One Missed Call
One Missed Call
「……大介?」
通話ボタンを押すも、大介はどこか半信半疑といった様子の第一声をあげただけだった。
大介が続ける言葉は無く、しばしの沈黙。
昼間の惨劇に、道中での不可解な事件、知った顔が首を吊って死んでいたという、大介の想像の範疇を越えた事件が立て続けに起こったにもかかわらず、ここまで取り乱す事が無かっただけでも大介の精神力は驚嘆するべきである。
精神の強さが疑惑の色となって、声に出たのである。
だが、大介がこれまでどのような行動をしたために、この声を発するにいきついたかは、電話の向こうの沙弥子と名乗る存在は知る由も無いのだ。
沙弥子と名乗る彼女は、その大介の声と沈黙だけで何かを悟った様子でやっと言葉を続ける。
「ねぇ、覚えてる?」
「……何を?」
沙弥子が話を続ける様子を察した由良は、通話をスピーカーに切り替えるように黙って身振り手振りで大介に指示し、大介もそのように切り替えた。
「小学生の頃、二年生か三年生の頃にさ。子供会でキャンプに行った時の事」
「……筑葉山のキャンプ場で迷子になった時の事か?」
「うん。私がリスを見つけて一緒に追いかけてって。それで一緒に迷子になった時の事」
「覚えてるよ、それで急に雨が降ってきて。なんか山小屋みたいなところで雨宿りしたんだろ」
「そうだよ、その後に大人の人が探しに来てくれて。それでどうしたんだって言われた時に大介が僕が探検に誘ったんだって代わりに怒られてくれたんだよ」
「……そうだったっけか」
大介ははぐらかすようにそう答えたが、大介はしっかりその事を覚えていた。
その時の様子さえも鮮明に覚えていたから、どこか照れくさく、そう答えてしまったのだ。
「あの時、暗い小屋の中でずっと手を握って。ずっと一緒に居てくれるって約束してくれたよね?私、それが嬉しくて、ずっと覚えてるんだ」
「沙弥子?」
どこか涙に混じった沙弥子の声に大介は沙弥子の名前を呼んだ。
それは電話に出た当初の疑惑の混じった様子ではなく、完全に沙弥子と確信しての言葉だった。
その言葉を裏切るように、沙弥子と名乗る存在の声はその大介の呼びかけに返答した。
「私がそんな事を覚えているはずがないのにね」
その言葉の意味が大介は理解できなかった。
今の会話の思い出は知っている人は知っているが、その原因は大介のいたずら心が原因であると周りは思っているのだ、沙弥子がリスを追いかけたから迷子になったという事実は沙弥子と大介の二人しか知り得ない情報のはずである。
だからこそ、この電話の声は沙弥子に間違いないはずだ。
大介は強くそう思っていたが、沙弥子は涙で声を滲ませながら続ける。
「昼間の学校の事、あれは私の仲間が。ううん、私と同じ何かがやったんだと思う」
「さ、沙弥子? 何を言ってるんだ!?」
戸惑う大介に沙弥子は、沙弥子と名乗る者は続ける。
懺悔をするように、救いを求めるように、誰にも言葉を挟ませる余地もなく、嗚咽をもらし、泣きながら、悲鳴をあげるように、ただがむしゃらに続ける。
「うん……そう。私は沙弥子だよ、私は私の記憶を持っているの。思い出も何もかも、体だってきっと沙弥子と何も違わない。だけど、私は沙弥子じゃないの。だって私は私の死体を見たんだもの」
「だから何を言っているんだ!? おい、沙弥子!!」
「私はね、私の……ううん、違う。沙弥子の記憶も体をそのまま持った別の何かなの。私は……違う! 沙弥子は死んでるの、一ヶ月くらい前にお風呂で手首を切って」
それは大介が先ほど目にした沙弥子の母親の日記の通りだった。
大介の頭は急激に与えられた情報を処理できずに混乱し、沙弥子と名乗る誰かに何を言えばいいのかわからなくなっていた。
そんな大介にすがるように、沙弥子と名乗る存在は続ける。
その言葉は大介にとっても、きっと沙弥子と名乗る存在にとっても残酷な言葉だった。
「私の頭の中に響くの、自分じゃ押さえられないの、私の中の何かが言ってくるの。人間を使え、自分を増やせって」
「沙弥子さん、あなたはあなたという人格を持ったまま人間ではない別の存在になったと思ってるのですか?」
「誰?」
唐突に会話に割り込んできた存在に、沙弥子は驚きの声をあげるが、由良は意に介さないように続ける。
「いいですか沙弥子さん。少々難しい話になりますが聞いてください。『我思う、ゆえに我有り』っていう言葉は知っていますか?」
「……言葉だけなら」
「その意味は自分が何者かと考える、それだけで自分である証明になるという話です。要約ではありますが。あなたは沙弥子さんであると悩んでいますが、誰だって自分が自分であるなんて証明できはしません。それを証明できるのは周りの認識です。誰だって自分じゃ証明できませんけど、自分は何者かと考えられるのは自分であるため。ですからあなたは沙弥子さんで間違いないのですよ」
由良の言葉に沙弥子は何も答えない。
「大介さん、彼女は沙弥子さんだと思いますよね?」
大介の心の中は電話の向こうの存在が沙弥子であるという確信は持てていなかったが、誘導するような由良の口調と、自分を否定して苦しめているような電話の向こうの相手に情が沸いてしまっていたために答えた。
「うん……君は沙弥子だと思うよ」
煮えきらない言葉。
だが今の大介にとってはこれが精一杯の言葉だった、口にした大介は言葉にしたと同時に、今の言葉は言って良かったのだろうかと葛藤が始まっている。
そんな曖昧な、半端な優しさでも、沙弥子と名乗る存在には十分だった。
その言葉だけで、満たされたように、落ち着いたように『うん』とだけ言葉を返す。
しばしの沈黙の後に、由良が切り出した。
「沙弥子さん。今はどこおられるのですか?」
「……お父さんの研究所の近く」
「迎えにうかがいますから、詳しい場所を教えていただけませんか?」
由良は優しく切り出したが、その由良の口調とは対照的に沙弥子は激しい口調で切り替えした。
「駄目、教えられない!」
「何故でしょうか? 心配されなくても大介さんと一緒に行きますから大丈夫です」
「駄目! だって、今そばに来られたらきっと大介の事も殺しちゃうから」
その言葉に大介は目眩を覚えるが、続く口調は強い反論だった。
沙弥子が言葉を荒げるなんて事は今までにほとんど無かったからこそ、その拒絶は助けを求めるように大介には聞こえたからである。
「何を言ってるんだ、ふざけるな! 今からそっちに行くから場所を教えてくれ!」
「いけません大介さん、そのような声をあげられては」
沙弥子が本物なのか偽物なのか、その審議はともかく。大介はこの声の主と直接会って話をするべきだという感情が爆発していた。
だが、今の沙弥子にとってその言葉は逆効果だった。
「……ごめんね、落ち着いたらまた電話する」
そこで沙弥子と名乗る存在との通話は切れた。
大介は折り返して電話をかけるものの、携帯の電源を切ってしまったようで繋がる事はなかった。
「くそっ、何だって言うんだ!」
「とにかく研究所の近くにはいるようですね。さて、どうしたものでしょう。もう少し手がかりが欲しいところなのですが」
興奮している大介と違い、由良は機械的に自分の調査の別の手がかりを探し始める。
その由良の情の無い様子を見て、大介は苦言を呈する。
「なんだよ、由良を探しに行かないと! こんなところでモタモタしてられないだろ!」
「勿論、探しには行きます、ですがもう少しあの存在について知っておく必要がありますね」
「どういう事だ!」
「私達の考えでは、フェアリーは人間社会に適応こそすれ別の存在になっていると思っていたのです。人では無くフェアリーとしてのアイデンティティを意志として持つ以上は別種と考えるべきです。しかし、あの様子は人間の心を持ったまま変異していた」
「……だからどういう意味だよ」
「自分は人間じゃないと葛藤する、人間ではない存在という事ですよ。自分で言っておいて何ですが、あれでは人間と呼ぶべきなのでしょう。大介さんにわかり安く説明するとですね、状況証拠から考えるうるに今の電話の声は沙弥子さんの記憶と体を持ったクローン人間って言ったところになります。オリジナルの沙弥子さんではありませんが、記憶も体も寸分違わずに沙弥子さん自身です。では、オリジナルとクローンの違いは誰がどのように判断できるのでしょうか?」
大介は黙ってしまった。
記憶も体も全く同じ存在があったとして、その事実を知らなければ確かに区別がつくはずもない。
現に、今日まで大介はオリジナルの沙弥子と今の沙弥子との区別がつかなかったのだ。
おそらく沙弥子自身ですら、何かしらの事情があってオリジナルの死を知らなかったら自分が沙弥子であると疑いもしなかっただろう。
「ですが、人間のクローンというわけではなく。フェアリーという別種である事は間違いありません。うーん、何とも事態は複雑になってしまいました。裏を返せば今は沙弥子さんと言い切れる人はいないわけですから。人としての沙弥子さんは消え、人ではない沙弥子さんが残る。果たしてそれは沙弥子さんが残っていると言えるのか。おや、奇しくも先ほど出た単語に当てはまりますね」
「何の話ですか?」
「つまりは『そして誰もいなくなった』ですよ」
大介の背筋の悪寒が走る。
急にそんな事を沙弥子が言い出したのは、つまりはそういう事なのかと。
「少し協力していただくだけのつもりでしたが、申し訳ありませんが沙弥子さんがそのような特殊な状況である以上。事実を知る大介にはもう少し協力をお願いする事になります。よろしいでしょうか?よろしくなくてもついてきてもらう事になってしまうのですが」
大介はショックで言葉を返す事ができなかったが、それでも何とか首を縦に振って由良の言葉に答える。
「何とも皮肉な話ですね、ご存じですか?『そして誰もいなくなった』の物語はUnknownのアナグラムからとったU・N・オーエンという謎の存在からの招待状が届くようになります。私達の場合は謎の存在からの告白。U・N・オーエンの告白から捜査開始ですか。全くもって洒落の利いた事ですね」
皮肉めいた事を言いながら肩をすくめる由良を見ながら大介は考える。
謎の存在と由良は言ったが、それでもやはりそれは沙弥子なのではないかと。
一緒に居ると言って、そして一緒に居たからこそ、一緒に居たにも関わらず何も気がつけず、何もしてやれなかった。
大介の心のうちには強い後悔と、自責の念と、そして今度こそ沙弥子を救うという強い意志が燃え上がっていた。
由良の言った通り、その存在を果たして沙弥子と呼べるのかという事を塗りつぶしてしまうほどに。
日常の異常から始まったそれは、ついに大介の精神に異常を残して続く。
立て続けに眼にした凄惨な光景と、強い精神力がかえってアダになったように、常識を保持したまま大介の心の内には強すぎるまでの沙弥子への執着心が渦巻き、それは狂気と形容するに相応しいほどだった。
これまでの大介を形作っていた心は、思考能力は、大介を大介足らしめる狂気に囚われ、もはや今はに存在し無いのだ。
だとするならば、今の大介を誰が今までの大介と証明できるのだろうか。
そして、誰もいなくなるか?
U・N・オーエンの告白
Capter1 精神疾患
END




