第4章:我がレオンハルトは銀の道にあり ( 26 )
王都での会見から三ヶ月。
アルス・ヴァン・レオンハルトは、権力の甘い香りが漂う王都に留まることはなかった。
連日の祝宴も最低限に切り上げ、彼はすぐに「銀の道」が貫く北の領土へと戻った。
王都という古い歴史の澱が沈む中心地よりも、自らが引いた道が脈動し、物流が大地を熱くする現場こそが、彼の真の居場所だった。
特区の執務室。
窓の外には、かつての雪原の静寂はもうない。
代わりに、絶え間なく往来する連結馬車の轟音と、活気に満ちた人々の声が響いている。
馬車の一台一台には、アルスが制定した「王立公認規格」の刻印が打たれた物資が、山をなして積み込まれていた。
それは正確に測量され、正確に分類され、淀みなく国中へと散っていく。
「……閣下。王都の財務局から、新規格の導入により税収の計算効率が三割も向上したと、異例の感謝状が届いております。徴税の誤差による紛争も、劇的に減少しているとか」
代官セバスが、自分のことのように誇らしげな笑みを浮かべて報告する。
かつて破産を恐れて青ざめていた老執事の姿は、そこにはなかった。
「感謝なんていい。その分、浮いた人員と予算を街道の維持管理に回せと返しておいてくれ。システムは作った後の『保守』こそが本番なんだ」
アルスはアバカスを弾く手を休めることなく、机の上に置かれた一通の手紙を手に取った。
差出人は相変わらず記されていない。
だが、その力強い筆跡はどこか懐かしく感じたが、内容は荒々しかった。
『南の湿地帯は、今の排水基準では追いつかん。あそこの村長は石より頑固だが、この銘柄の酒を一本持っていけば話は通る。設計に強い老技師を三人、昨日の便で送り出した。……好きに使いやがれ。お前の計算に、泥を塗らせるなよ』
アルスは思わず苦笑を漏らした。
「……やはりお祖父様の字によく似ている気がする。…どう思う、セバスチャン?」
セバスチャンは無言で手紙を眺めた後、目を細めて、首を横に張った。
かつて理想の設計図を描きながらも、古い権力と技術の壁に阻まれて挫折した祖父エドガー。
そして、王都という魔境で牙を磨き続け、影から王国の財政を支え続けてきた大叔父オズワルド。
二人の老人が、かつて果たせなかった「世界の再定義」という夢。
それを、アルスという若き依り代を得て、彼らは今まさに完成させようとしていた。
老技師たちが特区で見せた驚異的な仕事の速さも、ジャックが禁忌の枷を容易く手に入れられたのも、全ては彼ら「引退した怪物たち」が残した、目に見えない人脈と執念の賜物だったのだ。
「アルス! 準備はいい?」
扉が勢いよく開き、エレナが入ってきた。その後ろには、まるで示し合わせたかのように、この数ヶ月で「新時代の歯車」となった面々が顔を揃えている。
手には新型の魔導測量機を抱え、さらなる輸送効率の向上を目論む技術者テラ。
帳簿と睨めっこしながら、次の商圏拡大による利益を弾き出しているジャック。
そして、新規格を「法」として盤石にするための草案を抱えた法務官カイル。
「……何の準備ですか、姉様。まだ本日の物流グラフの分析が終わっていません」
「決まってるじゃない! 西の街道の『ズレ』を直しに行くのよ!」
エレナは大剣の柄を叩き、不敵に笑った。
「測量が合わない、単位が違う、慣習が古い……。そんな理由で道が詰まってるなんて、アルスの姉として許せないわ。私が先陣を切って、道を塞ぐ岩も、凝り固まった頭も、全部まとめて斬り開いてあげる!」
「……やれやれ。力技の解決は姉様の得意分野ですが、コストがかかりすぎる」
アルスはため息をつきながらも、その口角をわずかに上げた。
「ジャック、西の村々の特産品を調べろ。流通させる価値があるなら、道の拡張を認める。カイル、反対派の地主には、例の『土地下取りと権利交換』の契約書を用意しろ。テラ、勾配三度以下のルートを再計算だ。ボルグには、追加の溶岩石の手配を急がせろ」
テキパキと下される指示。それこそが、この新しいチームの「突撃命令」だった。
アルスは立ち上がり、使い込まれたアバカスを懐に収めた。
窓の外には、どこまでも、どこまでも真っ直ぐに伸びる銀の道が見える。
「行きましょう。計算式を、世界の隅々まで届けるために」
世界はまだ、非効率と不確実性に満ちている。
北を焼き切った冬の嵐は去ったが、南には深い湿地が、西には険しい山々が、そして国中にはいまだ「古い常識」という名の魔物が潜んでいる。
だが、アルスの手元には、祖父から受け継いだ熱い設計図がある。
大叔父が守り抜き、託してくれた確かな信頼がある。
そして、この「道」を愛し、共に歩む最強の仲間たちがいる。
銀の道は、止まらない。
かつて雪に閉ざされ、捨てられた地から始まった一本の線。それが今、王国の、そして世界の形を不可逆的に書き換えていく。
若き領主が奏でる「合理」の旋律。
それは、重厚な連結馬車の轍の音と共に、新しい時代の幕開けを、どこまでも高く、力強く告げ続けていた。
アルス・ヴァン・レオンハルトの計算に、終わりはない。
なぜなら、彼が拓いたこの道は、未来という名の無限の数位へと、今もなお伸び続けているのだから。
これにて第一部を「完」とします。
第二部開幕まで今しばらくお待ちください。
更新が長らく空いてしまいご迷惑をおかけしました。
私自身も初めての作品でしたので、ストックが中々できず自転車操業になってしまいました。
アルスの物語を途中で投げ出したくはありません。
ちゃんと思っているところまで話を続けてあげたいと思っています。
では、また機会があればお会いしましょう。




