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 香奈恵は仏頂面で青田に面した道を歩いていた。隣では、蝶の羽を背中に付け、派手なゴスロリ服の女が周りを興味深そうに見回している。2人の後ろから、トラクターが大きな音を立てながらゆっくりと追い越して行った。運転席に乗っていた、帽子をかぶった白髪の老人が、モニカをあからさまにじろじろ見下ろしていた。追い抜いてからも、首を大きく乗り出して振り返って見ている。

 「まあ、なんて遅い乗り物なのかしら? うるさいし、操縦席は剥き出しで風に吹かれ放題だし、あのおじいさんが可哀想だわ」

 モニカは気にする様子もなく、トラクターの音に負けないよう、大声で香奈恵に話しかけた。

 「あれは農作業用の機械よ。見たことないの?」

 「そうなの? ずっと都会で暮らしていたから、初めて見るわ。田舎ってすごいわね」

 「なんか馬鹿にされている気がするわ。あなたが無知なだけでしょう?」

 「そんなことないわ。カルチャーショックを受けているだけよ」

 モニカは興味深そうに、道に泥を落としながら走って行くトラクターを見送った。


 香奈恵達が歩いていると、歩道の反対側を、深緑色の割烹着を着た腰の曲がった老婆が手押し車を押しながらやってきた。モニカの姿に気がつくと、目を丸くして立ち止まる。

 「こ、こんにちは」

 香奈恵が老婆に向かって声をかけた。

 「おめぇ、なんて格好してんだ? 演歌歌手だか?」

 「違うわ、おばあさま。これは、今東京で流行っているドレスですの。芸能人は、みんなこの格好をして街を練り歩いていますのよ」

 モニカは微笑みながら話した。

 「適当なこと言ってんじゃないわよ」

 香奈恵が肘でモニカを小突いた。

 「はー、そうが。だげども、ここらでそだ格好してたら、カラスにつつかれっど」

 「心配いりませんわ。私、害獣の駆除には慣れているので」

 すれ違って、しばらくして香奈恵が振り返ると、老婆はまだこちらを見ていた。


 香奈恵は歩みを速め、モニカから数歩前に進み出た。しかし、モニカもすぐに隣に並んで来る。

 「もう少し離れて歩いてくれる?」

 「あら、どうして? 私が美しすぎるから、一緒にいると居たたまれないのかしら?」

 「そんなわけないでしょ! あなたといると、私まで変な目で見られるのよ」

 「そうかしら、自意識過剰なんじゃない? 誰もあなたのことなんか見ていないわよ」

 「田舎の情報ネットワークを甘く見ないで欲しいわ。すぐにこの辺の世間話の話題になるわよ」

 「あなたがすごい美人と歩いてたって?」

 「いかれた格好の女と歩いてたって噂よ! この辺りの人はあなたのことは知らないから、噂が伝わるうちに、私が変な格好をしていたということになりかねないわ」

 「他人の目なんて気にしなければいいのに・・・。意外と気が小さいのね」

 「あなたはもう少し気にしなさいよ」

 香奈恵は冷たい視線でモニカの服をジロジロ眺めた。

 「どちらかというと、カラスも逃げ出しそうな格好だと思うわ。せめて、そのキラキラした羽は取りなさいよ。一体、何でできているの?」

 金属を折り曲げて作ったと思われる、背中の蝶の形をした羽は、角度によって様々な色に変わって見えた。

 「んー、それは企業秘密ね。真似されたら困るでしょう?」

 「真似するわけないでしょ、なに勿体ぶってるのよ。どうせ、錫か何かにメッキを塗っただけでしょう?」

 「想像に任せるわ。どうしても欲しいというのなら、案内してくれたお礼に同じものをあげてもいいけど?」

 「絶対にいらないわ。何のゴミに分別すればいいかわからないもの」

 「あら、遠慮しなくてもいいのに・・・」

 「してないわよ。それとあなた、害獣の駆除に慣れてるって言ってたけど、どういうこと?」

 「前の仕事でね、いろいろやらされたのよ。巨大な昆虫の巣を殲滅したり、危険な猛獣を捕獲したり、大変だったわ」

 モニカは顎に指を当てて何やら思い出していた。

 「どんな仕事なのよ、一体。害虫駆除会社にでも勤めていたの?」

 「そればかりやってたわけじゃないけど。まあ、便利屋みたいなものね。基本的に、1人で何でもやらされたわ」

 「ふーん? 女性なのに、珍しいわね」

 「そうでもないわよ。力仕事は機械に任せているから、男女比は半々ぐらいね。やる気さえあれば、あなたでもできるわ」

 「やらないわよ。私は体を動かすのが嫌いなの」

 「あら、運動しないと太るわよ。そういえばあなた、少し足がむくんでいるんじゃない?」

 「うるさいわね!」


 客の入っていないパン屋の前の信号を渡ると、小高い丘の上に白い家が建っているのが見えた。空が夕焼けに染まり始めている。

 「あそこが里美の・・・あなたが探していた城崎さんの家よ」

 「あれが・・・? 思ったより小さいわね」

 「そうかしら? この辺りでは普通の大きさだと思うけど」

 「・・・ノルウェーと比べると、小さいわ」

 「そりゃあ、海外と比べたら小さいかもしれないけれど」

 回り込むように道なりに丘を登ると、雑草が混じった芝生の庭に辿り着いた。家の前に、軽自動車が停まっている。運転席の前に、小さなウサギのキーホルダーと交通安全のお守りがぶら下がっている。車の横を通り、玄関横のボタンを押すと、ドア越しにチャイムが鳴り響くのが聞こえた。返事を待つ間もなく、香奈恵がドアを開ける。ドアを開けると、すぐ左に金魚の入った水槽が見えた。

 「こんにちは!」

 香奈恵が呼びかけると、右手のリビングから返事が返ってきた。しばらくして、リビングのドアから長身の男が顔をのぞかせる。アイロンをかけていないシャツを着込み、あごには無精髭が散らかっていた。

 「香奈恵ちゃん? いらっしゃ・・・」

 そう言いかけたところで、後ろのモニカの姿に気付き、言葉を失った。玄関のドアから、歌劇の舞台からそのまま抜け出してきたような、派手な格好の女が体を差し入れている。創士は目をこすり、眼鏡を掛け直した。

 「えっと、そちらの方は? 香奈恵ちゃんの友達・・・には見えないけど」

 創士はモニカから目を離さずに言った。

 「違うわよ。この人が道に迷っていたから、案内してきたの。おじさんに用事があるんだって」

 「私に・・・?」

 モニカは、少し媚びたような表情で創士に微笑みかけた。

 「はじめまして。私、茂中と申します。『カントリーサイド』という雑誌の記者をしておりますの。今日は城崎さんにお話を伺いたくて、御宅にお邪魔させて頂きました」

 「雑誌の記者? てっきり、舞台衣裳のまま抜け出してきた俳優か、仮装パーティーに行かれる方かと思いましたが・・・。そういえば、昨晩電話のあった方ですか? 電波が悪いのか、途中で切れてしまいましたが」

 「はい。本日ならご在宅とのことでしたので」

 「とにかくどうぞ、中にお入りください」

 モニカはドアの横に羽をぶつけながら体を潜り込ませ、後ろ手にドアを閉めた。

 「その羽、やっぱり取った方がいいんじゃない?」

 「いいのよ、私のお気に入りなんだから。・・・それでは改めまして」

 モニカは赤い皮のケースから名刺を取り出し、創士に手渡した。

 「茂中モニカさん? 珍しいお名前ですね・・・」

 「本名ですのよ。私、父親がノルウェー人でして」

 「そうですか。ああ、すみません、私、名刺を切らしていて」

 創士は、後頭部に手を当て、お辞儀をした。

 「お構いなく。お会いできて嬉しいですわ」

 「それで、雑誌の記者さんが私に一体何の用ですか? 昨晩の電話ではよく聞き取れなかったのですが」

 「城崎さんに、少し取材をさせて頂きたいのです」

 「私は、家でコンピュータと向き合っているだけのしがない技術屋ですよ? 話を聞いても、面白い記事は書けないと思いますが」

 「そんなことはありませんわ。城崎さんが書かれているブログ・・・野生動物を観察した日記ですけれど、視点がとても新鮮で、私も含め、ファンが沢山いますのよ。この辺りでは珍しくない動物を、まるで初めて見た怪獣のように、驚きを交えながら描いた日記は大変面白いですわ」

 「そうですかね・・・」

 創士は興味なさげに頭を掻きながら言った。

 「それに、地方で在宅勤務をしていらっしゃるエンジニアはそれほど多くありませんから。田舎でのワークスタイルのモデルとしても貴重ですの。あまりお時間は取らせませんから、2、30分ほどお話を聞かせていただけませんか?」

 モニカは胸の前で手を組み、上目遣いで頼み込んだ。

 「しかし、あなたが期待しているような面白い話はできないと思いますよ? 仕事の内容も地味なものですし」

 「それを判断するのは私です。城崎さんは、ただ思うままに話して頂ければいいのです」

 「話をするのもあまり得意ではないのですが・・・」

 「私が記事にまとめるので、心配いりません。どうか、お話を伺わせて下さい」

 創士は乗り気ではなかったが、モニカは引く気配が無い。

 「・・・わかりました。それでは手短にお願いします。どうぞ、お上がりください」

 「ありがとうございます! すぐに準備をしますわ」

 モニカは、そのまま上がろうとしたが、すぐに香奈恵の家で学習した事を思い出したのか、ブーツの紐に手をかけた。

 「おじさん、里美はいないの?」

 話が途切れるのを待っていた香奈恵が問いかけた。

 「里美なら千穂ちゃんを送って行くって、さっき出て行ったよ」

 「ふーん、千穂も来てたんだ・・・」

 香奈恵は顔を曇らせた。

 「もうすぐ帰ってくると思うけど、待っててくれる?」

 「ううん、私はこの人を案内するついでに寄っただけだから、もう帰るわ。里美によろしくね」

 「そうかい? それじゃあ、気を付けて帰るんだよ」

 香奈恵はドアノブに手をかけた。

 「ありがとう、助かったわ。えーと、あなたの名前は何と言ったかしら?」

 モニカが手を休めて香奈恵に向き直った。

 「津島香奈恵よ」

 「世話になったわね、香奈恵。あなたに会えて良かったわ。縁があったらまた会いましょう」

 「私はもう会いたくないわよ。それじゃあ、さよなら」

 香奈恵は照れを隠すように素っ気なく言うと、ドアを開けて出て行った。モニカの背後でドアがゆっくり閉まった。


 「それでは、こちらへどうぞ」

 創士はモニカに声をかけると、リビングへ向かおうとした。しかし、創士が背中を向けると、モニカはすぐにほどきかけた靴紐を結び直した。

 「・・・いえ、やはりここで結構ですわ。まどろっこしい事は嫌いですし」

 うずくまったまま、モニカは先ほどとうって変わって低いトーンで語りかけた。

 「城崎さん、あなたのお仕事を聞かせていただきたいのですが」

 「私の本職はウェブデザイナーです。ご存知ではありませんでしたか?」

 創士は不審な顔で振り返る。水槽のエアーポンプの音がこぽこぽ音を立てていた。

 「それは表向きの職業ですよね? それにしては、ブログを拝見すると生き物にとてもお詳しいようですが。私は生物研究の専門家ではないかとお見受けしましたが、違いますか?」

 「おだてないで下さい。大したことはありませんよ、あれはただの趣味です。昔から動物が好きなもので、暇があれば動物を追いかけているだけです」

 「そうでしょうか? しかし、生物学者でないとしたら・・・あなたはなんのために地球に来ているのですか? 」

 「・・・!」

 創士の表情が驚きに変わる。モニカはゆっくりと顔を上げた。恐ろしいほど冷たい表情で、突き刺さるような視線を創士に向ける。家に入った時の柔和な印象はどこにも無い。その右手にはどこから取り出したのか、銃が握られていた。

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