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第3章:死にゆく領地の解剖図 ( 2 )


村長たちが去り、広間に残ったのは重苦しい沈黙と、吐き出された絶望の残り香だけだった。



アルスは椅子の背もたれに深く体を預け、こめかみを指で強く押さえた。



その視線の先には、先ほどまで村長たちが額を擦り付けていた床が、冷たく光っている。



「……セバス。今の彼らの話を聞いて、どう思った」



傍らに控えていたセバスは、沈痛な面持ちで一歩前に出た。



「言葉もございません。台帳に記された数字がいかに虚飾に満ちていたか……。ですが閣下、彼らもまた、罰を恐れて口を閉ざしていたのでしょう」



「数字は嘘をつかないが、嘘つきは数字を使う。典型的な事例だ。だが、セバス。問題は単なる『虚偽報告』ではない。この領地は今、四つの致命的な病に侵されている」



アルスは机の上に、自ら書き出したメモを広げた。



そこには、現代の経営学や社会学の知見をこの世界の言葉に置き換えた、血の通わない「解剖図」が記されていた。

「第一に、『情報の非対称性』による逃亡と隠れ人口の増大だ。これが全ての元凶といっていい」



「じょうほうの……ひ、たいしょう……? 閣下、それは一体どのような魔術の類でしょうか」



セバスが怪訝そうに眉をひそめる。



アルスは小さく苦笑し、手近な紙に一本の線を引いた。



「魔術じゃない。情報の持ち方に、著しい偏りがあるということだ。バルトロは税制をあえて複雑怪奇にすることで、領民から『自分がいくら奪われているか』を計算する術を奪った。徴税官だけがルールを知り、領民は何も知らされない。この知識の格差を『情報の非対称性』と呼ぶ。追い詰められた領民は、正しく反論する術を持たないから、村を捨てて山賊になるか、隣領へ逃げるという極端な選択肢しか残されないんだ。結果、台帳上の人口は減り続け、残された者にさらに重い税がのしかかる。これでは、税収の土台そのものが底抜けだ」




セバスは納得したように頷きながらも、どこか恐ろしげにそのメモを見つめた。



アルスは言葉を止めることなく、二つ目の項目を指差した。



「第二に、『労働力の過剰損耗』だ。バルトロが行った薬草栽培への強制転換は、人間を『使い捨ての部品』のように扱った。薬草は麦に比べて繊細で手間がかかる。休息も栄養もない体で、明日の労働力が維持できるはずがない。これは統治ではなく、資本の食いつぶしだ」



「『しほん』の食いつぶし、ですか。……領民こそが領主の宝であるという教えはございますが、閣下はそれをお金と同じように考えておいでなのですか?」



「ああ、それ以上に重要な資産だ。麦を作るにも剣を振るうにも、まずは『人間』という資本が必要だ。バルトロにも話したが、ヤツは金の卵を産む鶏の腹を割いて、中にある卵を直接掴み取ろうとしたんだ。その結果、鶏……つまり領民そのものが死にかけている」



アルスの声に、冷徹な怒りが混じる。



「そして第三の病。これが最も恐ろしい。『逆進性』が招く『未来の欠如』だ。貧しい者ほど重い負担を強いる仕組みが、妊婦や子供の皿から食事を奪った。三日前の調査で判明した『出生率の壊滅』。これは十年後、この領地から兵士も農夫も消えることを意味している」



「ぎゃくしん……。閣下、それはつまり、持たざる者からより多くを剥ぎ取っているということですね。ですが、それでは国が、領地が保たないのは子供でもわかる理屈です。なぜ、バルトロほどの実務家がそれを……」



「目先の数字を合わせるためだ。バルトロにとっては、十年後の領地の繁栄よりも、来月の自分の懐に入る金の方が重要だった。これを現代……いや、私の視点では『短期的利益への過度な執着』と呼ぶ」



アルスの指が、震えるように台帳の空白の欄を指した。



そこには、生まれてくるはずだった子供たちの名前が、一行も記されていない。



「最後は、『知的人材の流出ブレイン・ドレイン』だ。算術ができ、先が見える賢い者ほど、この不透明で不条理なルールを嫌って領地を去る。後に残るのは、逃げる力さえない弱者か、利権を啜る腐敗層だけだ。自律的な発展など望むべくもない」



「ブレイン……脳が、流れる……? なんともおぞましい響きですが、つまり、賢い者が隣領へ逃げ出しているということですね」



「そうだ。組織が腐敗すれば、有能な人間から先に船を降りる。残ったのは、沈みゆく船と、それを食い物にするネズミだけだ」



アルスは一気に語り終えると、セバスを真っ直ぐに見据えた。



「セバス、これらは自然災害ではない。人災だ。バルトロが作り上げた『情報の檻』が、領民から知恵を奪い、胃袋を奪い、ついには未来の命まで奪った。私はこれを、根底から破壊する。彼らが隠し続けてきた『本当の悲鳴』を、私は数字としてではなく、一人の人間の声として受け止めることに決めた」



セバスは、主人の瞳の奥に宿る、冷徹な計算と煮えたぎるような慈悲の混濁を見た。



かつて「無能」と嘲笑われていた少年の面影はどこにもない。



そこにあるのは、世界の歪みを数式で解き明かし、それを力ずくで書き換えようとする革命家の貌だった。



「……承知いたしました。情報の非対称性、でしたか。閣下が切り拓くその『透明な未来』、この老骨も微力ながらお支えいたします」



「ああ。まずは、あの四十八の税目をすべて焼き捨てる。……シンプルで、誰もが計算できる『新しい契約』を書き上げるぞ。これからは、税を罰ではなく、領地全体の未来を築くための『共同投資』へと定義し直すんだ」



アルスは力強く頷くと、再びペンを手に取った。



窓の外では、冬の厳しい風が吹き荒れていたが、執務室の中には、確かな変革の火が灯っていた。


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