10
気がつくと、金守山の山道を歩いていた。前方には、香奈恵と千穂が並んで歩いている。楽しそうに何かおしゃべりをしているらしい。里美に気がついていないのか、2人は振り返ることなく進んで行く。里美は何とか追いつこうと歩みを早めるが、川底を水流の逆方向に歩いているように、なかなか前に進まない。2人との距離は広がるばかりだ。
どこに向かってるんだろう。・・・そうだ、UFOを探しにきたんだっけ。UFOをどこかで見たような気がするのだけれど・・・場所は金守山じゃない。UFOは、里美の家に埋まっているのだ。長い階段を降りていくと、金属の扉があって、扉を開けるとわけがわからない機械がたくさん並んだ部屋があって 、操縦席と大きなモニターがあるのだ。UFOの中には、父親の創士と、空飛ぶ銀色の球体が待っていた。おかえり、と創士は言った。どこに行ってきたんだい? 金守山に行ってきたの、と里美は言った。何を探しに行ったんだ? えーと・・・UFOを探しに。UFOなら、ここにあるじゃないか。創士は両手を広げて言った。金守山にあるのは、UFOなんかじゃないよ。創士はモニターに向かって、小さな端末を操作した。モニターの中には、金守山の山道を、灰色の犬が歩いている姿が映っている。いや・・・あれは犬じゃない。怪物が、犬に化けているのだ。
早く2人に知らせないと危ない。里美は、前を歩いている2人に呼びかける。しかし、香奈恵も千穂も、何も聞こえないかのように、相変わらず談笑しながら歩いている。急に風が強く吹いた。国道へ降りる道と、寺に続く道の岐路に差し掛かる。香奈恵、寺の方に行っちゃ駄目だよ! 里美はあらん限りの声で呼びかけたつもりだが、上手く声が出て来なかった。2人は、寺に続く道を登って行く。
道には、地蔵が並んでいた。みんな首がない。地蔵の前には、赤、青、黄、色とりどりのたくさんの風車が所狭しと地面に突き刺さっている。駄目、そっちに行っちゃ駄目! 引き返して!
風が吹いて、風車が次々と回り出す。砂埃が吹きかかり、里美は強く目を瞑る。風がやみ、目を開けると、香奈恵と千穂の先に、灰色の犬が立っていた。
千穂が、飼い犬のジョナサンにするように、しゃがみこんで、手招きをした。犬がゆっくりと近付いて行く。犬が、歩く時に動く筋肉とは全く無関係の部位がうごめいている。中に巨大なミミズを大量に詰め込まれているかのように、バラバラに蠕動している。口から虫の脚のようなものがはみ出していた。
逃げて! 里美が叫んだ瞬間、犬の背中が割れて大きな肉塊が飛び出した。真ん中から真横に裂け、歯を覗かせる。そのまま大きく口を開くと、千穂に頭から噛り付いた。声を上げる間もなく、千穂の上半身が消え失せた。うずくまった下半身が、膝から地面にくず折れた。香奈恵は逃げ出そうとしたが、怪物の上体から飛び出した鋏で、背中の真ん中を貫かれた。貫通した鋏を、香奈恵の胸から流れ出した血が伝って流れ落ちる。いやぁぁぁぁぁっ! 里美は大きな悲鳴をあげた。香奈恵から鋏を引き抜くと、怪物は大きな一つ目を里美に向けた。里美は反対方向に逃げ出す。
里美は懸命に走るが、足がなかなか前に進まない。怪物との距離は狭まる一方だ。それでも必死に逃げていると、納屋が見えてきたので、駆け込んで扉を閉めた。里美が出来るだけ扉から離れると、すぐに、扉を叩く音が聞こえてくる。音はだんだん大きくなって、それにつれて扉も大きく揺れ動いた。扉の蝶番が緩んでいく。どうしよう、もうすぐ扉を破って怪物が入ってくる。里美! 銀色の球体がいつの間にかそばにいた。助けて! 里美は銀色の球体に呼びかけた。よし、それじゃあ、あの怪物に勝てるように体を改造しよう。
里美は手術台に寝かされていた。身体がベルトで固定されて動けない。創士が頭上にドリルや回転ノコギリがついたマニピュレーターをかざす。やめてよ、死んじゃうよ。大丈夫だよ。里美はもうほとんど機械の身体なんだから。創士が鏡を見せると、全身が機械むき出しの身体が映った。いや! これ以上、何をしようっていうの? もっとパワーアップするんだよ、オルバル星の技術でね。今日は仲間も来てくれたんだ。気が付くと、創士の周りに、全身が灰色で、大きな黒目の小人がたくさんいた。テレビで見たことがある、宇宙人だ。やめて! 里美は叫んだ。
目覚まし時計が鳴っている。里美は横になったまま、手探りで目覚まし時計を探し、顔の前に手繰り寄せてスイッチを押した。6時35分。最悪の目覚めだ。ぼんやりした頭で昨日起きた出来事を順番に思い出した。全部夢だったらいいのに、夢というにはあまりに生々しい記憶がその考えを否定する。
悩ましい事ばかりだが、とりあえず学校に行く用意をしなければならない。里美は携帯電話を充電器から抜いた。20時に香奈恵からの着信履歴が1件ある。何の用事だろう。メールを確認すると、受信フォルダに2通の未読メールが入っている。里美は、受信時刻の古い順にメールを開いた。1通目は香奈恵からだ。
『もう家についたかしら? 里美が1人で歩いていると、うっかり車に轢かれそうで心配だから、無事なら電話をしなさい』
受信時刻は18時56分。えーと、何をしていた頃だろう。とりあえず、気付かなくてごめん、と返信した。本当に心配させていたのなら申し訳ないが、無事ではなかったのだから、仕方がないだろう。
2通目は千穂からだ。
『今日は付き合ってくれてありがとう。 おかげで、まさかの貴重な隕石をGETできたよ! チョー嬉しい!! これで科学部の研究も捗るネ!』
絵文字と顔文字が大量に散りばめられている。里美も一度やり方を教えてもらったが、すぐに面倒になって挫折してしまった。
『でも、帰ってきて気がついたんだけど、この隕石、よく見るとひびが入ってるんだ。帰る途中でぶつけちゃったのかな? もっとティッシュでぐるぐる包んでおけば良かったよ・・・』
メールはそこで終わっていた。受信時刻は21時15分。昨夜寝る前に受信したものらしい。
そういえば、千穂に誘われて金守山に行ったんだっけ。もし昨日、金守山に行かなかったらどうなっていたのだろう。自分の体が機械になっていることに気付かず、父親が宇宙人だったことも知らず、謎の宇宙怪物が金守山で暴れているなんて想像もしなかっただろう。普通に家に帰って、ご飯を食べて、ミステリの続きを読んで、一応宿題にも取り組んで、何事もなく、いつも通りの朝を迎えられたのかもしれない。
いや、でも、それだと千穂が怪物に殺されていたかもしれないし、千穂が怪物と遭遇しなくても近所の人が襲われていたかもしれない。里美は一旦考えるのをやめると、ベッドから降りて洗面所に向かった。
キッチンからは、卵を炒める音が聞こえてくる。そういえば、昨日は夕方から怪しい栄養剤以外は何も口にしていない。あの不味い栄養剤のせいか、空腹感はあまり感じなかったが、焼けた卵やトーストの匂いを嗅ぐと、急に眠っていた食欲が目を覚ました。
「おはよう、里美。よく眠れたかい?」
「おはよ・・・すごく寝たような気もするけど、疲れが残ってるような気もする」
里美はのろのろと椅子に座った。前髪が少し濡れている。古いトースターがチン、とベルを鳴らし、焼けたパンが飛び上がる。創士が、黄身の部分が半熟の目玉焼きとハム、一昨日の夕飯の残りの煮物をテーブルに並べた。毎朝、ほとんど変わらないメニューだが、2人ともあまり朝食に熱心ではないので、里美から滅多に文句が出ることもない。
それでも、里美は少しは変化をつけようと、パンに塗るジャムの種類を気分で変えることにしている。今日は、いつものブルーベリーではなく、イチゴでもなく、あまり食べないママレードに変えてみた。一口かじり、ゆっくりと咀嚼して、ごくりと飲み込む。創士も対面に座ると、目玉焼きを食べ始めた。
「あのさ、昨日起きたことって、夢じゃないんだよね」
里美は、否定されることをわずかに期待して、創士に問いかけた。
「・・・ああ、残念ながら。里美が覚えていることは、全部現実に起こったことだよ。ゲムトスのことも、里美の身体のことも」
「やっぱり、そうなんだ・・・」
里美は、二口目を頬張る。一口目は美味しいと思ったが、やはりママレードは少し苦い。ブルーベリージャムを上から塗りたくって、口に運んだ。
「昨日の怪物はどうしたの?」
「ゲムトスの死骸なら、既に回収して、宇宙船に運び込んでいる。奴が暴れた跡も目立たないように偽装した」
「回収って・・・家に持って来ちゃったの!?」
里美はパンくずを吹き出しながら叫んだ。
「宇宙船のラボで冷凍保存している」
「大丈夫なの? また暴れ出したりしない?」
「いくらゲムトスがしぶといとはいえ、さすがに一度死んだ個体が蘇ったりしないさ」
「本当に? でも、なんで運んできたの?」
「あそこに放置しておくわけにもいかないだろう」
「それはそうだけど・・・地面に埋めるとか、海に沈めるとか、完全に燃やしちゃうとかできるでしょ?」
「ゲムトスがなぜ地球の片田舎に生息していたのか、調査する必要がある。完全に異常事態だ」
「死体を調べればわかるの?」
「死体だけで全てがわかるわけではないが、遺伝子情報を見れば、何世代のモデルか調べられるし、何処からきたのかわかるかもしれない。体組織を調べれば、孵化した時期や、いつ頃地球に来たのかある程度推測することができる」
「ふーん」
「それに、地球環境に適応したゲムトスには、ものすごく興味がある」
創士は目を輝かせた。
「そう・・・。でも、家の下にあの怪物がいるのは、ちょっと落ち着かないな」
「心配する必要はないさ。あとは私が何とかする。里美はいつも通り、学校に行けばいい」
「でも、私、サイボーグになっちゃったんだよね? 本当に大丈夫なの?」
「昨日まで何も問題なかっただろ? 」
「それはそうだけど・・・知っちゃった以上は、心配になるよ。早く元に戻してよね」
「ああ、なるべくそうするよ。それと・・・わかっているだろうけれど、ゲムトスのことも、身体のことも誰にも言ってはいけないよ?」
「そんなの言えないってば」
里美は最後の一口を牛乳で流し込む。立ち上がり、母親の写真に行って来ます、と小さく言った。
家を出て、人通りの少ない農道を通り、学校に向かう。珠洲原中学校は高台にあるので、行きはずっと上り坂だ。里美は、自分の体が機械だと思うと、歩いているだけで乗り物を操縦しているような気がしてきた。右足を上げて、左手を前に出して、右足をおろして、左足を上げて・・・。ずっと考えていると、普通に歩くということがどういうことかよくわからなくなって来た。足がもつれて転びそうになる。
大きな家の石垣を曲がると、旧街道から学校に向かう道と合流し、生徒の数が急に増えた。
「里美!」
振り返ると、坂の下で香奈恵が手を振っていた。
「おはよう、香奈恵」
手を振り返し、香奈恵が坂を登って来るのを待った。急いで来る様子はなく、ゆっくりと歩いてくる。
「昨日どうしてメール返さなかったのよ。あの後電話もしたのよ」
「ゴメン。本当に気付かなかったんだ。家に帰ったら急に眠くなって、すぐに寝ちゃったし」
「本当に心配したのよ。事故に遭った日も返事が来なかったから」
「そっか・・・また心配させちゃったね。ごめんね」
「しょうがないわね」
香奈恵は照れたように目を逸らした。
「昨日はすぐに家についたの?」
「あー・・・うん」
さすがに怪物のことを話すわけにはいかない。
「千穂と一緒に帰る途中で、犬の遠吠えが聞こえて・・・野犬が出たらどうしようって、急に怖くなったのよ」
「そういえば私も聞いたような気がする」
「里美が帰った方から聞こえたから、心配になって」
「大丈夫だったよ、犬は出なかったよ」
犬よりはるかに危険な生物に遭ったけど、という言葉を呑み込んで、笑って見せた。
「香奈恵達は、何も無かった?」
「私は怖くなってきたんだけど、千穂はいつもあの調子でしょう? 拾った石のことでずっと浮かれていたわよ。結局何も無かったから良かったけど」
「千穂はいつもマイペースだからすごいよね・・・。ちょっと危なっかしいけど」
「あんたに言われたくないと思うわ」
「う・・・」
「多分、私達全員が危険な目にあっても、ああいう子が最後まで生き延びるんじゃないかしら?」
「そうかなぁ。 そういえば、千穂が拾った石、香奈恵は本当に隕石だと思う?」
「多分、違うと思うわ」
「やっぱりそうだよね」
教室に入ると、半分以上の生徒が席についていた。園子が前の席でノートに何か書き込んでいる。
「おはよう、園子」
「おはよう」
園子は顔を上げて挨拶を返すと、すぐにノートに目を戻した。
「何やってるの?」
「数学の宿題。昨日教科書を忘れちゃって」
「うわー、そうか。すっかり忘れてたよ」
里美は慌てて席に着くと、ノートを取り出した。
「今更騒いでも仕方ないでしょう」
香奈恵はゆっくりと席に座る。
「香奈恵はやったの?」
「私は、今日は千穂に見せてもらうことに決めていたから」
「えー、ずるいよ」
里美は宿題のページを開いた。とてもすぐには終わりそうにない。
「これは無理だわ・・・。私も千穂に写させてもらう!」
「あら、あんたも仲間じゃない」
「おはよー」
眠そうな顔で、千穂が教室に入って来た。
「千穂、ちょうどいいところに! 数学の宿題やったよね?」
「もちろん、やったわよー」
「お願い、写させて」
里美は手を合わせて頭を下げる。
「しょうがないなー。いいけど、里美のためにならないよ?」
「今日だけ、お願いします!」
「私も写させてもらうわ」
香奈恵は堂々と言った。
「香奈恵も、また成績下がっちゃうよ?」
「いいのよ、私は数学はもう諦めているから」
「もー」
千穂は、里美の机に鞄を降ろし、ノートを引っ張り出した。
「ありがとう、千穂」
里美は自分のノートの横に並べる。千穂のノートは、丁寧な字が並んでいた。自分のノートとは大違いだ。
「お礼はいいわよ。昨日、金守山に付き合ってもらったし」
「そういえば、あの隕石はどうしたの?」
「・・・隕石? 隕石って、何のこと?」




