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 次の日、教室の中に千穂の姿は無かった。いつもホームルームが始まる5分前には登校しているはずだが、今日は千穂の席が空いたまま、開始のチャイムが鳴った。

 担任の新沢が、いつもの紺色のジャージで教室に入って来た。お腹周りが大幅に膨らんでいる。日直が号令をかけ、全員であいさつをした。

 「えー、今日は矢吹が体調不良で休みだな。風邪が流行っているから、うがい、手洗いをしっかりするように。うちの娘も昨日の晩に熱を出してな。夜中に病院に連れて行ったんだ」

 新沢はその後、娘と妻について延々と話し続けたが、生徒は誰も聞いていなかった。


 「やっぱり千穂は休みかぁ」

 ホームルームが終わると、里美は椅子を横に向けて、後ろの席の香奈恵に話しかけた。

 「昨日あれだけ調子が悪そうだったから、無理もないわね」

 香奈恵は、国語の教科書を鞄から取り出しながら答えた。

 「今日は寂しいね・・・」

 空っぽになった千穂の机に目をやる。

 「でも、本当に風邪なのかなあ?」

 「それはわからないわよ、私は医者じゃないし。でも、状況と症状から考えたら、風邪の可能性が高いんじゃないかしら?」

 「それはそうなんだけどさ・・・」

 「何よ? 何が気になるっていうの?」

 香奈恵は椅子を引いて、顔を近付けた。

 「昨日、千穂が隕石のことを憶えてなかったじゃない?」

 「そうだったかしら?」

 香奈恵は首を傾げた。

 「 ほら、昨日の朝、私が千穂に石の事を聞いたら、『そんなの拾ったかしら?』なんて言ってたじゃない」

 「昨日は宿題を写すのに忙しかったから、憶えてないわ」

 「そう言ってたの! それに、保健室に連れてく前も、勇太くん達と金守山に行った話をしてたんだけど、その時も隕石を拾ったことを思い出せなかったもの」

 「おかしいわね。一昨日はあんなに喜んでいたのに」

 「それを一晩で忘れちゃうなんて、変でしょう?」

 「確かに変だけど・・・急に興味が無くなったんじゃないかしら? 店ですごく気に入った服を買っても、家に帰ると色褪せて見えることがあるでしょう」

 「香奈恵ならともかく、千穂はそんなに飽きっぽくないよ。昔から星とか大好きなんだし」

 「うるさいわね。それじゃあ、隕石の第1発見者の名誉を独り占めしたくて、こっそり1人でテレビ局あたりに持って行こうとしてるとか? それで、とぼけているんじゃない?」

 「千穂がそんなことするわけないって知ってるでしょ? だいたい、賞金がもらえるわけでもないだろうし、第1発見者は間違いなく千穂なんだから、独り占めする理由がないよ」

 「なによ、私はわからないなりに、理由がつく仮説を挙げているだけよ」

 香奈恵は不機嫌そうに髪をいじった。

 「大体、あんたはどう考えてるの?」

 「私だってわかんないけどさ・・・少なくとも、あれは忘れたとか、とぼけてるわけじゃないと思うよ。記憶を無くしちゃったんじゃないかなあ?」

 「記憶喪失だっていうの? でも、昨日千穂は普通に話していたと思うけど。 金守山に行った事も憶えていたし」

 「そこが気になるんだよね。まるで記憶を切り取られたみたいに、石に関することだけ憶えてないみたい」

 「そんな症状なんて、あるのかしら?」

 香奈恵は腕を組んだ。

 「ねえ・・・もしかして脳に関わる病気とかじゃないのかな?」

 里美は不安そうに声をひそめた。

 「それはさすがに飛躍しすぎじゃないの? 誰だって忘れ物のひとつぐらいするでしょう」

 「そうかもしれないけどさ・・・何だか心配なんだよ。ねえ、今日の帰りに千穂のところにお見舞いに行かない? 」

 「え? 私、今日は部活に行こうと思っていたのだけど」

 「いいじゃん、千穂のこと気になるでしょう?」

 里美は香奈恵の袖を引っ張った。

 「仕方が無いわね・・・」


 放課後、ホームルームが終わると、里美は香奈恵と一緒に教室を出た。部活に向かう生徒たちを横目に、3年生の教室の前を通り、南側の階段を降りて玄関に向かう。

 「待ちなさい、城崎!」

 踊り場で後ろから名前を呼ばれて、振り仰ぐと、階段の上に背の高い女子生徒が立っていた。髪が短く、遠目からは男のように見えなくもないが、スカートをはいているので校内では間違われることはなさそうだ。

 「あ・・・軒名(のきな)部長。お久しぶりです」

 里美は軒名の姿を見た瞬間、まずいと思ったが、なんとか平然を装って、挨拶をした。

 「久しぶり、じゃないわよ。あなた随分長いこと部活に来てないじゃない」

 軒名は里美を睨みながら階段を降りてきた。

 「あはは・・・すみません。ちょっと事故にあっちゃいまして、療養してたというか」

 「それは知ってるわよ。全校集会で校長が言ってたからね。でも、そんなに怪我はひどくなかったって津島から聞いたよ」

 軒名は香奈恵に視線を向けた。里美も、余計なことを、と思いながら香奈恵を見る。

 「それに、あなたはその前からあまり部活に来てなかったじゃない。困るのよね、あまり堂々とサボられると。他の部員にも影響が出るじゃない」

 「わかりました・・・明日は行きます」

 里美はとりあえずこの場を離れたかった。

 「明日? 今日は何か用事があるの?」

 「あの、休んだ友達にプリントを届けないといけないんです」

 「部活が終わってからでもいいじゃない。そんなに遅くまで残らなくていいから。今日来なさい」

 「ええ?」

 里美は香奈恵を見た。

 「・・・今日は部活に行った方がいいんじゃないかしら。いい機会でしょ」

 香奈恵はあっさりと言い放った。そう言えば、香奈恵は部活に行きたがっていたな・・・。

 「明日になったら、またおっくうになるよ。思い立ったが吉日、きっかけが大事なんだから、今日から始めよう!」

 軒名は里美の背中をバンバン叩いた。

 「わ、わかりました。行きますよ」


 里美は渋々、軒名の後について美術室に向かった。美術室は校舎の反対側の端にある。軒名の足が早いので、徐々に差が開いて行った。

 「ねえ、軒名部長は私が通るのを見張ってたのかな?」

 里美は小声で香奈恵に話しかける。

 「さあ? たまたま見かけただけかもしれないけど、最近、里美はいつ来るんだって気にしてたから、探していたのかもね」

 「それならそう言ってよ、北側の階段を使ったのに」

 「しょうがないでしょ? もう諦めなさい」

 美術室のドアをくぐると、絵の具と木材の匂いがした。久しぶりだが、嗅ぎ慣れた懐かしい匂いだ。部屋の中には、3年生の佐々木と吉田、同級生の袴田、1年生の七宮がいた。皆、バラバラに座って絵を描いたり写真を眺めたりしている。

 「はい、みんな注目!」

 軒名は教室の真ん中で手を叩いた。

 「事故の療養で休んでいた城崎が、今日から部活に復帰することになった。しばらく間が空いてしまったけれど、またみんなで仲良くやって行こう! 今日来ていない部員にも伝えるように!」

 軒名はハキハキした声でそう言うと、里美にも挨拶を求めた。

 「えっと・・・いろいろとお騒がせしましたが、もう大丈夫です。これからまた参加するので・・・その、よろしくお願いします」

 里美は、こういう場で何かを言うのは苦手だった。いい言葉が浮かばないのだ。

 「里美、久しぶりじゃん! もう怪我は治ったの?」

 写真をいじっていた佐々木梢枝が声をかけた。

 「完全に元通りには治っていませんが、日常生活に問題は無いです」

 「そっかぁ。それじゃあ、これから毎日来いよ、待ってるからさ!」

 「毎日はちょっと無理かもしれませんが・・・」

 里美は作り笑いをした。もちろん、毎日来るつもりは無い。


 香奈恵は、ごく自然に窓際の大机に行こうとして、思い出したように里美を振り返った。

 「私達、今果物を描いてるんだけど、里美も一緒にやる?」

 大机では袴田惣一がリンゴやレモンの模型を並べていた。去年、あれでキャッチボールをした覚えがある。

 「・・・ううん、私、描きかけの絵があるから」

 「そう? それじゃあ、また後でね」

 「里美ちゃん、久しぶりだね」

 その場を離れようとすると、惣一に呼び止められた。

 「事故に遭ったって聞いて、すごく心配したよ。でも、無事みたいで何よりだね」

 白い歯を覗かせて笑った。相変わらず、爽やかな笑顔だ。

 「心配かけてごめんね」

 「里美ちゃんが来ない間、すごく寂しかったよ。また、3人で絵を描こう」

 「うん・・・また今度ね」

 「あ、勝手に動かさないでよ! まだ描きかけだったのよ」

 香奈恵がテーブルの上の模型を見て大声を上げた。

 「ちょっとリンゴの角度を変えただけだよ。こっちの方がいいと思うよ」

 「私はあの構図が気に入ってたの! もう、直すわよ」

 「ああ、もうしょうがないな」

 里美はそっと2人のそばを離れて、教室の後ろ側の大机に向かった。


 後ろの大机には、七宮奈緒が1人でスケッチブックに向かっていた。小さな背中の上に、おさげ髪が乗っている。

 「奈緒ちゃん、私もこの机使っていい?」

 里美がすぐそばに近付いても、奈緒は黙々と鉛筆を動かし続けていた。

 「私に断る必要なんかないじゃないですか。ご自由にどうぞ」

 奈緒は振り向きもせずに、淡々と答えた。

 「あ・・・うん。じゃあ、ここで描かせてもらおうかな」

 やっぱりこの子は少し苦手だなと思いながら、後ろの棚に載っている石膏像を机に移した。中身が空洞なので、見た目よりも軽い。それから、ロッカーから描きかけの画用紙を取り出して、図画板に固定した。

 1ヶ月ぶりに見る自分の絵は、思ったより下手だった。鼻の位置が少しずれているし、目がやたら可愛く描かれている。

 「里美先輩、デッサンはあまり上手ではありませんね」

 隣に座っていた奈緒が、手を休めて里美の絵を見る。

 「これはまだ下書きなの!」

 思い切って大部分を消して、描き直し始めた。何度も直すうちに、ようやく輪郭が満足のいくものになってくる。

 「石膏像なんか描いて楽しいですか?」

 「いや、別に楽しくはないけど・・・香奈恵とノリで、せっかく石膏像があるから描いてみようって話になったんだよ。香奈恵達はもう描き終わっちゃったみたいだけど。そういう奈緒ちゃんは、何を描いてるのよ?」

 奈緒のスケッチブックを覗き込むと、マンガ風の、大きな剣を持ったキャラクターが描かれていた。何のキャラかはわからないが、かなり描き慣れている感じがした。

 「すごい! 上手だね」

 「そ・・・そうですか?」

 奈緒は少し照れたように、スケッチブックを見えにくいよう傾けた。

 「でも、私ぐらいの描き手はネット上で検索すれば五万といます。もっと精進しないと」

 「十分上手いと思うよ。何のキャラ?」

 「一応、オリジナルです。参考にしたキャラはいますが・・・多分先輩は知らないと思います」

 「そう? そういえば、香奈恵も小学校の頃はそういうイラストいっぱい描いてたんだよね」

 里美は香奈恵の方を見た。惣一と楽しそうに話しながら絵を描いている。この間ケンカしてるって言ってたのに、いつの間に仲直りしたんだろう。多分、惣一の方が折れたのだろうなと思う。香奈恵は、人前ではあまり付き合っているようには見せないようにするとは言ってはいたものの、明らかにバレバレである。声のトーンが普段より半音高い。

 「里美先輩は、香奈恵先輩と仲が良いんですよね」

 奈緒も、香奈恵達の方を見ながら言った。

 「うん、幼稚園からの付き合いだからね」

 「それでは、何とかしてくれませんか。部室であんなにのろけられると、さすがにイライラするので」

 「ちょっと奈緒ちゃん・・・」

 里美は奈緒を振り返った。丁寧な話し方とは裏腹に、切り揃えられた前髪が、童顔を一層幼く見せている。制服を着ていなければ、小学生にしか見えないだろう。

 「香奈恵も一応気をつけてはいるみたいだし、少しは大目に見てあげようよ」

 「里美先輩はしょっちゅうサボっているからわからないんですよ。毎日のようにあれを見せられる身にもなって下さい。平然としていられるのは、部長ぐらいのものです」

 軒名は、1人で黙々と油絵を描いていた。確かに、この人なら周りで何が起きても絵を描き続けていそうだ。

 「前に佐々木先輩も、直接香奈恵先輩にウザいって言ってましたよ」

 「佐々木先輩なら、冗談だと思うけど・・・」

 「里美先輩は、去年からずっとあんなのを見せられて我慢できたんですか?」

 「ずっと、っていうわけじゃないよ。1年の時から仲が良かったけど、あの2人が付き合い出したのは2年になってからだもん」

 「里美先輩も、袴田先輩と仲が良かったんですか?」

 「うん、まあ、それなりに良かったよ。私達の学年は4人だけだったしね」

 「え・・・という事は、もしかすると里美先輩も、袴田先輩の事が好きだったんですか?」

 奈緒は突然、目を輝かせながら顔を近付けてきた。

 「いわゆる三角関係ってやつですか?」

 里美は、一瞬奈緒が何を言っているのかよくわからなかったが、すぐに大きな勘違いをされていることに気が付いた。

 「違う違う、何言ってんの!?」

 「え? 親友同士が1人の男を取り合って陰湿な争いを繰り広げたりしたんじゃないんですか? 完成間近の絵を破いたりとか」

 「しないよ、そんな事」

 「そうですか・・・。里美先輩は、袴田先輩をいいなと思った事は無いんですか?」

 「うーん・・・いい人だと思うけど、特にそういう感情を持った事は無いと思う」

 里美は少し考えてから答えた。

 「・・・それでは、香奈恵先輩を好きだと思った事は?」

 「無いよ、無い無い! どうしてそんな事になるの!?」

 「なんだ・・・つまらないです」

 「ていうか奈緒ちゃん、何を期待しているのよ?」

 「私は、このつまらない日常に飽き飽きしているのです。マンガや小説やアニメでは、日常でもいろんな事件が起きたり、複雑な恋愛関係に巻き込まれたり、ある日突然異世界に飛ばされて活躍したりしているのに、私はただの冴えない中学生なのですから・・・」

 奈緒は寂しそうな顔で言った。里美は何と言っていいかわからなかった。

 「だから、せめて身近にドロドロした人間模様があったら面白いかと思ったのですが」

 「いや、そんな事に私達を巻き込まないでよ」

 里美は、少し同情しそうになった気持ちが一瞬で冷めた。

 「やはりそう簡単に非日常的な事件は起こらないものですね」

 「それはそうだよ」

 「昨日も、金守山にUFOが落ちたと言う噂を聞いて探しに行ったのですが、何もありませんでしたし」

 「え・・・? 奈緒ちゃんも行ったの?」

 行ったのが一昨日じゃなくて良かったと思う。

 「里美先輩も行ったんですか?」

 「うん、友達に付き合ってね」

 「何か見つかりましたか?」

 「友達が隕石かもしれないっていう石を見つけたけど・・・多分ただの石だと思う」

 「そうですか。まあ、そんなものですよね・・・」

 奈緒は絵を描く作業に戻った。里美も黙って絵に集中すると、いつの間にか日が暮れていた。


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