ドアブル1
「あらすじ」
荒崎高校1年生、遊佐志郎はミステリー研究会の部員である。ミス研は沢山の幽霊部員によって成り立っている部活で、実際活動をしているのは彼を含めた3人と、"幽霊"部員の4人だけだ。
ある日、遊佐は扉が別の所に繋がるという怪異に遭遇する。
【街路】
少女が少年に手を振る。ツインテールで、前髪を兎のピンでとめた垂れ目の少女、十松愛花。しっちゃかめっちゃかに跳ねる明るい色の癖毛に大きな目をした少年、遊佐志郎。二人はともに荒崎高校の一年生であり、同じ部活の部員だ。
愛花「じゃあ、また明日ね、ウサ君」
遊佐「いや、だから僕はウサじゃなくて遊佐だってば。…また明日ね、十松さん」
愛花と別れて、遊佐は自分の家に向かって歩きだす。
遊佐「…それにしても、十松さんはいつになったら僕の名前を覚えてくれるのかな…」
遊佐はそう考えて小さくため息をつき、そして、他にも自分をウサと呼ぶ二人を思い出してまたため息をつく。
遊佐「…童子先輩はウサジロウって言うし、部長に至ってはウサタンだもんなぁ…」
そんな事を考えつつ、自宅に辿り着いた遊佐は、右手が荷物でふさがっていたので左手で玄関の扉を開ける。
そして、たった今考えていた部長…宇佐美遼子と目があって硬直した。
宇佐美「おや、ウサタンじゃないか」
宇佐美は艶やかな長い黒髪に、長いまつ毛が特徴的な長身の少女だ。見た目は大人しそうだが、そうではない事を遊佐は知っている。宇佐美が目を瞬かせたのを見て、遊佐は硬直からとける。
遊佐「あ、アレ…?」
遊佐は慌てたように扉の中と外を見比べる。確かに、外は自宅玄関なのに、中は部室である。混乱した遊佐はとりあえず、宇佐美に向かってへらりと笑みを浮かべた。
遊佐「…おじゃましましたー…」
宇佐美「待て」
遊佐がそっと扉を閉めようとした時、宇佐美にガシッという効果音が似合いそうな勢いで腕を掴まれて止められた。
遊佐「…えーと」
宇佐美「丁度いい所に来た。…私の手伝いをしてくれるよな?」
宇佐美が有無を言わせるつもりもない様子で笑みを浮かべる。遊佐はひきつった笑みを浮かべる。
遊佐「…は、ハイ、モチロンヨロコンデー…」
宇佐美「棒読みだな。まあいい、行くぞ」
宇佐美はそのまま遊佐を部室に引っ張り込む。遊佐はこっそりとため息をついた。
【ミス研部室】
自分が通ってきた所が資料室の扉だった事に首を傾げつつ、遊佐は室内を見回した後、宇佐美に問いかける。
遊佐「童子先輩は、いないんですね」
宇佐美「奴ならまた何処かを徘徊しているんじゃないか?ガキじゃあるまいし、放っておいても平気だろう」
遊佐「…いや、別に何か心配をしているって訳じゃあないですけども」
遊佐はそう言って荷物を部室の机の上に置く。そして、宇佐美の方へ向き直った。
遊佐「ところで、何を手伝えっていうんですか?」
宇佐美「うむ。また七不思議の検証をしようと思ってね」
遊佐「…童子先輩に聞けばいいじゃないですか」
あの人、プロみたいなものですよ、と遊佐は呟く。宇佐美は呆れたような表情をする。
宇佐美「それではつまらないだろう。それに、自分で調べないというのは怠慢だと思わないか?」
遊佐「七不思議って大体夜にならないとわからない事ばっかりじゃないですか」
宇佐美「いや、逢魔が時に起こる怪異もあるぞ?」
遊佐「オウマガドキ?」
遊佐がおうむ返しに繰り返して疑問符を浮かべると、宇佐美は喜々として解説を始める。
宇佐美「逢魔が時。大禍時から転じた言葉だと言われているが、まあ、簡単に言えば夕暮れ時の事だ。たそがれどき、ならわかるか?」
遊佐「ええ、黄昏というのは聞いた事がある気がします」
宇佐美「たそがれ、というのは誰そ彼、という事で、薄暗くてそこにいるのが誰かわからない、という事だ。また、明け方の薄暗い時の事はかはたれとき、と呼ぶ。彼は誰、だ」
宇佐美の言った言葉を小さく呟き、遊佐はへにょり、と眉を下げ、嫌そうな顔をする。
遊佐「…つまり、薄暗くてそこにいるのが誰かわからないと思ったら魔かもしれない、という時刻、という事ですか?」
宇佐美「そういう事だ。草木の眠る丑三つ時、と並んで怪異に相応しい時間だな」
遊佐「普通に時間で表せばいいじゃないですか、二時とか五時とか」
遊佐の言葉に、宇佐美はふん、と鼻を鳴らす。
宇佐美「風情のない事を言うな、君は。丑三つ時を二時、三時、といっても怖くないだろう。草木も眠る二時三時…風情の欠片もない!」
遊佐「風情とかなくていいです。僕ホラー嫌いなんで」
宇佐美「ならば何故君はミステリー研究会に入ったというのだね?」
遊佐「うちの中学のミス研はミステリー小説の研究をする部活だったんです!」
遊佐が力説すると、宇佐美は遊佐を憐れむような目で見た。
宇佐美「最初から答えのわかっているものを研究して何が楽しいというんだ?…まあ、中学生にできる事はたかが知れているだろうが」
遊佐「仲間と議論するのが楽しいんです。究極、内容は何でもいいんですよ」
遊佐ははあ、と大きくため息をついた。宇佐美は不思議そうな顔をする。そんな時、口をはさむ声がある。
「あれ、ウサジロウ帰ったんじゃなかったのか?」
遊佐「ウサじゃなくて遊佐です。後名前もジロウじゃなくて志郎です」
部室の扉から右半身を出している少年を見て、遊佐は小さくため息をついて訂正する。さっぱりした短髪に鋭さのある目つき、上背があり、しっかり筋肉がついている筋肉質な体型。それだけなら、大して不思議ではない。問題は、その少年の体が少し透けていることだ。少年の名は童子元治。ミス研の"幽霊"部員だ。
元治「そうだったか?」
元治はそう言って二カッと笑う。彼はこの学校の地縛霊だが、人を祟ったりはしない、優しい先輩だと遊佐は認識している。…遊佐の名前をちゃんと覚える気はなさそうだが。
宇佐美「そうだ、君もついてくるか?元治」
元治「何にだ?」
元治は首を傾げる。宇佐美は胸を張る。
宇佐美「逢魔が時七不思議ツアーだ」
遊佐はこっそりと、童子先輩自身も七不思議のひとつだけどね、と呟いた。
宇佐美の話を聞いて、元治は少し考えた後、答える。
元治「うーん…オレと一緒にいると、他の怪異も出てきやすいかもしれないし、逆に出て来ないかもしれないぞ?」
宇佐美「どっちだ」
元治「オレの存在に親しみを感じて出てくるかもしれないし、怖がって出て来ないかもしれない」
遊佐「童子先輩って怖がられてるんですか?」
恐る恐る尋ねた遊佐に、元治は頷いて平然と返す。
元治「ああ。体育館にいる奴はオレが近づくと隠れるな」
もっとも、アイツの活動時間は基本的に真夜中だが、と元治は付けくわえた。遊佐は少しひきつった顔でそうですか、と返す。
元治「まあ、アイツには直接あった事がないから、何で隠れるのか、そもそもどんな奴かも知らないんだけど」
宇佐美「顔を知らぬ隣人、という訳か」
元治があっけらかんと言うと、宇佐美はふむふむ、と頷いた。
遊佐「隣人、って…」
宇佐美「元治は元々夜中に校庭を疾走する怪異だったからな。隣人の様なものだろう」
遊佐「そ、そうなんですか…」
遊佐はひきつった顔でそう返すしかなかった。現在の元治はミス研の部室を中心として校内をウロウロしている怪異なので、ある意味レベルアップしているのではないだろうか。夜中は校庭を走ったりもするらしいし。
ちなみにどういった作用なのかは知らないが、元治は霊感のない人にも本人が姿を見せようと思えば姿を見せる事が出来るらしい。偶に授業に紛れ込む事もあるという話なので、案外悪戯好きなのかもしれない。
宇佐美「まあ、体育館の怪異は置いておくとして、そろそろ行こうか。時間だ」
宇佐美はそう言って楽しそうに笑った。
【校内廊下】
宇佐美を先頭にして、遊佐、元治と一列に並んで三人は歩いていく。他の部活はそろそろ終わって片づけをしているのか、何人かの生徒とすれ違う。
宇佐美「まず、一つ目は…空き教室の鎧武者の怪異だな」
遊佐「…どういう順番ですか」
宇佐美「私が頭を捻った考えた、効率のいい七不思議巡り順だ」
遊佐「…巡りたくない…」
宇佐美が自信満々にいうと、遊佐は頭を抱えてぽつりと呟いた。元治はそれを楽しそうにニコニコしてみている。
宇佐美「アイツは何をするんだったかな…」
遊佐「何もしなくても鎧武者がいるだけであれだと思いますけど」
元治「確か、勝負を仕掛けてくるんじゃなかったか?」
遊佐「何それいきなり危険人物なんですけど!?」
などと騒いでいる内に、怪異が現れる事になっている空き教室の前まで辿り着く。中に人がいる気配はない。宇佐美は全くためらわずに扉を開けた。
【空き教室】
夕日で赤く染まった教室。人の姿はないし、鎧武者の姿もない。宇佐美はがっかりした様な顔をする。
宇佐美「…む、どうやら、いないようだな」
遊佐「そりゃあ、夕方ですもん」
元治「まあ、夜になってから活動する怪異の方が多いからなー」
遊佐は無言で元治を見る。彼は怪異だが、一日中いつでも活動したい時に活動している。幽霊なので眠ったりする必要はないらしい。
宇佐美「むう。一発目から出鼻をくじかれてしまったぞ。なんたることだ」
遊佐「良いじゃないですか別に。さっさと巡っちゃいましょうよ」
さっさと終わらせたい、と遊佐は右手で宇佐美の背中を押す。そして、何時の間にかしまっていた教室の引き戸を左手で動かした。
遊佐「…えっ」
宇佐美「ぬ?」
元治「あれ」
戸の向こうは、屋上だった。それを確認し、遊佐は目を見開き、宇佐美はきょとんとし、元治は不思議そうな顔をする。
元治「扉が別の所に繋がる怪異なんて有ったっけか?」
元治はそう言って出入り口に頭を突っ込む。そして、頭を戻した後今度は、扉の方に頭を突っ込んで、あれー?と言った。
宇佐美「どうした?元治」
宇佐美が問いかけると、元治はまた頭を戻し、いう。
元治「何て言えばいいのかな…開いてる方の扉は屋上だけど、しまってる方は元のままだったぞ」
元治の言葉に、宇佐美は少し考えた後戸を閉め、再び開いた。其処は屋上ではなく、元通り校内の廊下だった。
宇佐美「…どういう事だ?」
宇佐美がぽつりと呟いた。
【プール(更衣室前)】
下駄箱で靴に履き替え(その時に遊佐は自分が土足で校内を歩きまわっていた事に気がついた)三人は校舎の傍にあるプールの前に来ていた。ふと気がついた、という様に遊佐が呟く。
遊佐「…そういえば、まだ部活の生徒が残っている可能性もあるんじゃないですか?時間も微妙ですし」
宇佐美「ふむ、そういえばそうだな。…美術室も、音楽室も、部活の活動場所だからな…」
それぞれ、美術部と吹奏楽部の活動場所である。怪異の話にも真夜中、と付いている。
宇佐美「ぬう…企画に無理があったというのか…?」
元治「まあまあ。それなら真夜中以外にも表れる怪異の所に行けばいいんじゃないか?」
宇佐美「おお、それもそうだな。ナイスな提案だ、元治」
元気を取り戻した宇佐美を見て、満足そうな顔をする元治を見て、遊佐は余計な事を、という顔をする。
宇佐美「プールでの怪異は…夜中に白い手が伸びて来てセクハラを働いてくる、だったか?」
遊佐「何ですかその変態な怪異は」
遊佐が呆れた顔をすると、宇佐美は楽しそうに笑う。
宇佐美「残りの怪異は、真夜中に美術室の石膏像が討論をする、真夜中に音楽室のピアノが勝手に鳴る、体育館でドリブルをする子供の幽霊がいる、夜中に人体模型と骨格標本が走り回る、真夜中に特別棟の二階の階段の踊り場に合わせ鏡が現れる、夜中に歩きまわる二宮金次郎と校長の銅像、それと…」
遊佐「何かもう七不思議じゃない気がするんですが」
数が多すぎる的な意味で。と遊佐がぼやくが、宇佐美は気にしない。指折り数え、おお、と楽しそうな声を上げた。
宇佐美「トイレの花子さんならいるんじゃないか?」
遊佐「…いや、僕は男なんで女子トイレには入りませんよ?」
宇佐美「他の生徒がいなければ問題はあるまい」
宇佐美が平然と言うので、遊佐はぶるぶると首を振った。
遊佐「いやいやいやいや、そういう問題じゃないです」
宇佐美「それに、花子さんは男子トイレにも出るそうだぞ」
遊佐「えっ」
元治「あいつは人を驚かせるのが好きだからなあ」
元治がうんうん、と頷くと、宇佐美はそうなのか、と感心した様な顔をした。遊佐は何処から突っ込むべきかと少し悩んだが、もう触れないでおく事にした。
宇佐美「花子さんが出るのは…本館のトイレだったな」
元治「…いや、最近は新館のトイレが綺麗で居心地がいい、といっていたが」
宇佐美「では、新館のトイレに行くか」
そう言って宇佐美は歩きだした。元治も楽しそうにそれに続く。遊佐は小さくため息をついてそれを追いかけた。
【校内(校舎外)】
ふと気がついた、という様に遊佐は元治に問いかける。
遊佐「そういえば、童子先輩は日が出てる間は校舎から出られないんじゃありませんでしたっけ?」
元治「ああ。だが、誰かに取り憑いている状態になれば結構自由に出歩けるぞ。まあ、そいつの傍を離れることはできないがな」
遊佐「…へえ、そうなんですか」
つまり、今は宇佐美先輩に取り憑いている状態だから大丈夫なんだな、と遊佐は理解した。取り憑く、という言葉に思う所がないではないが、本人達がそれでいいのなら良いんだろう、多分。
元治「ちなみに、傍ってのはオレが相手を認識できる範囲な」
遊佐「…。それって結構広くないですか?それに随分曖昧な気がするんですけど」
元治「そんな事言われても、そうとしか言いようがないからなあ。具体的な数値を出す事は出来ないし」
限界範囲を超えると突然そいつの傍にワープするし、と元治は付け加える。遊佐はそうなんですか、としか言えなかった。
【新館】
新館には一学年分の生徒が入る事の出来る講堂や、AO室、第二視聴覚室、トレーニングルームなどがあり、他の校舎棟より小規模で、数年前に完成したばかりなのでまだ新しい建物である。トイレも全て洋式になっていて、三階建ての各階に一か所ずつある。個室は三つずつで、一番奥は掃除用具入れだ。広さの問題とかで、男子トイレにも小便器は設置されていない。
トイレの扉の前に来た所で、とても嫌そうな顔をした遊佐が二人に問いかける。
遊佐「…そういえば、花子さんは男子トイレにも出ると言ってましたけど…複数いるんですか?」
宇佐美「どうなんだ?」
元治「彼女は一人であり複数人だ。同時に別のトイレに現れる事がある。まあ、同じトイレの中に複数現れる事はないがな。ちなみに意識は共有できるらしい」
遊佐「…そうなんですか」
宇佐美「ふむ、それは興味深い話だな。全く以って何の必要があっての事かは分からないが」
元治「…必要とかいう問題じゃあないと思うが」
宇佐美「そうか?」
元治「彼女は俺よりも長く学校にいるしな」
肩を竦めてそういった元治を見て、遊佐はふと、彼はいつからこの学校の地縛霊をやっているんだろう、と思った。
【新館・男子トイレ】
いやいやながらトイレに入った遊佐は小さく息を吐いて前を見た。トイレの個室は誰も入っていないことを示す様に扉が開いており、一番奥の掃除道具入れの扉だけが閉まっている。元治は(遊佐にとっては意外な事に)オレも男だし、と宇佐美についていく事を断り、遊佐の方についてきていた。遊佐はふと、ある事を思い出し、頭をかく。
遊佐「…僕、どうすると花子さんが出るとかそういう細かい所を知らないんだけど」
遊佐がそう呟くと、元治は苦笑する。
元治「"花子さん遊びましょう"と呼びかけると出てくる、という事になっているが」
そこまで言った所で、一旦言葉を切ると、二番目の個室に目をやる。
元治「こういう話を此処でしている時点で、勝手に出てくるんじゃないか?」
「勝手に出てくる、ってのは大層な言い方じゃない?」
聞き覚えのない声がし、遊佐はびくりと肩を震わせる。恐る恐る振り返ると、そこにはおかっぱ頭の女の子が立っていた。赤いスカートをはいた、小学生くらいの女の子だ。前髪に隠れて目が見えない。彼女が花子さんなのだろう、と遊佐はわかった。
花子「もっちーの分際で生意気ね。怪異になってから余り経ってないくせに」
遊佐はもっちーとは元治の事だろうか、と思う。いや、文脈的には彼以外にはありえないのだが。元治は苦笑する。
元治「これでも、怪異になって十年は経ったけどな。まあ、花ちゃんには十年なんてちょっとなんだろうけど」
花子「あら、そうだったかしら。まだ3年もたってないと思ってたわ」
発言が微妙に老人っぽいな、と遊佐が思った時、何だか花子さんに睨まれた気がして、遊佐は思わず身を強張らせた。
花子「そういえば、あの子とつるむのはやめたの?ウサギちゃんだっけ?」
元治「ウサギじゃなくて宇佐美だ。アイツも隣のトイレにいる筈だが?ウサジロウはアイツの後輩だ」
遊佐「いや、ウサジロウじゃなくて遊佐ですってば」
遊佐がいつものように訂正すると、花子はくすくすと笑った。
花子「怪異と仲良くする様な変わり者はウサギちゃん一人かと思ったけど、そうでもないのね」
遊佐は何とも言えない顔をした。元治は楽しそうに笑う。
元治が花子に逢魔が時の話をすると、花子はふうん、と呟いた。
花子「まあ、逢魔が時に行動する怪異がいない訳じゃないのよ」
赤マントとか、口裂け女とか、と花子さんは幾つかの怪異の名をあげる。遊佐は出来る事なら会いたくないなあ、と小さくため息をつく。それを見て、花子は不思議そうな顔をした。
花子「ウサギちゃんは嬉しそうなのに、ウサタンは嬉しそうじゃないのね」
遊佐「ウサタンじゃなくて遊佐です。…僕は別に、好んで怪異に会いたいとは思わないんで」
花子「変な子」
遊佐が目を逸らしながら言った言葉に、花子はきょとんとして返す。
花子「それじゃあ、何故私に会いに来たの?」
遊佐「それは…」
遊佐が言葉に詰まると、花子はいう。
花子「怪異に関わっていると、それだけ怪異に近くなるのよ?本当に怪異に会いたくないなら、もっちーとも会わないようにするのね」
遊佐「怪異に、近くなる…?」
遊佐が聞き返すと、花子は呆れた様な顔をした。
花子「そう。怪異の影響を受けて、怪異に近づいていく。そして、最後には怪異そのものになる」
遊佐「怪異、そのもの…」
え、何そのホラー。遊佐が呟く。それを聞いて元治は苦笑し、花子は見下した目で遊佐を見た。
元治「まあ、生きながら怪異になる奴なんて、そうそういないらしいけどな」
【新館・トイレ前】
二人がトイレから出ると、既に宇佐美はトイレから出て来ていた。
宇佐美「なにやら、話しこんでいたようだな」
元治「ウサジロウは怖がりだからな」
遊佐「だからウサジロウじゃなくて遊佐ですってば」
遊佐がうんざりしながらも訂正すると、元治は楽しそうに笑った。
宇佐美「ウサタンが怖がりなのは知っていたが、花子さんに泣きつきでもしていたのか?」
遊佐「泣きついてないですしウサタンじゃなくて遊佐です」
宇佐美「ウサタンはしつこいなあ?元治」
遊佐「しつこいのは部長です!」
窓から外を見て、元治が口をはさむ。
元治「すっかり日が暮れてしまったな。もう帰った方がいいんじゃないか?」
元治の言葉を聞いて、宇佐美は腕時計を見て渋い顔をする。
宇佐美「…む、確かにそろそろ下校時間だな。他の七不思議の調査はまた後日、とするか」
宇佐美の言葉に、遊佐は小さく安心した顔をした。小さな声で、やっと帰れる、と呟く。それを聞きつけた宇佐美がニヤリ、と笑みを浮かべる。
宇佐美「…と思ったが、このまま夜の七不思議調査と行くか」
遊佐「?!」
遊佐が酷くショックを受けた様な素振りを見せると、元治が苦笑する。
元治「…流石にそれは冗談が過ぎるんじゃないか?ウサギ」
宇佐美「そうか?」
元治「流石に、何の準備もなく夜の学校を徘徊するのはどうかと思うが」
それはもしや準備をすればいいという事ですか先輩。遊佐が心の中で呟いていると、宇佐美は小さく苦笑する。
宇佐美「…まあ、冗談だが」
遊佐がほっとしたように小さくため息を吐くと、宇佐美は意地悪な笑みを浮かべる。
宇佐美「夜の七不思議は近日中に実行するぞ。今度はちゃんと愛ちゃんもいる時にな」
元治「確かにあいつだけ仲間外れにするのはよくないからな」
元治は肯定の意を示したが、遊佐は何とも言えない顔をした。
【校舎内・廊下】
部室から荷物を持ってきた遊佐と宇佐美は下駄箱に向かっていた。最短距離を行こうと考えた為、例の空き教室の前を通るルートだ。前方にあの教室が見えた時、中から、がたん、と音が鳴る。宇佐美は喜々としてそこに入ろうとするが、遊佐はそれを必死に止める。
宇佐美「離したまえウサタン!私はミス研部長として中の怪異と対面する義務があるっ」
遊佐「そんな義務とかある訳ないじゃないですか。準備もせずに鎧武者と対決するとか無茶ですってば部長!」
元治はどちらの言い分も理解できるのか、困った顔をしている。二人が騒いでいると、突然教室の窓が開いた。そこから、骸骨の様な顔をした甲冑武者が顔を出す。
武者「一体何を騒いどるんだ。子供はもう家に帰る時間だぞ」
遊佐は吃驚してぴゃっ、とかよくわからない悲鳴を上げたが、宇佐美は楽しそうに目を輝かせる。元治は普通にあいさつをする。
元治「すいません。すぐ帰らせますんで」
武者「うむ。親御を心配させるのはいかんぞ。親不幸はしちゃいかん」
武者は満足したように頷き、顔を引っ込めると窓を閉めた。
宇佐美「どうやら、見た目は恐ろしいが善人の怪異の様だな」
遊佐「善人の怪異って何ですか、善人って」
遊佐は深くため息をついた。
【街路】
校門の所で元治と別れた二人は、並んで歩いていた。二つの怪異に出会えた事で上機嫌になっているらしい宇佐美を見て、遊佐は首を傾げて問いかける。
遊佐「…部長は、何でそんなに怪異が好きなんですか?」
宇佐美「楽しいだろう」
遊佐「…えっと」
宇佐美「楽しいだろう?」
遊佐「…ソウデスネー…」
遊佐が棒読みで言って目を逸らすと、宇佐美はくすくすと笑った。
宇佐美「ウサタンにはわからないかな?"常識の範囲の事"など退屈なものばかりだが、怪異は常識というものをぶち壊してくれるからな。今度は何が起こるか、とわくわくする」
遊佐「…でも、危険な目にあうかもしれません」
宇佐美「その時はその時さ。私は、自分の快楽の為に命を賭ける事を躊躇ったりはしないよ」
遊佐「…僕は賭けたくないです」
宇佐美「…まあ、そこは人それぞれ、価値観の問題だからな」
宇佐美はそう言って肩をすくめた。
【教室】
あれから二日後の昼放課、宇佐美から送られてきたメールを見て、遊佐は疲れた顔をした。内容は、明後日に夜中の七不思議調査を敢行するというものである。内容からして、部員(といっても、実際活動しているのは部長を除けば二人)に対して一斉送信されたものなのだろうが。
遊佐「…ていうか、準備って何を準備しろっていうんだよ…」
遊佐がぼやくと、隣の席の少年が反応した。
「どうした?ウサ。携帯見てため息つくとか」
遊佐「ウサじゃなくて遊佐だってば。…いや、部長から部活の時間外行動の連絡が来て…」
「ふーん。大変だな」
少年の答えに、遊佐は乾いた笑みをこぼす。否定できない。今までに出会った怪異は、何と言うか、人畜無害というか、友好的だったが、この学校に存在する怪異の全てがそうだとは限らないのだ。
遊佐「…しっかり準備した方がよさそうだな」
遊佐は金曜日の事を考えて小さくため息をついた。
【校舎内の廊下】
校舎内の廊下で偶然元治に出会った遊佐は、これ幸いと遊佐に具体的に何を用意しておくべきか尋ねることにした。
遊佐「こんにちは、元治先輩」
元治「ああ、こんにちはウサジロウ」
遊佐「いや、だからボクはウサジロウじゃなくて遊佐ですってば。…じゃなくて、例の夜の七不思議調査って何を用意しておいた方がいいんですか?」
遊佐の問いかけに、元治は少し考えた後、答える。
元治「そうだな…とりあえず、ライトは当然だろう。それに、塩と何か身を守る為に使えるもの、ってところか」
遊佐「塩…ですか」
元治「気休め程度だがな。無いよりはましだろう。後、多分ライトは複数用意しておいた方がいい」
遊佐「予備を持ってきた方がいいという事ですか?」
元治「人間は突然明かりがなくなるとパニックになる事が多いからな。それに、電池が切れたら困るだろう」
遊佐「あー…」
元治「どうせだから、アイにも伝えておくといい。本格的な対怪異用の道具は必要ならウサギが用意するだろうしな」
遊佐「…へー…そうなんですか…」
遊佐は、本格的な対怪異用の道具、って何ですか、という疑問は、飲み込んだ。
【校門前】
そして、二日後の金曜日。ミス研部員三人は校門の前に集合していた。元治は基本的に学校の敷地から出られないので、校門の内側にいる。
宇佐美「うむ、二人ともちゃんと時間通りに来たな」
遊佐「…ええ、まあ」
愛花「えへへ、わくわくしますね!」
宇佐美「そうだろう、そうだろう」
其々いったん家に帰った為、私服に着替えている。元治だけはいつも通りの制服姿だが。
元治「それじゃあ、門を開けるぞ」
元治がそういうと、門が軋んだ音を立てて動き、人が一人通れるほどの空間が空いた。宇佐美は礼を言ってそこを通り、愛花と遊佐もそれに続く。三人が通ると、再び門は動いて閉じた。
【校庭】
宇佐美「どういう順で回ろうか。…やはり、校庭からか?」
愛花「校庭にいるのは、確か二宮金次郎さんでしたっけ」
宇佐美「後、校長の銅像もな」
和気あいあいと話をしている女子二人を見て、遊佐は小さくため息をつく。それを見て、元治は不思議そうな顔をした。
愛花「あ、っていうか、あそこを走ってるの、二宮さんじゃないですか?」
宇佐美「何処だ?」
愛花「ほら、あそこです」
愛花が指さす先には、確かに何かが走っている。
遊佐「…二宮金次郎は歩きまわるんじゃありませんでしたっけ」
元治「偶には走りたい時もあるんじゃないか?」
遊佐「…そういう話なのかなあ」
二宮金次郎(らしきもの)は、何やら校庭のある部分を行ったり来たりしている。
宇佐美「…あそこは確か、短距離走のコースの描いてある辺りだったな」
愛花「速く走る練習でもしてるんですかねぇ」
遊佐「…何で?」
愛花「うーん…誰かと競争するとか」
宇佐美「確か、この学校で走る怪異と言えば、アイツと校長の銅像と、人体模型と骨格標本のコンビと、ついでに元治か」
元治「そういやあ、オレ最近あんまり校庭を走って無いなあ」
元治が少し困った様な顔をして言うと、宇佐美は意外だ、という顔をした。
宇佐美「大丈夫なのか?元スプリンター」
元治「元、は止めてくれ。ミス研に入ってもオレはスプリンターだ」
愛花「童子先輩ってスプリンターだったんですか?」
元治「ああ。元陸上部だ」
宇佐美「そっちは元でいいのか」
元治「実質活動はしていないからな」
ちなみに荒崎高校では部活のかけもちは可能だが、非推奨である。どちらかの部活がおろそかになったりした場合、そちらの部活の登録が抹消されたりする。
遊佐「…何か、二宮さん(仮)こっち見てません?」
遊佐がそういうと、他の三人の視線も二宮(仮)へと向かう。二宮(仮)は丁度、走り終わったと思われる位置からじっとこちらを見つめている。宇佐美はにやり、と笑みを浮かべた。それを見て遊佐は嫌な予感を覚える。
宇佐美「声をかけてみよう。おーい!」
宇佐美が大声で呼びかけて手を振ると、二宮(仮)も手を振り返した。宇佐美は愛花と遊佐の手を掴んで二宮(仮)に駆け寄る。元治も苦笑を浮かべてそれを追いかけた。
二宮(仮)、もとい、二宮金次郎像が(身ぶり手ぶりと元治の通訳により)語った所によると、彼は元治との短距離走で勝つ為に、最近夜な夜な校庭でランニング練習をしていたらしい。元治曰く、そういえば前勝負挑まれてあっさり勝ったわ、ということで、どうやらその雪辱がしたかったらしい。
元治「と、言われても、オレもスプリンターとして負ける訳にはいかないから本気で行くけどな」
元治はそう言って口元だけで笑って見せる。何やらファイティングポーズらしきものを取る二宮を見て、宇佐美が言う。
宇佐美「ならば、今から此処で勝負をするか?」
元治「オレは構わないが」
二宮は肯定の意を示す。かくして、突発的な二宮VS元治の短距離走対決が決まったのだった。
スタート役は遊佐、ゴールでの判定は愛花と宇佐美が務める事になった。遊佐は小さくため息をつくと、スターティングポーズを取る二宮と元治の横で右手を上にあげた。
遊佐「いちについてー…よーい…どん!!」
今一やる気のない遊佐のスタートの合図で、二人は走りだす。元治は1秒でトップスピードになり、追いすがる二宮をあざ笑うかのように一馬身程の差をつけてゴールした。二人とも到底普通の人間では真似できないようなスピードである。
元治「今回もオレの勝ちの様だな」
元治はにやりと笑い、二宮はorzの姿勢を取り、悔しそうに地面を叩く。二人の様子を見て、宇佐美は感心したように言う。
宇佐美「流石元治。地獄のスプリンターと呼ばれただけあるな」
元治「実際に地獄を見た事はないけどな」
愛花「そうなんですか?」
元治「ああ。少なくともオレは、死後の世界という奴は見た覚えがない。死んだと思ったら此処にいて、それだけだ」
愛花「そうなんですかー…」
二宮が立ちあがって勢いよく元治に指を突きつけた後、走り去る。呆然としてそれを見送った遊佐が元治に問いかける。
遊佐「…何言ってたんですか?」
何となくわかる気はしますけど、と遊佐は呟く。元治は苦笑を浮かべる。
元治「今度は負けないからな、だそうだ。半泣きだったな」
予想通りだったか?と元治が付け加えると、遊佐は乾いた笑いでそれに答えた。
【校舎内の廊下】
プールから伸びる白い腕に手を振ってあいさつしたら尻を撫でられたり、ボールの跳ねる音がするので体育館を覗いてみたら元治がそばにいるからか誰もいなかったり、校長の銅像とすれ違ったり、あの鎧武者に窓の外から目があったので軽く挨拶したりしつつ、校舎の中に入った四人は、さらに、人体模型と骨格標本(何やら仲睦まじい様子だ)が追いかけっこをしているのを見つけた。
宇佐美「"やーん、まってー"、"あははは、つかまえてごらーん"」
遊佐「妙なアテレコしないでください」
愛花「でも、仲よさそうですねー」
元治「まあ、普段から隣通しで並んでる訳だしな」
ちなみに二体の本来の居場所は第一理科室である。あと、人体模型は内臓が取れる仕様だったりする。
宇佐美「あと、幾つ怪異が残っていたかな…」
愛花「えーと…美術室の石膏像と、音楽室のピアノと、階段の合わせ鏡、花子さん、って所じゃないですか?」
宇佐美「此処からだと…一番近いのは音楽室か。よし、音楽室から合わせ鏡を通って、美術室に行くとしよう花子さんは帰りがけでいいだろうしな」
【音楽室】
音楽室からはピアノの音が響いている。宇佐美は躊躇いもせず大きく音楽室の戸を開けた。ピアノはそんな事全く気にせず、モーツァルトの"アイネクライネナハトムジーク"を演奏している。教室の後方に並んだ音楽家の肖像画の目が光るのを見て、遊佐は少し怯んだが、他の三人に続いて音楽室の中に入った。
ピアノを弾いている目に見える存在はなく、鍵盤が勝手に沈んでいる様に見える。
宇佐美「…あ、今とちった」
その瞬間、モーツァルトの目が大きく光った。どうやら怒っているらしい。ピアノは一瞬怯んだように止まったが、何事もなかったかのように再び演奏に戻る。基本的に、素晴らしい演奏である。
愛花「…何ていうか、ピアノのレッスンを受けてるみたいな感じですね」
愛花はそう言ってピアノとモーツァルトを見る。宇佐美はそれに同意し、元治は苦笑し、遊佐は首をすくめた。
【特別棟・二階階段踊り場】
音楽室から出た一行は、階段を下りていた。音楽室は特別棟の三階にあり、美術室は特別棟の一階にある。そして、合わせ鏡が現れるのは特別棟の二階の踊り場だと言われている。そこには、生徒が服装を直したりする為に、大きな鏡が設置されている。
愛花「合わせ鏡って、此処でしたよね」
愛花と宇佐美が鏡を覗き込む。右下に寄贈、という文字と日付が書かれている。何の変哲もない普通の鏡だ。遊佐は二人の後ろで落ちつかなげにしている。
遊佐「夜中の合わせ鏡って何か危ないんじゃなかったですっけ。何か、変なものが映る、とか」
元治「いや、ここの怪異はそういう内容ではなかったと思うが」
遊佐「そうなんですか?」
元治「ああ、確か…」
元治が何か言おうとした時、踊り場に設置されていた鏡の正面に大きくて古そうな鏡が出現する。
宇佐美「ああ、これが合わせ鏡の怪異の主役か」
古びてはいるが、なんだか細かい細工の施された鏡である。遊佐は、それに不気味さと嫌な予感を感じ取った。
遊佐「部長…」
早く次に行きましょうよ、と言おうとした所で、鏡が輝き始める。そして、自分達が鏡に向かって吸い込まれている様に引き寄せられている事に気がついた。
遊佐「これって、マジでやばいんじゃ…」
踏ん張ろうとするが、じりじりと引き寄せられる。元治だけは鏡に映っていなかったからか、引き寄せられていないのを見て、遊佐は元治に呼び掛ける。
遊佐「童子先輩!」
そして、愛花を元治の方に突きとばす様にして影響範囲から脱出させる。
愛花「ウサ君!」
まるで、水に沈みこむような感触で、遊佐は古い鏡に吸い込まれた。
【鏡世界】
遊佐「…僕はウサじゃなくて遊佐だって言ってるのに」
遊佐はそう呟いた後周りを見回した。場所は先ほどまでと同じ、特別棟二階階段の踊り場の様だったが、鏡にうつしたように反対だった。まあ、鏡の中何だから当然か、と遊佐は現実逃避ぎみに考える。そして、隣に立っていた宇佐美に問いかける。
遊佐「…どうしましょう」
宇佐美「ずっとここに突っ立っている訳にも行くまい。何か、元の場所に戻る方法がある筈だと思うんだが…」
遊佐は、小さく体を震わせる。
遊佐「…何か、嫌な感じがしませんか?それに、全然全く人の気配がしませんし…」
宇佐美「鏡の中に住民などいない、という事だろう。所詮、鏡像とは虚像だという事だ」
宇佐美はそう言って顔を顰める。そしてうんざりした様な声で言う。
宇佐美「…それに、"人間以外"ならいるようだ」
下の階から、何かが上がってくるのを感じ取り、遊佐はびくりと肩を震わせた。
遊佐「ど、どうしましょう、部長!」
宇佐美「ふむ…対峙するのも一つの手だが…」
宇佐美はそこまで言って言葉を切り、とても嫌そうな顔をした。
宇佐美「どうやら、厄介なものの様だ。…逃げるぞ、ウサタン」
宇佐美はそういうと遊佐の手を掴んで走り出す。
遊佐「だからボクはウサタンじゃなくて遊佐ですってぇっ」
遊佐は一瞬視界の端に何か得体のしれないものが映った気がしたが、それを見なかった事にして走る事に集中する事にした。
校舎の中は、他にも何か得体のしれないものが徘徊していた。それを見て、宇佐美が遊佐の右腕をぎゅっと抱きしめる。遊佐は、部長でも何かを怖がることがあるのか、と思った。まるで、普通の女の子みたいだ、とも思った。そして、守らなきゃいけない、と思った。
遊佐「…闇雲に逃げても、ダメみたいですね」
宇佐美「…ああ、そうだな」
遊佐「でも、あの場所に戻るのは危険かもしれない」
走り回った結果、二人には現在地がよくわからなくなっていた。何時の間にか宇佐美の手を遊佐が引く形になっていた際、何度か通った扉が不可思議な繋がり方をしていた為でもある。
遊佐「…何か、考えないと」
合わせ鏡の怪異…鏡…鏡?ふと、遊佐は何度か通った廊下に、在った筈の鏡が無かった事を思い出した。
遊佐「…他に鏡がある場所と言えば」
トイレ、と遊佐は呟く。同時に、花子さんの事を思い出した。彼女に接触できれば、長く怪異として存在し、他の怪異の事もよく知っているらしい彼女の事だ、何か、解決法のヒントくらいは教えてくれるかもしれない。
遊佐「行きましょう、部長。花子さんなら、何かわかるかもしれない」
宇佐美「…ああ。行こうか、遊佐」
遊佐がそう言って空いている方の手で戸を開け、其処に入ると、
【トイレ】
花子「あら、御帰り」
遊佐「…え?」
宇佐美「やあ。酷い目にあったよ」
遊佐と宇佐美が通り抜けると、勝手に戸が閉まる。遊佐が振り返ると、其処はトイレの個室の扉だった。そして、ふとトイレの鏡に目をやって驚く。そこには、鏡の世界で徘徊していた何かが、恨めしそうな顔でこちらを睨んでいた。
怯む遊佐に、花子がくすくすと笑って言う。
花子「心配しなくとも、あいつはそこから出てきたりはしないよ。アイツらは鏡の中じゃ無敵だけど、こっち側に来ることはできないから。だから鏡が向こう側に獲物を呼びこむのよ」
それに、トイレは私の領域だし、と花子は付け加える。それを聞いて遊佐は呆けた表情で呟く。
遊佐「…って事は、ここは、鏡の中じゃなくて、元の世界、ですか?」
花子「ああ。よく頑張ったね。…といっても、そんな方法で帰ってくるとは思わなかったけど」
宇佐美「何処でもドアが役に立つこともある、という事だ」
宇佐美が力ない笑顔を浮かべるのを見て、遊佐は意外に思った。
花子「今、もっち―達にあなたたちが此処にいる事を伝えたわ。すぐに来ると思うわよ」
遊佐「そういえば、此処は何処のトイレですか?」
花子「西棟の一階の女子トイレよ」
それを聞いて、遊佐はほんのり頬を染めて微妙な顔をした。
少しして、花子の言ったとおり、少し慌てた様子で愛花と元治がトイレに入ってきた。
愛花「もう、吃驚したんですよ。ウサギ先輩とウサ君が鏡に吸い込まれた後、鏡が消えちゃうし。どうしようかと思いました」
元治「アイとどうしようかと話して、花ちゃんに相談しようという事になったんだ。そうしたら、中々花ちゃんのいるトイレが見つからなくて…少し、疲れたよ」
宇佐美「おや、元治も疲れることがあるのか」
元治「精神的な意味でな。お前達が鏡に喰われたまま帰って来られなくなったらどうしようと思った」
宇佐美は小さく目を見開いた後、苦笑を浮かべた。
宇佐美「私はそんなに軟弱じゃないさ」
花子「ウサギちゃんはそういうけどね、あの鏡の怪異だけはこの学校の怪異の中で洒落にならない奴なのよ。脱出方法は本来二つしかないし」
宇佐美「その二つ、とは?」
花子「一つは外側からどうにかして鏡に逆に動かさせて、吐き出させる。もう一つは、中で自分で合わせ鏡を作って、其処を出口にする」
花子は順々に指を示して言った。遊佐はそれを聞いて、小さく呟く。
遊佐「…って事は、一応、トイレに向かおうとした僕の行動は間違ってなかったんですか?」
花子「ええ。鏡の中とはいえ、トイレに変わりはないから、私が直接あちらに行く事は出来ないけれど、ヒントを伝えることはできただろうし、鏡も一つ分はあったでしょうね」
自分で鏡を持っていなければ合わせ鏡にはできないけど、と花子は付け加える。
宇佐美「あまり大きなものではないが、手鏡なら持ってきていた」
宇佐美はそう言って自分の荷物を示す。
愛花「そういえば、どうやって戻ってきたんですか?その様子じゃ、正規の脱出方法じゃなかったみたいですけど」
愛花がそう言って首を傾げる。遊佐は自分でもよくわからないので困った様な顔をし、宇佐美は意味ありげに笑う。
宇佐美「今回は、何処でもドアが役に立ってくれたのだよ」
愛花は宇佐美の答えを聞いてきょとんとしてまた首を傾げた。
【街路】
あの後、花子に礼を言ってトイレを後にした彼らは、美術室で石膏像が女性の美しい体系について議論しているのを冷めた目で見た(主に女性陣)後、さっさと帰る事にした。何だかんだいって、宇佐美が知っている怪異を全て確認した、ということもある。校門で元治と別れた後、三人は暗い街路を歩いていた。街灯があるとはいえ、十分ではない。帰るまでマグライトは消せないな、と遊佐は思った。
三人とも同じ方向に家がある為、途中まで道は同じである。歩きながら、ぽつり、と遊佐は呟いた。
遊佐「…それにしても…何でこう、変な所に行っちゃうんでしょう」
宇佐美「おや、気づいていなかったのか?」
遊佐がため息をつくように呟くと、宇佐美が不思議そうな顔をした。愛花はきょとんとした表情を浮かべている。遊佐は一瞬ためらったが、宇佐美に問いかける。
遊佐「…何をですか?」
宇佐美「君が左手で開けたドアを何処でもドアにしてしまう能力の持ち主だという事さ」
遊佐「…え」
愛花「ええっ、それはすごいです!」
宇佐美「コントロールが効いているなら便利な事この上ないんだが、残念ながらそうではないようだがな」
よく考えてみると、確かに変な所に繋がってしまった時はいつも左手でドアを開けていた様な…。遊佐はそう考えて、鏡世界でのことを思い出し、眉根を寄せた。
遊佐「…あれ、でも、だとすると、あの時部長が僕の右手を掴んでたのって…」
宇佐美「うむ。確証が欲しくてね。右手が使えねば左手を使う他ないだろう?」
遊佐「っ…騙されたっ…」
僕の純情を返してくれ!!と、心の中で悶える遊佐を見て、愛花はまたきょとんとし、宇佐美は楽しそうに笑う。
宇佐美「どうした?面白い顔だぞ」
遊佐「面白い顔で悪かったですねっ」
そうだった…あの部長に何か怖がるとかそういう普通の女の子みたいな所なんて有るわけがないんだった…。まんまと騙された僕が馬鹿に決まってるんだ…。遊佐は心の中でそう呟いて、拗ねたようにそっぽを向いた。それを見て、宇佐美はくすりと笑った後、今思い出した、という様に言う。
宇佐美「…そういえば」
宇佐美の言葉に遊佐が疑問符を浮かべると、宇佐美はにやりと笑った。
宇佐美「あの時は中々かっこよかったぞ。君にも頼れる所があるのだと見直した。…ふふ、また同じような事があったら、同じように私を守ってくれるかい?」
遊佐は宇佐美の言葉に含まれる意味を図りかね、小さく肩をすくめる。
遊佐「…部長の方がオレより強いじゃないですか」
宇佐美「そうかな?」
遊佐「そうですよ」
宇佐美がニヤニヤと問いかけると、遊佐は疲れた様な顔をする。
遊佐「人類で部長より強い人なんてそうそういません」
愛花「確かに、ウサギ先輩最強っぽいですよね!」
宇佐美「…それは、褒め言葉かな?」
宇佐美が心外そうな顔をして問いかけると、愛花はにっこり笑って頷き、遊佐はそっと目を逸らした。
遊佐「…別に、貶している心算はないですけど」
宇佐美「じゃあ、どうしてるつもりなんだい?」
遊佐「……事実を述べただけです」
宇佐美「事実を述べただけ、ねぇ?」
宇佐美が意味ありげに微笑むと、遊佐は沈黙する。すると、宇佐美は小さく肩をすくめて笑う。
宇佐美「…まあいい。ならば君は最強たる私の為に、粉骨砕身、捨て駒として頑張ってくれたまえ」
遊佐「なんでそうなるんですか?!」
宇佐美「さあ、何でだと思う?」
遊佐はまた沈黙した。すると、宇佐美はクスクスと楽しそうに笑う。
宇佐美「捨て駒というのは冗談だよ。君も愛ちゃんも我がミステリー研究会の大切な部員だからね」
愛花「はい」
遊佐「…嘘っぽいです」
愛花は嬉しそうにうなずいたが、遊佐は呆れた様な顔をして呟いた。
「今後の展開」
遊佐に何処でもドアを作り出す能力があることが判明し、宇佐美は遊佐にその能力のコントロールができるようになれと言い渡す。遊佐も能力のコントロールは出来るにこした事はないとは思うが、何となく納得がいかない。
そんなある日、遊佐がいつもの様に能力を使用したところ、扉が戦場の真ん中に開いてしまう。




