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ヴァンパイアブラット1

「あらすじ」

 吸血鬼であり、将来は族長になると目されるヴィンターは、現族長である長老に修行をして来い、と放りだされる。お目付役である使い魔のシェンナをつれて、ヴィンターはいやいや修行の旅を始める事にしたのだった。





【暗い屋敷の中】

「ヴィンツェンツ=ハーラルト」

 名を呼ばれ、少年が面倒くさそうに顔を上げる。漆黒の髪に明るい茶色の瞳をした、八重歯の目立つ少年だ。キラキラと何かが輝いている。よく見ると、それは水晶の様な石だったり、夜に生きる獣の瞳だったりする。それらの全ての視線が中央に立つ一人の少年に注がれている。

「元老院の決定により、そなたを見聞の旅に出す事が決定した。異論はあるか?」

 銀色に光る、長い白髪の老人が赤い瞳を煌めかせて少年に問いかける。少年はいやいやという表情を隠さずに答える。

ヴィン「ありません」

老人「吸血鬼として、誇りを持って行動する事を誓えるか?」

ヴィン「この血にかけて」

老人「では、原種の血に連なる者、ヴィンツェンツ=ハーラルト。そなたによりよき道が見つからん事を」



【屋敷の一室】

 少年は倒れ込むように大きなベッドに寝転がる。そしてそのままごろごろしていると、その目の前に影が差す。少年が鬱陶しそうにその影の主を見ると、そこにはコウモリの様な翼の生えた、体から植物を生やした羊が浮かんでいた。

羊「ⅩⅢ世(ドライツェーナー)様!またそのように怠惰になさって…Ⅹ世(ツェーナー)様が嘆かれますよ!」

少年「煩いな…あのじい様が嘆くことなど、よくあることだろう」

羊「それはⅩⅢ世様が不真面目になさっているからでございます!」

 やれやれ、と少年は肩をすくめる。羊はぷんすかと頭から煙を出して怒っている。

ヴィン「シェンナは相変わらず口やかましいな」

シェンナ「このリーシェント=ディ=ヴィンツァート、Ⅹ世様から直々にⅩⅢ世様のお目付役を申しつけられましたゆえ、何があろうとそれを遂行する所存でございます!」

ヴィン「うざい」

シェンナ「んなっ?!」

 少年が投げやりに投げた枕がシェンナの羊頭にぶつかる。少年は大きくため息をついた。

ヴィン「"外は危ないから"って屋敷に閉じ込めておいて、今度は"見聞を広げる為に旅に出ろ"?まったく、冗談じゃない」

シェンナ「吸血鬼は数が増えにくいので、生まれた子を保護するのは当然の事でございます!それも、ⅩⅢ世様のように原種(ヴァンパイア)に連なるものならなおさらでございます!」

ヴィン「原種、原種、と…正直鬱陶しいのだよ。原種の吸血鬼が私しかいない訳じゃあるまいし」

 少年は知り合いの顔を幾つか思い浮かべる。いずれも少年より年上で、力を持った吸血鬼だ。

シェンナ「相手を吸血鬼化する事が出来るのは原種(ヴァンパイア)のみなのでございます。傍種(ドラキュラ)不完全な吸血鬼(グール)しか生み出せないのでございます」

ヴィン「だからといって、生き物全てを吸血鬼化しようとしているわけではないのだから、そう大した問題ではなかろう?」

シェンナ「数は力なのでございます!魔の長たる吸血鬼といえど、力を持った人間が束になってかかってくればぼこぼこなのでございます!」

ヴィン「そうか、それは大変だな」

シェンナ「ⅩⅢ世様!」

 少年が適当に流そうとすると、シェンナが金色の目を吊り上げる。少年はやれやれと肩をすくめた。そんな時、部屋の扉がノックされる。

「ヴィンツェンツや、入ってもよいかの?」

 少年は仄かに顔をしかめてベッドから体を起こす。そして頭をかいた後、意を決したように答える。

ヴィン「…どうぞ」

 少年の言葉を聞いて、扉が開かれる。そこには白髪の老人が立っていた。老人が滑るように部屋の中に入ってくると、独りでに扉が閉まる。

老人「…どうやら、旅の準備はしておらんようじゃの」

ヴィン「旅に何が必要かなど、私にはわかりませんから」

 少年の皮肉を込めた言葉を、老人―現族長であり、長老である―は聞き流す。そして、シェンナに目をやる。シェンナはうやうやしく礼の姿勢をとっていた。但し、四足の魔獣型である為、いまいち決まっていない。

老人「リーシェント、旅の用意は完了しておるかの?」

シェンナ「Ⅹ世様の御心のままに」

 シェンナの答えを聞き、老人は一度頷くと、何処からか儀礼用の装飾の施された杖を取り出した。少年は嫌な予感を感じて顔を顰める。

ヴィン「…ええと、じい様?」

老人「そなたが自分から動こうとはしないのはわかっておるからな」

 クローゼットにかけられていた黒いマントが宙に浮き、少年の肩にかけられる。老人はお茶目に笑い、杖で床を突く。

老人「外に放り出されれば、幾らそなたでも動かざるをえんじゃろう」

ヴィン「うわ、じい様鬼畜?!」

 老人が杖でついた所から光る円が描かれ、少年を中心とした魔法陣が描かれる。少年が抗議の言葉を上げると、老人はほっほと大きく笑った。

老人「これもまた、社会勉強と言う奴じゃな」

ヴィン「横暴だ!大人ってずるい!ずるいぞクソじじい!」

 少年が汚い言葉も交えて老人に抗議の声を上げるが、老人は全く気にしない。老人が杖を一度鳴らすと、魔法陣がひときわ輝き、それが収まるとその部屋には老人以外いなくなっていた。

老人「…ヴィンツェンツ、そなたのゆく道に、幸いのあらんことを」




【暗い森】

ヴィン「…あんのたぬき爺…今度会ったらフルボッコにしてやる…」

 中空に投げ出され、尻餅をついた少年は暫くの間歯をむき出しにして唸っていたが、すぐに自分のやっている事の虚しさに気付いたかのように唸るのをやめて、辺りを見回した。そして落ち葉の山に頭から突っ込んでいるシェンナを見つけて呆れた顔をする。

ヴィン「…何をやっているんだ、お前は…」

 少年が翼を掴んでひっこ抜くと、シェンナは目を回していた。少年はシェンナを目覚めさせようとしたのか、翼を持ったまま、ぶんぶんと振り回す。

ヴィン「おい、目を覚ませ。お前は私のお目付役…つまり、案内するのも役目だろう?」

 しかし、振り回された事で余計にグロッキーになったのか、シェンナは青い顔をしてさらに体をぐったりとさせた。少年は小さく舌打ちをして、背中から髪と同じ色の漆黒の翼を広げる。

ヴィン「まったく、大事な所で役に立たん…」

 少年はそう呟いて、シェンナを小脇に抱えなおして空に飛びあがる。そうしてぐるりと辺りを見回した。辺りには森が広がっている。既に夕闇の広がる時間である為、細かい所はよく見えないが、吸血鬼であり夜目のきく少年には問題なかった。そして、ある程度遠くまで見通した所で、人家でもあるのか、光が灯っているのを見つけた。

ヴィン「…ふむ。屋敷に戻るにしろ、戻らないにしろ、現在地を知ることは必要か」

 少年はそう呟くと、光の元に向かうことにした。



【小さな集落】

 空を飛んでいる途中に目を覚ましたシェンナに空を飛んで人の領域に入る事を止められた少年は、見えた光が集落の光である、とわかった所で地面に降り立っていた。そうして二人とも翼をしまえば、見た目は普通の人間と其処までの違いはない。シェンナが魔獣である事は隠しきれないだろうが、数は少ないが魔獣を従える人間がいない訳ではないので問題はないと判断した。

 少年は入り口から一番近い位置にあった家の戸を叩いた。

ヴィン「すいません」

 戸が薄くあいて、男性の姿がのぞく。

ヴィン「少し、お尋ねしたいのですが…」

 男は少年を胡散臭いものを見る目で見る。少年はそれを気にせず、小さく首を傾げる。

ヴィン「よろしいでしょうか?」

「…余所もんはそうそうに此処を立ち去れ」

戸が閉められ、少年は小さく顔を顰める。

ヴィン「…何だ、これが所謂門前払い、と言う奴か?」

シェンナ「ⅩⅢ世様、次を当たってみましょう」


 結論から言えば、全滅だった。どの家にも少年は門前払いを受けた。酷い時には応対すらされなかった。集落のはずれにあった大きな石に腰かけ、少年は小さく首を傾げて不満そうな顔をする。

ヴィン「全く、一人くらいは話の出来る奴がおらんのか?」

シェンナ「ま、まあ、人間は自分達の集団に属さない者に対しては厳しく当たると申しますから…」

ヴィン「ふん、スケープゴートと言うやつか。面倒な」

シェンナ「ⅩⅢ世様…」

 少し困った様な顔をするシェンナを横目で見て、少年は小さく鼻を鳴らした。そして、ふっと中に目をやり、目つきを鋭くする。

シェンナ「…ⅩⅢ世様?」

 少年はシェンナの呼びかけに答えず、立ち上がるとマントの中から取り出したナイフを背後に投げた。何時の間にか背後に立っていた男がそれを受けとめる。男は淡い紅色の瞳を細め、小さく笑った。

男「突然刃物を投げられるとは、危ないですな」

ヴィン「突然半端に気配を消して背後に立つお前が悪い」

男「それは失礼いたしました」

 少年が静かに振り返ると、男は優雅に礼をとった。それを見て、少年は微かな声で呟く。

ヴィン「…傍種(ドラキュラ)か」

男「わたくしの名はヘクトールと申します」

ヴィン「…ヴィンターだ」

 男…ヘクトールが微笑んで名乗りを上げるので、少年は嫌そうな顔で名乗る。シェンナはヘクトールが姿を現して以降、全身で警戒をあらわにしながらも黙りつづけている。

ヘクト「ヴィンター様におかれましては、ヴァンパイアのⅩⅢ世様とお見受けします」

ヴィン「…だとしたら、何なんだ?」

 少年が不快感をあらわにして聞き返すと、ヘクトールは口元に笑みを浮かべる。

ヘクト「この地にはどういった様向きで訪れに?」

ヴィン「用などない。辿り着いた場所がたまたまここだっただけだ」

ヘクト「成程」

ヴィン「そちらこそ、何の用だ?」

ヘクト「ヴィンター様が何かお困りの様でしたら、手助けを、と」

 ヘクトールはそういって少年の前で膝を折った。



【森のはずれの屋敷の一室】

 案内された部屋でベッドの端に座って伸びをする少年を見て、シェンナは渋い顔をして少年に呼びかける。

シェンナ「…ⅩⅢ世様」

ヴィン「何だ?シェンナ」

シェンナ「無礼を承知で申し上げます。…あの男を信用するのは、浅慮ではございませんか?」

ヴィン「…相手の屋敷で、そのような事を言うものではないよ」

 それに、あの男を信用した覚えはない、と少年は呟く。シェンナがどういう意味か、と問いかけようとした時、少年は唇の前に人差し指を立てて、秘密、という仕草をした。シェンナが黙りこむと、少年はにやり、と笑う。

ヴィン「何か、対価を求められるであろう事はわかっているよ」


【食堂】

 食事の席に着いたのは、少年と、ヘクトールだけだったが、少年がシェンナの分も用意するように頼むと、それは聞き届けられ、少年の隣にシェンナの席が作られた。シェンナは最初の内は警戒をあらわにしていたが、少年があまりにも自然にしているので、その警戒心を表に出すのをやめた。

ヘクト「…器用なものですね」

 思わず、と言う様にヘクトールが呟く。その視線は、魔法でナイフとフォークを操って食事をしているシェンナへと注がれている。少年は小さく笑って答える。

ヴィン「何しろ、私の食事マナーの手本はこのシェンナだったからね」

ヘクト「それはそれは…」

 ヘクトールが意味ありげに笑うと、少年は僅かに肩をすくめる。白と黒のお仕着せに身を包んだメイドの少女達が給仕をする。

ヘクト「どうです?」

 ヘクトールはそういってグラスに入った赤い液体を少年にすすめる。

ヘクト「"神の血"です」

ヴィン「残念ながら、血は嫌いなんだ」

 少年は微かに目を細めてそう答えた。ヘクトールは小さく肩をすくめてグラスに入ったワインを口に含む。

ヘクト「それは残念です」


【廊下】

「…あの」

 少年がとりあえず、と疲れたのかぐったりしているシェンナを小脇に抱えて自分に与えられた部屋に向かって歩いていると、一人の少女に声をかけられた。少年は少女を見て小さく首を傾げる。アッシュブロンドに琥珀色の瞳をした少女だ。少女の顔に特に覚えはなかったが、その服装からして、この屋敷のメイドの一人だろうとあたりをつける。

少女「私はアーデルハイト…アデルといいます。あなたがヴァンパイアだというのは、本当ですか?」

ヴィン「…さて。それを知ってどうしようというのかな?お嬢さん」

アデル「あなたがもしもヴァンパイアだとしたら、奥様を助けてほしいんです」


 アデルが言うには、奥様…つまり、ヘクトールの妻は、暫く前から病に伏せっているらしい。そして、その頃からヘクトールはたびたび屋敷を空けるようになったのだという。

ヴィン「それで、何故(ヴァンパイア)に助けを?」

アデル「ヴァンパイアの方は、人より長く生きると言いますから、奥様の病について何か、知っておられるかもしれない、と…」

 真剣な目をしているアデルに、少年は僅かに目を細めた。そうして、一拍置いて答える。

ヴィン「残念ながら私はまだ若輩の身だ。病についての知識も、そう多くはないな」

アデル「そう…ですか」

 とはいえ、と少年は呟く。長老がこの地に彼を飛ばしたのは、何かの意図があっての事に違いない、と彼は考えている。あれでも族長だ。何も考えず適当に送った、と言う事はない…と思う。

ヴィン「とりあえず、お見舞いくらいはできるかな?知っている可能性がないわけではないし」

 少年はそう言って僅かに首を傾げた。


【奥方の寝室の前】

 アデルは屋敷の奥まった位置にある扉をノックする。

アデル「奥様、アデルです。入ってもよろしいでしょうか?」

 アデルが呼びかけて少しして、中から弱弱しい女性の声で返事がある。

奥方「アデルちゃん?どうしたの?」

アデル「お客様が奥様を見舞いたいと」

 アデルがそう告げると、女性は沈黙する。アデルは言い聞かせるように続ける。

アデル「お客様はヴァンパイアですから、奥様の病についても何かわかるのかもしれません」

 アデルがそう告げると、空気が緊張を帯びた事を少年は感じた。それに訝しげな表情をするが、アデルはその気配に気がついた様子もない。女性が震える声で呟く。

奥方「ヴァンパイア…」

 そういえば、と少年は小さく首を傾げる。ヘクトールは吸血鬼(ドラキュラ)で、アデルを含めメイドたちは人間だった。では、この扉の向こうにいるヘクトールの奥方は何だ?と。人間か、吸血鬼か、それとも…。

アデル「…奥様?」

奥方「…いいわ。お通ししてちょうだい」

 女性の言葉を聞いて、アデルはその扉を開いた。


【奥方の寝室】

 部屋には月の光が差し込んでいた。ダークブロンドに赤みの強い茶色の瞳をした女性が車椅子に座って見ている。女性はアデルと少年を見ると、小さく会釈をした。

奥方「私はハイデマリー。この様な姿で申し訳ありませんね」

ヴィン「いえ。私はヴィンターと言います」

 少年は小さく礼をとり、目を細める。少年の視線が自らの足に向けられていることに気付いたハイデマリーは、少しはにかんでひざかけを掴んだ。

ハイデ「暫く前から、上手く動かなくなってしまったの。旦那様は気にしなくてもいい、と言ってくださるのだけれど…」

ヴィン「そうですか…それは大変ですね」

ハイデ「いいえ、旦那様がこの車椅子を用意してくださったおかげで、あまり不自由は感じていないのよ」

ヴィン「成程」

 少年は、シェンナが"何か"に気がついて口を開こうとした所を、口を塞ぐ代わりに絞めて意識を落とさせる。それを見てアデルとハイデマリーがそろって首を傾げるので、小さく肩をすくめて苦笑した。


【廊下】

 先を歩く少年に、アデルは少しためらった後問いかける。

アデル「あの…奥様の病について、何かわかりましたか?」

ヴィン「それについて、幾つか尋ねたい事がある」

アデル「何でしょうか」

ヴィン「…歩きながら話すのもなんだ、何処か落ち着ける所はないか?」


【中庭】

 二人は屋敷の中庭に出た。そして其処にあったベンチに座る。少年はシェンナを膝の上に置いた。

ヴィン「見た所、元気そうだったが、何故病だと?」

アデル「…奥様は、庭いじりが趣味で、以前はよく庭に出ていらっしゃったのですが…最近では、昼の内は気分がすぐれない、と部屋に籠りきりになられて、出ていらっしゃらないのです」

 うつむいて答えたアデルに、少年はふむ、と一つ頷いたあと、さらに問いかける。

ヴィン「夜は?」

アデル「時々、あの車椅子を使って出ていらっしゃいます。…でも、何だかふさぎ込んでらしていることが多くて」

ヴィン「それでは、奥方が病に伏せる直前くらいに、"何か"なかったか?」

アデル「何か、ですか?」

 アデルがきょとん、として疑問符を浮かべると、少年は少し、考えるようなポーズをして言う。

ヴィン「そうだな…例えば、"夫婦で出かけて、怪我をして帰ってきた"、"何らかの理由で奥方が大怪我を負った"、"彼の友人ではない吸血鬼が訪ねてきた"と言ったところか」

 アデルはしばらく考え込んでいたが、ハッとしたように答える。

アデル「そういえば、旦那様と奥様が馬車で出かけられて…土砂崩れにあった、とかでボロボロの格好で帰っていらした事がありました。旦那様が体を張って守ったので、奥様は無事だった、と」

ヴィン「…ほう」

 少年が感心した様な顔をすると、アデルは仄かに顔を陰らせた。

アデル「…でも」

ヴィン「何だ?」

アデル「…あの時、奥様は身籠っていらしたはずなんです。それなのに、今も腹が大きくなる様子もなくて…もしかしたら…」

ヴィン「流産した、と?」

 少年がさらり、とその言葉を口にすると、アデルは小さく頷いた。

アデル「…あの、それで、何かわかったんですか?」

 アデルが不安そうな顔で問いかけると、少年は少し困ったように笑う。

ヴィン「…いや。さっぱりだ」


【屋敷の一室】

 アデルと別れて自分に与えられた部屋に戻ってきた少年は、小さく息を吐いた。ベッドの上で、もごもごとシェンナが動く。それを見て、少年は小さく首をすくめた。

ヴィン「…シェンナ、何か言いたい事でもあるのか?」

シェンナ「ⅩⅢ世様、あの女は…」

ヴィン「まあ、そういう事だろうな。下手に手を出せば彼に恨まれるだろうし…私に実害はないし、本人たちはアレで割と幸せそうだから、放っておいてもいいのではないか、と私は思っている」

シェンナ「…しかし」

 口ごもるシェンナに、少年はにやり、と笑って見せる。

ヴィン「元からの吸血鬼と言う訳でもない彼に、吸血鬼の掟を完全に遵守する事を求めるのは酷だよ。把握してなかっただけかもしれないし。それにきっと、彼は"知らなかった"んだ」

ヴィン「ドラキュラが人間を吸血鬼にする事は出来ない事をね」



【集落】

 朝になり、普通に起きてくる少年を見てアデルに驚いたり(ヴァンパイアも夜行性だと思っていたらしい)されつつ、少年は再び集落へとやってきていた。そして、集落の端っこで遊んでいた子供に話しかける。

ヴィン「やあ」

「…誰?」

ヴィン「私はヴィンター。少し、訪ねたい事があるんだが、良いかな?」

 少年はそういってにこやかに笑みを浮かべる。だが、頭の上にシェンナを載せているので色々台無しである。

「兄ちゃんの頭に乗ってる羊みたいなのって、魔物?」

ヴィン「ああ。でも大丈夫だよ。無暗に人を噛んだりしないようにしつけられているから」

「へー。兄ちゃんって魔物使い(モンスターテイマー)なの?」

ヴィン「うーん…まあ、そのようなものだな」

 適当な事を言う少年を、魔物扱いされたシェンナがじと目で見るが、少年は気にしない。

ヴィン「ところで、最近ここいらで何か変わった事はあるかな?」

「変わったこと?うーん…暫く前から、皆ちょっと暗くなったら家に帰らないと怒られる様になったよ。何か、恐ろしいものがうろついてるんだって」

ヴィン「…そうか。それは恐ろしいな。…話してくれてありがとう」


シェンナ「恐ろしいもの、でございますか」

ヴィン「恐ろしいもの、な」

 少年は小さく息を吐く。シェンナは眉間にしわを寄せている。

ヴィン「…まさか、その為に私は此処にとばされたわけではあるまいな?」

シェンナ「…Ⅹ世様なら、必ずしも否定はできません、と申し上げる他ございません」

ヴィン「じい様、アレで合理主義者な所があるからな…」

 少年が面倒くさそうな顔をしている事に気付き、シェンナは問いかける。

シェンナ「ⅩⅢ世様、どうかなされましたか?」

ヴィン「何でもかんでも結びつけて考えるべきではないとは思うが、しかし…」

「…あの」

ヴィン「ん?」

 少年が振り返ると、其処には集落の住民だろう少年がたっていた。ストロベリーブロンド(赤みのある金髪)に青い瞳をしている。

「あなたは、吸血鬼なんですか?」

ヴィン「それが何か?」

「…教えてほしい事があるんです」


 その少年は、ディートヘルムと名乗った。

ディート「この集落の近くにある森のはずれに、吸血鬼が住んでいる事は知っていますか?」

ヴィン「ああ。…まさか、殺す方法を聞きたい、などとは言わぬよな?」

 少年がにやり、と笑ってからかうように問いかけると、ディートヘルムは大袈裟な程に慌ててみせる。

ディート「まさか!…そりゃあ、幼馴染とその姉がそこに奉公にでてしまったんで、多少…その、思う事がないではないですけど、殺そうだなんて、そんな…」

ヴィン「冗談だ。それで?」

ディート「…吸血鬼になった人間を、元に戻す事は出来ますか?」

 真剣な顔でディートヘルムが尋ねるので、少年も真剣な顔で考えた後、答える。

ヴィン「…私の知っている限りでは、そんな話はないな」

ディート「…そうですか」

 少年の答えを聞くと、ディートヘルムは小さく肩を落とした。少年はそれを不思議そうに見た。


 ディートヘルムと別れた後、シェンナが口を開く。

シェンナ「不可能だと、おっしゃらないのでございますか?」

ヴィン「何事も、絶対などというものはない」



【暗い森】

 少年が歩く横を、コウモリの様な翼を広げたシェンナが飛んでいる。

シェンナ「ⅩⅢ世様、何かお探しでございますか?」

ヴィン「まあな。…といっても、何処をどう探せばいいのか、私もよく知らぬのだが…」

シェンナ「なんでございますか?」

 シェンナが問いかけると、少年は口元に笑みを浮かべる。

ヴィン「"恐ろしいもの"だ」

シェンナ「…暗くならない内に家に帰らねばならないというのなら、夜行性なのではありませんか?」

ヴィン「ああ。だから明るい内に見つけておこうと思ってな」

シェンナ「ⅩⅢ世様は、それが何なのかわかっていらっしゃるのですか?」

ヴィン「幾つか、予想はたてている」

シェンナ「予想、でございますか」

ヴィン「ああ。…当たらない方がいいと、思っている」

 少年が少し困った様な顔で言うので、シェンナは疑問符を浮かべた。


 森の中に不審な小屋を見つけて、少年は立ち止まる。

ヴィン「…小屋だな」

シェンナ「小屋でございますね」

 少年は小さく顔をしかめて、臭うな、と呟いた。シェンナが目を瞬かせる。

シェンナ「そうでございますか?」

ヴィン「結界の匂いだ」

 少年が手を伸ばすと、何かにはじかれた。

ヴィン「…ふむ」

シェンナ「って、手は大丈夫なのでございますか?!」

ヴィン「これ位、大したことではない」

 少年はそういうが、その手には軽いやけどの様なものが出来ている。シェンナは体から伸びた植物で少年の手を包んだ。すると、仄かにその部分が光り、ボロボロと崩れるように植物がなくなった後に少年の傷はなくなっていた。

ヴィン「…シェンナは過保護だな」

シェンナ「ⅩⅢ世様のお体に傷を作るなど、並の結界とは思えません」

 吸血鬼はとても体が丈夫で、簡単には傷つかない。逆に一度傷ついてしまうと、自然治癒が遅かったりはするが。

ヴィン「…結界を破ろうとするのなら、夜の方が安全だろうが、中のものと対峙する事を考えると…」

 少年はそう呟いて考え込む。シェンナは翼を振るわせて主張する。

シェンナ「ⅩⅢ世様が危険を冒す必要はありません!人をより良い方向に導いてやるのも吸血鬼の役目といえど、ⅩⅢ世様がそこまでしてやる必要性はありません!」

ヴィン「そうか?…だがな、一度首を突っ込んだ以上、途中で投げ出すのはよくないと思わんか?」

シェンナ「それは…」

ヴィン「毒を食らわば皿まで、という奴だ」

 少年はそう呟いたが、ふむ、と頷いて回れ右をした。シェンナが困惑したように少年を呼ぶと、少年はひらひらと手を振って言う。

ヴィン「一旦戻って出直すとしよう。面倒だ」



【屋敷】

 夜になり、出かけようとした少年の前にヘクトールが現れる。

ヘクト「お出かけですか、ヴィンター様」

ヴィン「ああ。森の中で興味深いものを見かけてな。お前も来るか?」

 少年が無邪気な子供の様な顔で笑うと、ヘクトールは一瞬毒気を抜かれた様な顔をしたが、すぐに微笑を作る。

ヘクト「お許しいただけるのなら」


【暗い森】

 二人は森の中を歩いていく。ヘクトールは少年の後ろについて言っている形になる為、互いに互いの顔は見えていない。

ヴィン「ああ、そういえば」

ヘクト「何でしょう?」

ヴィン「このごろ、この辺りで何か魔物らしきものが出ているらしいが…お前は何か知っているか?」

ヘクト「魔物、ですか…さあ、思い当たるものはありませんね」

ヴィン「そうか」

 少年は、ふと立ち止まり振り返る。

ヘクト「どうかされましたか?」

ヴィン「…いや、何でもない」

 少年は小さく肩をすくめる。ヘクトールがふと気がついた、というように問いかける。

ヘクト「そういえば…ヴィンター様の使い魔は連れていらっしゃらないようですが、よいのですか?」

ヴィン「アレは私のお目付役だからな。だからといって、四六時中傍にいられるのは非常に鬱陶しい」

ヘクト「そうですか」

 少年は困ったような笑顔を浮かべ、再び歩きだす。


 昼、結界に阻まれていた小屋の前まで来たところで、少年は不機嫌そうな顔をして立ち止まった。

ヘクト「どうかされましたか?」

ヴィン「…くさい」

ヘクト「くさい、とは?」

 ヘクトールが訝しげな顔をすると、少年は小さく鼻を鳴らして振り返る。

ヴィン「お前はわからないのか?この臭いが」

ヘクト「何を言っているのか、わかりかねます」

ヴィン「エクソシストと人間と魔物をごった煮にしたような臭いだ」

 少年は顔を顰める。そして、自分の影の中から剣を取り出し、振るった。結界が切り裂かれ、中に渦巻いていた瘴気が溢れだす。ヘクトールは驚いた顔をした後、腕で鼻と口を覆うようなしぐさをした。

ヘクト「一体、どういう…」

ヴィン「それはこちらのセリフだ、ヘクトール。お前は一体、何をどうしたんだ?」

ヘクト「何をどう、とは…?」

ヴィン「…お前がこの状況を作り出したんじゃないのか?」

ヘクト「さっぱり、意味がわかりません」

 ヘクトールが本気で困惑している事を感じ取り、少年は眉根を寄せた。そして、小屋の中から伸びてきた異形の腕を剣で切り落とす。

ヴィン「…想像が間違っていた事を喜ぶべきか、それとも、事態がややこしくなってきたと嘆くべきか…」

 少年はそう呟いて小屋に向き直った。少年に斬り落とされた異形の腕は、すぐに腐り落ち、ウジがわきだした。少年はそれを見て、物凄く嫌そうな顔をした。しかし、すぐに小屋を見て居合抜きの構えをとる。

ヴィン「どちらにせよ、その正体、見極めさせてもらおう」

 少年はそう呟くと、素早く剣を振るった。剣激が飛び、小屋がばらばらになる。埃がおさまった後、其処には異形のものが立っていた。少年は顔を顰める。ヘクトールは、酷くショックを受けた様な顔をしていた。

ヴィン「…グールの様な匂いがする」

ヘクト「…グール?」

ヴィン「不完全な吸血鬼だ。傍種(ドラキュラ)が人を吸血鬼に変えようとした時になる」

 ヘクトールが苦い顔をする。ヴィンはそれを気に留めず、眉間にしわを寄せる。

ヴィン「…だが、おかしいな。幾らグールが醜い姿になりやすいとはいえ、あのような異形になる事はない筈だが…」

 グールは、通常の吸血鬼にくらべ、体がもろい。その代わり、異常なほどに高い回復力を持っている。その為、変な回復の仕方をして、醜い姿になる事が度々ある。

 しかし、目の前の異形は、明らかに"それ"とは違っていた。まるで、キメラの様な…人と獣を無理矢理混ぜたような姿をしていたのである。少年が斬り落とした腕は既に再生したのか、体に傷を負っているような様子はない。

ヴィン「…だがまあ、このようなもの、見かけても"恐ろしいもの"としか言えないだろうな」

 少年はそう呟いて小さくため息をついた。グールならば、日の光に弱い為、相手がどの程度の力を持っていても朝日が昇れば殆ど無力出来るだろうとは思うのだが、目の前の存在が本当にグールなのか疑わしいぐらいであるので、日の光に弱いかどうかはわからなかった。最悪、日の光などものともしない可能性もある。夜行性なのだと思われるので、そんな事はないと思いたいが。

ヘクト「…一体、これは何なんです?」

ヴィン「知らん。…だが、どうやら野放しにしておけんようなものだというのは確かなようだ」

ヘクト「…アロイス」

 ヘクトールが呟いた言葉に、少年は疑問符を浮かべ、眉間にしわを寄せる。だが、その場で尋ねる事はなく、異形に向けて剣を構えた。


 敵性認識されたのか、異形は少年に向けて執拗に攻撃を仕掛ける。少年はそれを剣でいなし、斬りはらい、防ぐ。少年の防戦一方で、中々攻撃に転じる隙が見つからない。ヘクトールは、何かを迷っているようだった。

ヴィン「ヘクトール!」

 少年の呼びかけに、ヘクトールはハッとした顔をするが、その時には既に異形の腕は目の前にあった。ヘクトールは腕になぎ払われる様にして、勢いよく木に叩きつけられる。少年は大きく舌打ちをすると、剣を異形に向かって投げ、ヘクトールへ向かって走る。

ヴィン「まったく、世話の焼ける…!」

 異形が自分の体に刺さった剣と格闘している間に、少年はヘクトールを抱えてその場から離脱した。



【屋敷の前】

 ヘクトールを抱えて戻ってきた少年を見て、シェンナが訝しげな顔をする。

シェンナ「ⅩⅢ世様、一体それはどういう状況でございますか?」

ヴィン「…私にもよくわからん」

 少年はヘクトールをその場に下ろした。そして、車椅子に乗ったハイデマリーが玄関から見ている事に気付いた。ハイデマリーは、少年に見つかった事に気づくと、意を決したように車椅子でヘクトールに駆け寄った。

ハイデ「旦那様、大丈夫ですか?」

ヘクト「…マリー」

 ヘクトールは呻くように呟き、激しくせき込んだ。そして、それが収まると、涙目で微笑む。

ヘクト「大丈夫です。心配をかけてすみません」

ヴィン「…それで、アロイスとは何だ?ヘクトール」

 ヘクトールは、痛みをこらえる様な表情をしたあと、真剣な表情をした。

ヘクト「アロイスとは…私とマリーの子です」


 ヘクトールは彼が知っている限りでの、今回の出来事に関する事を話した。それを簡単にまとめると、こういう事だ。半年ほど前、夫婦で出かけた際、突然の土砂崩れに巻き込まれ、生き埋めになりかけながらも、何とか助かった。その時、ハイデマリーが死にかけ、自らの血を与えて吸血鬼化する事で命を取り留めた。そして、その時のショックで、子供が早産で生まれてしまった。子供は人と吸血鬼のハーフだからか、それでも生きていたが、死ぬのは時間の問題に見えた。

ヘクト「…その時、男が現れたんです」

ヴィン「男?」

 男は子供を助けることが出来ると言った。そして、その対価に、ヘクトールの、"吸血鬼の血"を望んだ。

ヘクト「やっとできた彼女との子を、助けられるのなら、助けたかったのです」

 そしてヘクトールは子供を男に預け、血を渡し、ハイデマリーを屋敷へ連れ帰った。

ヴィン「たびたび屋敷をあけていた、というのはその男の関連か?」

ヘクト「それもありますが…彼女の何が、私と違ったのか、わからなかったのです」

 原種と傍種が、どう違うものなのか、知らなかった。ヘクトールはそう呟く。

ヴィン「…まあ、その辺りの細かい話は後でするとして…あの小屋にいたのは結局何だ?男か?お前の子か?」

ヘクト「…あれが、アロイスだとは思いたくはありません。ですが…」

 確かに同じ色の目をしていたのだと、ヘクトールは呟く。少年は小さく首を傾げ、目を逸らす。

ヴィン「確かに、アレからはお前の血の匂いはしたが…男が何をやったのか、知っているのか?」

ヘクト「…いえ。ただ…」

ヴィン「ただ?」

ヘクト「あの男が魔術師としての心得のあるものだというのは確かでした。彼が魔術を使っているのを見ましたから」

ヴィン「魔術、か…」

 少年は少し考えた後、顔をしかめて立ち上がる。

ヴィン「…いやな予感しかしないな。それに…」

 そう呟いた後、影から剣を取り出し、森を睨む。

ヴィン「あちらも来てしまったようだ」

 森から異形が飛び出してくる。それを見て、シェンナがぶわっと毛を膨らませる。

シェンナ「な、何でございますか?!あれは」

ヴィン「さてな。私の知る限り、あのような生き物はおらん」

 そして、ハイデマリーが悲鳴の様な声を上げて異形の腕を指さす。

ハイデ「アデルちゃん!!」

ヴィン「誰かついてきている様だと思ったら…!」

 アデルはぐったりとしていて、動かない。どうやら、気を失っているらしい。

ヘクト「…行動的な子だとは思っていましたが…」

シェンナ「戦う術を持たないものが夜の森に入るなど、浅はかという他ございません!」

 異形を睨みつけたまま、少年はヘクトールに問いかける。

ヴィン「…お前は、どの程度戦える?」

ヘクト「…戦うのは、あまり得意ではありません」

 少年は小さく舌打ちをしたあと、しかりつけるように言う。

ヴィン「戦えないのなら、奥方を連れて安全な位置まで下がれ。邪魔だ」

 そう言って異形に斬りかかる。それを見て、シェンナが戦闘態勢を取る。

ヘクト「…ですが…」

ヴィン「くどい。お前に与える選択肢は二つだ。自分でアイツを殺すか、私がアイツを殺す邪魔をしないように離れるかだ」

ヘクト「…あれは、殺すしかないと?」

ヴィン「見てわからないか」

 少年は、表情を更に厳しくする。

ヴィン「アレは、まともな意思を持っていない。ただの怪物だ」


 異形が獣の咆哮のような声を上げる。少年が、アデルを掴んでいた異形の腕を斬り落としたのだ。少年は空中でアデルをキャッチするとシェンナに向かってぶん投げた。シェンナがふわふわの毛皮で受け止めた後、抗議の声を上げても、少年は気にしない。だが、斬り落とした腕がまた腐り落ちるのと、すぐに異形の腕が再生したのを見て、うんざりした顔をする。

ヴィン「…いくら、グールの回復力が強力だといっても、異常が過ぎる」

 そう呟いた後、ふと、何かに思い至ったかのように表情を強張らせる。

シェンナ「ⅩⅢ世様、どうなさったのでございますか?」

ヴィン「…まさか、な。だが…」

シェンナ「ⅩⅢ世様?」

ヴィン「…だとしても、確かめるには…」

シェンナ「ⅩⅢ世様!!」

 力一杯、マント事引っ張られて少年の意識が戻ってくる。目の前に叩きつけられた異形の腕を見て、少年は気を取り直す様に両手で自分の頬を叩いた。

シェンナ「ⅩⅢ世様、敵の前で放心するなど、油断が過ぎます」

ヴィン「放心していた訳ではない。嫌な事を思い付いてしまっただけだ」

 シェンナと少年がそのようなやり取りをしていると、アデルが目を覚ました。

ヴィン「…目を覚ましたか」

アデル「!…私」

シェンナ「自分で動けるようになったのなら、さっさと退いていただきたいものでございます」

アデル「え、えっと…ごめんなさい」

 アデルがそっと地面に降りると、シェンナは小さく鼻を鳴らした。

アデル「あ、あの…」

ヴィン「何だ」

アデル「何ですか、アレ…」

ヴィン「見てわからないか?怪物だ」

アデル「え、えっと…」

ヴィン「わかったら、さっさと屋敷へ行け。邪魔だ」

アデル「邪魔、って…!」

ヴィン「お前には、戦う力はないだろう」

 少年に鋭い目で睨まれ、アデルは怯む。

ヴィン「私は、誰かを守るのは――!」

 言いかけた所で、少年は小さく舌打ちをしてアデルを抱えて跳ぶ。しかし、避けきれず、異形の攻撃を喰らってしまった。木に叩きつけられ、小さくうめき声を上げつつも異形を睨みつける。

アデル「ヴィンター様、血が…」

ヴィン「…はっ、こうして血を流すのも久しぶりか」

 少年はそう呟いて皮肉気に笑うと、血を拭う。アデルはそれを見て、ぽつり、と呟いた。

アデル「…吸血鬼は、血を飲む事でその力を発揮できるのだと、聞きました」

ヴィン「…ああ、その通りだ。だが、だからどうした?」

 アデルは決意したように少年の目を真っ直ぐに見て言う。

アデル「私の血を、飲んでください」

ヴィン「…は?」

アデル「私自身は戦うことはできませんが、ヴィンター様の力になりたいのです」

 少年はアデルが本気で言っている事を見てとると、小さく笑ってアデルの手を取った。

ヴィン「…ならば、お前の血をいただこう、アーデルハイト」


 少年がごくり、と血を嚥下した時、その体に明らかな変化が起こった。漆黒だった髪は月の様な銀色に、明るい茶色だった瞳は血の様な紅色に変わった。体つきも、少年というよりは青年と呼ぶ方が適切な程に成長している。彼は小さく息を吐いて立ち上がる。

ヴィン「…この姿になるのも久しぶりか」

 彼は猫の様に目を細め、楽しそうに異形を見る。

ヴィン「我が名はヴィンツェンツ=ハーラルト=フォン=ルートヴィッヒ。私の邪魔をするというのなら、骨も残さず塵に還してやろう」

 彼は影の中から巨大な剣を取り出すと、異形に斬りかかった。闇を纏った様な黒い刃は、豆腐でも切るように容易く異形を上下に両断する。彼はそのまま、個々のパーツごとに切り分けるようにして異形の体をばらばらにする。

ヴィン「…生臭いな」

 彼はそう呟いて手についた血を舐め取った。そして、ぴくぴくと痙攣したような動きをする異形だったものの中に、赤ん坊の形をしたものを見つける。

ヴィン「お前がアロイスか」

 そう呟いて掬いあげ、胸に耳を当て、鼓動を聞く。弱いながらも、確かに鼓動している事に気が付き、流石グールだ、と呟いた。そして、自分の人差し指の先を噛みちぎり、赤ん坊の口の中に突っ込んだ。赤ん坊が彼の血を飲み込むのを確認して指を引き抜く。そして、よだれだらけになっているのに気づいて嫌な顔をした。付けた傷は見る間に治り、跡もなくなる。

ヴィン「私がこの様な慈善行為をする事など、滅多にないのだぞ?」

 そういいながら、自分の足を掴もうとした腕を踏み潰し、踏みにじり、にやり、と笑って少し離れた所で心配そうに様子を見ていたヘクトールに向かって赤ん坊を投げた。ヘクトールが慌ててそれを受けとめたのを見てとり、彼は楽しそうに笑った。


 うっとりとした表情で彼を見るアデルに、シェンナは蹴りを入れる。

アデル「いたっ」

シェンナ「人間のくせに生意気でございます」

 何やら腹を立てている様子のシェンナに、アデルは疑問符を浮かべる。シェンナはふん、と鼻を鳴らすと、アデルに対して威嚇の姿勢を取った。

シェンナ「ずうずうしいのでございます。いい気になるなでございます。坊ちゃまはお前如き、何とも思ってないのでございます」

アデル「何なんですか、さっきから。意味がわからないですよ」

シェンナ「…まさか、知らずにあのような破廉恥な事を言いやがったのでございますか?とんだあばずれでございます」

アデル「なっ…何言ってるのよ羊!!」

シェンナ「吸血鬼にとって、吸血行動は求愛行動でございます。破廉恥女め」

アデル「求愛、行動、って…」

 シェンナの言葉を繰り返し、理由を理解したアデルは真っ赤になった。シェンナはぶつぶつと呪いの言葉らしきことを呟いている。

アデル「わ、私は、そういう意味で言ったんじゃなくて、ただ、自分にも何かできる事がないかって思って…」

シェンナ「それで坊ちゃまに血を飲ませるなんて破廉恥きわまりないでございます」

 …飲んだ坊ちゃまも坊ちゃまですが、とシェンナは呟く。ふと、シェンナの瞳が彼と同じ血の様な紅色になっている事にアデルは気がつく。但し、それでは、普段は何色だったのかは彼女の記憶には無かったが。

アデル「結果的にはいい方に働いてるんだからそれは置いておきなさいよー!」

シェンナ「それはそれ、これはこれでございます」


ヴィン「…お前たちは何を言い争っているんだ?」

 彼は呆れた様な顔をしてアデルとシェンナに問いかける。シェンナはぷい、とそっぽを向き、アデルは彼の顔を見て真っ赤になった。その反応を見て、彼は首を傾げる。

ヴィン「…一体何なんだ」

アデル「あ、え、えっと…その…私の血を飲んでっていったのは、深い意味とかはなくて、ただ、そのままの意味だから…」

ヴィン「そんな事は言われずともわかっているが」

アデル「…え」

ヴィン「それが求愛の言葉だという事など、知らなかったのだろう?知っていれば、あのように恥ずかしげもなく言えまい」

 彼が平然と言うので、アデルは何となく腹が立ってきた。ので、思わず彼をひっぱたいてしまった。ひっぱたかれた彼が呆然とするのを見て、自分のしたことを認識したアデルはおおいに動揺する。

アデル「え、ええと…」

 彼はにっこりと笑う。それにつられて、アデルも笑みを浮かべる。そして、

ヴィン「歯をくいしばれ☆」

アデル「いやあああああ」

 アデルは彼の頭上に角を幻視した気がした。鬼ごっこを始めた二人を見て、シェンナは納得したように呟く。

シェンナ「…坊ちゃまには女心がわからないのでございますね」



【屋敷の中の一室】

 次の日、少年は、後悔に満ちた顔をしていた。それを見て、アデルが首を傾げる。

アデル「どうしたんですか?ヴィンター様」

ヴィン「…何というか、私は血を飲むと…人格が変わる、とは言わないが、何と言うか…精神が切り替わるんだ」

アデル「あー…確かに、何と言うか…すごかったですね」

 昨夜のにこやかで行動がぶっ飛んでいる彼を思い出し、アデルはしみじみと呟いた。見た目は大人だったが、中身は寧ろ子供だったんじゃないか、とアデルは思う。それを感じ取ったのか、少年がアデルをじと目で見ると、アデルは誤魔化すように笑った。

ハイデ「でも、ヴィンター様のおかげでアロイスは救われたわ」

 ハイデマリーがそう言って慈愛に満ちた目で自分の腕の中で眠る赤ん坊…アロイスを見る。ハイデマリーとアロイスを見て嬉しそうな顔をしていたヘクトールが思い出した、という様に少年に問いかける。

ヘクト「そういえば、結局アレは何だったのですか?」

ヴィン「端的に言うのなら…そうだな、グールの集合体、だ」

 少年が答えると、ヘクトールは微かに眉間にしわを寄せる。

ヴィン「魔獣や人のグール化させたものをその回復力を利用して癒着させていたようだな。ただ適当にくっつけたのでは拒絶反応が出る筈だが…その辺りは魔術でどうにか騙していたのだろうな」

 魔術師だったらしいという話であるし、と少年は付け加える。

ヘクト「そう…ですか」

 ヘクトが暗い顔をするのを見て、少年は不思議そうな顔をするが、少し考えて、何か自己嫌悪でもしているのだろう、と思い放っておくことにした。




「今後の展開」

 多少嫌々ながらも、旅を始めようとしたヴィンターは、"恐ろしいもの"が表していたのは、グールの集合体という異形だけではなかった事を知る。ついでだから、とそれも片付けることにしたヴィンターは、この地にいた、もう一人の吸血鬼の存在を知る。

 吸血鬼の引き起こした事件を解決し、無事旅立ったヴィンターは追跡者の存在に気づく。それは、自分を追いかけてきたアデルと、その幼馴染であるディートヘルムだった。

 まごう事無きトラブルメイカーであるアデルによって様々な事件に巻き込まれつつ、ヴィンターたち一行は旅を続ける。そんな中、とある町で、ヴィンターは吸血鬼の原種の男に出会う。




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