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「え?」
里美は千穂の顔を見上げた。
「隕石って、隕石でしょ? 昨日拾ったじゃん」
「何のことを言ってるの、里美?」
「ほら、金守山で見つけたやつだよ」
「え? 里美が見つけたの?」
千穂はきょとんとした顔で里美をじっと見つめる。
「・・・寝ぼけてるの? 千穂が見つけた石のことだよ」
「 石なんか見つけたかしら・・・? 昨日は、何も見つからなかったと思うけど・・・」
千穂は頭に手を押し当てて考え始めた。段々、表情が苦しそうに変わっていく。
「ちょっと、時間がないのよ。私にも写させなさいよ」
香奈恵が自分の椅子持って、里美と千穂の間に割り込んできた。
「わ、本当だ、もう時間がない。千穂、大丈夫? 体調悪いんじゃない?」
「・・・平気よ」
「具合悪くなったら、保健室に行きなよ」
「うん。でも、本当に大丈夫よ。少し頭痛がしただけだから」
千穂は頭を振ると、教室の後ろの自分の席へ歩いて行った。
「どうしたんだろ? あんなに喜んでたのに」
「話しかけないで。今忙しいの」
「あ、私も写さなきゃ!」
里美と香奈恵は、ホームルームが始まる前に千穂のノートをなんとか写し終えた。丸写しするとさすがにバレるかと思い、わざと1問間違えておいた。係の生徒がノートを集めに来て、3冊まとめて提出した。
1時限目の理科の授業が始まる。最近は電気の話が続いているが、里美は事故でしばらく休んでから、授業が難しく感じる。大事な部分を聞き逃してしまったのだろうか。一応ノートを借りて自分なりに勉強したのだが。理解が追いつかないまま、とりあえず黒板に書いてある文字をノートに書き写して行った。
そういえば、自分の身体は電気が流れているんだろうか。脳や臓器の大半はそのまま残っているという話だが、ふとした拍子に故障したら、全身が感電したりしないだろうか・・・。そんなことを考えていると、急に不安になってきた。早く元の身体に戻してもらわなければ。結局、授業に身が入らず、1時限目終業のチャイムが鳴った。
「千穂、さっきの授業でわかんないとこがあったんだけど」
里美はノートを開いたまま千穂の席に向かった。
「なにー?」
「なんでここの電圧が15Vになるの?」
「えっと、ここはねー・・・」
「よお、お前ら」
唐突に左から男子生徒の声がした。振り向くと、勇太が口元に笑いを浮かべながらこちらを睨んでいた。隣には孝雄がいる。里美は反射的に視線を逸らした。
「昨日はUFO見つかったのかよ?」
お前らって、私も含まれているのかな、と考えながら千穂の顔を伺った。
「ううん、UFOは見つからなかったわ」
「ホントかよ? ちゃんと探したのかよ、クヌギの木とかよ」
孝雄がそういうと、勇太が大笑いした。何が面白いのかわからないが、早く切り上げてくれないだろうか。
「ちょっと邪魔しないでー、今、里美に授業の説明してるんだから」
「いいじゃねえか、そんなのわからなくても何も困らねーよ。なあ、城崎?」
勇太に突然同意を求められて、里美は慌てた。
「えっ・・・いやあの、困るよ」
「何に困るっつーんだよ?」
孝雄が近づいてきた。団子鼻のてっぺんに、ニキビが赤く吹き出ている。
「そりゃあ、えーと」
「期末テストで困るわよー。それに、受験だって」
「そんなに勉強が大事なら、ガキみたいに山で遊んでんじゃねーよ」
勇太も椅子から立ち上がってこちらにやって来る。顎を突き出して、千穂と里美を見下ろす格好になった。里美は体を強張らせた。一体、この連中は何が目的なのだろう? 里美は後ろを向いて、香奈恵の席を見たが、そこに香奈恵の姿はなかった。そう言えば、さっきトイレに誘われたっけ。こいつら、香奈恵がいないのを見計らって絡んできたな・・・。
「遊んでたんじゃないわ、UFOを探してたんだから」
「そ、そーだよ、千穂は真剣だったんだから」
「見つかるわけねーだろ? 時間の無駄だろうが」
「そんなことないわよ、探さなくちゃ見つからないじゃない。それに、UFOは見つからなかったけど、代わりに・・・」
急に千穂が口をつぐんだ。
「代わりに、なんだよ? 宇宙人でも見つけたのか?」
孝雄がまたつまらない冗談を言って、1人で笑った。
「違うわ。あれは、確か・・・痛っ!」
千穂が頭を抱え込んだ。
「千穂! どうしたの!?」
千穂の顔を覗き込むと、眉間に深く皺を寄せて、目をつぶっている。
「な、なんだよ、いきなり」
千穂の変化に、勇太と孝雄が狼狽えた。
「頭が・・・」
「何してるのよ、あんた達!」
香奈恵の怒声に、千穂以外の全員が教室の入口を振り返る。
「んだよ、何もしてねーよ」
「なら、どうして千穂のそばにいるのよ。千穂があなた達に用事があるわけがないでしょう?」
「うるせーな・・・」
勇太は力なく言い返すと、孝雄と連れ立って教室を出て行った。千穂の体が震えている。こめかみに血管が浮かび、額から大量に汗を流していた。
「一体、何があったの?」
「千穂が突然、苦しみ出して・・・」
「・・・何か見つけたような気がするんだけど・・・駄目、思い出せない・・・」
千穂はうわ言のとように呟く。
「ど、どうしよう」
「どいて」
いつの間にか、園子がすぐ後ろに立っていた。
「保健室に連れて行こう」
千穂の左腕を肩に回し、立ち上がらせる。
「私も手伝うよ」
里美は千穂の右側を支えた。
千穂を保健室に連れて行くと、すぐに2時限目開始のチャイムが鳴り、里美たちは教室に帰された。里美は何度も千穂の席を振り返ったが、2時限目が終わっても、3時限目が終わっても千穂は戻って来なかった。
4時限目が終わると、給食当番の生徒が大きな鍋や銀色の箱を持ち込み、配膳の準備を始めた。他の生徒も、手を洗いに席を立つ。
「千穂、大丈夫かな」
手洗い場に向かいながら、里美は香奈恵に話しかけた。
「風邪でも引いたんじゃないかしら? 最近流行ってるみたいだし」
「そうかな。それにしてはかなり苦しそうだったけど」
「あら、風邪だって馬鹿にできないわよ。死ぬことだってあるんだから」
途中で、教室へ戻る勇太とすれ違った。相変わらず孝雄と一緒だ。すれ違いざまに、香奈恵が睨みつけたが、2人は気付かないのか、そのまま通り過ぎた。後ろ姿を改めてみると、2人ともあまり身長は高くない。孝雄なんて、香奈恵より小さいのではないだろうか。
「そう言えば、今朝あいつらと何を話してたのよ?」
「別に、話してたわけじゃないよ。私が千穂にわかんないところを聞いてたら、長谷川くん達が一方的に絡んできたんだよ。UFO探しに行くなんて、馬鹿じゃないかって」
「そんなの無視すればいいでしょ。馬鹿なのはあいつらなんだから」
「そうも行かない状況だったんだよ、近づいてきたし」
「はっきり拒絶すればいいじゃない。話しかけないで、って怒鳴れば?」
「そう言えたらいいけど・・・」
「情けないわね。それじゃあ、『貴方達と会話をする事以上に、この世に無益な時間は存在しません』って丁寧に言ったらどう?」
「それも言えないよ・・・」
教室に戻ると、思いがけなく千穂が自分の席に座っていた。鞄を机に乗せている。
「千穂!」
里美が駆け寄る。
「もう平気なの?」
「心配かけてごめんね。酷い痛みは無くなったけど、まだ頭がぼんやりしていて・・・今日は早退させてもらうわ」
言われて見ると、確かに顔色が悪い。唇が少し白くなっている。
「風邪かしら? 昨日金守山で罹ったんじゃない?」
「どうかな、もしかしたらそうかもしれないけど・・・」
千穂は教科書を鞄に詰め終わると、ゆっくり立ち上がった。1歩目を踏み出そうとした途端に、よろめいて机に手をつく。
「本当に大丈夫? 1人で帰れる?」
「うん、平気・・・ちょっとバランスを崩しただけよ。じゃあね」
「気をつけてね」
里美は教室から顔を出し、千穂の後ろ姿を見送った。
「心配だな・・・」
「私達がついて行くわけにも行かないでしょ。早くご飯にしましょう」
「うん・・・」
千穂は、校門を出て坂を下って行った。次第に学校から聞こえる喧騒が遠ざかって行く。通学路に千穂以外の人の姿は見当たらない。薬を飲んで少し収まったものの、相変わらず頭痛が続いている。心臓の鼓動に合わせて、ずきずきと頭の芯まで揺さぶられているような感覚がする。頭だけではない。右の耳の奥も鈍い痛みがする。誰かが耳にストローを差し入れて、空気を吹きかけているような、奇妙な音が聞こえてくる。一体何の音だろう。
早く家に帰って眠りたい。いつもの通学路が、途轍もなく長く感じた。近くからカラスの声が聞こえる。仰ぎ見ると、道路脇の空き地の大きなケヤキの木に、たくさんのカラスが群がっていた。1匹が鳴くと、別なカラスも釣られて鳴き出し、あっという間に大合唱が始まった。全方位から、カラスのしわがれた声が降り注ぐ。千穂は思わず耳を塞いだ。
カラスは余計な先入観を捨てて見るとかわいいと思うが、この鳴き声だけはどうも苦手だ。なぜこんなに不快な声を出すのだろう。カラスの声が耳から頭に入って、頭の中の反対側で跳ね返って、スーパーボールのようにさんざん反射しているような気がする。カラスは鳴き止む気配を見せない。段々、カラスの声に混じって、人の呻き声のようなものまで聞こえるような気がしてきた。おそらく幻聴なのだろうけれど。
耳を塞いだまま立ち竦んでいると、やがてカラスは一斉に飛び立ち、金守山の上の、灰青色の空に吸い込まれて行った。そういえば、昨日は里美達と金守山に行ったんだっけ。大事な事を忘れているような気がするのだけれど、それが何なのか思い出せない。すぐそこまで出かかっているのに、喉に刺さった小骨のように引っかかって出てこない。昨日、何か持って帰ったと思うのだけど・・・。歩いていればそのうち思い出すかもしれないと思って、舗装したての真っ黒なアスファルトの上を歩いて行ったが、やがて何かを忘れているということも忘れてしまった。
国道に出ると、急に車の数が増える。軽乗用車から大型のトラックまで、様々な大きさ、色の車が通り過ぎて行く。ひとつ共通しているのは、皆、明らかに法定速度を超えていると思われるスピードを出していることだ。ごく稀に、警察が取り締まっているのを見かけるが、滅多に捕まる車はいない。
家に帰るには国道を渡らなければならないが、横断歩道までは300メートルほどの距離がある。できれば遠回りせずに渡ってしまいたいところだが、里美が事故に遭って以来、千穂は道路を渡るのが怖くなり、横断歩道を使うようにしている。
国道脇の狭い歩道を、信号機目指して歩く。歩道と言っても、アスファルトに白い線が引いてあるだけで、何かの拍子に転んだら、すぐに車に轢かれてしまう程度のものだ。自動車が次々と後ろから近づいてきては、千穂を追い抜いて行った。そのたびに風にあおられ、周りに排ガスの臭いが立ち込める。もっと歩行者の事も考えて道路を作って欲しいと思いながら歩いて行くと、自動車の合間をぬって、道路の反対側にカラスが2羽とまっているのが見えた。先ほどのカラスだろうか。カラスの足元には、布切れのようなものが転がっていて、カラスはそれをついばんでいる。大型のトレーラーが通り過ぎるのを待って、目を凝らすと、地面に転がっているものの正体が猫の死骸であることがわかった。すぐに目を背けたが、眼窩が空っぽになった猫の頭が脳裏に焼き付いた。吐き気をこらえて、歩みを早める。カラスの鳴き声が背後から聞こえてきた。
横断歩道を渡り、畑に面した道路を急ぐ。気分が悪い。他の事を考えようとしても、猫の無残な姿が頭から離れなかった。
角を2つ曲がると、ようやく見慣れた垣根が現れた。垣根の前を通ると、中から犬の声が聞こえる。知らない人に向かって吠えるような、怒気を込めた声だ。誰か来ているのだろうか。門から中に入ると、ジョナサンがこちらに向かって吠えていた。ジョナサンは、千穂が小学校に入学した歳に、父親が知り合いのブリーダーから譲り受けたシェパードだ。番犬としてはもちろん役に立つが、やたらと吠えるので、里美達は一時期、千穂の家に遊びに行くのを嫌がった。慣れてからも、見知った人間に大きな体でじゃれつこうとするので、やはり評判が悪かった。
「ただいま、ジョナサン」
千穂の姿を見ても、吠えるのをやめない。配達員でも来ているのかと玄関の方を窺ったが、誰の姿も見えなかった。
「どうしたのー?」
優しく話しかけたが、ジョナサンは吠えるのをやめなかった。千穂が近付くと、怯えたように自分から小屋に隠れてしまった。様子がおかしいとは思ったが、構わずに千穂は玄関に向かった。中にお客さんがいるのかもしれない。
玄関の引き戸を開けると、予想に反して誰もいない。上がりかまちの前にサンダルが一足置いてあるだけだ。
「・・・ただいま」
奥の台所からドタドタと音がした。
「おお、帰ってきたが」
祖母のハナエが顔を覗かせる。
「学校の先生から千穂の具合が悪いって電話があっだ時は驚れえだけど、迎えに行かなくて大丈夫だったのが?」
「うん、1人で帰れるぐらいだったから。・・・ところで、ジョナサンが吠えてるけど、誰か来てるの?」
「いんや、誰も来てねえど。郵便でも来たのがど思ったげど」
「そう? 外には誰もいなかったよ」
千穂は変だと思いながら、靴を脱いだ。
「そうがい? 昼飯は食ったが?」
「ううん。食欲があまり無くて」
「だめだど、食わねえど。・・・どうした、よだれなんか垂らして? 赤ン坊じゃあんめぇし」
「・・・え?」
口元を手の甲で拭うと、べっとりと濡れた。驚いて、廊下にかかった鏡を見ると、右の口元が吊り上がり、その端からよだれが流れ落ちていた。これは、誰の顔だろう? 千穂は小さく悲鳴を上げた。




