2:逃げる
敷地の中をしばらく走り、たどり着いた建物の前で車が止まる。俺は車内のセンサーに身分証をかざして、料金を支払った。
無人のマグレブ・タクシー( 磁気浮上“magnetic levitation”の略語)は、宙を滑って音も立てず公道に戻っていく。
ここは俺が所属する第七エリア市警の庁舎であり、今回の事件の捜査本部が置かれている場所だ。俺はここである人物を待つ事になっていた。
時間は指定のより、六分早い。俺はつい煙草の箱に伸びそうになる手をスラックスのポケットに突っ込み、苛々と相手を待つ。それから十分ほど経ってようやく、目的の人物が姿を現した。
俺は建物を出てこちらに向かう二人連れの人影に、眇めた目を向ける。
「悪いな、マーク。待たせたか」
「いや、大丈夫だ」
心にもない返事を返した相手は、同僚のアーチー・ジェサップ 巡査だ。俺は今日こいつから、とある証拠品を受け取り、運搬する役目を申し付かっていた。
アーチ―は振り返ると、背後にいたもう一体の人影を顎でしゃくる。
「マークは確か一回見ているよな。こいつが、運んでもらいたい証拠品だ」
表情を変えないまま、俺に向かってそいつはかすかに頭を下げる。
オリヴォー社製家庭用アンドロイド、品番CZ‐860‐YⅡ(カスタムメイドモデル)――登録名アンドリュー。チャドウィック氏の空中豪邸にいたヒューマノイド・ロボットだ。
「聞いていると思うが、こいつを中央本部の電子調査機関まで運んで欲しいんだ」
それは確かに、パルマ警部補から直々に指示が下りていた。だからそれに否はないが、俺にはいくつか腑に落ちないことがあった。
「記憶チップの解析の為だろう? だが、アンドロイドの保持情報は当局の開示命令さえあれば、どこででも閲覧できるんじゃなかったか?」
アンドロイドに限らず、各商店の防犯カメラや設置機器などに入力されたデータは全て、電子情報管理法によって警察や政府機関への提供が義務付けられている。
今では情報を閲覧できるようにするための開示キーを、予め機体に設定しておくよう定められていた筈だ。
「その法令が施行されたのは七年前だろ」
あっさりとアーチ―は答える。確かにそうだったかも知れないな、と俺は思い返した。
すでに当たり前のこととなっているが、当時は個人情報がどうのこうのだとか国家機密法がうんぬんとかで、この法令は随分新聞でも取りざたされていたものだ。
だが咽喉元過ぎればなんとやらで今では誰も話題にもせず、もう何十年も昔の事のように思っていた。実際はまだ十年も経っていなかった訳だが。
いくら当時の最新機種だとは言え、さすがに十五年前のロボットに開示キーが付いている訳がない。
「それに、この機種は記憶チップがブラックボックスになっているらしくて、オリヴォー社でも勝手に開けない。中央本部の専門家に任せないといけないんだとよ」
俺はワザとらしく鼻面にしわを寄せる。
「面倒臭えな。いっそ箱詰めして航空便で送っちまえよ」
「それができるなら、そもそも頼んでねえよ。ヒューマノイド・ロボットは電源を落とさなきゃ貨物扱いにできないんだよ。そして、電源を落とせるのは所有者だけだ」
つまり、それができるのは転落死したと思われるエリザベス・チャドウィックだけ。そのエリザベスも、まだ行方不明扱いで死亡を断定したわけではないため、こちらで勝手にいじるわけにもいかないという。
「高速鉄道を乗り継いで、たった二日の距離だ。駅までは車で連れて行ってやるし、あとは呑気に鉄道の旅を満喫していればいいさ」
「そう思えれば世話ないぜ」
アーチ―のその言葉に俺はうんざりとため息をつく。
諸悪の根源たる証拠品を俺は睨みつけるが、それはまるで他人事のように涼しい顔で佇んでいた。
高速鉄道のターミナルは、旅行客や家族連れ、あるいは俺のような出張先に向かう勤め人の姿で溢れかえっている。
列車の到着や出発を告げるアナウンスが複数の言語でひっきりなしに響き、その喧しさに俺は眉間にしわを寄せた。
すっかり失念していたことだが、世間ではもう長期休暇が始まっているらしい。切符はすでに完売しており、辛うじてキャンセルの出た二席を確保できたのは天文学的な幸運だった。ちなみにヒューマノイド・ロボットは手荷物扱いにはならず、しっかり大人一人分の切符を買う必要がある。
列車の出発まで、さほど間がない。俺は切符の時刻とプラットホームの場所を確認すると、背後に向かって顎をしゃくった。
「こっちだ。着いてこい」
「かしこまりました、サー」
流暢に返された言葉に、俺は思わずぎょっとして振り返る。そう言えばこいつの声を聞くのは初めてだと気付く一方で、アンドロイドが喋るのは当然のことだと内心の驚きを抑える。
犯罪や宗教観、あるいは倫理上の問題から、ヒューマノイド・ロボットの外見はひと目で人間ではないと分かるものにするべきだ、という風潮がかつては主流だった。
今ではそれもだいぶ古臭いの考えとなり、人間とほとんど見分けが付かない(それでも判別タグは義務付けられているが)ヒューマノイド・ロボットの数が爆発的に増えている。
今や時代遅れとなったこの家庭用アンドロイド”CZ‐860‐YⅡ”は当時の風潮から、人間にはあり得ない乳白色の外装と、そのところどころから内部の機構を見せつける作りになっている。しかし、それは単にデザインとしてそうなっているだけあり、流暢に言葉を操り、会話に即時に対応できる機械は数十年も前にすでに完成している。
もっともそうしたロボット工学の発展が、人類にとって本当に良かったのかについては、俺はいささか懐疑的だった。
「マークでいい。あと敬語も使うな。むず痒くなる」
「分かりました、マーク」
ぶっきら棒な命令に律儀に頷くロボットに、俺はさっさと背を向けて歩き出す。途中ちらりと振り返ると、ロボットは一定の距離を保ったまま、まるで雛鴨のように後をついてきていた。
「おい、お前はエリザベス譲の件は理解しているのか?」
俺は進行方向を向いたまま、なんとはなしにそいつに尋ねる。ロボットに声を掛けるなんて、独り言より辛うじてマシなものでしかないが。
「はい、マーク。エリザベス様は昨晩未明より、行方が分からなくなっており、警察による捜査が行われております」
「……まあ、そうだな」
まさに模範解答としか言えないその返事に、俺は歯切れの悪い相槌を打った。当然のことながら、そこには主が死亡したかもしれない喪失感も、身を投げる直前に最後に会ったのが自分かも知れないという焦燥も欠片も見られない。まだ犬猫といった愛玩動物の方が、主の死を悼む心を持っているだろう。機械は所詮機械であり、予めそうプログラミングされていない限り、情緒的な反応を期待しても無駄なのだ。
もっともその一方で、それは、ロボットが人間に対して無関心であるということとは一致しない。飽くまでシステマチックな働きであるが、機械は常に人間の一挙一動を捉えている存在であることは疑いようがないのだ。
(――でも、だからこそ、おかしいんだよな)
俺は駅までの車中で確認した報告書の内容を思い出す。
昨日、捜査官が口頭で前夜の状況を確認したところ、 このアンドロイドは以下のように回答した。
最後にエリザベス嬢を見た時、何か普段と違う様子はあったか、そして彼女がバルコニーに出たあと不審な音や声を聞かなかったか。
これらの質問のどちらに対しても、奴の返事は同じだった。すなわち『いつもと何も変わりありませんでした』と。
だが、それはいささかおかしいのだ。
こうした対人用ロボットは、恒常的に人間のバイタルチェックを行っている。体温、脈拍は正常か。呼吸は荒くなってないか。顔色に変わりはないか、などだ。
それによって体調の異常を素早く察知し、必要があれば近くにいる他の人間や救急コールに連絡する。
五歳の時から専属となっていたエリザベス嬢であれば、なおさら平常時のデータは揃っていたことだろう。
もし、彼女が本当に自殺を決意していたとしたら、身体に何の変化も出ないほど平常心を保っていたとは思えない。何らかの異常を、センサーは感知していた筈だ。
そして不慮の事故で彼女が転落したとしても、同様だ。物音一つ、悲鳴一つ漏らさずに転落したとは考え難い。
ならば、一体なぜこのロボットは、それらを察知できなかったのか。その前後の詳しい状況を確認する必要があった。
出発時刻に無事間に合い、俺は"アンドリュー"を連れて指定の座席に着いた。ここまで来れば、後は寝ていても目的地まで連れて行って貰える。
乗った列車は前世紀に実際に利用されていたそれを復刻したというコンセプト車両で、仕事でなければそれなりに楽しい時間を過ごせたことだろう。
しかし良すぎる姿勢を崩すことのないロボットを席に着かせた俺は、悠長にその隣に座っている気分にはなれなかった。
「ちょっと煙草吸ってくる」
「いってらっしゃいませ」
律儀に返事をするロボットをつい斜目で睨みつける。視線を振り切るように、そいつ一体を置き去りにし喫煙ルームに向かった俺は、しかし途中で禁煙を思い出して代わりに自販機でコーヒーを入れることにした。
「もう禁煙も辞めちまうかな」
水っぽいコーヒーをすすりながら近くの窓に寄りかかる。そして荒んだ気持ちのまま、昨日のパルマ警部補との会話を反芻していた。
「すまないが、契約の件はしばらく待ってくれ」
予想していた事とは言え、一番聞きたくなかった類の言葉に、俺はぐっと奥歯を噛みしめる。
「……それは、更新が打ち切られるということですか」
「その可能性も皆無ではないということだ」
濁されているとは言え、他に聞き違えようのないその事実は、頭蓋をハンマーで強く殴られたような衝撃を俺に与えた。
今の時代、警察というのは二種類に分けられる。一方は良い大学を出て、難しい試験に合格した終身雇用の上級刑事職。もう一方は三年ごとの契約を繰り返し、いざとなったらあっさりと首を切られる臨時雇用の一般刑事職だ。もちろんパルマ警部補は前者であり、俺は後者に当たる。
「俺、何かヘマをやりましたかね……?」
自分のこれまでの仕事ぶりを、俺は思い返す。確かに目を見張るような大黒星をあげた事はないが、その一方で致命的なミスも不正もしていないはずだ。
「ああ、君は真面目に仕事をしてきてくれたよ」
「では、何故……っ?」
俺は思わず警部補に詰め寄る。警部補もこの件には負い目を感じているのだろう。相変わらず視線を合わせようとしないまま、電子タバコの水蒸気を吐き出した。
「数年前、試験的に市内警邏を目的としたロボットが所轄内に導入されたのを覚えているか?」
「え、ええ……」
俺は今も市内でパトロールをしたり、スピード違反や違法駐車などを取り締まっているロボットポリスのことを思い浮かべる。事件の捜査など複雑な事はできないが、それでも単純な業務に関しては随分な活躍を見せていると聞いている。
「あれの本格的な運用が決まってね。それに伴って、予算の配分を大きく見直す事になったんだ」
「つまり、あいつらを雇う代わりに、俺らがリストラになるってことですか……?」
「……まだ、決まった訳ではない」
飽くまで確定事項ではないと濁してはいるが、それはもはや高い確率で実現することなのだろう。俺の頭の中を、ぐるぐると感情の奔流がうずを巻いている。気を抜けば、今にも警部補に掴み掛かり、喚き出してしまいそうだ。それだけは、何としてでも食い止めなければならなかった。
「何も今働いている全員の契約を切る訳じゃない。だが、うち何人かについては、その可能性もあり得ると言う事を念頭に置いておいてくれ」
警部補は俺の肩を叩くと、それ以上は何も言わずに黙って脇を通り過ぎて行く。
今それを告げる事は、警部補なりの部下へ配慮なのだろう。しかし俺は振り返る事もできず、告げられた事実に完全に打ちのめされていた。
これまでだって、ロボット技術の発展に伴う人間の失業率の増加はたびたび新聞の見出しを賑わす社会問題となっていた。
老人介護や医療看護、単純作業や危険な場所での労働を代わりに行うロボットは、人材不足や労災事故の削減に大きく貢献した反面、それらの職務に従事していた人間から仕事のシェアを奪った。もはや人間が、その仕事をする必要性がなくなってしまったからだ。
しかし、ロボットが代わりに仕事を行ったとしても、人間は働かなければ自分も家族も養っていく事ができない。そうしたロボットの社会進出と比例する失業率の増加、それを初めとする様々な社会問題の紛糾は確かに俺の耳にも入っていた。酒の席ではしたり顔でそれを憂いてもいたが、結局こうして我が身に降り掛かるまで他人事でしかなかったことを突きつけられる。
「仕事をロボットに奪われそうな俺が、ロボットのエスコートをしなければいけないなんて、笑い種にしかならねえよな」
俺は前髪をかき上げて乾いた嘲笑を浮かべる。
しかし、僅かでも残る可能性に縋りたいのならば、そんなお笑いの仕事をきっちり完璧にこなさなければならないのだ。
「ったく、仕方がねえ。戻るか」
俺は舌打ちして、コーヒーのカップを握りつぶす。そして気を取り直して席に戻ろうとした時、ふと窓の外の人ごみの隙間に見覚えのある乳白色の光沢を見た気がした。
(……まさかな)
見間違いだろうと思いつつも、嫌な予感を拭い切れなかった俺は急いで指定の席に戻る。果たしてそこで見たのは、空になった座席だった。
ざっと全身の血の気が引く。俺は脳内物質の過剰分泌で、早まる脈と荒くなる呼吸を自覚しながら、向かいの席の年配の婦人に素早く確認する。
「すみません。ここにいたアンドロイドが、誰に連れ出されたか見ましたか?」
女性は僅かに驚いた顔で俺を見たが、すぐさま答えてくれる。
「いいえ、連れ出した人はいなかったわよ。単体で席を外したから、てっきり貴方が遠隔操作で呼び出したのかと思ったわ」
その言葉に俺は自分の迂闊さを痛感する。正規の主がいない今、勝手に動く事はないと高を括っていたが、確かに予めインプットされていた指示や遠隔操作によって、こちらが予想していない行動をとる可能性だって十分あり得たのだ。
俺は婦人にお礼を行って、すぐさまアイツを追いかけようとしたが、最悪な事に列車はそれを見計らっていたかのように走り出してしまう。発車ベルが鳴っていたのを、聞き逃していたらしい。だが、このまま次の駅まで連れて行かれてしまえば、あの証拠品を見失ってしまうことは確実だ。
(ちくしょうめ……っ)
俺は一瞬の判断を吟味する間も惜しんで、窓に飛びつきそれを限界まで開く。目の前で、ホームの光景がどんどんと横に流れていく。この車両が窓の開く旧式の型で助かった。これが今時の列車なら完全に詰みだ。
ほんの短い間でそんな事を考えていた俺は、速度を上げ始める列車からプラットホームに向かって、躊躇うことなく飛び降りたのだった。
SF=仕事の不安