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モニカは、金守山の山道を登っていた。この日、早朝から降っていた雨が止むと昼頃から急激に気温が上がり、6月としては異例の気温を記録した。道脇の茂みからは、水滴が乾き切らずにむっとした湿気が沸き出してくる。右手に持った、逆さまにした茶碗のような機械を地面にかざすと、右目に文字が浮かび上がる。少し位置を変えるたびに、文字は流れるように切り替わった。・・・暑い。モニカは自然と言葉に出しながら、首筋を流れる汗を左手で拭った。相変わらず、一張羅とも言える黒いドレスを着込んでいる。傍目には見ているだけで脇の下に汗をかきそうな暑苦しい格好だが、モニカはあまり苦にする様子もなく、しっかりした足運びで坂を登っていた。
実際のところ、ツァガーンの蚕と合成繊維を使った服は風通しが良く、ほとんど着心地を感じさせない。温度をコントロールする機能はついていないが、この程度の暑さなら充分だ。自分にそう言い聞かせると、汗を拭うのを諦めて、流れるままに歩みを進めた。
丸1日が立ったが、オルバルの親子からの連絡は無い。やはり乗ってこないか。愚かだとは思うが、憐憫の情は湧かない。正直、あの男がどんな目に遭おうが知ったことではないし、諮問機関の点数稼ぎを手伝ったところで大した金がもらえるわけでもない。それでも、軍の思い通りにさせたくないという思いを抱くのは、やはりあの司令官が気にいらないからだろうか。
左手には畑とその奥に杉林が見え、右手にはすぐ広葉樹の林が広がり、その足元の茂みからは伸びた蔦が道にまではみ出している。後頭部に日の光を受け、変わりばえのない景色を見ていると、モニカは不意に既視感を覚えた。3日程この近くを歩き回っているのだから当然と言えるかもしれないが、もっと昔のはずだ。ぼんやりする頭でページを1枚ずつめくるように記憶を遡って行くと、ある星のことを思い出した。あれは、5年前に行ったウデース宙域のヌイサだ。そう言えば、あの時の司令官も同じだった。
当時、軍に配属されて間もないモニカは、テロリストの掃討作戦のため、小さなカプセルに詰め込まれて緑の大地に他の兵士と一緒にばら撒かれた。ツァガーン軍の優勢は圧倒的だった。それもそのはずで、すでにテロリストの拠点は2ヶ月前に陥落していたし、モニカ達の役割はそこから逃げ出した連中をほうきで塵を一箇所に集めるように追いつめるだけだった。
武装も比較にならなかった。最新式の小型のシールドと光学迷彩を備えたスーツと、高精度の自動照準の付いた銃を持ったツァガーン軍の前に、ヌイサの密林に隠れていた、裸同然で原始的な火器しか持たないテロリスト達は、そのほとんどが敵を認識する前に死んで行った。
「レベル2のシミュレーションよりも簡単ね」
モニカと同期で入隊したエルバがそんな事を言いながら、木々の間に向かって引き金を引くと、遠くの木陰から藪を押し分けて何かが倒れる音が聞こえた。
モニカも網膜に赤いシグナルが浮かぶと、銃の指示に従い方向転換し、引き金を引いた。トスラー光線は木々の隙間をくぐり、小さな木を貫通し、ターゲットの急所を穿った。網膜にヒット、という文字が浮かび上がったが、はじめモニカは信じられなかった。自分達は敵がいない星で戦争ごっこをしているだけではないのか? そんな疑念が浮かんできたほどだったが、倒れた木を乗り越える時、不意に上顎から上が無い死体を踏んづけて、自分が人を殺すためにここにいる事を思い知らされた。死体は小便をしていたのか、下半身を露出させていた。
はじめの5日ほどは迫撃砲やロケットの爆音があたりに響いていたが、火器が足りなくなったテロリスト達は、毒ガスや細菌兵器も使い始めた。しかし、スーツを着たツァガーン軍に効果はなく、仲間達が苦しんで死んで行くだけだった。それでも諦めないテロリスト達は、自陣にも関わらず生物兵器を放った。投降したところで収容所送りが決まっているという情報はテロリストにも伝わっていたので、彼らの大半は最期まで抵抗を選んだ。ある時エルバは、投降の信号を送っている連中にも気付かないふりをしてグレネードを撃ち込み、「これは慈悲よ」なんて言っていたが、あながち嘘でもなかったと思う。隊長も形だけの注意をして、すぐに先に進んだ。
制御装置の数も取り付ける時間も足りなかったので、そのまま解き放たれた生物兵器達は、遠慮なく産みの親であるテロリスト達も喰らったが、これはツァガーン軍にも想像以上の被害を与えた。テロリスト達はツァガーンの予想より遥かに多くの生物兵器の卵を隠し持っていたし、軍の対策も不十分だった。そして何より、密林という地形が生物兵器にとって優位に働いた。
4足歩行のラケールは木の上から襲いかかり、蜘蛛型のヌリアは硬質の網を張ってツァガーン兵を捕え、ミミズのようなベニートは地中から這い出し、膝から下をかじり取った。空には大きな羽虫が飛び回り、彼らはヌイサの広大な森の支配者となった。その上、数は少ないものの生物兵器が仲間と誤認するフェロモンをまとったテロリストが交戦中に時折現れてはツァガーン兵にヌイサ特製の猛毒を仕込んだ弾を撃ち込み、命と武器を奪って行った。
10日で終わるはずだった作戦は、すでに20日を越えていた。他の部隊で誰々が死んだという通信を聞くにつけ、モニカ達は初めて自分が死ぬのではないかという考えに思い至った。話が違うではないかと思ったが、誰にも文句は言えなかった。
「もうたくさんよ! こんな星、全部艦砲で焼き払いなさい! 撤退命令はまだなの!?」
同期で一番優秀な兵士を自認していたエルバは、日に日に苛立ち、小さなミスが増えた。安定剤の消耗も増え、隊長に叱責される事も多くなった。
皆が帰りたがっていたが、一向に命令が出る気配はなかった。ヌイサの密林に潜んでいるテロリストの幹部を見つけるまで撤退は許されない、と隊長は何度も何度も繰り返した。ヌイサの地下には自然洞窟も多く、テロリストが隠れるにはもってこいだった。
それでも、ツァガーン軍は着実にテロリスト達を追い詰めて行った。探査ロボットで人影の無い地区は艦砲で焼き払い、洞窟内には爆弾を仕掛けて爆破し、テロリスト達の隠れる森はドーナツの穴のように、次第に小さくなって行った。26日目に、ある洞窟の中にテロリスト達の隠れ家があるという情報が伝わった。幹部連中もそこにいる可能性が高い、と。モニカ達の部隊もそこに向かうように通達があった。
エルバはようやく冷静さを取り戻し、時折現れる生物兵器を次々に撃ち殺して行った。
「今回は少し恥ずかしいところを見せちゃったけど、初任務なんだから仕方ないわよね。次はもっとうまくやるわよ」
エルバはそう言って脂と垢にまみれた笑顔を見せた。
洞窟へ近付くにつれ、敵兵も生物兵器の数もどういう訳か減って来た。敵ももう打ち止めなんでしょ、なんてエルバは口では言っていたが、やはり緊張は隠せなかった。
気づいた時には囲まれていた。センサーに一斉に赤い点が浮び上がる。暮れかけた密林の中にいくつもの目が光った。地中からはベニートが現れ、交戦が始まると同時に一斉にラケールが集まってくる。全身に対センサーの迷彩が施されていた。じっとしている限り、センサーにはかからない。こんなことができるのは、脳に機械を埋め込んで完全に制御されている奴だけだ。無分別に襲いかかる野良の生物兵器とはわけが違う。
まだこれだけの機材が残っていたのか、モニカは近接モードに切り替わった銃で周囲に光をばら撒きながら考えた。右手で銃を操作しながら、左手で閃光弾を放る。直後にまばゆい光と高周波が辺りを包んだ。ゴーグルが通常モードに戻ると、ベニートが浜に打ち上げられた魚のように地面をのたうち、ラケールが目を回している姿が見えた。エルバが素早く頭を撃ち抜いて行く。
「気をつけろ、近くに操縦者がいるはずだ!」
隊長の怒声と同時に、右手から銃撃が始まった。スーツの周囲のシールドが悲鳴を上げる。モニカ達の後ろからヤニが森に向かって遠距離モードで銃を撃つ。モニカは息をつく間もなく銃を撃ち続けた。
目の前の生物兵器が片付いたのを確認すると、モニカは素早く銃のカートリッジを交換した。右手からの銃撃も止んでいる。後は、残りのラケールを片付けるだけだ。
「ヤニ、閃光弾は残ってる・・・?」
返事は無かった。振り返ると、ヤニが顔を地面につけて倒れていた。すぐにラケールが近付いて来たのでモニカは引き金を絞り、倒れた後も撃ち続けた。
「無駄玉を撃つんじゃないわよ!」
エルバが最後の1匹を仕留めた。
「そろそろ終わりかしら?」
直後に、大きな影が飛び出す。牛のようなその生物兵器は、前面に鎧のように金属を纏い、一直線に突進してきた。強襲用の生物兵器、ガビノだ。
「脚だ、脚を狙え!」
背後からの声に従い、モニカは引き金を引きながら銃を下に向けた。音を立てて巨体が倒れる。エルバが最高出力で倒れたガビノの頭を撃った。
「こんな奴までいたとはね」
ガビノが動かなくなったのを確認すると、エルバは銃のカートリッジを交換した。モニカは次の瞬間、倒れたガビノの横腹が大きく盛り上がったように見えた。ガビノの腹から飛び出した影は、一瞬でエルバに近付くと喉元に大型のナイフを突き立てた。
モニカは大声で叫ぶと、その人影に銃を向けた。エルバの首に腕を回していた男は、エルバの体を盾にするようにこちらに向け、突き飛ばすようにナイフを引き抜いた。エルバが倒れるより早く、ゴーグルをかけ、急所を守る最小限のプロテクターを着けただけの上半身裸の男が素早くこちらに向かってくる。紋様を施した太い腕がナイフを横に払った。モニカが体を後ろに引くと、銃が真っ二つに切断されていた。高周波ブレードだ。
モニカも素早く左手で腰のナイフを抜いた。モニカはナイフだけではなく格闘術全般に自信があった。だが、すぐにその男の技量はモニカより上であることがわかった。無作為に振っているように見えて、すぐに次の攻撃を繰り出す準備を怠っていない。下手な攻撃をすれば、すぐに致命的な一撃を喰らうだろう。
モニカは間合いを保つのが精一杯だった。後ろに下がると、不意に硬いものを思い切り踏み付けてしまう。背中から倒れそうになりながら、何とか持ち堪えた。そこへ男が目の前まで迫って来る。もう逃げられない。モニカは覚悟した。せめて、少しでも刺し違えられれば・・・。モニカは前にナイフを構えた。
男の左肩に黒いもの落ちてきて、直後に男は悶えながら手で肩を振り払った。モニカは何も考えず、ナイフを構えて前のめりに駆け出すと、思い切り体重を乗せて男に突き出した。一瞬の後、自分ではなく男の胸にナイフが突き刺さっているのが不思議に思えたが、とにかくモニカは男に致命傷を与えた事は理解した。男は口から大きく息を漏らしながら、震える右手でナイフを振り上げている。いけない、逃げなければ・・・! 次の瞬間、男の頭は左目のあたりから大きく抉り取られた。振り返ると、隊長が銃を構えていた。
気づいたのは戦闘が終わってからだが、モニカが踏んだのはエルバの銃の先端で、てこの原理で後部のカートリッジが飛び出し、男の肩に飛び乗ったのだった。カートリッジには強力な酸が含まれ、それが男に付着したようだ。
その日の戦闘は部隊にも多数の死傷者を出して終わった。スーツに備えられた医療用ナノマシンで息を吹き返した、比較的運のいい人間もいたが、頭を吹き飛ばされたり、下半身を失った者は助からなかった。エルバも、脳に達した刃から放たれた振動波により、頭蓋骨の中をシェイクされていたので手の施しようが無かった。
「ありがとう、エルバ」
モニカはエルバの遺体をカプセルに詰めながら呟いた。モニカの部隊に作戦を続行する力は残っていなかった。密林に隠れて2日後、テロリストの隠れ家を制圧したという連絡が入った。ツァガーン軍が踏み込んだ時には既に、全員が頭を撃ち抜いて死んでいたらしい。
ハルデイツォ。モニカは奇妙な響きのテロリスト集団の名前を呟いた。ウデースの星を作った古代神の名前だったか。なぜそんな事を思い出すのだろう。ここにはヌイサほどの密林があるわけでもないのに。今の自分は、特殊戦闘服も着ていないし、大型の軍用銃も持っていない。きっと、こんなツァガーンに比べれば野放しに等しい自然風景が落ち着かないせいだろう。自然などというものは、人間にとって管理されるべきなのだ。
それに、ハルデイツォはもう存在しない。あの後、徹底的にモニカ達が叩き潰したから。逃げた連中もいるようだが、求心力を失った今、復活の可能性は無い。
「エルバ、あなたの無念は晴らせたかしら?」
モニカは空に向かって呟いた。
「姉ちゃーん、モニカ姉ちゃん!」
後ろを振り返ると、遠くから小さな男の子が駆けて来るのが見えた。右手には玩具の銃を持っている。息を切らしながらやって来ると、モニカに抱きついた。
「もう、待ってって言ってるじゃん!」
「・・・あのね修、私は仕事をしているんだから、ついて来るのは構わないけど邪魔しないでって言ったでしょう?」
モニカは右手の装置を落とさないように気をつけながら言った。まったく、何でこんな所まで来て子守りをしなければならないのか。
「ねー、何やってんの? ・・・あー、わかった! それ、ホウシャセン測ってるんでしょ? 福島のじいちゃんも持ってたよ、そういうの!」
「放射線?」
「あのねー、モニカ姉ちゃんは外国人だから知らないだろうけど、このあたりで大きな地震があったんだよ。それでね、福島の海の方に津波が来て、原子力発電所が壊れちゃったんだって! それで、ホウシャノウが漏れたんだよ!」
「ふーん・・・? まあ、そういう事にしておきましょうか。もし家族の人に聞かれたら、そう言っておいてね」
「わかった!」
「それじゃあ、1人で遊んでてくれる?」
モニカは、暑苦しくくっついて来る修の体を引き離した。
「大丈夫だよ! モニカ姉ちゃんは好きにしてて! オレはモニカ姉ちゃんの近くで遊んでるから!」
そう言いながらも離れる気配はない。
「それで、今日はどこまで行くの?」
修は目を輝かせながら言った。駄目だ、今日はろくに調査できそうにない。
「・・・そうね。晩御飯までには帰れるようにしましょう」
モニカはため息をついた。




