29
創士は、堅いベッドの上で目覚めた。淡い光を放つ、四角い照明をはめ込んだ天井が目に映る。夢と現の切り替えが上手くいかず、記憶が混濁した。ここは・・・宇宙船の中か? そうだ、自分は地球へ向かっている途中だったか。長い時間眠ってしまったらしい。そろそろ起きて、航路の確認をしなければ。
身体を起こそうとすると、右肩に痛みを感じて急速に記憶を取り戻した。昨晩、ツァガーンのエージェントに襲撃されて、右肩と足に風穴を開けられ、里美に担がれて医務室へ運びこまれたのだった。治療カプセルに浸かって、撃たれた傷は塞がったものの、身体の奥までは完全に治っていない。ベッドが硬いせいか、背中にも違和感を感じた。昔はよく使っていたとはいえ、地球で慣れ親しんだベッドに比べると寝心地が悪い。しかし、そんな事よりもモニカの事を思い出すと、頭が痛くなった。ツァガーンは、地球にゲムトスが出現した事を掴んでいる。それも、壮大な、おそらくは意図的な勘違いをしたままで。
モニカを逃がしたのは失策だった。彼女は、既にツァガーンの高官にゲムトスのことも、自分の事も報告しているだろう。良識ある高官がモニカの思い込みを一笑に付してくれればいいが、おそらく期待できない。自分に有利な勘違いをわざわざ自ら正す必要などないからだ。ツァガーンは、この件でオルバルに法外な要求をしてくるだろう。戦争に発展することも十分考えられる。何としてもそれは避けなければならない。しかし、一介の調査員である自分にできることは限られている。まったく、なんてついていない月だろう。ゲムトスの事だけでも頭が痛いというのに、今度はツァガーンとの揉め事か。里美が押さえ込んだ時、撃っていれば・・・。そんな考えも頭に浮かんだが、すぐに否定した。今更過ぎたことを悔いても仕方が無いし、時間を巻き戻したとしてもやはり出来なかったのだろうと思う。
考えを巡らしていると、部屋のドアがほとんど音を立てずにスライドした。部屋着のジャージを着て、疲れた顔をした里美があくびをしながら入って来る。目の下の隈は出来ないが、人間の脳が残っている以上、眠らずに活動を続けることはできない。創士が起きていることに気が付くと、ベッドのそばに駆け寄った。
「お父さん、起きたの? 怪我は大丈夫!? 血は止まった?」
心配そうな表情で、創士の顔を覗き込む。
「ああ、もう大丈夫だ。少しまだ痛むが、日常生活に支障をきたす程では無い。心配をかけたな、里美」
里美は全身の力が抜けたように、そばにあった丸椅子にへたり込んだ。
「良かった、お父さんまで死んじゃうかと思った・・・。お父さんもいなくなったら、私、どうしたらいいか・・・」
里美の瞳から涙が溢れ、頬を伝った。創士は、昔良くしていたように、左手を里美の頭に乗せて、優しく撫でた。
「まだ死ねないよ。里美を人間の身体に戻していないし、せめて里美が大人になるまではね」
「うん・・・約束だよ」
里美は毛玉のついたジャージの袖で涙を拭った。
「でも、本当に病院に行かなくて大丈夫なの? 後で悪くなったりしない?」
「ああ、地球の病院よりこの船の設備の方が遥かに進んでいる。それに、私が地球人でないことがばれたら大変な事になるからな・・・。ところで、何を持って来てくれたんだ?」
里美の手に持った木箱に目を移す。
「包帯と傷薬を持ってきたの。さっき、居間の薬箱にあった包帯は全部使っちゃったから、物置から探して持って来たんだよ」
木箱を開けて見せる。黄色く変色した古い包帯と、火傷やあかぎれに効くという軟膏に消毒液、絆創膏が入っていた。創士が寝間着をはだけて右肩を見ると、包帯が不恰好に幾重にも巻かれている。傷は既に塞がっているし、包帯もただ巻けばいいというものでもないが、里美の気持ちはありがたかった。
「ありがとう。でも、もう十分だよ。それと、正しい包帯の使い方は後で教えておいた方がいいな」
「そう? あと、着替えと、玄関に落ちてた眼鏡もそこに置いておいたよ」
ベッドサイドのキャビネットを指差す。
「助かるよ」
創士は眼鏡を取り上げ、両手で耳に掛けた。少しフレームがゆがんでいるが、レンズに問題はない。
「ところで、昨日逃げていった派手な格好の女の人は誰なの? 銃も持っていたし、警察に通報した方がいいと思うんだけど」
里美が思い出したように問い掛ける。創士は、里美の問いにどこまで答えるべきか頭の中で逡巡した。里美にこれ以上心労をかけたくないし、地球外の情報を教える事もためらわれる。しかし、あの女はまだ諦めていないだろう。次は、里美が狙われる可能性もある。
「警察には言えない。彼女も、私と同じく地球人ではないんだ」
「えっ、それじゃあ、あの人もオルバル星人なの!?」
里美は驚いて顔を近付けた。
「いや・・・彼女はツァガーンという別の星から来たエージェントだ」
「ツァガーン星人? その人が、どうして家に強盗に?」
「どうやら彼女は、私がゲムトスを地球に持ち込んだと思い込んでいるらしい。その証拠を掴むために家に乗り込んで来たんだ」
「お父さんが? そんなわけないじゃない!」
「もちろん私はそんな事は知らない。しかし、生物兵器であるゲムトスが地球に現れる事が異常事態なんだ。他の星の人間が見た時、可能性としてゲムトスを保有しているオルバルの関与が疑われるのは止むを得ない。別の可能性が見つからない以上、ツァガーンは私を犯人だと考えるだろう。昨日はなんとか撃退することができたが、彼女は再び家を襲撃してくるかもしれない」
「あの人がまた来るっていうの!? ど、どうしよう」
里美は顔を曇らせた。
「こちらも対策はするさ。しばらく不便をかけるが・・・この宇宙船のシールドを起動した。艦砲クラスの重火器を使わない限り、家に侵入することはできない。里美が出入りする時だけ、部分的に解除しよう。私は極力外出を控え、オルバル本星と連絡を取りながらゲムトスの出どころを探る。私が関与していない証拠を突きつければ、彼女も納得するかもしれない」
「お父さんが、家に引きこもるっていうこと?」
「言い方が少し引っかかるが、そうなるな」
「私は? 私も外に出ない方がいい?」
「家は心配いらないから、里美は今まで通り学校に行きなさい」
里美はそれを聞いてホッとした表情を見せた。
「ただし、彼女が里美に手を出してこないとも限らないから、注意は怠るなよ」
「えっ、私!?」
里美は驚いて立ち上がった。
「そんなの怖いよ! あの人、地球には無いすごい武器を持っているんでしょう?」
里美は自分の体を抱きしめるように、腕を組んだ。
「大丈夫だ、余程の事が無ければ里美を傷つけることはできない。ランダウム合金が里美を守ってくれるさ」
創士は里美を落ち着かせようと、極力穏やかに言った。実際、里美に自覚は無いが、あの女にとっては里美の方が脅威だろう。
「それに、地球人に正体が知られるのを恐れるのは向こうも同じだ。人がたくさんいる場所で目立った真似はしないさ。1人にならないように気を付ければいい」
「うん・・・」
里美は頷きながらも、納得が行かない様子だった。
「・・・ねえ、その女の人がお父さんのことを勘違いしているなら、全部話して、誤解を解いたらいいんじゃないかな? ゲムトスも渡して、ゲムトスがどうやって地球にやって来たのか調査に協力してもらう事はできないの?」
モニカを知らない里美には、もっともな疑問だ。それが出来れば、創士としても心強い。
「私もそうしようと試みたが・・・現状では不可能だ。彼女の思い込みの激しさもさることながら、現在、オルバルとツァガーンの関係は冷え切っている。オルバルがゲムトスを地球に持ち込んだという事にした方がツァガーンには都合がいいんだ。それを口実に戦争を始めるつもりだろう。どうしても話をそちらに進めたがっている」
「戦争・・・?」
「ああ、ツァガーンは近年、地球の近辺宙域の領土拡大を画策している。場合によっては、地球も戦場になるかもしれない」
「やめてよ! 地球は関係ないでしょう?」
「ああ、この美しい星を焦土にすることはできない。それだけは何としても避けなければならん」
里美は深刻な話をしているのは頭でわかっていたが、思いがけず大きなあくびが出た。時計を見ると、午前5時を回っている。
「・・・心配事はいろいろあるだろうが、今日は疲れただろう、もう寝なさい。学校は午後から行くといい」
「ううん・・・お父さんがカプセルに入っている間、私もうとうとしていたから。あと2時間も寝れば大丈夫だよ」
「そうか? 無理はするなよ」
里美はおぼつかない足取りでドアへ向かった。しかし、ドアが自動的に開いたところで立ち止まる。
「ねえ、いつまでこんな事続くのかな? 私は人間に戻れないし、千穂もあんなになっちゃうし・・・。ゲムトスだってまたいつ出てくるかわからないのに、今度は危ない宇宙人まで現れて・・・。もう嫌だよ。私は元の、普通の生活が送りたいだけなのに」
後ろを向いているので顔は見えないが、声は重く沈んでいる。
「すまない。我々の事情に里美を巻き込んでしまったことは、本当に申し訳ないと思っている。しかし、今は里美しか頼ることができないんだ。もう少しだけ辛抱してくれ」
「・・・ううん、気にしないで。お父さんが悪いわけじゃないのは私もわかってるもの。ちょっと疲れて、気が弱くなっているだけだと思う。明日にはきっと元気になってるから・・・。お父さんも早く怪我を治してね」
里美は振り返って、無理に作った笑顔を見せると部屋を出て行った。
創士は、今更何度目かわからないが、罪悪感を感じた。自分としては、置かれた状況で常に最良の選択をしてきたつもりだが、この数週間、里美を本人の意思とは無関係に利用してきた事は否定できない。命を救うためとはいえ、勝手に身体をサイボーグ化し、今では便利に利用している。自分は、里美に相当酷い事をしているのではないだろうか。早くこの件を解決して、里美を元の生活に戻してやらなければ。創士は立ち上がると、右足の痛みは無視して通信室へと向かった。
通信室の簡素な椅子に座り、機械のスイッチを次々と入れて行く。すると、モニターが浮かび上がり、ノイズ混じりの甲高い音が周囲に響いた。モニターにはオルバル語で「呼出中」の文字が表示されている。数秒後、モニターが切り替わり、褐色の肌に、金髪を後ろに撫でつけた若い男が浮かび上がった。
「あーあー、こちらオルバル中央管理局第2課のクルト。聞こえるか? ユストゲルの偏屈者」
「良好だ。今日は珍しく早く出てくれたな」
「そりゃあフィゼル、昨日お前が血まみれで通信して来たから、気になって待っててやったんだよ。死ぬかと思ったけど、意外と丈夫じゃねえか」
クルトと名乗った男は、創士を上からじろじろと見回した。右耳に大きなリングのピアスをぶら下げている。
「急所は外れていたからな。カプセルの治療で十分回復したよ。まだ少し傷は痛むが」
「お前の船のカプセルなんて、もう20年も前のだろ? お前がユストゲルに行ってから、カプセルもだいぶ進歩したんだぜ。こっちの病院に来れば、あっという間に治っちまうよ。それに、最近また老け込んだな。全身をレストアした方がいいんじゃねえか? 今は、この褐色の肌が流行ってるんだぜ。お前も手術して、一緒に女を引っ掛けに行こうや。一度オルバルに帰って来いよ」
クルトはいやらしい笑いを浮かべ、白い歯を覗かせた。
「相変わらずだな、クルト。仕事は順調か? 未だに君が管理局に入った事が信じられないが」
「ああ、充実してるぜ。給料はいいし、肩書きを出しただけで女にモテるしな。だから昔、お前にも管理局を目指そうぜって言ったろ? それがどういわけか、優等生だったお前が宇宙の果てで奇っ怪な生き物を追いかけながら不便な生活を好んでしてるって言うんだから、旧友として悲しい限りだよ」
クルトは大げさに肩を落としてため息を吐いた。
「心配してくれるのはありがたいが、こっちはこっちで満足しているよ。守らなければならないものもできたしな。それより、昨晩連絡した件はどうなった?」
「ツァガーンの雌犬の事か・・・」
クルトは急に真剣な眼差しを創士に向けた。
「厄介なことになったな、フィゼル。ゲムトスの件でツァガーンが出張ってくるとは思わなかった。その女に見られた以上、既にツァガーンのブレインにも伝わっているだろう。ついさっき、ホヨルド宙域のツァガーン艦隊に動きがあったとの報告を受けたばかりだ。次々と出港の準備を始めているらしい」
「行き先は?」
「第一、第二艦隊はオルバルの植民星ガラーチェ、そして第三艦隊はおそらくユストゲルに向かうだろう」
「くそっ! 彼女を逃がしさえしなければ!」
創士は拳で机を叩いた。
「・・・お前が女を取り逃したのは仕方が無いさ。ガリ勉の優等生の手に負える女じゃあない。お前の船の映像であの女を調べたが、サーラルの武器工場を1人で壊滅させた女に良く似ている。顔は少し変えているようだが、奴に間違いないだろう。とんでもない狂犬だぜ」
「しかし・・・奴の手元には証拠が残っていないはずだ」
「ところがあるらしいんだな、これが。どんなものかはわからないが、お前の宇宙船内で撮影したゲムトスの写真がツァガーンに送られてきたらしい。お前は機器は全部壊したと言っていたが、本当に確認したか? 服をひん剥いて、全身の穴という穴をほじって調べたか? ああいうイカれた女は、想像もつかない所に秘密を隠していやがる」
創士は唇を噛んだ。
「オルバルは完全に後手に回っている。現在、ガラーチェの近辺は手薄だ。アヨール宙域の艦隊を向けても、間に合わん。現時点ではすぐに戦闘が始まるとは限らないが、ツァガーンがやる気なら相当不利な戦いを強いられるだろう。ましてや、ユストゲルに手を回すことは出来ない」
「なんとかツァガーンを思いとどまらせることは出来ないのか? ゲムトスの写真は決定的な証拠では無い。もっと詳細な調査が必要だと」
クルトは呆れた顔で息を吐いた。
「アホか、お前? あいつらが今更そんな事を信じる訳が無いだろ? だいたい、そんな物わかりのいい連中なら、お前からゲムトスが現れたって聞いた時点で奴らにも伝えてるっつーの」
「しかし・・・」
創士が抗弁しようとするのをクルトが抑えて続けた。
「もう遅いんだよ、フィゼル。さっき言ったのは冗談じゃない、オルバルに帰って来い。ツァガーンの艦隊に包囲されれば、脱出は難しくなる。すぐに荷物を纏めて、ユストゲルでの痕跡はすべて消去して逃げるんだ。奴らに捕まれば、何をされるかわからんぞ」
創士は眉根を寄せて逡巡したが、すぐに決意を込めた表情でクルトを見上げた。
「・・・それはできん」
「はあ!? 何でだよ!」
クルトは信じられないといった顔で立ち上がると、大声を上げた。
「もしかして、地球人の娘の事を気にしているのか? 心配なら連れてくればいいだろうが。そのぐらい、俺が許可してやるよ」
「もちろん、娘をユストゲルから連れ出したくないという思いはあるが、それだけでは無い。我々がここで退けば、ユストゲルはツァガーンの手に落ちるだろう。ツァガーンはホヨルド宙域に近い植民星を欲しがっている。奴らが今まで通りのやり方をするなら、星全体を人工都市化するはずだ。そんな事をすればあの美しい星が死んでしまう」
「何言ってやがる! 長年ユストゲルで暮らしたお前の気持ちはわからんでもないが、あんな辺境の星がどうなろうが俺達には関係ないだろ!? お前が命を懸ける程の義理は無い!」
クルトはモニターに唾を飛ばしながら言った。
「義理ではない。私がユストゲルに来て、珠美や里美に会えたのは運命なんだ。そして、この星を守ることも。私は、命が尽きるまで自分の使命を全うするだけだ」
創士はクルトの目をまっすぐ見つめた。指が少し震えていたが、クルトはその決意を翻すことはできないと思った。クルトは目を閉じて大きく息を吸って、吐き出した。
「・・・わかったよ。お前がその星と心中する覚悟があるなら好きにしろ。しかし、何か考えがあるんだろうな?」
「ツァガーンの艦隊が来る前に、ゲムトスをユストゲルに持ち込んだ犯人を捕まえてツァガーンに突き付ける」
「お前・・・あと数日しかないんだぞ? 本当に出来るのか? それに、それをツァガーンが信用しなければ何の役にも立たないんだからな?」
「やるだけやってみるさ。私にはそれしか出来ない」
「そうか。しょうがねえな、俺もできる限り協力してやるよ。お前、一度言い出したら聞かねえしな」
クルトは髪を撫で付けながら、椅子に腰を降ろした。
「ありがとう、クルト」
「実は、もう間に合わなそうだし、不確かな情報だからお前には後で伝えようと思ったんだけどな・・・」
クルトは耳の上を人差し指で掻いた。
「お前に依頼されてたゲムトスの遺伝子情報の解析、あれを軍の研究所でやってもらってたんだ」
「何かわかったのか?」
「あんなに変異した理由はわからんが、遺伝子情報は第5世代のゲムトスで間違いないらしいぜ」
「やはりそうか。他には?」
「それで、元になったゲムトスの卵の出どころに心当たりが無い事も無いらしいんだが・・・少々オルバルにとって不利な情報でな」
「何だ? 何でもいい、言ってくれ」
創士は、クルトの思いがけない言葉に身を乗り出した。
「ああ・・・。あのゲムトスな、どうも製造元がオルバルらしいんだわ」




