36
モニカは道路に降り立つと、身体中に付いた木の葉を払い落とした。背中の金属製の羽根にも木の枝が引っかかっている。
「あら香奈恵、どうしてこんな所に? それに・・・城崎さんのお嬢さんも一緒? 奇遇ね、ピクニックかしら?」
里美は硬直したまま、無意識に後ろに下がる。すると、里美の様子に気付かず、香奈恵が代わりに前に進み出た。
「それはこっちの台詞よ! なんであんたがここにいるの? まったく、驚かせないでよ」
香奈恵は、物音の主がモニカだったことに安心してすぐに元の調子を取り戻す。
「探し物をしていたんだけど、いつの間にか道に迷っちゃって・・・気が付いたら道を外れていたのよ」
そう言いながら、服についた雑草を取る。
「こんな所で何度も迷うなんて、どれだけ方向音痴なの?」
「それより、羽根についた枝をとって頂戴。手が届かないの」
モニカは後ろを向いて、香奈恵に羽根を押し付けた。
「こんな馬鹿みたいな飾り、邪魔にしかならないじゃない。山に入るなら、母さんのジャージでも着てくれば良かったのに」
「そんなだらしない格好で歩けないわ。いざという時に困るでしょう? これが私の勝負服なの」
モニカはスカートを摘まんで見せた。
「馬っ鹿じゃないの? この町であんたに声をかけるような物好きはいないわよ」
文句を言いながらも香奈恵はひとつひとつ小枝を取り払って道端に投げ捨てた。
「ありがとう。これで元通り、綺麗になったわね」
「元通りになっても、十分変だけど。一体、何を探したらこんな藪の中に迷い込むのよ」
「ある動物の痕跡を探していたのよ」
「動物? 狸でも探してるの?」
「さあ・・・どんな動物かはよくわからないけど、この辺りに珍しい動物が居るって城崎さんから聞いたのよ。あなたも知ってるでしょう?」
モニカはそういうと固まったままの里美に目を向けた。
「里美と言ったかしら? 昨日はお父さん共々、お世話になったわね」
モニカは里美に微笑みかける。傍目からは、とても穏やかに。だが、里美はヘビに睨まれたカエルになったような気分だった。
「何よ、珍しい動物って? ・・・もしかして、ツチノコの話?」
香奈恵が空気を読まず里美に話しかける。
「でも、あのツチノコを見たっていう話、小学生の作り話だったんでしょう? 確か、私達の2つ上の学年の男の子が言いふらした噂だって、京ちゃんが言ってたじゃない?」
「ツチノコってどんな動物なの?」
「実在する動物じゃなくて、空想の生き物よ。胴が太いヘビのような形をしているんだけど」
「それはヘビなんじゃないの? 何が珍しいっていうのよ?」
「私に言われても知らないわよ。日本にはそれを珍重する人が大勢いるの!」
「そうなの? 私の故郷にそういうヘビがたくさんいたから、今度日本に持ってこようかしら?」
この女は、何を考えているのだろう? 香奈恵の前でやたら親しそうにツチノコの話なんかしているが、戦うつもりはないのか? いや、これは自分を油断させて、隙をついて一気に襲い掛かる魂胆に違いない。香奈恵がいるが・・・そうか、もしかしたら香奈恵もろとも葬り去るつもりじゃ・・・。
「香奈恵から離れて!」
里美の張り詰めた声に、香奈恵が振り返る。
「・・・里美?」
香奈恵は、里美のただならぬ様子にようやく気がついた。
「一体、何を企んでるの? お父さんをあんな目に合わせた上に、今度は香奈恵やその家族にまで手を出そうとするなんて、許せない!」
自分を奮い立たせるように叫んだ。
「あら・・・警戒されちゃってるみたいね。心配しないで、今はあなたに取材するつもりはないから」
モニカは取材、という言葉を強調して言った。
「そんなの信じられないわ! 何か隠し持ってるんでしょう!?」
里美は今にも飛びかからんばかりの勢いで睨むと、モニカに近付いた。
「ちょっと・・・急にどうしたのよ、里美」
香奈恵が里美を肩を抑えて止めた。
「どいて、香奈恵。私があいつを倒さなきゃ、香奈恵も、家族も危ないんだよ」
体の中で力が湧き上がるのを感じる。
「何言ってるの! 倒すって、どうやって? 体格的にも、とても勝ち目は無いわよ!」
「そうね、私は軍隊式の格闘技も習っているから、そんじょそこらの女の子には負けないわよ。試してみる?」
「あんたも余計なこと言わないで!」
「邪魔しないで、今やらなきゃ・・・」
『少し頭を冷やしたらどう?』
急に頭の中に大きな声が響き、里美は耳を押さえる。
「え? な、なに?」
里美が周りを見回すと、右肩にてんとう虫が留まっていた。まさか、てんとう虫が喋ったのだろうか?
『念のため言っておくけれど、その虫が喋っているわけじゃないわよ?』
里美の考えを見透かしたように声が聞こえる。この喋り方は、少し声音は違うものの、モニカに声に間違いない。しかし、モニカの口元を見ても唇は少しも動いていない。
『腹話術でもないわよ?』
さらに里美の心を先読みしたように声が響く。
「わ、わかってるよ、何のつもりなの!」
「どうしたの、何かされたの?」
心配そうに香奈恵が里美の顔を覗き込む。
『大きな声を出さなくても、あなたの声は私にも届くわ。これは電話みたいなものよ。本来、頭の中にナノマシンを埋め込んだ人間同士で使うもので、あなたにも使えるかと思ったんだけど、チャンネルが全部閉じられているみたいだから、代わりに虫型の通信機を飛ばしたの』
『このてんとう虫が? また宇宙人の技術なの?』
『そうそう、その調子よ。言葉を思い浮かべれば相手に届くわ。でも、馴れないうちはあなたの考えが全部私に伝わってしまうから、気をつけてね』
「それが狙いなの!? 私の考えを全部盗むつもりなのね!」
香奈恵の肩越しに、モニカに食ってかかる。
「里美、大丈夫なの!? あなた今日はおかしいわよ」
「怖いわね。この子、いつもこんな調子なの?」
モニカは肩をすくめた。
「あなたのせいでしょう!」
『何を猫かぶってるの、この変態コスプレイヤー! パンツ盗撮されて全世界に流されてればいいのに!』
『あなたの罵声も包み隠さず聞こえてるけど、あなたの考えを読むのが目的じゃないわ。それがしたいなら教えるわけないでしょう?』
『・・・じゃあ、何が目的なの?』
『あなたと内緒の話をするためよ』
悪戯っぽい声が頭に響く。
『私はあなたと話すつもりはないわ! 今、ここであなたを倒すから、覚悟して!』
『意外と度胸があるのね。ゲムトスを倒したという自分の力に自信があるのかしら? 過信すると足を掬われるわよ』
『余計なお世話よ!」
『話を聞きなさい、私は今はやりあうつもりは無いわ。それに香奈恵の前よ? あなたの秘密を知らないのでしょう?』
『構わないわ、香奈恵には打ち明けようと思っていたから』
『私は困るのよねえ。まだ香奈恵の家を追い出されたくないし、地球人にオルバルの事もツァガーンの事も知らせちゃいけないって言われているから。香奈恵だけじゃないわ、周りをよく見なさい、あそこのお婆さんも見ているわよ?』
モニカが無言で指を向けている方を見ると、道下の畑で草刈り用の鎌を持った老婆が不思議そうにこちらを見上げていた。その先の畑の脇にも軽トラックが止まっていて、老夫婦が荷台から長い取っ手のついた機械を降ろそうとしている。
『あなたの秘密だけじゃないわ、私と本気で戦うというからには、殺し合いをするということでしょう?』
『そんなつもりはないわ! あなたを殴って、取り押さえて・・・』
『ゲムトスを倒す程の力で殴られたら、普通の人間は死ぬわよ。もちろん私も負けるつもりはないけど、決闘なら場所を選びなさい』
里美は小さく呻くと、握り締めた拳を解いた。
『わかってくれた? いい子ね。いい子ついでに、お父さんに伝えて欲しい事があるんだけど』
『・・・何? 今日近づいたのはそれが目的なの?』
『そんな事ないわ、偶然よ。あなたのお父さんが新型のゲムトスを開発している容疑で、ツァガーン軍が動き出したわ。数日中に第8312艦隊が地球に到着する予定よ』
『えっ!?』
『大量殺戮兵器を作っているんだから当然でしょう? あなたのお父さんは軍に拘束されて、本星に連行される。そうなったら、もう終わりよ』
『まさか、殺されちゃうの?』
『いいえ、すぐには殺さない。軍に都合がいいことを話すだけの人形にされてしまうわ』
『人形・・・?』
『喩えではなく、そのままの意味よ』
里美は、昔写真で見た蝋人形を思い浮かべた。
『動かない人形じゃないわ、生きた人形よ。脳のあちこちを切り取って、小さな機械を脳に埋め込むの。・・・私達の技術なら、脳を全部取り出して、そっくりそのまま人工脳に入れ替えた方が簡単なのに、どうしてそんな面倒なことをするかわかる? 脳の大部分が人工物だと、個人の証言として認められないという古い法律があるせいなの。今では脳の大部分を残したままコントロールする技術が開発されているから、完全に時代遅れなんだけどね』
里美は頭の中が痒くなった。そんな事をされたら、死んでいるのも同然ではないか。
『残念だけど、そんな生ぬるいものじゃないのよね。改造されてもその人間は生きているわ、ちゃんと意識を持ってね。生きてるなら、殺されるよりましだと思う? でも・・・そんな事をされた人間が無事でいられるわけがないでしょう?』
モニカは、里美の怯えた様子を確認しながら言葉を続ける。
『意識を保持したまま、埋め込まれた機械が強制的に割り込んでコントロールするの。そして、その方向付けを行う信号は痛みよ。機械が干渉するたびに、激しい苦痛を味わうことになる。神経を直接刺激するから、どんな人間も耐えられないわ。肉体が滅びるまで、死ぬより辛い苦痛を味わい続けるの』
モニカは、新商品の家電の説明でもするように言った。里美は唾を飲み込む。
『ああ、あなたのお父さんほどの重要参考人なら簡単に死なせてはもらえないでしょうね。身体改造を繰り返して、それでもダメになったら脳だけ取り出して大切に生き永らえてもらうわ』
「やめて! どうしてそんなに酷いことをするの?」
里美は、嫌な想像をかき消すように声を上げた。香奈恵が驚く。
『私達の星だって、別に酷いことをしたくてしてるわけじゃないわ。一番最適な方法を選択しているだけよ。痛みは副次的なものなんだけど、それが効果的だから仕方なく使っているの。でもね・・・お父さんをそんな目にあわせない方法が1つだけあるわ』
モニカは楽しそうに笑った。その顔に里美は嫌なものを感じた。
『艦隊が到着する前に投降しなさい。私は、ツァガーンのとある諮問機関にコネクションがあるの。軍も簡単に手出しできないぐらいのね。そこにあなたのお父さんを引き渡すわ。もちろん監禁されるでしょうけれど、軍ほど野蛮なことはされないし、新型のゲムトスの開発に協力するならきっと優遇してくれるわよ』
里美はその提案が一瞬魅力的に思われたが、嫌な予感を思い出して首を振った。
『お父さんは怪物を生み出す研究なんてしていないわ! だから、あなたに捕まる理由も無い!』
『あなたが決めることじゃないわ、お父さんに伝えて頂戴。私は避けられない結末から、より良い方法を提案しているの。どちらがいいかなんて火を見るよりも明らかでしょう? どうせ捕まるなら、優しい鬼に捕まった方がいいわ。・・・それと、地球から逃げようとしても無駄よ。あなたの家は常時監視しているから、逃げてもすぐに追いかけるわ。あんなボロい探査船じゃ、最新型の私の戦闘船からは絶対に逃げられないわよ?』
「里美、里美!?」
里美は、視界がと揺れているのに気が付いた。香奈恵が肩をつかんで揺さぶっている。
「大丈夫? 少し休んだ方がいいんじゃない?」
「私は大丈夫だよ! その人が・・・」
里美は震える手でモニカを指さした。香奈恵も振り返ったが、モニカは優しく微笑み返すだけだった。
「モニカ、あんた一体里美の家で何をしたのよ? 里美がこんなに怒るなんて尋常じゃ無いわよ?」
「別に変わったことはしてないわ。私は家に伺って、創士さんに話を聞いただけよ? あまりにも協力してくれなかったから、少ししつこく食い下がっちゃったかもしれないけれど」
「嘘、嘘だよ! 記者なんかじゃない! この人は・・・」
『もう一つ言い忘れていたけど』
里美の頭に大きな声が響いた。
『香奈恵には私やお父さんが地球人じゃないって事は言わないで頂戴。もちろんあなたの身体の事もね。香奈恵に何か言ったら、家族もろとも記憶を消させてもらうわよ・・・少し荒っぽい方法でね』
里美は次の言葉を呑んだ。
「何よ、こいつが何なの?」
里美は唇を噛んで黙り込む。
「あんたがどんな取材をしたのか知らないけど、私の友達がこんなに嫌がっているんだからもう止めてくれない? これ以上しつこくするなら私の家族がなんて言おうとあなたを追い出すわ」
香奈恵は眉を吊り上げて言った。しばらく黙ったまま見つめ合う。
「・・・ごめんなさいね、里美。もうあんな事はしないわ。でも、私も仕事だから諦めるわけには行かないの。今度はもっとスマートな方法で行くから、お父さんによろしく言っておいてね」
香奈恵の予想外に、モニカはあっさり謝罪した。
「・・・本当でしょうね?」
「本当よ、今日はもう取材しないで帰るわ。香奈恵、一緒に帰りましょうか?」
「結構よ。私は里美と話があるから、一人で帰って」
「そう? それじゃあ、さよなら、里美」
モニカはスカートを揺らめかせて体を翻すと、里美達がやって来た方向に歩き始めた。里美は、ホッとしたと同時にこのまま帰していいものかという疑問が湧いた。何をしてでも、今ここでモニカを止めた方が良いのではないか? 決断するより早く、足が一歩前に出る。その時、モニカの夕焼けに輝く羽根の斜め上に、一瞬大きな人影が見えた。しかし、すぐにその影は空に溶けるように消え失せる。里美は足を止めて、モニカの背中を見送った。
「もう気分は平気?」
「うん・・・」
「まったく、あいつには困ったわね。早く出て行って欲しいんだけど。今度変なことされたらすぐに言いなさいよ?」
「うん」
里美は生返事をしながら、夕日を背に受けながら、左に曲がった下り坂をとぼとぼ歩く。
「話が中断されちゃったけど、何の話をしてたかしら。ああ、あんたの身体が手術で機械になっちゃったって話だったっけ。本当なの?」
「・・・ああ、それなんだけど。ごめん、少し大げさに言ってたかも」
香奈恵とその家族が人質になっている以上、今は言うことはできない。
「やっぱり! もう、何でそんな事言うのよ!」
香奈恵は笑いながら肩をぶつけてきた。
「でも、身体の中にたくさんの金属が入ってるのは本当なんだ」
里美は小さな声で呟いた。
「何よ、そんな事で悩んでたの?」
「そんな事って・・・だって、いつの間にか私の体の中が私以外のモノに変わっているんだよ? すごく気持ち悪いし・・・私が私じゃなくなるみたい」
里美は、少し声を荒げた。
「確かに、体の中に金属が入っているのはいい気分じゃないでしょうね。でも、それだけで里美が里美じゃなくなる何て事はないでしょう?」
「でも、例えばの話だけど、身体の半分以上が機械になってしまったら、それはもう人間とは違うんじゃないの?」
「もしそうなったとしても、それは里美でしょう? 考えることなんてないわ」
「それじゃあ、9割方機械になっちゃったら?」
里美は顔を近付けた。
「やけにこだわるわね。どこまで機械に置き換わったら人間じゃないかは難しいけれど・・・仮に今のあんたが全部機械だったとしても、私はあなたが里美だと思うわ」
「どうしてそう思うの?」
「だって、私はあなたが機械かどうか見分けがつかないもの」
「そんな理由なの・・・? 香奈恵は意外といい加減な所あるよね」
里美は少し力が抜けた。
「何よ、いい加減って。考えてもどうにもならないことはポジティブに考えるだけよ。あんただって、外から見たら金属が入っているなんてわからないんだから、あまり気にしない方がいいわ。他人事だからそう言ってるわけじゃないわよ? 多分、自分が同じ立場になってもそう考えようと努力すると思うわ」
「私にもそんな風に考えられるかな・・・。でも、ありがと」
「少しは気が楽になった?」
「ほんの少しね」
里美は、モニカと別れてから初めて笑った。
「それじゃあ、私も1つモヤモヤしていることがあるんだけど、里美に聞いてもいい?」
「え? なに?」
「あのね、千穂が少し前から時々様子がおかしいでしょう?」
「え? そうだっけ・・・?」
里美から笑顔が消えた。
「里美、あなた何か理由を知っているんじゃないの?」
香奈恵が真剣な目で詰め寄る。里美は目を逸らした。自分や創士の秘密が関わっているこれも言うわけには行かないだろう。
「知らないよ・・・何で私に聞くの?」
「本当に? それじゃあ、最近私に隠れるように話しているのはなぜ? その時の千穂の話し方は普通じゃないわ」
「隠れてるわけじゃないよ。それは・・・千穂が小説に興味が湧いてきたから、貸して欲しいって」
「嘘ね」
香奈恵は、里美が言い終わる前に言った。顔が強張り、頬が少しつっている。里美は下を向く。
「本当だよ、千穂に聞いてみて・・・」
自分でも驚くぐらい弱々しい声が出た。
「千穂には聞いたわよ。でも、千穂は自分がおかしくなってる事を憶えていなかったし、あんたとこそこそしてる事も知らなかった!」
香奈恵は里美の両手を掴んだ。
「ねえ、私は除け者にされてる事が嫌なだけじゃないの。千穂があんな風に変わってしまうなんて、どう考えても普通じゃないでしょう? 演技だと思ったこともあったけど、本人が憶えていないなんておかしいわ。・・・私だって親友なんだから、心配なのよ。お願い、何か知ってるなら言ってよ」
里美は黙ったまま香奈恵の胸元を見た。
「ごめん・・・香奈恵を除け者にしてるように見えたのなら謝るよ。でも、私は千穂が変になった理由は本当に知らないの」
香奈恵の口が一瞬何か言おうと大きく開いたが、すぐ歯を噛みしめた。
「・・・そう、それが答えなの。私は、力不足だったかもしれないけれどあんたの悩みに真剣に答えたつもりだったのに、あんたはそうやって嘘をつくのね。そんなずるい奴だなんて思わなかったわ!」
香奈恵が乱暴に手を払うと、里美は急に悲しくなった。このまま黙っているつもりだったが、疲れのせいか感情を押さえることが出来ない。
「嘘をついてるわけじゃない! 私だって、香奈恵のことを思っているから言えないことだってあるんだよ! どうしてわかってくれないの!」
「わからないわよ! あんただって私の気持ちなんて何も考えてないじゃない! ・・・もういいわ、絶交よ。明日から話しかけないで!」
香奈恵は坂道を駆け下りて行った。足が遅いのでなかなか前に進まなかったが、里美はその姿が見えなくなるまでじっと動かずに見送った。一人ぼっちになった影が長く伸びていた。




