はキーキーとわめき始めた。
世の中にはロボットをまるで生きているかのように扱い、愛玩する類の人間がいるが、どうやら運の悪いことに彼女もその手のタイプらしい。俺はひくりと顔を引きつらせる。
「いいえ、マダム。今のは私が悪いのです。お気使い有り難うございます」
見かねたらしいアンドリューも口を挟んでくるが、それは結果として女店主をヒートアップさせる役割しか果たさなかった。
「ほら、ご覧よ。こんなにいい子じゃないか。そもそも何よ、その手錠は。どんな遊びなのかは知らないけどね、束縛が激しい男ってのは最低だよ。そもそも、アタシが若い頃はねえ――、」
長々と続く見当はずれの説教と昔語りに、俺はウンザリしながら天を仰ぐ。その際、視界の端に映ったアンドリューもまた、非常に困惑しているように見えたのが少々愉快だった。
SF=白旗を振る