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 国道を大型トラックのヘッドライトが走り去って行く。夜のとばりの中、カエルの声が一際大きく響いていた。

 「香奈恵はいつも何かに苛立っているわね」

 モニカが月を見上げながら、隣に座った香奈恵に言った。

 「・・・主に、あんたのせいだけど」

 香奈恵は努めて冷たく言い放った。

 「私の前でだけなら構わないわ」

 モニカは意に介さず微笑みながら言った。

 「でも、今日は特に酷いみたいね。何かあったのかしら? おばさまにあんな言い方はないんじゃない?」

 香奈恵は黙ったまま、ベンチの上で膝を抱えた。

 「あなたはこの町の穏やかな人達に比べると、ずいぶん負けず嫌いみたいね」

 「そんなことは無いわ。この町にだって他人を出し抜こうって人間はいるし、そうさせまいと監視しあって、隣近所の噂ばかりしている陰湿な奴らもたくさんいるわ」

 香奈恵は憮然とした様子で言った。

 「どこにだっているわよ、そんな人達は。あなたはもっと良い部分に目を向けるべきだと思うわ。緑が多いし治安もいいし、ご近所同士で農作業を手伝ったり作物を贈り合ったり、素敵な町だと思うわよ?」

 「あなたは都会から来たみたいだからわからないでしょうけれど、私はそういうのが嫌なの! 鍵をかけなくても滅多に泥棒は入らないけれど、隣のおばあちゃんが勝手に上がり込んでることもあるんだから!」

 「嫌なら鍵をかければいいじゃ無い」

 「駄目。留守中でもないのに鍵をかけていると不審な目で見られるわ。あの家は近所の人間に隠し事をしている、信用していないって」

 「それは考えすぎじゃない? 気にしなければいいわ、個人のセキュリティを守るのは当然でしょう」

 「よく知りもしないで、田舎を舐めないでくれる? 隣組から仲間はずれにされたら、この町で農家をやって行く事は不可能よ」

 香奈恵は力強く断言した。

 「あなたの思い込みだと思うけど、この町にはこの町のルールがあるんでしょうから、他所者の私はこの件についてとやかく言わないわ。それでも・・・」

 モニカは呆れたように足を組んだ。

 「それだけじゃ無い! それにこの町には何も無いわ。おしゃれな服屋や小物屋さんは高望みとしても、本屋もファミリーレストランも無いのよ!」

 「自分でどうにもできないものを欲しがっても仕方がないわ」

 「隣の市にはあるの。デパートもショッピングモールも、レストランだって和食から洋食まで。そんなに遠くはないのよ、車があれば30分ぐらいで着くわ。ずっと遠くにあれば、私がその存在を知らなければ諦めもつくけれど」

 「遠くにあるより余程いいじゃない。それにどうせ、自分で自由に使えるお金も無いんでしょう? お小遣いを貰っているんだから」

 「それはそうだけど・・・千穂や里美は私よりもっとお小遣いを貰っているわ。よくショッピングモールに連れて行って貰っているし。千穂はお姉ちゃんが可愛い服やアクセもくれるし、里美もセンスは悪いけど、一人っ子だからおじさんも優しいし・・・」

 香奈恵はベンチの上で体育座りになった足をもぞもぞと動かした。

 「私だけ、みじめなの。家は古いし、お金もあまり無いし、親はほったらかしだし。・・・修はまだマシだわ。私が小さい頃は、お母さんはいつも家にいなかったんだから」


 モニカは少し黙っていたが、やがて声に出して息を吐いた。

 「なるべく口を挟まずに愚痴を聞いてあげようと我慢してたんだけど」

 いつもの香奈恵を小馬鹿にしたような顔ではなく、冷たい目で見下ろす。

 「あなたって子供ね。どうしようもないクソガキだわ。だだをこねる幼児と一緒じゃない。修の方がマシね」

 「な・・・!」

 香奈恵は顔が真っ赤になった。暗がりで顔の色まではわからないはずだが、モニカには感づかれたような気がした。指摘されるまでもなく、自分は子供っぽいわがままを言っているのはわかっていた。

 「自分だけが恵まれていないなんて、よくそんな図々しいことが言えるわね。食料も安全もこれだけ保証された生活が、どれだけ恵まれているかわからないの? 他の星・・・いえ、国にはその日の食事も満足に取れない子供達が山ほどいるわ。それだけじゃない、毎日のように紛争や犯罪で命が脅かされている子も数え切れないのよ」

 「知ってるわよ、そんなの! 社会の授業でも教わったし、時々役場の前でおばさん達が募金を集めているのも見たもの。でも、ここは日本なの。飢えた子供達はかわいそうだと思うけど、私にとっては遠い想像上の存在なのよ! それと比べて優越感に浸ることなんて出来ないし、それより私は、すぐ近くにいる同級生より劣っているのがみじめなの!」

 香奈恵は立ち上がった。モニカの言っている事が正論だということはわかっていたが、それだけに何か言い返さずにはいられなかった。

 「・・・世界が狭いのね、あなたは」

 モニカは、哀れむような視線を送った。

 「もっと視野を広げるべきよ。あなたの方こそ、田舎者の発想よ」

 「あいにく、生まれた時からこんな小さな田舎町で育って来たんだから、仕方が無いでしょう! 心配されなくても出て行くわよ、こんな町」

 香奈恵はふくれっ面でモニカから顔を背けた。

 「あなたの同級生が恵まれて見えたとしても、それはその子の力じゃないわ。生まれつき偶然そうなったに過ぎないでしょう?」

 「・・・そうかもしれないけど、納得できないわよ。くじ引きではずれを引いた人が当たった人間を羨んで何が悪いと言うの?」

 「欲しいものは自分の力で手に入れなさい。私はどんなに金や地位があろうと、自力で手に入れた人間でなければ認めないわ」

 モニカはそっと立ち上がった。

 「あんたに認められなくても結構よ。私はまだ中学生なのよ? 自分でできることなんてたかが知れてるわ。アルバイトだって出来ないし・・・」

 「だから、もう少し我慢しなさい。あなたなら、大人になればきっと望んだものを手に入れることができるわ」

 「そんなの、わからないじゃな・・・」

 モニカは香奈恵の両肩を掴み、顔を近付けた。

 「大丈夫、あなたならできるわ。私が保証する」

 妖艶な瞳が目の前に迫る。ずっと見つめていると吸い込まれそうだ。香奈恵は何故かどぎまぎして、目をそらした。

 「む、無責任なこと言わないでよ。根拠なんてないでしょう?」

 「あるわ。あなたは昔の私に似ているもの」

 モニカはそう言うと無邪気に笑った。

 「は!? どこがよ!」

 香奈恵はモニカの手を振り払った。

 「そういう、自分で何も出来ないのに強がる所がそっくりだわ。まあ、私は香奈恵ぐらいの歳にはもう少し大人だったけどね」

 「全然嬉しくないわよ!」

 「仕方ないじゃない、事実なんだから。とにかく、あなたがまだ自分では何も出来ない子供だというのはもう理解したかしら?」

 「大きなお世話だわ・・・」

 そう言いながらも香奈恵は足元の小石を蹴った。

 「それじゃあ、帰りましょう。今のあなたが家族に感謝するのは難しいかもしれないけど、あなたが帰る場所はひとつだけよ」

 「ふん」

 香奈恵はスカートを両手で払った。携帯を開くと、電池がほぼ切れかけていた。眉をしかめてすぐに閉じる。

 「家に帰っておばさまに謝りましょう。何を苛立っていたのか、理由は深く聞かないでおいてあげるわ」

 モニカは意味深な含み笑いをすると歩き出した。


 「・・・何をニヤニヤしているのよ。言いたいことがあったらはっきり言ったらどうなの? 私、そういう自分だけがなんでも見透かしてますとでもいいたげな態度は嫌いなの」

 「別にそんな大層なものじゃないわよ。あなたみたいな子が考えていることなんてたかが知れてるもの」

 「何なのよ?」

 「あなた、ボーイフレンドとうまく行ってないんでしょう?」

 「・・・っ! あなた、さっき私の携帯を覗いたわね!」

 香奈恵は慌てて携帯を握った手を背中に隠した。

 「そんな面倒なことしないわよ。言ったでしょう、あなたぐらいの年頃の子の悩みなんてそんなに種類があるわけじゃないんだから」

 モニカさほど興味も無い様子で前を向いたまま言った。

 「自分の容姿、おしゃれ、学校の成績と将来への不安、友人関係と・・・あとは恋愛ぐらいしかないじゃない」

 モニカは左手の指を折りながら数えた。

 「あなたはどういうわけか自分の容姿には自信があるみたいだし」

 「そんなことないわよ!」

 「別に悪いと言ってるわけじゃないでしょう。学校の成績も、まあ優秀には見えないけど・・・」

 「うるさいわね」

 「最後まで聞いて頂戴。それほど成績を気に病むタイプには見えないということよ。それに、友人関係で気を使うようにも見えないし、消去法で行ったら色恋沙汰しか残らないじゃない」

 香奈恵は腹が立ったが、歯を噛みしめることしか出来なかった。香奈恵の態度を無言の肯定と取ったモニカは意地の悪そうな笑いを浮かべた。

 「図星かしら? まったく情けないわね、男に振られて落ち込んでるなんて。私なんか・・・」

 「振られてないっ!」

 香奈恵は立ち止まり、モニカの自慢話が始まるのを先回りして遮るように、力強く否定した。

 「少しは話させてくれてもいいじゃない。そんなにむきになって否定しても説得力ないわよ」

 「違うわよ!」

 そんなわけはない。あってはならないのだ、そんなことは。こんなイカれた女の言葉に惑わされてはいけない。そう自分に言い聞かせ、1から数字を数えてゆっくり息を吐きながら、頭が落ち着いてくるのを待った。

 「ただ、少し彼とケンカしただけよ。今までだって何回もあったことだし、時間が経てばきっと元通り、仲の良いカップルに戻るわ」

 香奈恵はなるべく冷静に言おうとしたが、時折、言葉にざらざらした違和を感じるのをを抑えきれなかった。

 「ふーん。それはあなたが原因なんでしょう? 一体、何をしでかしたというの?」

 「何で私が悪いのが前提なのよ! 違うわ!」

 モニカの、さも当然という物言いに香奈恵は簡単に逆上した。

 「だって、あなたみたいに年中カリカリした女と一緒にいたらすぐ疲れてしまうでしょう、いくら物好きな男の子だって」

 「私だって、誰彼構わずにしょっちゅう苛々してるわけじゃないわ、あんたの前だけよ!」

 「あなたも私を特別扱いしてくれるのは光栄だけれど。他の人の前では心優しく振舞っているとでも言うの?」

 「少なくともあんたみたいには当たってないし・・・好きな人の前では気を遣ってるわよ、一応。相手の不満も半分ぐらいは我慢してるし」

 香奈恵はそう言っていて恥ずかしくなった。口に出すまであまり自覚が無かったからだ。

 「へえ、男の前では猫を被っているのね。意外だわ」

 「いちいち嫌な言い方するわね! 別に、ぶってるわけじゃないわよ。友達の前と恋人の前で態度が変わるのは当然でしょう?」

 「悪いとは言ってないわよ? 魅力に乏しい女が、男を落とすのには有効な戦略だと思うわ」

 「私みたいな、って言うつもりでしょう?」

 「違うわ、少し私に悪い印象を持ちすぎじゃないかしら。あくまで一般論として聞いて頂戴。でも、自分を誤魔化してうまく男を騙せたとしても、彼女はいつまで嘘をつくつもりなのかしら? 男の弱みを握って、逃げられなくなるまで? 早晩、自分が疲れてしまうか、男に見放されるわ」

 「そこまで無理してないわよ! どれだけ卑屈だと思ってるの! 私だって、普段は我慢してるけど抑えきれなくなったら怒ってるし・・・」

 「それは逆効果よ。普段あなたが我慢していることなんて鈍い男は気がつかないから、突然あなたが怒り出したら驚くだろうし、繰り返していたら情緒不安定な女だと思われるだけね」

 「え・・・そんなことないわ」

 「だから、無理は良くないって言ってるのよ。あなたは本当は怒りっぽくてわがままじゃない。同じぐらいの年頃の男が好いてくれるなら、どちらも相当我慢してるんじゃないの? そんなに自分を抑えないと受け入れてくれない男なら諦めて、他を探せばいいじゃない。どうせ一生一緒にいるわけじゃないんだし、色んな男と試した方がいいと思うわ」

 「勝手に決め付けないで!」

 香奈恵はモニカの胸ぐらをつかんだ。身長差のせいでモニカの胸元がはだけるが、2人とも気にする様子はない。

 「あなたはきっと男を取っ替え引っ替えしてきたのだろうから私の気持ちなんてわからないでしょうけど・・・私は、本当に惣一の事が好きなの! ずっと一緒にいたいと思っているし、万が一別れることになったとしても、そんな浮ついた理由でなんて絶対嫌!」

 モニカは全く動じることなく、香奈恵のうっすらと涙の滲んだ顔を見下ろしている。

 「意外ね、あなたがそんなに男に執着しているなんて。それと、私を尻軽呼ばわりすることについては事実に反するから、抗議させてもらうわ」

 「どっちでもいいわ!」

 「そう・・・でも、彼の方はそう思っていないかもしれないわよ」

 「あんたに何がわかるの!」

 香奈恵はモニカの顔を睨みつける。

 「今、こんな事を言うのは余計あなたの反感を買うのはわかってる。それでも、根拠のない慰めはためにならないから言わないわ。見栄や体目当てだけで女に近付く男なんて星の数ほどいるし、そういう男は飽きたらすぐ他の女に目移りするし、残念だけど体で男の心を繋ぎとめることは出来ないわ」

 「ばっ・・・何言ってるのよ!」

 香奈恵は顔を赤らめた。

 「何かおかしな事を言ったかしら?」

 モニカは胸ぐらを掴まれたまま首を傾げる。

 「し・・・してないわよ、そんなエッチな事は」

 視線を逸らしながらごにょごにょと、語尾が聞き取れない。

 「あら、そうなの? 付き合ってるのに?」

 「いくらなんでも早いわ、私達まだ中学生だし。万が一、子供ができたら大変じゃない」

 「ということは、その前まではしてるってこと?」

 「してないわ、キスぐらいしか・・・」

 香奈恵はしどろもどろになりながら言った。顔中からあり得ないぐらい汗をかいている。

 「意外ね、未開、いえ、田舎は早いと思っていたけれど」

 モニカは胸元を掴んだ香奈恵の汗ばんだ手をほどいた。

 「何よ、悪い? あなたみたいな人から見たら遅れてるっていうの?」

 「別に。私はこの辺りの相場を知らないし、社会や個人の考え方、信仰にもよるから何とも思わないわ。ただ言えるのは、経験してみないとわからないこともあるし、その状態で相手の事を全部わかった気になるのは危険よ。彼は不満が溜まってるかもしれないし」

 「・・・大きなお世話よ! これ以上、あんたと話しても時間の無駄だわ!」

 香奈恵は足早に歩き出した。

 「本当に、よくこんな面倒な女と付き合ってられるわね・・・」

 背後からモニカの呟きが聞こえたが、無視して歩き続けた。



 玄関の明かりが煌煌と灯っている。ようやく帰って来たという安心感がこみ上げるが、同時に怒り狂った佳恵が待ち構えている事を思うと気が重くなった。玄関の前で立ち止まると、モニカが香奈恵の肩をそっと叩いた。

 「おばさまももう怒ってないわ。さあ、謝りましょう」

 「・・・わかってるわよ」

 そう言いながらも、香奈恵は二の足を踏んでいる。香奈恵は、反発しつつも元ヤンキーの過去を持つ佳恵を恐れていた。しびれを切らしたモニカが、勢い良く玄関の引き戸を開ける。

 「ただいま戻りました!」

 モニカに続き、香奈恵も戸をくぐる。怒り顔の佳恵が待ち構えているかと思いきや、玄関先はしんと静まり返っていた。



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