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第4章:我がレオンハルトは銀の道にあり ( 15 )


北の冬、その最果ての夜が明けようとしていた。



特区の校舎の最上階。

かつて子供たちが星を眺め、未来を夢見るために作られた展望台は、今や極寒の戦場を俯瞰するための冷徹な司令塔へと変貌を遂げていた。



エレナ・ヴァン・レオンハルトは、血と脂がこびりついた愛剣を、白い布で丁寧に拭っていた。


研ぎ澄まされた白銀の刀身には、松明の揺らめく炎と、それを見つめる己の瞳が映り込んでいる。

かつて「レオンハルトの戦乙女ヴァルキリア」と恐れられたその瞳は、今、これまでにない奇妙な静謐せいひつを湛えていた。



「……あり得ないわ。本当に」



独り言のように漏れた言葉は、白い吐息となって闇の中に溶けて消えた。



展望台から眼下を見渡せば、カスティア軍の陣火が雪原に点々と広がっているのが見える。五千を超えるの軍勢。本来ならば、自分たちの首を獲るために飢えた獣のように襲いかかってくるはずの、巨大な死の影だ。



だが、その灯火はあまりにも弱々しい。

北風が吹くたびに、一つ、また一つと、絶望を象徴するように消えていく。


彼らは戦う前から、飢えと寒さという「静かな死」に飲み込まれようとしていた。


対して、自分の背後――村の中央を一直線に貫く「銀の道」はどうだろうか。


深い闇の中でも、そこだけは月光を反射する大蛇のように白く輝いている。


そして、その上を絶え間なく走り抜ける多くの白い蛇のように縦に伸びた馬車の車輪の音。



「ガタゴトと……。およそ戦場に響くような音じゃないわね、これは」



エレナはふっと、自嘲気味に口角を上げ、初陣を思い出した。


最初の戦場は、常に「不条理」との戦いだった。


私は学院で戦術を学び、初めての戦場で相手をどのように殲滅するか、数を減らすかを天幕で隊長たちとともに熱く語るものだと思っていた。



戦場は私の想像を遥かに超えた。


泥にまみれた足、凍りついたパン、湿気て火がつかない薪。


重たい鎧。血に濡れた剣、槍、盾。


汗で濡れた帷子。匂いの籠った鉄兜。



そして何より、いつ届くかも知れぬ援軍と補給を待ち続ける、底なしの絶望。



兵士を真に殺すのは敵の剣ではない。

戦う前に心をへし折る、この世界の物理的な限界だった。



私の考えた戦術は、まさに机上の話だったのだ。


そこにあるのは残酷なまでの現実だった。



私はそこで思考をやめ、目の前の敵を斬って斬って、体力が尽きても、魔力が尽きても斬りまくった。



そうしたら、目の前から敵は消え、後ろには仲間が歓声を上げていた。




愛剣の整備をしながら考えていた、私は伸びをしながら思考の海から戻った。



だが、今の自分たちはどうだ。

三時間戦えば、温かな交代の兵がやってくる。

奥の食堂に入れば、ジャックがどこからか掻き集めてきた、最高級の香辛料を効かせたスープが腹の底を温める。


テラが「魔法の馬車」と呼ぶ連結荷台に揺られれば、短時間でも泥のような深い眠りに落ち、肉体の疲労をリセットできる。



あの座面の魔物には、私でも勝てないだろうな…



「アルス……あんたは、この世界から『戦いの不条理』を消し去るつもりなのね」



エレナは、愛すべき弟の姿を思い出した。



幼い頃から、を振る姉の横で、祖父の膝に乗せられて姉の振る剣圧を受けて声を上げて微笑んでいた弟。


無邪気に笑う天使のような幼子が、今や王国そのものを一つの「巨大で効率的な機械」へと作り替えようとしている。



この「銀の道」は、単なる石畳ではない。

それはアルスの執念であり、彼が信じる「数字という名の正義」の証明そのものなのだ。




だが、とエレナは視線を南、道の向こう側へと巡らせる。

この奇跡を維持しているのは、決してアルス一人ではない。この道を支える「中路」の戦いたちがいる。



「ボルグの頑固親父……。あんたが『俺の道は神様の髭剃りより滑らかだ』なんて豪語していた理由、今ならわかるわ」



ただし、貴族にはそれなりの言葉を遣なさい、と心の中でつぶやいた。



この吹雪の中、馬車が時速を落とさずに走り続けられるのは、ボルグ率いる工兵隊が命懸けで路面を管理しているからだ。


彼らは剣を持って敵と戦うよりも、鶴嘴とシャベルを持って道と戦う。一粒の雪、一片の氷が「速度」を奪うことを誰よりも恐れ、それと戦い続けている。彼らのプライドが、この道の平滑さを守っている。



「テラ……あの狂った発明家も。馬車を連結させて効率を上げるなんて、常識人には思いつかない。でも、あの狂気が、私たちの命を繋ぐ脈動リズムになっている」



直列連結馬車による大容量輸送。それがなければ、一万の敵を相手にこれほどの物量を投入し続けることなど不可能だった。



そして、ジャック。彼は本当に異質だ。エレナは、届いたばかりの物資の中に紛れ込んでいた、自分のお気に入りの銘柄の茶葉を思い出し、苦笑した。



「素材調達」という名の、略奪に近い買い占め。彼がいなかったらゲリラ戦は成功しなかっただろう。


また、彼が補給部隊を足止めして、補給線を断ち切り、侵攻予定の村という村の資源を滅した。滅したのだ。


一万の敵軍は今、武器を持つ力さえ失いかけているのは、彼らの功績が大きい。



「あいつら、本当に……救いようのない『異質な歯車』ね」



アルスという中心軸を囲み、性格も目的もバラバラな連中が、ガチリと噛み合っている。

その歯車が一つ回るたびに、銀の道に膨大な力が流れ込み、前線に立つエレナの剣に圧倒的な重みが加わる。



エレナは立ち上がり、愛剣を背中の鞘に収めた。


自分はもはや、孤独に戦う「戦神」などではない。


この巨大な「供給という名の怪物」の先端にある、ほんの数センチの鋭い刃に過ぎない。


だが、その刃が折れることは決してない。後ろに、これほどまでに強固で、温かく、そして冷徹な「計算」が控えているのだから。



「さあ、夜明けまであと少し。……アルスの計算を狂わせないように、私も私の仕事を全うしましょうか」



エレナは展望台の縁に立つと、重力を無視するかのように軽やかに雪原へと飛び降りた。



背後では、また一台、銀の道を越えて「未来」を運んできた馬車が、特区の門を潜ろうとしていた。



この物語は、まだ始まったばかりだ。



前線で耐え忍ぶ「武」の裏側で、今まさに道を、技術を、そして資源を支える者たちの物語――「中路の戦い」が、この暗闇の先で激しく、そして静かに燃え上がろうとしていた。

東の空が白み始める。





王都にいるアルスのアバカスが最後の一打を弾いた。



「――午前四時。計算終了。全軍、反撃開始」



銀の道を埋め尽くすように現れた王国の兵団が、夜明けの太陽を背に、絶望したカスティア軍へと牙を剥いた。それは騎士道の戦いではなく、構築された「システム」による必然の幕引きだった。

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