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「何でこいつが私の部屋にいるのよ!?」
家族の最後に長風呂に入り、自分の部屋に入ってきた香奈恵が、ベッドの脇に布団を敷こうとしているモニカと佳恵に向かって叫んだ。
「ごめんなさいね、モニカさん。今、客間が物置になっちゃってて。明日には片付けますから、今日はここで我慢して下さい」
「お気遣いなく。私はここで十分ですわ、おばさま」
パジャマに着替えたモニカが、にこやかに答えた。
「何言ってんのよ、これじゃあ、我慢するのは私じゃないの! 修の部屋で寝ればいいでしょ!」
「香奈恵の部屋の方が広いでしょ! それに、修と一緒じゃ落ち着いて寝られないじゃない。嫌なら、あんたが修と一緒に寝なさい」
「私は香奈恵と一緒がいいわ。女同士だし、仲良くしましょう」
モニカは、香奈恵の目をまっすぐに見つめながら言った。香奈恵は照れ臭くなって目を逸らす。
「あんたなんて、そこの押入れで十分よ」
「失礼なことばかり言うんじゃないの! もう子供じゃないんだから、少しは親切にしなさい!」
「わかったわよ! 今日だけだからね!」
香奈恵はそう言って佳恵を追い払った。
「それじゃあ、私はもうクタクタだし、寝るわ」
モニカは早くも布団に潜り込んだ。
「ちょっと、私これから宿題をしなきゃならないんだけど」
「私は明るい所でも寝られるから、気にしないで。それじゃあおやすみ、香奈恵」
香奈恵はモニカを気にしながら静かに机に向かったが、心配するまでもなく、すぐに背後から寝息が聞こえてきた。
「行ってきまーす!」
朝ご飯をすごい早さでかき込むと、修は一足先に家を飛び出して行った。香奈恵は眠たそうな目で、納豆をかけたご飯を口に運んでいる。
「そのグロテスクな食べ物は何?」
テーブルの反対側に座っているモニカが興味深げに身を乗り出した。
「納豆よ。どうせまた、腐ったものを食べるなんて信じられないとか馬鹿にするんでしょ?」
「いいえ、私もいただくわ。匂いが強いものほど、はまると美味しいのよね」
モニカは小鉢に入った納豆を、自分のご飯にかけて食べ始めた。
「発酵食品ね・・・。なかなかいけるじゃない」
口の周りを糸が舞う。佳恵に借りたパジャマを着ているが、腕も足も丈が足りず、素肌を露出していた。達郎が目のやり場に困るといった様子で、早々とご飯を食べ終わると台所を出て行った。
「あら、平気なのね。初めて食べる人には癖が強いと思ったのに」
「食べ物の好き嫌いなんて贅沢よ。いいえ、食べられる物があるだけマシね。食料が尽きた時は、虫でも木の皮でも何でも口に入れたわ。そういえば、5年ぐらい前に食べた、石を齧る青いミミズは不味かったわね。臭いし、粉っぽかったし」
「・・・あんた、一体どんな生活してたのよ?」
「モニカさん、ご苦労なさったのね・・・」
佳恵が潤んだ目でモニカを見つめた。
「こんなので良かったら、たくさん食べてね」
佳恵は卵焼きや塩鮭の乗った皿をモニカの前に寄せた。
「ところで、私は学校に行くし、お母さんもパートの仕事があるから家を空けるけど、あんたはどうするつもりなの?」
「私? そうね・・・とりあえず上司に連絡して、今後の指示を仰ぐわ。おばさまが外出なさるなら、私も外に出ますから、鍵をかけて下さい」
モニカはよく冷ましたコーヒーを飲みながら言った。
「それじゃあ、鍵は郵便受けの裏に掛けてあるから、帰ってきたら中に入っていて下さいね」
「え? 失礼かもしれませんが、少々不用心では?」
「大丈夫よ。この辺りは泥棒なんて入らないし、ちょっと出かけるぐらいなら鍵はかけないのよ」
佳恵は笑いながら言った。
「私も危ないと思うわ。まだこの女が泥棒じゃないとも限らないじゃない」
「こら、香奈恵! 冗談でもそんな事を言うんじゃないの!」
「昨日会ったばかりなのに、どうしてそこまで信用できるのよ・・・」
香奈恵は立ち上がると、茶碗を重ねて流し台に運んだ。
「洗濯物を干してくれてありがとうございます! それじゃあ、鍵はここに掛けておくから!」
「いえ、大変お世話になっているのですから、このぐらい当然ですわ。お仕事頑張って下さい」
佳恵は赤い軽自動車に乗り込むと、クラクションを1つ鳴らして走り去った。
「・・・あんなに信用されると、流石に気が引けるわね」
モニカは車が見えなくなるまで手を振っていた。確かに、モニカは佳恵に催眠装置を使ったが、『モニカが津島家に滞在することを了承させる』という命令であり、思考や感情までコントロール出来る訳ではない。猜疑心の強い人間に使えば、文句や嫌味を言いながら、しぶしぶモニカが居座ることを許すという事になっただろう。佳恵のモニカへの態度は、佳恵の元来の人格によるものが大きいのである。
「さてと、そろそろ返信が来ている頃かしら?」
モニカは、昨日香奈恵に出会った場所と反対側に歩き出した。集落の外れにある香奈恵の家から山の方へ行くと、人家は少ない。道脇の、車がかろうじて1台停められる程度の空地の、地蔵の前で立ち止まった。目の前には、大きな杉の木がそびえている。モニカが小さな機械を取り出し、杉の木に向けてスイッチを押すと、木の幹にドアが現れ、手前に向かって倒れた。中にはもう1つの金属製の扉が見える。モニカが奥に進み、扉が閉まると、後には杉の木が佇んでいるだけだ。
宇宙船の操縦室へ入ると、正面のランプが赤く点滅し、アラームが断続的に鳴り響いていた。モニカは慌てる様子もなくゆっくり操縦席に座り、右手で点滅しているボタンを押した。突然、正面に髭を蓄えた男の怒り顔が浮かび上がる。
「遅い! 何をしているか!」
声が大きすぎて、音が割れている。
「あんまり怒ってばかりいると皺が増えますよ。そろそろメンテナンスして来てはいかがですか?」
「誰のせいだと思っとる! 私はこの年代の姿が一番気に入っているのだ。何でも若作りすればいいというものではない」
「そんな事を言いながら、司令だってもう130歳を超えているじゃないですか」
「程度問題だ! 今にも死にそうな姿で指揮が取れるか! ・・・それに、君のその格好はなんだね? まるでクボラムシのようではないか」
男はモニカのゴスロリ服を興味深い目で眺めた。ちなみに、クボラムシというのはツァガーンにいる外観はミノムシによく似た昆虫で、危険が迫ると臭い液を吹き出す。
「これはユストゲルで最先端のファッションなんですよ。すれ違う人間が、皆振り返りますわ」
「悪趣味だな・・・。やはり未開惑星の人間の考えることは理解できん」
男は顎髭をさすりながら冷たい目でモニカを見下ろした。
「司令、小言を言うために呼んだわけじゃないでしょう?」
「おお、そうだった! でかしたぞ、モーナギル!」
男は強面の表情をほころばせた。
「確かにゲムトスの映像を受け取った。全く、何て禍々しい姿だ・・・こんな化物を我々にけしかけようとしていたというのか」
男の背後にゲムトスの姿が映し出され、男は背中を向けながら話す。
「第5世代をベースにしているようですが、過去に類を見ない変異が見られます。遺憾ながら、ツァガーンの研究の遥か先を行っていると言えるでしょう。オルバルの弱味を握ることが出来れば良いと考えていましたが、現実的な脅威としても見逃すことは出来ません」
「・・・ゲムトスを兵器として使うのは間違っている。こいつは、ただの化け物だよ。人間はゲムトスを利用しているつもりだろうが、ゲムトスが人間を利用して進化し続けているとも言える。いずれ我々にも制御しきれなくなるだろう」
「それを聞いたら、ツァガーンの研究者が落胆しますよ?」
「構わんよ、私は以前からゲムトス開発の中止を提言している。こんな邪悪な生物は、我々の宇宙から抹殺するべきだ。ゲムトスに力を与える連中もな・・・」
男は眉をしかめてゲムトスの姿に見入っていた。
「この証拠があれば、オルバルの連中も言い逃れできんだろう。オルバルが秘密裏に新型のゲムトスを開発していたという君の推測が正しかったというわけだ」
「どうですか、私の仕事ぶりは。表彰ものですよ」
モニカはカメラに得意げな顔を向けた。
「しかし、たった2日間でよくこれだけの証拠を掴んだな。一体、どうやって潜入したんだ?」
「大したことはありませんよ。オルバルの工作員の家に乗り込んで、縛り上げて地下の施設に案内させたんです。相手は戦闘に関しては素人でしたから、簡単でしたよ」
モニカは、さも当然という口調で言った。それを聞いた男の顔が強張る。
「なんだと!? あれだけ事を荒立てるなと言っただろうが! 何も見つからなかったらどうするつもりだったんだ! オルバルに余計なカードを与えることになるだろうが!」
「私は、確信があってそのような行動を取ったのです。そして、実際に期待通りの成果が得られた。それでいいじゃありませんか」
モニカは悪びれる様子も無く言った。
「良くないわ! 全く、心臓に悪い・・・」
男は胸を押さえながら言った。
「君は独断専行が目立ち過ぎる。今度勝手な真似をしたら、矯正施設に放り込むぞ!」
「・・・お断りしますわ。あんな所に送られたら、二度とまともな生活を送れなくなってしまいます」
モニカは眉をひそめた。
「なら、これ以上の勝手は慎むことだな。それで、オルバルの工作員はどうした? まさか殺してはいないだろうな?」
「残念ながら、彼が隠し持っていた戦闘用のロボットに妨害されて、あと一歩のところで取り逃がしました」
「戦闘用のロボットだと? そんなものまでユストゲルに持ち込んでいるのか。しかし、これでますます言い逃れできまい。こちらに武力行使の口実を与えるだけだ」
男は再び顎髭を弄りながら笑った。
「奴の居所を掴んでいれば十分だ。あとはせいぜい泳がせておくとしよう」
「・・・司令、私の今後の行動について承認を頂きたいのですが」
「何だね?」
「私は、もう少し調査を進めたいと考えています」
「オルバルの研究の証拠は既に掴んだだろう。まだ何かあるのか?」
男は右眉を吊り上げて言った。
「写真のゲムトスは、2体とも既に絶命していました。それに私が見た設備は簡素なもので、とても生きたゲムトスを管理できるようなものではありません。証拠としては幾らか弱いのではないかと思います」
「ふむ・・・それでは、他に心当たりがあるのかね?」
「オルバルの工作員は、別の場所に大規模な研究施設を隠しているはずです。私は、それを突き止めようと思います」
「それは構わんが、どうやって探すつもりだ? 奴も警戒しているだろう」
「もう一度彼の家に乗り込んで、身柄を確保します」
モニカは力強く言った。
「彼は家の周囲に宇宙船のシールドを展開したようですが、ゼキノスを使ってシールドを突破し、戦闘用ロボットを排除して捕まえて見せます!」
「それで、奴を尋問して研究施設の場所を吐かせようというのか?」
「はい。どうか了承を」
男はしばらく黙ってモニカを見つめた。
「・・・駄目だ。ゼキノスを出せば、オルバルに即座に戦争行為とみなされる可能性がある。今はまだ準備が整っていない。君は、工作員の動向を注視したまえ」
「しかし司令、自説に疑念を抱くわけではありませんが、現時点ではまだ断定しきれないかと」
「余計な心配はいらん。この写真があれば何とでも言うことができる。わざと曖昧にしておいた方がいい事もあるのだよ」
男は白い歯を見せて笑った。
「君には追って指示を出す。今は工作員が逃げないよう気を付けることだ」
映像が途切れ、目の前には薄暗い森を映した窓が取り残された。モニカは舌打ちすると、目の前の計器を蹴りつけた。
モニカが宇宙船の後方の扉を抜けると、広間の中央に1辺が2メートルほどの立方体の箱が据え付けられていた。モニカの背中の羽は、先ほど機械で修繕を済ませ、美しい蝶の形を復元している。モニカが箱の前に立ち、小型の機器をかざしてボタンを押すと、観音開きの扉が手前に向かって開き始めた。中から煙とともに、冷たい空気が流れ出す。暗がりに目が慣れてくると、箱の中に身を屈めた人の姿が浮かび上がった。いや、人ではない。人型のロボットだ。関節に切れ目が入り、所々にケーブルが剥き出しになっている。顔の部分には3つの目が並び、口元は飛行機パイロットの酸素マスクのようなもので覆われ、チューブが象の鼻のように垂れ下がっていた。鏡のような、銀色に磨き上げられた機体が、幾つものモニカの顔を写し返す。
「せっかく連れてきたのに出番が無いなんて、それは無いわよねえ・・・」
モニカがロボットの額に手を当てた。
「目覚めなさい! ゼキノス!」
モニカの背中の羽が光を帯びた。徐々に色を変え、七色に輝き始める。それと同時に、ゼキノスと呼ばれたロボットの3つの目が光り、首をもたげた。




