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 「何なんですか、さっきの人は! いきなり初対面の、か弱い後輩の頬を引きちぎらんばかりの勢いでつねり上げるなんて、非常識にも程がありますよ!」

 奈緒は、赤くなった頬を膨らませながら千穂の文句を言った。勿論、千穂が美術室から出て行って、しっかり1分は待って、戻って来ないことを確認してから。里美は、奈緒の赤い頬を今つねったら、もっと伸びるんじゃないかと思ったが、絶対やらせてくれないだろう。

 「先輩、どうしてあんな人と付き合ってるんですか? 友達は選んだ方がいいですよ!」

 「あまり悪く言わないで。多分、悪気はないんだよ。奈緒ちゃんと打ち解けたかったんじゃないかな。千穂が来た途端に、急によそよそしい態度になるから」

 「初対面の人といきなり打ち解けられるわけないじゃないですか! 今の時代、犯罪に巻き込まれない為にも性悪説で望むべきなんです!」

 「そんなに大層な話でもないと思うんだけど・・・。奈緒ちゃんが人見知りなだけでしょう?」

 「そ、それは否定できませんが。とにかく、仲良くなりたいからって嫌がらせするなんて、子供じみてます!」

 「子供・・・? 言われてみれば、確かにそうかもしれないなあ」

 里美は天井を見上げた。2本並んだ蛍光灯の1本が時折、明滅している。考えてみれば、キビューデは0歳児だ。生後2週間と言ったところか。2週間であそこまでの知能を身につけているのは信じられない事だ。

 「何言ってるんですか? 先輩と同級生なら2年生でしょう、私より歳上じゃないですか。それなのにそんな天邪鬼な事をするなんて・・・あんな人は毘沙門天に踏まれてればいいですよ! いいえ、もう絶対に靴あとがつくまでぐりぐり踏んづけられるべきです!」

 奈緒は、毘沙門天のフィギュアの足元の天邪鬼に、何度も指で弾いた。

 「ちょっ、やめてよ奈緒ちゃん! 構図がずれちゃうじゃない!」

 里美は慌ててフィギュアを手で押さえた。


 「奈緒、そのぐらいにしておいてあげて」

 香奈恵が2人の背後から声をかけた。

 「津島先輩・・・。先輩もさっきの人と友達なんですか?」

 「そうよ。普段は優しい子なんだけど、最近、時々人が変わったように攻撃的な事を言うのよね。反抗期なのかしら? それとも・・・」

 「中二病ですか? やだなあ、恥ずかしいですよ」

 奈緒は、顔の前で手を振った。

 「あら、奈緒もいい線行ってると思うけど? 来年が楽しみだわ」

 香奈恵は意地が悪そうに微笑みながら言った。里美も薄々そう思っていたが、香奈恵のようにストレートに言えない。

 「ど、どういう事ですか? 一体、私のどこにそんな要素が?」

 「あなたのノートをみればわかるわよ」

 「は?」

 何か思い出したのか、奈緒の顔がみるみる紅潮していく。

 「あ、あれのことは早く忘れて下さい!」

 「あれって、何のこと?」

 里美が口を挟む。

 「里美が休んでいた時に、奈緒のキャラクターの設定ノートを拾ったのよ。奈緒の設定も興味深かったわね・・・。前世は、どこかの国の王子様だったんでしょう? 驚いたわ。言ってくれれば相応のお持てなしをしたのに」

 香奈恵は慌てる奈緒の様子を楽しそうに見ながら言った。

 「ち、違いますよ! あれは・・・描こうとしていたキャラクターになり切って、設定を考えてただけです! 本気でそんな事考えてるわけないじゃないですか、もう」

 「どうかしらね? ちょっとその言い訳は苦しいんじゃない?」

 奈緒は、何か言おうと口をぱくぱくさせていたが、やがて諦めたようにうなだれた。

 「ひどいですよ・・・私のトップシークレットを覗き見るなんて」

 「誰の物かわからなかったんだから、仕方ないじゃない。私が拾わなくても、部員の誰かが拾ってたわよ。今度は失くさないように気を付けなさい。それに、そんなに恥ずかしがる事はないでしょう? 奈緒の前世はともかく、他のキャラクターの設定は感心したわ。漫画か小説にすればきっと面白いわよ」

 「本当ですか? 今のところ、予定は無いですけど・・・津島先輩がそう言ってくれるなら、頑張ってみます!」

 奈緒は今度は照れたように目を伏せた。

 「面白そうだね。私にも見せてよ。香奈恵に見られたんなら、一緒でしょう? その鞄に入ってるの?」

 「だ、駄目です、絶対!」

 里美が奈緒の足元の鞄に手を伸ばそうとすると、奈緒は素早くそれを遠ざけた。

 「香奈恵、俺は先に帰るよ」

 惣一の声が香奈恵の背中越しに聞こえた。

 「うん、それじゃあ、また明日ね」

 香奈恵が手を振る。

 「みんなも、さよなら!」

 惣一は鞄を肩掛けすると、振り返らずにそそくさと美術室を後にした。香奈恵は惣一が見えなくなるまで手を振り続けて、ゆっくり手を下ろした。

 「・・・私達もそろそろ帰ろっか、里美」

 里美は、壁時計を見上げながら頷いた。


 だいだい色の空の下を2人で歩いて行く。水を張った田んぼからカエルの鳴き声が聞こえてきた。周りは田んぼだらけなので、どこでカエルが鳴いているのかわからない。里美達の他にも何人か、下校中の生徒が坂の下に続いている。これなら、モニカも手出し出来ないだろう。それでも、里美は無意識に周囲を警戒していた。香奈恵も何か考えているのか、口数が少ない。

 「・・・ねえ、何か私に言いたいことがあったんじゃないの?」

 無言で歩いていた香奈恵が、不意に里美に声を掛けた。

 「ああ、うん」

 里美は、頭の中に色々心配事はあったが、いざ話す段になると、何から話せばいいか迷った。えーと・・・。

 「あ、そうだ。そういえば、最近袴田くんと上手く行ってるの?」

 里美は、なかなか口に出せずに悩んでいると、思いがけずその質問が口を出た。香奈恵は答えず、黙ったまま20歩ほど歩いた。

 「・・・どうして今そんな事を聞くの? 普段、里美の方から聞いて来ないじゃない。その質問は、上手く行っていないように見えるからこそ聞いてるのよね?」

 香奈恵は微笑みながら言ったが、里美には心から笑っていないのがわかった。笑顔が張り付いているだけだ。あれ、もしかして今触れてはいけない話だったのか?

 「ううん、別に理由は無いよ。香奈恵の近況を知りたかっただけ」

 里美は慌てて否定する。

 「いつも仲良さそうだから、いいなあって思って。私もそういうの、興味無いわけじゃないしさ。その・・・どこまで進んでるのなかあ、とか」

 里美は普段考えないようにしていたが、香奈恵がもしかしたらそういう行為をしているかと想像して、顔が赤くなった。

 「下世話な興味で聞いているのなら、何も話すことは無いわね。羨ましいなら、里美も彼氏作ったら?」

 「違うよ、興味本位じゃないよ! 私は、香奈恵が心配だったから・・・」

 里美は、言ってからしまったと思った。香奈恵は大きくため息をつく。

 「やっぱり、何かあったと思ってたんじゃない。さっき、奈緒とこそこそ話してたのもこの事?」

 「気付いてた?」

 「そりゃあわかるわよ。あんた、何度もこっちを窺ってたじゃない」

 「そっか・・・気に障ったのならごめん」

 里美は手を合わせて頭を下げた。

 「袴田くんも気付いてたかな?」

 「惣一は多分気付いてないわよ。マイペースだから」

 「それなら良いんだけど。奈緒ちゃんが、香奈恵達の様子がおかしいって言うから、一応気になってさ」

 「あの子に吹き込まれたの? 大人しそうに見えて、意外と詮索好きなのね。一度注意しておいた方がいいかしら?」

 香奈恵はまた意地の悪い目で学校を振り返った。

 「ううん、今度私の方から言っておくよ」

 「そう? ていうか、あんた達いつの間に仲良くなったの?」

 「最近、一緒に絵を描く事が多いからさ。意外とおしゃべりなんだよ? 漫画やネット動画にもすごく詳しいし」

 「ふうん。後半は意外でも何でもないけどね。今年の新入生で熱心に来るのはあの子ぐらいだし、私ももっと話してみようかしら?」

 「うん、そうしなよ」

 「他の新入生の子達・・・良子と麻衣と関根くんと、もう1人は何て言ったかしら? 最近欠席が多いから、部長が無理やりでも連れてくるって意気込んでたわよ。里美の時みたいにね」

 香奈恵はそういうと笑った。

 「ねえ、それで袴田くんとはどうなの?」

 里美は真顔で返す。

 「あら、また話戻しちゃうの?」

 香奈恵は少し困った顔をした。

 「言いたくないならいいんだけど」

 「ううん、そういう訳じゃないわ。何もないのよ、本当に。・・・少なくとも、私はね」

 最後は呟くように、目を合わせずに言った。長い睫毛が揺れる。

 「え? それって・・・?」

 「勘違いしないで!」

 里美の不安げな表情に気が付くと、香奈恵はすぐに否定した。

 「どんなに好きになっても、相手の考えている事がわからない時があるっていう、それだけの事よ。当たり前じゃない」

 香奈恵は自分に言い聞かせるように何度も頷いた。

 「はい、この話はおしまい! 何か言いたくなったら私から言うからいうわ。今日は、里美の相談でしょ?」

 香奈恵はそう言うと話を切り上げた。里美も、それ以上聞けなかった。


 「余計な話に時間を取られたわね。こっちの道を通って行きましょう」

 香奈恵は、消化槽から枝分かれした上り坂を指差した。丘を登って、保育園の方に続く道だ。結局、行き着く先はこのまま坂を下って行ったところの大通りに合流するだけで、単に遠回りでしかない。

 里美はさっきの話のせいで、余計切り出せずにいた。黙々と坂を登る。気温が高く、香奈恵の額には汗が浮かんできた。坂の下の畑で、大きな庇のついた帽子をかぶって草むしりをしている老婆の姿が見えた。道を歩いている人間はいないものの、時折軽トラックなどが通るし、大丈夫だろう。

 「ここ通るの久しぶりだね」

 「そうね。あまり好き好んで通る場所じゃないわ」

 香奈恵は息があがり始めている。脇の下にも汗が滲んできた。

 「暑いわね、本当に」

 「香奈恵は体力なさすぎだよ。もっと運動したら?」

 「いいのよ、将来できるだけ体を使わない仕事に就くから。・・・あんたは体力だけはあるわね、汗ひとつかいてないし」

 香奈恵はすたすた歩いている里美の顔を見る。

 「ううん、そんな事ないよ」

 里美は唾を飲み込んだ。

 「でも、私ロボットだから、あまり汗はかかないみたいなんだ」

 里美は前を向いたまま、歩みを緩めずに言った。香奈恵は不思議そうに里美の顔を覗き込むが、里美の表情は変わらない。置いて行かれまいと必死について行く。

 「ちょっと、もう少しゆっくり歩かない?」

 「あ、ごめん。速くなってた?」

 香奈恵はブラウスのボタンを1つ外し、ハンカチで胸元の汗を拭う。遠くから相変わらずカエルの鳴き声が響いていた。

 「梅雨だっていうのに、全然雨が降らないわね。カエルだって困るわよ。このままじゃ水不足じゃない?」

 「うん、昨日ニュースでもそんな事言ってた。知ってる? そう言えば、カエルって絶滅するかもしれないんだって」

 「へえ・・・どうして?」

 「両生類にだけ感染する、怖いカビが日本にも上陸したらしいよ」

 「ふうん。でも私、カエルが苦手だから別に困らないわ」

 「そうかな? よく見ると可愛くない?」


 里美は、香奈恵の方を見ずに歩き続けている。坂を登り切ると、眼下に街並が小さく見えて来た。

 「・・・ねえ、さっきの話、聞いてた?」

 「何の事? カエルの話?」

 「ううん」

 里美は急に足を停めて、香奈恵を振り返る。香奈恵は里美にぶつかりそうになり、寸前で止まった。

 「あの、ね。私、実はロボットなんだ」 

 香奈恵は黙っている。左頬を汗が伝って落ちる。

 「・・・ふうん、そう」

 香奈恵はまた歩き出した。

 「あれ? ちょっと待ってよ!」

 香奈恵の行く手をふさぐように前に回る。

 「本当だってば!」

 「冗談にしてはつまらないわね。相談したかったのって、この事なの?」

 「冗談じゃないよ! 本当だから悩んでるの!」

 「そうね。ロボットなら雨に濡れたら錆びそうだし、今の季節は大変よね」

 「あーもう、どうしたら信じてくれるかな。・・・そうだ!」

 里美は、背負っていた学生鞄を地面に降ろし、ごそごそと中を漁ると、筆入れからカッターナイフを取り出した。右手でチキチキと音を立てて、刃を繰り出す。

 「何をする気?」

 「見ててね? 突き刺そうとしても、絶対に刃が折れるから」

 里美は、上に向けた左手首目がけて、右手で逆手に握ったカッターナイフを振り上げた。

 「せーの・・・」

 「バカ! やめなさい!」

 香奈恵が後ろから里美の振り上げた手にしがみつく。

 「ちょっ、危ないよ! 離して!」

 「危ないのはあんたよ! 早くそれを離しなさい!」

 里美は振りほどこうとしたが、足がもつれて香奈恵と一緒に後ろに倒れた。黒いアスファルトの上をカッターナイフが転がる。

 「いた・・・」

 身体を起こすと、香奈恵に胸元を掴まれて頬を張られた。

 「ふざけるのも大概にしなさい! やっていいことと悪い事ぐらいわからないの!?」

 香奈恵は顔を紅潮させている。本気の怒り顔だ。

 「違うよ、私は本当にロボットなの。・・・本当に本当になんだってば!」

 香奈恵の顔が急に歪んで見える。気が付くと、涙が流れている。あれ? そんなつもりじゃなかったんだけれど。

 「え・・・ちょっとあんた、大丈夫?」

 「う、うん、大丈夫。いや、大丈夫じゃないかも・・・」

 涙は止まるどころか後から後から溢れてきた。鼻水も出てくる。洟を啜り、声を上げて泣きじゃくった。


 どれぐらい時間が経っただろう。涙も枯れたのか、里美は平静を取り戻した。香奈恵がサラ金の広告が入ったポケットティッシュを差し出してきて、里美は2枚取り出すつもりが3枚出てきてしまったが、鼻をかむと思ったよりたくさん出たのでちょうど良かった。

 「落ち着いた?」

 「うん・・・ごめんね、心配かけて」

 里美は泣き腫らした顔を隠すように俯いた。実際にはほとんど変化は見られなかったが。

 「疲れてるんじゃないの?」

 「・・・そうかも」

 里美はよろよろと立ち上がり、スカートをはたいた。

 「ねえ、あんたがロボットだって、本気で言ってるの?」

 「本気だよ。信じてもらえないかもしれないけど」

 「悪いけど、信じられないわね。私の知る限りではそんな素振りは見えなかったけど。いつの間にか、人間の里美と入れ替わっていたとでも言うの?」

 「ううん、完全に機械ってわけじゃないの。脳とか臓器は人間のものなんだけど、身体の外側はほとんど作り物だし、中も金属パーツだらけなんだ」

 里美はティッシュを香奈恵に返す。

 「どうしてそんな事になったの?」

 「私、事故に遭ったでしょう? あの時、本当は私、命が助からないぐらい身体がぐちゃぐちゃになったんだって。それで、使えそうな部分を拾い集めて金属の体に詰め込んだらしいんだ」

 「外側が全部人工物だって言うの?」

 香奈恵はまじまじと里美の身体を眺めた。汗が光る鼻に軽く癖のある髪の毛、首の2つ並んだ黒子、産毛が生えた腕、ささくれのできた人差し指、服の上から分かる凹凸の少ない胴、スカートの下から覗く少し黒ずんだ膝頭に、靴下からは昔アイロンでできたという火傷の跡もはみ出している。体中をぺたぺた触ってみたが、とても機械とは思えなかった。

 「あんたが本気で悩んでるのはわかったけど・・・やっぱり信じられないわ。今の技術では、ここまで精巧な義肢を作れるなんて聞いたことがないもの」

 「でも、本当なんだよ・・・」

 「一体、どこでそんな手術を受けたって言うのよ? 笹川病院は確かにこの辺では大きいけど、そんな世界が驚くような手術ができるわけないでしょう?」

 創士が宇宙人だという事はできれば隠しておこうかと思っていたが、やはり言わなければならないだろう。

 「それは・・・」


 突然、道脇の藪が音を立てて揺れた。里美は驚いて振り返る。

 「何?」

 音は徐々にこちらに近づいてくる。それにつれて、藪も大きく揺れ始めた。

 「人? まさか・・・野良犬?」

 香奈恵は里美にしがみつく。2人は息を飲んで藪を見つめた。

 藪が割れたかと思うと、中から黒い影が道路に飛び出した。黒いフリルの付いたドレスに、金色に光る蝶の羽根のオブジェ。お伽話から出てきた、妖精の女王のように見えた。

 「・・・モニカ!?」

 香奈恵が声を上げた。


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