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家に帰ると、全身にまとわりついた怪物の血をシャワーで洗い流した。市販のボディーソープを使っても全然落ちなかったが、創士が用意した黄色い液体をかけて擦ると、徐々に流れ落ちた。宇宙船の汚れを落とす洗剤らしい。もちろん、普通の人間の肌に直接使うことはできないらしい。
巨大な鋏で切りつけられたはずだが、目立つ外傷は無く、擦り傷が数カ所あるだけだった。
一応、検査とメンテナンスをするということで、地下の宇宙船に連れて行かれて、MRIのような機械に入れられたり、全身に電極を付けて、電気を流されたりした。
「外装甲に問題はなさそうだが、背中側の内部機構の継ぎ目が、ほんの少し緩んでいるようだ。今回の戦闘で損傷を受けたせいなのかはわからないが、念のために締めておこう」
里美は手術台の上にうつ伏せに寝かされ、背中の皮膚を剥がされた。背後では、創士がマニピュレーターを操作している。時折、機械の回転音や、金属を削るような音が聞こえてきた。異様な光景には違いないが、里美はもう驚かなかった。今日起きた出来事の全てが、現実離れしすぎていて、他人事のような気がしていた。
「ねえ、大丈夫なの?」
「心配ない。すぐに直るさ」
里美はぼんやりと目の前の機器のランプを眺めていた。緑色に点滅している光が、時々オレンジ色に変わる。ランプの上には、見たことのない文字が並んでいた。
「ねえ、お父さん」
「なんだい?」
「お父さんは、本当に遠い星から来た、宇宙人なんだね」
「地球人から見たら、そういうことになるな。だが、私たちオルバル人から見れば、地球人が宇宙人だ」
「確かにそうだけど・・・。お父さんはどうして地球に来たの?」
「簡単に言うと、地球の生態調査だな。宇宙は広いとはいえ、大型の生物がいる星は少ない。ましてや、知性を持った種族がいる星はもっと希少だ。それに、鉱石も、オルバルでは珍しいものばかりだ」
「お父さんは、その・・・地球を侵略しに来たわけじゃないんだよね?」
里美はずっと不安に思っていた事を口に出した。
「違うよ。地球への航路が、もっと早く、オルバルの植民地主義の時代に見つかっていれば、その可能性もあったのだろうが、現在の連邦議会は、先住民のいる星に対しては平和路線を取っている。なるべくその星の住人の好きなようにやらせようという事さ」
「良かった・・・でも、それならどうして、堂々と地球人にやって来ないの? 地球人と仲良くなりたい宇宙人がいるって、世界中の人に知ってもらえれば、もっと仲良くなれると思うんだけど」
「個人的な心情では、私も賛成したいところなんだけどね。現在の地球は、国同士がいがみ合っている。特定の国に、地球の先端技術よりも遥かに進んだ科学技術を持ち込んだら、確実にパワーバランスが崩れ、世界中に大きな混乱と争いをもたらすことになる。それは我々の望むところじゃない。それに、地球の生態系は私たちから見ても非常に珍しいんだ。これを破壊する可能性がある行為には、特に慎重にならなければならない」
「地球の皆が仲良くなれば、交流できるの?」
「あるいは、地球の技術がずっと発達すればね・・・。現時点では、どちらも難しいだろうけれど。少し、台を動かすぞ」
手術台が傾き、右脇腹が下になった。ずり落ちるんじゃないかと思ったが、ベルトで固定されている事に気がついた。
「接着剤が乾くまで、少し待ってくれ」
創士はマスクを外して、汗を拭った。里美の背中はいまだに開いたままだ。
「背中がスースーするよ」
「本当か? 感覚は遮断しているはずだが」
創士は急いで端末を調べ始めた。
「ごめん、冗談だよ・・・」
「こんな時にふざけるんじゃない!」
「ごめんってば。オルバル星人には冗談が通じないの?」
「そんな事はない。オルバルにもコメディアンは存在する。私はあまり好きではなかったが」
「向こうでもそんな感じだったんだね・・・」
首を右上に向けると、テーブルの上に、宇宙船と思われる流線型の船の模型が見えた。細部まで、緻密に作られている。その隣には、先ほどまで飛び回っていた銀色の球体が、真ん中の窪んだ台座の上で休んでいた。充電しているのだろうか。
「ねえ、お父さんが地球に来た時の話を聞かせてよ」
「今、聞きたいのか?」
「うん」
「そうか・・・自分の事を話すのは苦手なんだがな」
前置きをして、創士は話し始めた。
「今から17年前、私はオルバルで辺境惑星の研究員に志願し、希望通り地球に派遣される事になった。私は、映像でしか見た事のない、地球の生物や、地球人に会える事に心踊らせて、この宇宙船で地球に向かっていた。しかし、地球への旅路はトラブル続きだった。機体の不備で2度も出発が延期になったし、航路の計算ミスで大きな回り道をしてしまったしな・・・。
その上、地球に着く少し前に、エンジンが完全に機嫌を損ねてしまった。それでもサブエンジンは生きていたから、引き返すよりはと予定通り地球へ向かったけれど、よほど運に見放されていたのか、大気圏を抜けたところでサブエンジンまでも故障してしまったんだ。船は着陸予定の座標を大幅に通り越て、重力に引かれるままに落ちて行った」
「本当はどこに向かっていたの?」
「アラスカのあたりだな」
「アラスカ? なんでそんなところに」
「とにかく、人目につかない場所に着陸しようとしていたんだ。しかし、結局船はこの珠洲原町に流れ着いた。暗い夜の森が、高速で目の前に迫ってきて、私はもうダメだと思った。死を覚悟したよ。しかし、運がいいのか悪いのか、地表にぶつかる直前でサブエンジンが息を吹き返した。機体を持ち直すには至らず、結局墜落したのだが・・・ともかく私は地球に来た途端に木っ端みじんになる事は避けられた。
数十分後、宇宙船の中で目を覚ました私は、自分が生きている事に驚いて、宇宙の意思に感謝したよ」
「宇宙のいし? 神様みたいなもの?」
「元々そういう意味なのだろうが、もはやただの慣用句だな。あまり気にしないでくれ。
宇宙船の前方は損傷が少なく、コックピットは比較的無事だった。そうは言っても、落ちて来た天井に押しつぶされて、ひどい怪我を負っていたのだが。額に触ると、手が真っ赤になるぐらい血が流れていたし、左足は梁に挟まれてほとんど感覚が無くなっていた。宇宙服に装備していた道具を使い、なんとか瓦礫から這い出すと、左足があり得ない所から曲がり、つま先は後ろを向いていたよ」
創士は自分の左足を指して説明した。
「うわー、痛い痛い・・・」
「意識がはっきりしてくるにつれて、激しい痛みが襲って来た。私は落ちて来た金属片を杖代わりにして船内を移動し、宇宙船の状態を確認したが、船内の動力は全て停止していた。この医務室も入り口から大きく潰れ、設備は全く使い物にならなかった。
焦ったよ。せっかく助かったと思った自分の命が、再び危機的状況に陥った事はもちろんだが、それよりも宇宙船を地球人に発見されることを怖れた。動力が停止しているなら、船の光学迷彩も機能していないはずだ」
「光学迷彩って、透明になるやつ?」
「透明というよりは周りの景色に合わせた擬装だな。覗き窓から外を見ると、暗闇が広がっていた。人間が大勢いる街中に落ちなかったのは不幸中の幸いだったが、光学迷彩が機能していなければ地球人に見つかるのは時間の問題だ。私は、光学迷彩の結界を張る装置を設置するため、外に出ることにした。
上部のハッチを開けて外に出ると、宇宙船が斜めに傾いて、折れた木の上に乗り上げていた。山の斜面を滑り降り、周りの木々をなぎ倒して、ようやく止まったらしい。はるか頭上にはガードレールと、時折自動車の明かりが見えた」
「どの辺りに落ちたの?」
「旧道を通って、大高平町に行く途中に果物の直売所があるだろう?」
「あー、前に梨を買ったことがあったね」
「あそこから脇道に入って、しばらく山を登ったところだ。道路に人が集まっていないところを見ると、まだ発見されていないようだった。だが、夜が明ければ、間違いなく見つかるだろう。私は足の痛みに耐えながら、船の周りを囲むように、幾つもの装置を注意深く設置して行った。しかし、宇宙船の下方に装置を設置しようとした時、私は足を滑らせてしまった。斜面を転がって、杉の木に背中からぶつかった。転んだ時に、左足をさらに痛めて、私はもう1人で動けなくなった。失血もひどくて、少しでも気を抜くと意識がどこかに飛んで行ってしまいそうだった。
ぼやけた視界の中に、小さな光が見えた。ついに幻覚が見え始めたのかと思ったが、その光はゆっくりと、確かな質感で近づいて来る。光の後ろからは人の気配がした。今度こそ終わりだと思ったよ。立ち上がる力も残っていなかったしね。光はだんだん大きくなってきて、私の前で立ち止まった。光の中から、女性の声が聞こえた。その女性は、懐中電灯を動かして私の全身をくまなく照らすと、頭上に光を向けて、宇宙船を発見した。女性は小さく声を上げると、踵を返して走り去った。
私はてっきり武装した人間を集めて来るのだと思ったが・・・その女性は小さな箱を持って、1人で戻って来ると、私の怪我の手当を始めた。看護師をしている、とその女性は言った。私は、翻訳機に表示される文字を慣れない発音で読み上げ、宇宙船を見て驚かないのか、と聞いた。その女性は、とても驚いている、でも、私は目の前の怪我人の方が大事だ、と言った。私も驚いたよ。地球人は野蛮だと思い込んでいたからね。私は、女性の手を借り、残りの装置を設置すると、光学迷彩を起動した」
「いい人だね。ていうか、勇気がある人だね。私ならすぐに逃げちゃうと思うよ」
「ああ、実は・・・その女性が、里美の母さんなんだ」
創士は珍しく、照れた表情を見せた。
「すごい! ドラマみたい! それからどうしたの?」
「しばらく珠美の実家で世話になった。それで・・・まあ色々あって、珠美と結婚した」
「色々って? 詳しく聞きたいなー」
「まあ、色々だよ。それはまた、別の機会にな」
「なんだ、残念。・・・あれ? お母さんの実家って、野木原のおばあちゃん家だよね? おばあちゃんもお父さんが宇宙人だって知ってたの?」
「ああ、敏美さんは、母さんが私を担いで連れて行った時も、あまり驚きもせずに寝床の用意をしてくれたよ」
「そう・・・」
祖母の敏美はいつもマイペースで、家の中に蛇が出ようが、軒先に蜂が巣を作ろうが動じないので、その場の状況がすぐに想像出来た。
「お父さんは、お母さんに助けてもらったから好きになったの?」
「まあ、それがきっかけには違いないと思うが、珠美の他人に優しく、真っ直ぐな性格に惹かれたんだと思う」
「うわー、お父さん照れてる」
「あまりからかうんじゃない。その話はここまでだ。とにかく、私達は結婚すると、この家に引越してきて、修理した宇宙船を運び込んだというわけさ」
「そうなんだ。でも、オルバル人と地球人の間にも子供ができるんだね。すごいよ! 星を越えた愛ってやつ? 私もオルバル人の血がながれているのかぁ」
「・・・いや、残念ながら、地球人とオルバル人の交配は非常に困難でね」
「え? でも、私はお父さんとお母さんの子供なんでしょ?」
「それはそうなんだが。・・・この際、全部話そう。里美は、お母さんの・・・珠美のクローンなんだ」
「え? クローン?」
「そうだ。知っているか?」
「あの、羊で有名なやつ?」
「少し技術は違うが、基本的な発想は同じだ」
「それじゃあ、私は、お母さんのコピーっていう事?」
「それは違う。これは、子供を欲しがった私と珠美が話し合って決めた事だ。里美を二人の子供として育てようとな。それに、異星間の結婚では、それほど珍しい事ではない」
「そんな事言われても・・・」
「隠していたことはすまないと思う。でも、里美は、私と珠美が望んで生まれた命なんだ。それは、他の子供と何ら変わることはない」
「・・・なんだろう。ショックなのはショックなんだけど・・・今日は色々な事があり過ぎて、頭が処理しきれないよ」
「少しずつ受け入れて行って欲しい」
「できるだけそうしたいけど・・・今日は本当に疲れたよ・・・」
「そうだろうな。お疲れ様。後は外皮を閉じればおしまいだ。今日はゆっくり休んでくれ」
里美が自分の部屋に入った時には、すでに眠気で意識が朦朧としていた。携帯電話がメールの受信を知らせていたが、そのまま充電器に置くと、ベッドに倒れこんだ。目をつぶるとまぶたの裏に金守山の景色が浮かんで、すぐに眠りに落ち、30秒後にはすでに寝息が聞こえていた。
頭上には月が煌々と輝いていて、月明かりに照らされた金守山の陰に、流星が尾を引きながら吸い込まれて行った。