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 「え・・・どういう事?」

 「言葉通りの意味だ。3日前に設置した観測装置に反応があった。まだ幼体のようだが、じきに成長して見境なく周囲の生物を襲い始めるだろう」

 創士は淡々と話したが、言葉の端に焦りを感じた。

 「あの怪物は3日前に倒したじゃない! どうしてまた出てくるのよ!?」

 里美は、驚きよりも怒りの感情が込み上げてきた。

 「それはわからないが・・・とにかく、里美の力が必要だ。すぐに家に戻ってくれ!」

 「・・・駄目!」

 「里美! 危険なのはわかっているが、今は里美しか対処できないんだ。頼む!」

 「そうじゃないよ! さっき、千穂が金守山に行くって・・・すぐに行かなくちゃ!」

 「待ちなさい! 一旦船に・・・」

 創士が言い終わらないうちに電話を切った。


 「奈緒ちゃん、私急用ができたから帰るね!」

 美術室に戻り、鞄を掴みながら奈緒に呼びかける。

 「えっ、この石膏像戻していって下さいよ。邪魔だし」

 「ごめん、奈緒ちゃん片付けといて!」

 「私1人じゃ無理ですよ!」

 後ろから奈緒の声が聞こえたが、里美はそのまま美術室を飛び出した。



 里美は、金守山に向かって走った。無意識のうちに、少しずつスピードが上がってくる。

 ・・・千穂に何かあったらどうしよう。どうして一緒に行かなかったのか。私が一緒についていれば守ってあげられたのに。いや、それより金守山に行くのを止めていれば・・・。

 金森山の山道に着いた時、ポケットの中が震えているのに気が付いた。

 「もしもし、お父さん? もう金守山に着いちゃったよ!」

 里美は呼吸を整えながら電話に出た。

 「仕方ないな・・・。しかし、リミッターを解除しなければ、キャノンは使えないぞ。出力が不安定で危険だからな。千穂ちゃんを見つけたら、すぐに逃げるんだ」

 「うん、そうするよ。お父さん、千穂の場所はわからないかな?」

 「少し前に、国道側の道から山に入った人影がある。おそらく、それが千穂ちゃんだろう。現在の居場所は・・・山の東側の中腹にいるようだ」

 「どう行ったらいい?」

 「里美のいる場所から、神社まで登ってそこから国道へ続く道を降りろ。途中でまた指示をする。ゲムトスが接近しているから、急ぐんだ!」

 「わかった!」

 里美は、鞄を道端に放り出すと、急勾配の坂道を走り出した。


 3日前に通った道を、比べ物にならない早さで駆け登って行く。少し息はあがるものの、ほとんど疲労は感じなかった。すぐに神社の前の梅の木まで辿り着き、鳥居を横目に下り坂に差し掛かる。里美は転びそうになりながら、舗装されていない坂道を駆け下りた。畑の間を通り、杉林を抜けると、再び電話が鳴った。

 「ここからどこに行けばいいの?」

 「道の右手に畑が見えるだろう? 畑の先の斜面を下りるんだ」

 「了解! 3日前に通った藪に比べれば大したことないよ」

 「まずいな。ゲムトスと人影が予想より早く近付いている。急がないと、ゲムトスに先を越されるぞ」

 「う、うん」

 「斜面を降りた先に道があるから、そこを右に進め。おそらく千穂ちゃんは、その道の途中にいるはずだ」

 里美は、畑のはずれの土手を、地面に手をつきながらよじ登り、雑草の生い茂った斜面をジグザグに降りた。斜面の下には、乾燥した白い土で固められた道が、山の上へ向かって続いていた。


 坂道を走っていると、前に長い髪の少女が歩いているのが見えて来た。風が吹いて、乾いた砂が舞うと、少女の柔らかい髪も揺れた。道の左側の山肌が、垂直に削り取られて肌色の断面を晒していた。工事の途中で中断しているようだ。右手には斜面に沿って林が広がっている。

 「千穂!!」

 里美が後ろから声をかけると、千穂は歩みを止めた。

 「良かった、無事で」

 「・・・どうして君がここにいる?」

 千穂は振り返ると、訝しげな表情で言った。

 「それはこっちの台詞だよ! こんな所で何をしてるの?」

 「僕は、あるべき姿に還ろうとしているだけさ。本来の器は失ってしまったけれど、代わりの器を見つけたからね」

 「何を言っているの!? とにかく、ここは危ないから帰ろう!」

 「やれやれ、話を聞かない奴だな・・・」

 その時、里美は電話が鳴っているのに気づいた。

 「お父さん、千穂を見つけたよ!」

 「すぐにその道を引き返せ! ゲムトスがすぐそばに接近している!」

 「え? わ、わかった。千穂、逃げよう! 詳しくは言えないけど、危険な生き物がこの近くにいるの!」

 里美は電話を耳に当てたまま、千穂に話しかけた。

 「1人で帰りなよ、僕はそのために来たんだから。今ならまだ見逃してあげるよ」

 千穂は再び背を向けて歩き出した。里美が駆け寄って、千穂の右腕を掴む。

 「そんな事言ってる場合じゃないんだってば! 早く逃げないと」

 「邪魔をするな!」

 千穂が右手を振り払うと、里美は後ろに飛ばされた。背中から地面に落ちる。この華奢な腕にどうしてそんな力があるのだろう。

 「いたた・・・千穂、冗談じゃないんだって」

 尻もちをつきながら前を見ると、千穂の股の間から、道の先に小さな動物がいるのが見えた。


 どこから来たのか、灰色の兎が千穂の前にいた。里美はすぐに3日前に感じた不吉な予感を感じた。顔の左側が溶け崩れたように下がっていて、体が頭に比べて異様に大きい。胴体も、何故か右側が大きく盛り上がっている。左右の非対称な、白く濁った目が千穂を捉えていた。

 兎は、こちらに向かって跳んだ。体が大きい割に、意外に高く跳ねる。そして、顔面から地面に落ちた。何かが潰れるような音が聞こえる。それでも兎は気にする様子もなく、何度も飛び跳ねては体を地面に打ち付け、千穂に近づいてきた。接近するにつれて、体が膨らんでくる。体の中が蠕動していた。蛇を詰め込んだ袋のようにぐねぐねと動いている。


 「逃げて!」

 里美が叫ぶと同時に、兎の体が爆ぜた。背中から破れ、丸い硬質な頭が飛び出す。その後から長い首と、赤い甲殻に覆われた生えた胴が姿を現した。蟹のような細長い脚が生え、大きな体を支える。胴の真ん中に、大きな金色の目が開いた。粘液に包まれた体を震わせると、首の根元から2つの鎌のような刃物が飛び出した。


 怪物は首を伸ばすと、目のない頭部の、端まで裂けた口を大きく開き、涎を垂らした。頭部には、人間によく似た大きな団子鼻が突き出していて、ユーモラスに見えなくもなかったが、開いた口の中は喉の奥まで無数の鋭い歯が生えていて、獰猛な本性を覗かせていた。

 里美は2度目とはいえ、ゲムトスという怪物を見て驚きを隠せなかった。こんな出鱈目な生物が、この世にいていいのだろうか。立ち上がりながら、足が震えた。すぐにこの場から逃げ出したい気持ちに駆られる。だが、千穂を置いて逃げる訳にはいかない。この怪物の速さが3日前の怪物と同じぐらいだとすれば、千穂の足では逃げ切れないだろう。里美が千穂を担いで逃げることも考えたが、無茶はできないし、おそらく追いつかれる可能性が高い。だとしたら・・・戦うしかない。

 「千穂! 先に逃げて!」

 里美は千穂をかばうようにゲムトスの前に進んだ。しかし、怯えていると思っていた千穂の顔を見ると・・・千穂は笑っていた。怪物の頭を仰ぎ見ながら、歓喜の表情を浮かべている。

 「素晴らしいよ! 君こそ僕の器にふさわしい!」

 「何!? そんな事言ってる場合じゃないでしょ! 早く逃げて!」


 里美は千穂を突き飛ばすと、すぐに身体をかがめた。里美の頭のすぐ上を鎌が通り過ぎる。振り返ると、ゲムトスがもう1つの鎌を里美の頭めがけて振り下ろした。里美は横に転がり、鎌を避ける。そのままゲムトスの側面に回り込もうとしたが、上から降ってきた怪物の頭に阻まれた。怪物の口がガチンと音を立てて噛み合う。鈍重そうな体に比べて、首はかなり柔軟に動くようだ。

 ゲムトスは、体の向きを変えると、里美めがけて襲いかかった。左右の鎌を連続で繰り出す。里美は鎌を避けながら間合いを詰める隙をうかがったが、不意に頭上から襲いかかる長い首のせいで思うように接近出来ない。・・・ならば。

 里美は左から振り下ろされる鎌を避けずに待ち構えた。名前は忘れたが、頑丈な合金でできているらしいから、きっと大丈夫なはず。そう信じて左手で受け止めた。

 期待した通り、左手が切断されることは無かったが、ゲムトスの一撃は予想より重く、里美は体勢を崩した。転びそうになるのをなんとか踏みとどまると、頭からゲムトスに齧りつかれた。


 ゲムトスは里美の上半身に噛みつくと、首を震わせて噛みちぎろうとした。里美は怪物の口の中で声にならない声をあげた。胸のあたりが圧迫される。何とか上下の歯を手で押し広げようとしたが、上手くいかない。あせってもがくと、徐々に息が苦しくなってきた。このままではまずいと思ったその時、ゲムトスは噛み切るのを諦めたのか、里美をそのまま持ち上げ、首を伸ばして丸ごと飲み込もうとした。里美は逆さになったまま、大きな牙にしがみついて、喉の奥に落ちないように耐える。必死で牙を握りしめていると、右手で掴んでいた牙が折れた。とっさにそれを口内に突き立てると、怪物は小さく唸り、里美を吐き出した。

 里美はゲムトスの涎とともに、道の脇の草むらに放り出された。目を回しながらなんとか起き上がると、怪物はターゲットを変えて、千穂に襲いかかろうとしていた。大鎌を千穂の首めがけて振り下ろす。

 「駄目!!」

 里美は目をつぶった。


 次の瞬間、硬いものがぶつかり合う音が聞こえた。里美が恐る恐る目を開けると、千穂がゲムトスの鎌を受け止めていた。里美は目を疑った。千穂がゲムトスの攻撃に耐えていることも勿論だが、それよりも千穂の姿に目を奪われた。千穂の右半身が大きく膨らんでいる。右腕から頬のあたりまで赤褐色の筋肉質な肉塊に覆われていた。右手の先からは鋭い3本の鉤爪が飛び出し、ゲムトスの鎌をさえぎっている。大きく見開かれた右眼が、紅く染まっていた。


 ゲムトスが次々と鎌を繰り出すのを、千穂は右手を振り回してしのいでいた。里美はしばらく呆然と眺めていたが、我に返るとゲムトスの方へ走り出した。千穂を助けなければ!

 助走をつけたまま、千穂に注意を奪われているゲムトスの、1番前の脚に回し蹴りをはなった。脚が折れ、ゲムトスの体が傾く。里美はその隙を見逃さず、思い切り跳ぶと、ゲムトスの頭部をバレーボールの要領で殴り付けた。頭部に、拳を中心に大きく亀裂が入り、ゲムトスは悲鳴を上げた。ゲムトスは素早く後ろに下がると、背中を向けて林の中へ逃げて行った。


 里美は怪物の姿が完全に見えなくなるのを確認して、胸をなでおろした。

 「千穂、大丈・・・」

 里美が振り返ると同時に、千穂が鉤爪を振り下ろした。里美がとっさに身をかわすと、千穂の右手は深々と地面をえぐった。千穂は舌打ちをする。

 「な、何するの? それに、その姿は一体どうしたの?」

 里美は、改めて千穂の姿を見た。左側は今まで通りの千穂だが、右側は最早人間ではない。右手は丸太ほどの太さまで肉塊が膨れ上がり、千穂本人は肉塊に身体をうずめているように見えた。肉塊は所々に小さな棘が飛び出している。千穂の顔の右側が引っぱられるようにつり上がり、肉塊に繋がっていた。

 「まったく・・・奴を逃がしてしまったじゃないか!」

 血走った赤い右眼で里美を睨みつけた。

 「奴って、さっきの怪物のこと? 何をしようとしていたの?」

 「君に答える必要はない。学校では鬱陶しいのを我慢していたけれど、この姿を見られたからには死んでもらうよ」

 千穂は鉤爪を里美めがけて突き出した。里美が避けると、右腕を横になぎ払い、跳ね飛ばした。里美は後ろに転がったが、すぐに起き上がる。

 「やめてよ! 千穂! どうしてこんなことするの!?」

 千穂は鉤爪を動かすと、里美に襲いかかった。千穂が右腕を振り回して殴りかかってくるのを、里美は後ろに下がりながら次々とかわした。不意に、背中が道脇の楢の木にぶつかり、退路をさえぎられた。そこに、千穂が鉤爪を繰り出す。里美が倒れ込んでかわすと、爪が深々と木に突き刺さった。


 「ちっ・・・」

 千穂が腕を動かすと、木は真ん中から大きくえぐり取られ、肌色の芯を晒した。里美はその隙に、素早く間合いを離す。

 「ちょこまかと逃げ回らないで、さっさと死んでよ!」

 「千穂、本気なの!?」

 「僕は最初から本気だよ!」

 千穂は右腕を里美に向け、鉤爪を開くと、掌の真ん中から赤い液体を噴射した。水鉄砲のように噴き出した液体の勢いは強く、里美は避けようとしたが足元に当たってしまった。射線を回り込むように逃げようとした次の刹那、里美は左足を取られた。

 「えっ? 何これ!?」

 左足が動かない。足元を見ると、左足が赤いガラスに覆われていた。足の止まった里美に、千穂は更に液体を吹きかけ、胸から下が完全にガラスに覆われた。

 「う、動けない・・・」

 千穂はゆっくり歩いて里美の前に近付くと、右手を振り上げた。

 「これで終わりだね」

 「やめて、千穂!」

 千穂は里美の顔めがけて、鉤爪を突き立てた。


 鈍い音があたりに響く。里美は頭に強い衝撃を受けて、後ろにのけぞった。

 ・・・しかし、爪は里美の額で止まっていた。鉤爪の先が欠けている。里美がつぶっていた目を開くと、千穂が顔を強張らせていた。

 「驚いたな。普通の人間に比べて身体能力が高いとは思ったが、まさか人間じゃなかったなんてね。ロボットか?」

 「う・・・違うよ」

 「まあいいか。どうせすぐに奴に会えそうだし、君1人が僕の正体を知ったところで何もできないだろうからね」

 千穂は右手を下ろすと、右半身が見る見る縮んで行き、元の千穂の姿に戻った。眼鏡を拾い上げ、破けたシャツの上に体操着を羽織って、歩き出す。

 「千穂、待って!」

 里美は首だけを千穂に向けて呼びかけたが、千穂は応えなかった。しかし、千穂は数歩歩いたところで、突然倒れ込むように膝をついた。右手で後頭部を抑えてうずくまる。

 「どうしたの!? 大丈夫、千穂?」

 「うるさい! ・・・くそ! やはり人間の体では持たないか」

 千穂は立ち上がって首を振ると、よろめくように来た道を引き返して行った。里美は首を動かして千穂の背中を追ったが、やがて見えなくなった。

 「・・・待ってよ、千穂」

 里美は1人取り残され、ぽつりと呟いた。


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