【結婚生活 2年6ヵ月】向日葵の笑顔②
「旦那様、いつから、そこに?」
「今さっき戻ったところだよ」
旦那様はバカでも、名家と言われる伯爵家の次男です。
実家のご両親も王都へ来ているため、久しぶりに家族水入らずの時間を過ごそうと、出かけて行ったはずです。
いえ、追い出したわけではありませんよ。
ともかく、今夜はゆっくり、一人でベッドで寝られると思っていたのですが。
「ルイディアがひとりだと寂しいから、お母様が早く帰ってあげなさいって」
不出来な次男との再会は、数時間で限界だったのでしょうね。お察ししますわ、お義母様。
だからって、早々に帰さないでいただきたい。
「旦那様、ここに誰かいませんでしたか?」
「マルス子爵夫人なら、まだ帰ってないって執事からは聞いたよ」
「いえ、そうではなくて。では、私の髪を撫でられましたか?」
「え?僕がしたのは、あつーい、キッスだけだよ」
ああ、お義母様。
ご長男であるお義兄様はあんなに聡明で立派な方なのに。どうして、次男はこんなに底抜けに明るく、ポンコツに育ってしまったのでしょうか。
子育てとは、奥深いものなのですね。
「そうではなく、誰かが近くにいたような、そんか気配があったのです」
「ここは夫婦の寝室だよ。僕とルイディアだけの愛の巣だ。ほら、誰もいないでしょ?」
「その愛の巣で、過去に何度も不貞を犯したのはどこのどなたでしょうか? 節操ない下半身が何を仰っても、説得力がございません」
「う、うう!」
なぜこの別宅が落ち着かないのか、理由は簡単です。
この旦那様が罪を犯す度に、ベッド、カーテン、部屋の家具をすべて買い替えます。
毎回来る度に、部屋の雰囲気が変わっているのです。
不貞を見過ごす、もしくは買収されるようなメイドや執事も即解雇します。
つまり、ここの家具も人も、屋敷の空気そのものが、ちっとも定まらないのです。
「旦那様、今回ばかりは大人しくお過ごしください。私、少々疲れが溜まっておりまして。今なにか不祥事が起きても、冷静な対処は出来かねます」
「うん! もちろんだよ!」
「信用してもいいのかしら」
私は体をお越し、ソファに座り直しました。すると、隣に座った旦那様が私の顔をじっと見つめました。
そして、急に真剣な表情になります。
「ねえ、ルイディア。君、なんだか目がうるんでいるよ。まるで恋でもしているかのような瞳だ……」
その言葉に、私はドキリとしました。
「バカなことを。疲れているだけですわ」
「嘘だね。僕のこの愛の雷レーダーが、ピカピカと光っているんだ! ルイディア、君はいま、間違いなく僕を欲しているんだね! 受け止める、全部受け止めるよ!」
旦那様は、大げさに身を乗り出し、私を抱きしめました。そして、私のスカートの中に手を入れてくるのです。
まったく、油断も隙もない。
「そんなことあるはずないでしょう!」
「それじゃあ、誰かほかの男のことを考えてるの?」
「な、何を言っているのですか」
こんな時ばかり、妙な勘がいいなんて。
「君は僕の唯一の太陽で、向日葵なんだ! 向日葵が僕じゃない方を見ているなんて、そんなこと許されない!」
その必死さに、思わず吹き出しそうになります。自分の行いを棚に上げて、よくもまあ言えたものです。
それなら、反撃させていただきます。
「旦那様、その口元は?」
「え?」
「先ほど、私にキスをされたと仰いましたね」
「うん、したよ」
「おかしいですわ。旦那様の口に付いた口紅の色は、私の塗っている口紅とは、随分と色味が違うようです」
旦那様の唇を大きくはみ出した、真っ赤な口紅。品の無いお色ですこと。
「ち、違う! 僕はなんにもしてないんだ!」
ジャケットの袖で、口をゴシゴシと拭く旦那様。ほら、袖が赤く汚れてしまった。口紅は落ちにくいというのに。
「そうですか。旦那様からは、何もしていないのですね」
「そう、僕はしてない! サラが勝手にしただけなんだ」
「サラ……? ああ、ここで新しく雇ったメイドの名前がサラでしたね」
「あ! しまった!」
不貞確定ですね。
「旦那様、今夜は寝かせませんよ」
「え、それはどういう……!」
狼狽えながらも、邪な期待を込めた顔。まるで、これからご褒美がもらえるとでも思っているかのようです。
本当に、なんておバカなんでしょうか。
「明日の夜会、参列される貴族の全員のプロフィール、覚えていただきます!」
「え~!」
「たったの100人ですわ」
「無理だよ、ルイディア!」
プロフィールの書かれたリストを叩きつけました。
「誰でも愛せる優しい旦那様は、いくらでも女性の顔なら覚えられますよね?」
「このリスト、半分は男性じゃないか!」
旦那様の情けない叫び声が、別宅の寝室に響き渡ります。
「終わるまでここから出ることを許しません」
「そんなっ!」
「あら、まだ誰かと会うおつもりですか?」
「どき!」
ああ、お義母様。明日の夜会でお会いしたら、私の愚痴はとまりませんことよ。
「今夜はルイディアとイチャイチャしたい!」
「さっきまで、他の女とイチャイチャしたばかりでしょう!」
「どき!」
「今回は残念ながら、このベッドルームで楽しむ時間はございません」
「えーー! やだやだやだ!」
旦那様の口元から漂う甘い香りに、静かにため息をつきました。
ああ、夢でもいい。
向日葵が咲くあの日に帰りたい。
私が侯爵家の跡取りではなく、どこかの次女であったなら、もしかしたら私たちは……そう考えてしまいます。淡く幼い日の恋心が、ひどく懐かしいものですね。
私は冷たい視線を旦那様へと向けました。
その視線に耐えかねた旦那様は、分厚いプロフィールの束を手に、床に座り込んでいます。
「喉が渇いたよ。休憩したい」
まだ、5分しか経過していません。
「わかりました」
私の言葉に、旦那様はぱっと顔をあげます。
「ご自分で厨房に行かれては?」
「いや、それは」
「ついさっき、あなたに愛されたばかりのメイドが、美味しいお茶を入れてくれるでしょうから」
「ひぃぃぃっ!」
「では、旦那様の代わりに、私がお茶を取りに行って差し上げますわ」
「え、あの、ルイディア」
「なにか?」
「いや、お手柔らかにね」
「ご自分の心配をされたらいかが?」
博愛主義で、脳内お花畑の旦那様は、きっと明日も明後日も、誰かを愛されるのでしょう。
そして、きっと私がお茶を持って部屋に戻ると――
「ぐー、ぐー」
ああ、また頭痛が。
「旦那様!起きなさい!夢など見させませんよ!」
マルス子爵婦人が帰ってきたら、頭痛薬を出してもらいましょう。




