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モニカはの身体は宙を舞い、背中から地面に落下した。背中の蝶の羽の形をした飾りが音を立ててひしゃげ、銃が手から落ちて回転しながら床を滑る。ポケットに入っていたカメラも床に投げ出された。
「かはっ!」
モニカは息を詰まらせながらも身体を起こし、銃に手を伸ばそうとしたが、里美がすぐにモニカの背中から組みつき、左腕を背中に回してねじり上げ、うつ伏せに床に押さえ込んだ。関節を決めているのではなく、力任せに腕をひねっているだけだったが、モニカが振りほどこうとしてもびくともしなかった。
「・・・油断したわ。まさかこの子がロボットだったなんてね」
モニカが首を捻って後ろを振り返ると、里美の銃の当たった側頭部から、細い煙が立ち昇っている。しかし、髪の毛が少し焦げているだけのようだ。
「わ、私はロボットじゃないよ! 人間だもん!」
里美は、モニカを掴んでいる腕に力を込める。
「いたた・・・出力を抑えているとはいえ、トスラー銃を頭に受けて無事な人間はいないわよ」
「里美はれっきとした地球人の子供だ。事故で身体に受けた損傷を、一時的に義体で補っている」
「ただの義体なら、こんな馬鹿力にする必要が無いじゃない。こんな事なら、ゼキノスを持って来るべきだったわね・・・」
創士は近くの機材に背中を押しつけるようにして立ち上がり、里美の頭上に浮かんでいる銀色の球体に向かって、わけのわからない言葉で話しかけた。すると、銀色の球体が創士の背後に飛んで来て、下部が開き、小さなレンズからオレンジ色の光を発した。創士が注意深く両手首の間を通すと、手錠が真っ二つに切断された。しばらくぶりに自由になった手首をぶらぶらと動かす。
「さてと・・・」
創士は右半身を引きずるように、ゆっくりモニカのそばに近づくと、床に落ちた銃を左手で拾い上げた。血で汚れた顔の、鋭い目がモニカを睨みつける。
「あら、私を殺すの? 娘さんの前でそんな残酷な事をしてもいいのかしら?」
モニカの声に、怯えは感じられなかった。
「お父さんがそんな事するわけないでしょ!?」
そう言いながらも、里美は不安そうな表情で創士を見上げた。創士は何も言わず、銃に付いたダイアルを親指で動かし、先端を下に向けた。
「ウソ!? やめてよ、お父さん!」
創士は引き金を引いた。里美は思わず目をつぶる。銃が光を発し、里美のそばで小さな破裂音がした。
里美は恐る恐る目を開く。モニカの頭が破裂していた・・・ということはなく、そばに落ちていたカメラが煙を上げていた。創士がもう一度引き金を引くと、カメラは真っ二つに砕け散った。
「私は生物学者だ。無益に生命を奪うような真似はしない。ましてや、人間を殺すなどという事はできない」
創士は銃を部屋の隅に向かって放り投げた。
「・・・甘いわね。それでも本当にオルバルの工作員なの? 今、私を殺せば新型のゲムトスを隠し通せるかもしれないのに」
モニカは鼻で笑った。心なしか表情が和らいだようにも見える。
「君が何と思おうと勝手だが、私は工作員ではない。しかし、このゲムトスの事を君の口からツァガーンに伝えられたら、厄介なことになりそうだな・・・」
創士は壁に据え付けられた棚から、ストロボのような機械を担いで来た。モニカに向けてかざし、スイッチを入れると、モニカの服のあちこちから電気がショートするような音が上がった。
「・・・電子機器は破壊させてもらった。ここで見たものの記録は、もう君の頭の中にしか残っていない」
「え!? ちょっと、私の身体は大丈夫なの!?」
里美が大きな声を上げる。
「里美の身体に影響はない。ランダウム合金に守られているからな」
「これ以上ビックリさせないでよ・・・うわ、なんかぬるぬるする」
機械から流れ出した液体だろうか、里美が掴んだモニカの左手の袖口から、透明で粘度の高い液が流れ出していた。
「あとは、記憶障害が残る可能性があるからあまり気は進まないが・・・君の記憶を消させて貰う」
「怖いわ。脳を直接いじるつもりでしょう?」
モニカはわざとらしく首を振って、怖がって見せたが、その声に怯えた様子はない。首を振った拍子に、薔薇をあしらったイヤリングが創士の足元に転がった。
「一時的に忘れさせるだけなら光学式の装置で充分だが、永続的に記憶を消去するには器質的な手術を施すのがベストだ。大丈夫、痛みもないし、すぐに終わる。私の体に穴を空けたんだ、これでおあいことしよう」
「あら、嫌よそんなの。私は常に優位に立たないと気が済まないの」
「嫌だと言ってもやらせてもらうさ。このまま君を帰せば、ツァガーンの高官に何を吹き込まれるかわかったものじゃない」
「残念ね・・・」
モニカは不敵な笑いを浮かべた。その直後、地面に落ちたイヤリングが眩い光を放ち、周囲に大きな音が響く。驚いた里美の手の中から、モニカの手首が滑り抜けていった。視界が戻ると、モニカが扉に向かって走って行くのが見えた。里美もすぐにモニカの後を追いかける。
創士が壁際のスイッチを押すと、大きな扉がスライドして閉まり始めた。
里美の方が足が速い。モニカとの距離が徐々に縮んで行く。モニカが扉まであと少しという所で、ドアの隙間は残りわずかとなった。このまま走っても、モニカの鼻先で完全に閉じるだろう。
しかし、モニカは頭からダイブすると、扉の小さな隙間をすり抜けた。そこへ走って来た里美の目の前で、扉が閉まる。勢い余って、里美は額を扉にぶつけた。
「痛った・・・何やってるのよ、お父さん! 逃げられちゃったじゃない!」
里美は両手の拳で鉄の扉を叩いた。ゴツンという音が響くが、扉は動きそうにない。
「ところで、さっきの人は一体何者なの? コスプレ強盗?」
返事が無い。里美が振り返ると、創士は前のめりに床に倒れていた。
自分の宇宙船の中で、モニカはポケットの中を引っ張り出し、中に入った機械を床に落とした。壁に沿って機材が設置してあり、様々な色のランプが光っている。
「これもダメね」
服のひだに隠されたポケットを次々と裏返し、壊れた機械を振り落とす。モニカの周囲にガラクタの円が描かれた。
「精密機械は全滅か・・・。せっかく良い映像が撮れたと思ったのに」
モニカは足元に落ちた機械を踏みつけた。ガラスが割れるような音を立てて砕ける。不意に左手に痛みを感じて目を移すと、里美に握られた手首が、小さな手の形に赤く腫れていた。振りほどく時に無理にひねったせいか、肩も痛めている。右手で左肩をさすりながら、左腕をぐるぐると回した。
「まったく、あのオルバルのモヤシ野郎には腹が立つわね。もう1、2本指を折っておけば良かったわ。トスラー銃を跳ね返すほどのロボットを隠し持っていたなんて、完全に兵器レベルじゃない」
モニカはぶつぶつ言いながら、鏡張りになった柱のそばに歩いていった。
「・・・でも、私の方が上手だったようね」
自分自身に向かって笑いを浮かべる。整った顔立ちは、ファッション雑誌の表紙のようだ。鏡の中で、赤いマニキュアを塗った手を顔に近づける。左手の人差し指と親指で、左目の上まぶたと下まぶたを押し拡げ、右手も左目のそばに当てた。そのまましばらく動きを止めたが、息を止めると、右手の人差し指を眼球上部に挿し入れた。親指も下まぶたと眼球の間に潜り込ませる。まぶたが指の形に大きく盛り上がっていた。人差し指の第一関節まで顔の中にめり込ませると、眼球をつまみ、一気に引き抜いた。
大きく息を吐いて呼吸を整え、すぐそばの機械の小さな蓋を開けて眼球を中に放り込んだ。黄土色の液体の中に眼球が沈んでいく。蓋を閉めて横のパネルを操作すると、モニターに作業の進行状況を表示する水色のバーが表示された。左から右へ徐々に進んで行き、右端に達すると色が黄色に切り替わる。モニカが矢印の描かれたボタンを押すと、水槽に浮かんだ2体のゲムトスの画像がモニターに現れた。ボタンを操作するたびに画面が切り替わり、大きな鋏を持ったゲムトスと、首が複数あるゲムトスが様々な角度から映し出される。
「原始的な技術も案外馬鹿に出来ないわね。義眼に仕込んでいたカメラが役に立ったわ。数枚の写真しか残らなかったけど、十分でしょ」
両手で端末を操作し、画像を送信する。
「これでよし、と」
モニカは大きく息を吐いて身体を屈めると、スカートに付いた血が目に入った。
「服も汚れちゃったし、洗ってきましょう。シャワーも浴びたいけど、宇宙船のシャワーは狭いし、水が流れないから味気ないのよね・・・。どうしようかしら?」
モニカは椅子に身体を投げ出し、しばらく天井を眺めて何かを考えていたが、急に何か閃いたように勢いよく立ち上がった。
「もう焼けたかしら?」
香奈恵は待ち切れないように、ホットプレートに乗った桃色の肉を裏返す。肉の焼ける美味しそうな匂いが立ち込めていた。
「もーらい!」
隣に座っていた弟の修が香奈恵の焼いていた肉を横から奪った。
「何すんのよ、修! それはお姉ちゃんのでしょ!」
修は姉の言葉が耳に入っていない様子で、肉とご飯を口いっぱいに頬張っていた。文句を言いながら、香奈恵は肉を発泡スチロールのパックから取り出して、鉄板に並べて行く。さすがに年の離れた小学1年生の弟に本気で怒るつもりはない。
「そんなに慌てなくても、お肉は逃げないわよ。修、危ないから落ち着いて食べなさい」
香奈恵の母の佳恵が野菜を投入しながら言った。野菜に付いた水滴が勢いよく蒸発する。
「だって、お腹が空いたんだもの。いつもより時間が遅いし」
そう言いながら、香奈恵は生焼けの部分が残った肉を箸でつまみ上げ、タレをつけて口に運ぶ。すぐにご飯も口にかき込み、頬に手を当てて顔に満面の笑みを浮かべた。学校ではクールぶっているので、まずお目にかかれない表情だ。
「おいしー!」
「そう? スーパーで半額になってたのを買ってきたんだけど、美味しいなら良かったわ。沢山あるから、いっぱい食べてね。ほら、お父さんも、もっと食べないと、焦げちゃうわよ」
「・・・ああ、食べてるよ」
テーブルの反対の隅で、香奈恵の父の達郎が、ちびちびとビールを飲みながら生返事をした。先ほどから枝豆ばかり口に運んでいる。だいぶ前から飲んでいるのか、顔が赤くなっていた。ランニングシャツ越しに、中年太りした腹が大きく盛り上がっている。
「ちょっと修、もっと静かに食べてよ! タレが飛ぶでしょう。それと、野菜も食べなさい!」
「えー? 野菜なんていらないよ。あ、でもトウモロコシは食べるー!」
修は箸で鉄板の上のトウモロコシを転がした。
「ダメよ、栄養が偏るから他の野菜も食べないと。お肉ももっと入れるわよ」
佳恵は野菜を鉄板の端に寄せて、空いた隙間に重なった肉の塊を投入し、鉄板の上で広げた。
「あれ、焼けてる肉が無いぞ?」
達郎が箸で鉄板の上を探りながらポツリと言った。
「お父さん、食べるのが遅いのよ。すぐに次が焼けるから、もう少し待ってね」
まさに一家団欒といった平和な夕食だった。
しかし、その場にそぐわない、黒いゴスロリのドレスを着た女が鉄板の近くに陣取っていた。
「おばさま、これはもう食べられるのかしら?」
「あら、モニカさんは焼肉は初めてだったわね。自分でお肉を好みの焼き加減に焼いて食べるのよ」
「そう? それじゃあ、いただきます」
モニカはぎこちない手付きで、良く火が通った肉をつまんでタレに浸し、息を吹きかけて冷ましてから口に運んだ。音を立てずに肉を咀嚼する。箸の握り方は出鱈目だが、背筋を伸ばした姿勢、口の開け方など、他の仕草は上品そのものだ。
「美味しいわ。これは何という動物の肉かしら?」
モニカは手で口を抑え、目を輝かせた。
「えっ、これは牛肉よ? 安売りしていたけど、一応和牛なの」
「ギュウ? ギュウという動物なのね、憶えておくわ」
「何言ってんの、牛肉って言ったら牛の肉に決まってるじゃない。ノルウェーにもいたでしょ? っていうか、何であんたがここにいるのよ!?」
香奈恵はテーブルの反対側に座っているモニカに、非難がましい視線を送った。
「香奈恵、箸で人を指すんじゃないの! モニカさんは日本に来たばかりで、泊まる場所も見つからなかったのだから、仕方ないでしょう! 困っている人を助けるのは当然よ」
「でも、かなり怪しいわよ、この格好。お母さん、危ない事件が増えてきたから知らない人には気を付けろって言ってるじゃない。お父さんもよく許したわね」
母親の意見に押し切られたのであろう父親に、同意を求める視線を送った。
「・・・モニカさんは悪い人ではない。目を見ればわかる」
達郎はそう断言すると、喉を鳴らしてビールを飲んだ。
「ちょっと、どうしちゃったの2人とも?」
香奈恵は2人の顔を見比べた。モニカの姿が怪しく見えるのは、もしかして自分だけなのだろうか。
「ありがとうございます、おじさま、おばさま。宿を貸して頂けるだけでも助かりますのに、こんな美味しい料理を振舞って頂けるなんて、感激ですわ」
「え・・・あんた、家に泊まるの? 図々しくない?」
「いーじゃん。モニカねーちゃん、香奈恵ねーちゃんと違って美人だし」
修は前歯の欠けた笑顔を見せた。
「あら、ありがとう、修くん」
香奈恵は一層苛立ちを募らせる。
「その背中の羽、どうして曲がってるの?」
「これはね・・・乱暴な女の子に壊されちゃったのよ」
「誰だよ、そいつ! モニカねーちゃんをいじめる奴はオレがやっつけてやるよ!」
「頼もしいわね。でも、このぐらいはすぐに直せるから大丈夫よ」
修までモニカに籠絡されているらしい。
「・・・まあいいわ。用が済んだら出て行くんでしょう。里美のお父さんの取材はどうなったのよ?」
「それが、途中で断られちゃって。もう少し話を聞きたいのだけれど、時間がかかるかもしれないわ」
「あんたが失礼な事言ったんじゃないの? 里美のお父さんが怒るなんて、滅多にないわよ」
「そんなつもりは無いんだけど・・・確かに少し急ぎすぎたかもしれないわね。とにかく、これからもよろしく頼むわ、香奈恵」
モニカは鉄板から立ち昇る煙の向こうで微笑んだ。香奈恵はため息をつくと、少し焦げてしまった肉をつまみ上げた。
※最近身の回りで色々あって、更新がいっそう遅れがちですが、停止したわけではないのでたまに覗いてやって下さい。




