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里美は林に消える怪物の後ろ姿を、肩で大きく息をしながら、呆然と見守っていた。
一体、何が起こったのだろう。覚えていないわけではないが、自分のした事が信じられなかった。確か、怪物の、電柱でも切断できそうな大きな鋏を素手で受け止めて、へし折って、その上に牛数頭分はありそうな怪物を、サッカーボールみたいに蹴り飛ばして・・・。実はあの怪物はハリボテで、力も見かけ倒しだったんじゃないかと思ったけれど、現に納屋は半壊しているし、納屋の前は怪物が暴れたせいで、大きく掘り返されている。怪物が力持ちなのは間違いない。
だとすると、もしかしておかしいのは私の方なんじゃないだろうか。そういえば、逃げて来る途中でも大きな堀を飛び越えたりしていたような気もする。・・・いや、そんな事より、ここを離れなければ。怪物が戻ってくるかもしれない。里美は気を取り直すと、家に向かって走り出した。
周りの民家から少し離れた小高い丘の上に、この辺りでは珍しく、瓦屋根の無い、洋風の木造建築が見えてくる。結局、香奈恵たちと国道を通ってくるよりも、遥かに時間がかかってしまった。家の前には軽自動車が停まっている。父親の創士が家にいるとわかって、里美は少し安堵した。
「ただいまっ!」
里美は、家に入ると靴を放り出し、リビングに駆け込んだ。
薄暗いリビングの片隅で、創士がモニターに照らされながら、キーボードを叩いていた。モニターは赤く点滅しており、創士の顔は血塗れのように赤く染まっていた。眼鏡が反射して、表情はわからない。
「おかえり、里美」
創士は、モニターから目を逸らさずに応えた。激しくキーボードを操作する音が、部屋に響いている。
「お父さん! あのね・・・」
里美は、自分の身に起きた出来事を話そうと思ったが、何から言えばいいのか、言葉が出て来なかった。それに、言葉にしようと頭の中を整理すると、我ながら途方もない事ばかりで、信じてもらえるか不安になって来た。
創士は、作業の区切りがついたのか、キーボードを操作する手を止め、椅子ごと里美の方に向き直った。モニターの傍には里美の母、珠美の写真が立てかけてある。
「大丈夫? 怪我は無いかい?」
里美は自分の体を見回した。制服がところどころ破け、全身に泥や小さな葉がついている。特にスカートは横から大きく裂けてしまっていた。しかし、膝が少し赤くなっているものの、傷は特に見当たらない。
「多分、大丈夫だと思う」
「良かった」
「えーと、これは・・・自分でもよくわかんないんだけど・・・」
「金守山で、地球上で見た事のないような怪物に襲われたんだろう?」
口ごもっていると、創士が里美の考えている事を言い当てた。
「え、どうして知っているの?」
創士は無言で立ち上がり、ポケットから取り出した装置を操作すると、フローリングの床がスライドし、ぽっかり口を開けた。覗き込むと、薄明かりに照らされた螺旋状の階段が、かなり下まで続いている。
「家に地下室なんてあったっけ・・・?」
創士は微笑を浮かべて階段に向かった。
「おいで。里美の知りたい事を、教えてあげる」
壁全体が淡く緑色に光っている。創士は無言で歩き続けた。2人の足音の他は何も聞こえない。何メートルぐらい降りているのか、だんだん感覚がわからなくなって来た。不安になって来た頃、急に創士が足を止めた。階段が終わり、金属製のドアが現れる。創士が、扉の横の端末に手を当て、何か意味不明な言葉をつぶやくと、ドアが少し前にせり出し、横にスライドして開いた。
ドアをくぐると大きな部屋に出た。右側の壁には何に使うのかよくわからない機材が並び、パネルやランプが様々な色の光を灯していた。左側には、隣の部屋に続くドアが見える。そして、部屋の正面には大きなモニターが配置され、地球が映し出されていた。
「すごい・・・」
後ろでドアが自動的に閉まった。
「こっちにおいで」
創士が正面のモニターのそばに案内した。里美はおそるおそる前に進む。途中、隣のドアが空いたままの部屋を覗き見ると、手術台や、大きなガラスケースが見えた。
「さて。それじゃあ、ちょっと借りるよ」
創士は長身を屈め、里美のヘアピンを取り外した。それをモニターの前の小さな皿に載せ、ボタンを操作すると、モニターの映像が替わった。はじめは、創士の顔が映り、それからこの部屋が映し出される。創士が手元のスイッチをいじるたびに映像が変わり、リビング、家の前と次々に切り替わっていった。
「これって?」
「里美の見ていた映像だよ」
「どういう事なの?」
「大丈夫だ。心配しなくても、日常的に覗き見しているわけじゃない」
「いや、どういう仕組みなのかって事なんだけど」
映像は金守山に替わり、里美を襲った怪物が映し出された。創士は、巻き戻しと再生を繰り返し、怪物の姿を観察する。
「やはり間違いない。しかし、驚いたな・・・こいつが地球にいるなんて」
創士は端末を操作しながら呟いた。
「この生物の名はゲムトス。惑星カザンの遺伝子操作生物だ」
「え?」
「地球外生命体だよ。平たく言えばエイリアンって事さ。しかも天然じゃない、いわば軍事兵器だ」
「エイリアン? 宇宙から来たっていうこと?」
「そうだ。環境適応力が高く、卵から孵化した後、現地の生物の特徴を真似て成長する。極めて凶暴で、仲間も含めて見境なく他の生物を襲う、危険な生物だ」
モニターの中で、ゲムトスと呼ばれる生き物が、気味の悪い笑いを浮かべながらこちらに迫って来ていた。里美はつい先ほどの体験を思い出し、身震いした。
「なんでそんな生き物が地球にいるの?」
「それはわからないが・・・何者かが卵を持ち込んだのか?」
里美ははっとなった。
「私、今日卵みたいなものを見たよ! もう少し巻き戻して!」
千穂が隕石らしきものを拾っている映像に替わる。その後、里美がつまづいたヤシの実のような球体が映し出される。
「これじゃない?」
「詳細な調査をしないと断言できないが、その可能性は高いな。しかし、なぜこんなところに?」
創士は映像を見て考え込んだ。
「お父さん、それと、私の身体の事なんだけれど」
里美は、創士が考え事から戻ってこないと見て、先を促した。
「ああ・・・そうだな」
創士がボタンを操作すると、モニターには里美が怪物の鋏を受け止めて、押し広げているシーンが映った。
「これはもちろん、ゲムトスの力が見かけ倒しで、貧弱なわけじゃあ無い」
「ちょっとそれを期待してたんだけどね」
「間違いなく、里美の方がパワーが上だという事だ」
「どうして?」
「どうか、落ち着いて聞いて欲しい」
創士は里美に向き直り、いつになく深刻な口調で言った。
「な、なに? 早く言ってよ」
嫌な予感がする。モニターの中で、里美が怪物を大きく蹴り飛ばしていた。
「里美の身体は・・・その大部分を人工物で補っているんだ」
「え?」
視界がぐらりと揺れる。心臓が高鳴り、全身から汗が吹き出すのを感じた。創士は無言で里美を見つめている。
「どういう事・・・なの?」
「1ヶ月前の事故で、里美の身体は致命的な損傷を負った。地球上の、どんな医療手段を施しても助からない重傷だ」
「そんな! 軽い打撲じゃなかったの? お父さんはそう言ったでしょう!?」
里美は、創士に掴みかかった。
「今まで、嘘をついていたのは悪かったと思っている。しかし、私は里美を失うわけにはいかなかったんだ」
「だからって・・・」
「私は神を恨んだよ。一度定めた運命を全うしようとする、この星の頑迷な神をね。珠美に続いて、里美まであんな原始的な器械で命を奪おうとは」
創士は唇を噛んだ。
「しかし、今度は私は負けなかった。病院から里美を連れ出し、ここに運んで、義体に主要な臓器を移植する手術を行った。幸い、脳の損傷はほとんど無かったし、義体の材料も揃っていた」
「言ってることがわからないよ! お父さんは、いつから医者になったの?」
里美は、創士の職業はフリーランスのウェブデザイナーと聞いていた。
「私は医者じゃあない・・・ましてや、地球人ではない」
「え?」
里美は、創士を掴んでいた手を離した。
「父さんはね、オルバルという、地球から遥かに離れた星から来た異星人なんだ。そして、今いるこの部屋が宇宙船だ。この船には、地球にない技術が数えきれないほど搭載されている」
里美は、言葉を失った。呆然と創士を見つめると、創士は真顔で見返す。とても冗談を言っているようには見えなかった。
部屋の中を見回すと、確かに計器がたくさんあるし、中央のモニターの前にある椅子は、飛行機のコクピットのように見えなくもないけど・・・。
「ごめん、お父さんが宇宙人だなんて信じられない」
「そうか・・・この船を飛ばして見せれば信じてもらえるだろうが。今すぐには飛ばせないしな」
「それに、私の体がロボットになってるっていうのも全然信じられないよ」
里美は、自分の身体を脇の下から膝の裏まで、改めて見回した。どこにも異常はない。
「少し待っていなさい」
創士は隣の部屋に出て行った。
隣の部屋からは、なにやらごそごそ探している音が聞こえていたが、すぐに創士が鈍色に輝く金属の棒を手に戻って来た。
「この棒は、この船の外壁と同じ金属でできているものだが・・・ふん!」
1メートルほどの棒を、大げさな身振りで曲げて見せようとしたが、びくともしない。
「見てのとおり、とても頑丈だ。人間の力ではもちろん、象が乗っても曲がらないだろう。でも、里美の力なら曲げられる」
創士は、里美に金属棒を手渡した。額にうっすらと汗が滲んでいた。手に取ると、見た目よりも重く、ずしりと腕に負荷がかかる。くの字に曲げようと力をいれて見たけれど、全く動かない。棒の真ん中に膝を当てて押し曲げようとしたり、壁に立て掛けて足で踏みつけてみても、しなる気配も無かった。
「 うーん、これは曲がらないよ。手が痛くなっちゃった」
里美は棒を創士に返す。
「それじゃあ、これを見て」
創士は、ペンライトを取り出して里美の右目に近付けた。スイッチを押すと、赤く光が視界を覆う。
「眩しい!」
視界がまだら模様になる。頭がくらくらして、よろめいて壁に手をついた。
「いきなりなんなの」
「もう一度試してごらん」
創士は再び金属棒を手渡した。
「ちょっと気分悪いんだけど・・・」
里美は棒を手に取った。さっきよりも軽く、手に吸い付くような感じがする。棒の両端を握り、手に力を込めると、真ん中から簡単に折れ曲がった。手首を交差すると、金属棒は円を描いた。元の形に戻し、両手で引っ張ると、棒は飴細工のように延びて、やがて千切れた。
「ど、どうして?」
「普段は日常生活に支障をきたさないようにリミッターをかけている。さっき、それを一時的に解除したんだ。ちなみに、里美が命の危険を感じた時にも、出力は安定しないが、自動的にリミッターが解除される」
「そんな・・・それじゃあ、ホントに私、ロボットになっちゃったの?」
「里美の義体には、惑星ザイエンのレアメタルを加工した金属ランダウムを使い、動力も最新型のカムルーグエンジンを搭載している。10トントラックに轢かれても怪我ひとつしないし、エンジンの出力を上げれば、トラックを持ち上げることだってできる。リミッターを解除すれば痛みを感じる事もないし、補給なしで300年は活動可能だ。地球上ではまさに不死身と言えるだろう」
創士は、家電量販店で洗濯機の説明をする店員のように、淡々と話した。
「ひどいよ!」
里美は、2つに引きちぎった金属棒を床に向かってを投げつけた。1つは大きな音を立てて床から天井まで跳ね返り、もう1つは創士のすぐ側の壁に深々と突き刺さった。
「何勝手な事をしてるのよ! こんなの、もう人間じゃないじゃない!」
里美は自分の両手をまじまじと見た。見慣れた手だが、もう自分の知っている手ではない。涙で手が滲む。
「里美、聞いてくれ!」
里美は創士を睨むと手近な機械に拳を叩きつけた。火花が弾け、計器のガラスや金属の破片が飛び散った。それだけでは収まらず、テーブルの上に乗っている機材をなぎ倒し、宇宙船の操縦席と思われる、床に固定された椅子を引き剥がした。
「こんなの、こんなの嫌だよ! 死んだ方がましじゃない!」
椅子を持ち上げて、投げつけようと頭の後ろに振りかぶった。しかし、急に椅子が重くなって、里美は椅子ごと後ろに引っくり返った。椅子が背後の機械を押し潰し、大きな音を立てる。
「いたた・・・」
「リミッターが再稼働したんだ」
創士が手を差し伸べたが、里美は手を取ろうとしなかった。