第4章:我がレオンハルトは銀の道にあり ( 16 )
北風が牙を剥き、視界を白一色に染め上げる吹雪。
それはカスティア軍が「神の加護」と信じ、レオンハルト領主アルスが「排除すべき誤差」と断じた白銀の暴力だった。
その極寒の地獄のなか、王都と北方特区を繋ぐ「銀の道」だけは、雪の中でもわかるほど、不気味な鮮やかな白い筋となって大地を貫いていた。
雪が触れた瞬間に蒸発し、路面からは常に薄い陽炎が立ち上っている。この道だけは、冬に屈することを拒んでいた。
「おい! そこの三番班、手が止まってるぞ! 溶岩石の充填が甘い! 道が冷えたら、アルスの坊主の計算が狂うだろうが!」
地響きのような怒号を飛ばすのは、レオンハルト領工兵隊総代、ボルグである。
かつて王都で「頑固すぎて石より硬い」と揶揄されたドワーフの血を引く男は今、極寒の山間部で数千人の工兵たちを文字通り死に物狂いで指揮していた。
彼の持つ巨大な建築ハンマーが地面を叩くたび、周囲の工兵たちの萎えかけた精神に活が入れられる。
アルスが敷設した「銀の道」の二車線。その路盤の下には、ボルグの提案によって特殊な熱伝導路が埋め込まれていた。
本来は雨水を効率よく逃がし、路盤の軟弱化を防ぐための排水機構である。
また、冬になると道が凍結し、車輪が滑ることを防ぐために枠が用意されている。一定間隔に炎熱魔石を嵌め込んでいくと、熱伝導路にゆっくりと熱が伝わり冬の間は道を凍結させなくする。
だがボルグは、カスティア軍の冬季侵攻という緊急事態に際し、ジャックに無理を言って調達させた低純度の「炎熱魔石」を砕き、路盤の排水のための間隙に粉として流し込むという暴挙に出た。
「無茶ですよ、ボルグさん! こんな使い方、持って来ている魔石が三日も持ちません!」
凍える手でスコップを握る若い工兵が、悲鳴に近い声を上げる。
魔石のエネルギーを強引に熱へ変換し、路面を温める。
それは資源の浪費以外の何物でもなかった。だが、ボルグは赤ら顔をさらに赤くして怒鳴り返した。
「三日持てば十分だ! 本隊を乗せた馬車が通り抜けるまで、この路面の温度を摂氏五度に保て。いいか、摩擦係数が一分でも変われば、テラの連結馬車の制動距離が伸びる。そうなれば、この過密な輸送ダイヤは一瞬で崩壊して、ただの巨大な渋滞の列になるんだぞ!」
ボルグは理解していた。
アルスが描いた勝利の方程式において、最も重要な定数は「速度」であることを。そしてその速度を支えるのは、滑らかで、決して凍りつかない路面である。
アルスに見せられた計算式が、ボルグの脳裏を支配している。
(静止摩擦力は、いかなる旋回局面においても遠心力を上回らなければならない。さもなくば供給は停止する)
「路面が凍れば、カーブのたびに連結馬車が兵士ごと谷底へダイブする。そんな醜態、俺の道で許せるか!俺の目がモノを見てるうちは、この道では誰も死なせねえぞ!」
ボルグの戦いは、剣を振るうカスティア兵との戦いではない。
降り積もる雪、凍結しようとする水、そして数千トンの物資が通過することで発生する「摩耗」という物理法則そのものとの戦いだ。
彼らは、高速馬車が通過するわずかな合間を縫って路面に飛び出し、ひび割れを埋め、冷えかけた熱源を交換する。
時速四十キロで駆け抜ける連結馬車の風圧は、立ち上がる者さえ吹き飛ばす威力がある。
その暴風にさらされながら、工兵たちは文字通り道に這いつくばって「黒き動脈」の熱を守り続けていた。
この「中路の戦い」こそが、最前線で戦うエレナに休息を与え、テラが開発した「高純度可燃石」を運び込み、カスティア軍の心をへし折る「補給の暴力」を成立させている根幹だった。
「俺らは前線には立たねえ!けどな、俺ら一人一人がヤツらを倒すための歯車なんだよ!グダグダ言ってねえで、黙って働け!少しでもミスしたヤツはさっさと交代しろ!」
ボルグの激励におうと野太い声で男たちが答えた。
「ボルグ様、伝令です! 王都管制室のアルス閣下より、『六十分後に重装歩兵本隊を乗せた連結馬車五十台が通過する。路面のグリップ力を最大に保て』とのこと!」
「……六十分だと? あの坊主、こっちの苦労も知らねえで使いやがる!」
ボルグは悪態をつきながらも、その口角は吊り上がっていた。
アルスは前線のエレナにだけではなく、この道を守るボルグにも「必勝の数字」を預けている。それは信頼以外の何物でもなかった。
「全員、道を開けろ! 炎熱魔石をもう一袋ぶち撒けろ! 王国の最強の脚を、俺たちの道で滑らせるなんてヘマは死んでもするなよ!」
工兵たちが一斉に路面から退避し、炎熱魔石の粉末が漆黒のアスファルトを白く染める。
数分後、暗闇の向こう側――南の地平線から、腹に響くような重低音が近づいてきた。
地響きと咆哮ともに現れたのは、テラが開発した鋼の板ばねを悲鳴のように軋ませる、巨大な連結馬車の列だった。
かつてない密度で詰め込まれた本隊。
彼らは暖かな馬車の中で休息を取り、温かな食事を済ませ、戦場へ到着した瞬間に万全の力で暴れる準備ができている。
その馬車が、ボルグの目の前を猛烈な風圧とともに通り過ぎていく。
漆黒の路面を力強く蹴り飛ばし、連結された車両が蛇のようにしなやかにカーブを抜けて北へと消えていく。
馬車が通り過ぎるたびに、路面からは焼けた石と摩擦の熱が混ざり合った、勝利を予感させる独特の匂いが立ち上った。
最後尾の馬車が雪煙の彼方へ消えた後、ボルグは膝をつき、路面に耳を当てた。
まだ熱い。そして、まだ硬い。
「……よし。まだ『いい音』がする。この道は、まだ死んじゃいねえ」
雪原の中に浮かび上がる、熱を帯びた黒い轍。
それは、どんな名将の華やかな戦術よりも雄弁に、王国の勝利を予言していた。
カスティア軍が信じる「冬の壁」は、アルスの計算と、ボルグの誇りと、そしてこの道を駆け抜ける「速度」によって、粉々に砕かれようとしていた。ボルグは再びハンマーを担ぎ直し、降り積もる雪を見上げた。
「さあ、行きの便はこれで終わりだ! あとは戦が終わった時に戻りの馬車に備えろ!おい!野郎ども!三日間、寝ずによく頑張ったな!しばし休憩だ!飲むぞ!」
ボルグは魔導通信機に叫んだ。
道の至るところで男たちの歓声が上がった。
北の冬を焼き切る黒い動脈は拍動を続け、夜明けに向かって、ますます激しくその鼓動を刻み続けていた。




