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第4章:我がレオンハルトは銀の道にあり ( 8 )



北の冬は、神が人間に与えた試練ではない。それは、生存そのものを拒絶する「絶対的な悪意」そのものである。



王国北方の辺境、カスティア領。

一年の半分を白銀の牢獄で過ごすこの地の民にとって、呼吸とは肺を凍てつかせる痛みを伴う作業であり、眠りとはそのまま死の淵を歩く行為に等しかった。



畑は石のように凍り、家畜は吐息とともに命を散らす。

だが、カスティアは滅びなかった。

彼らには、冬を凌ぐための独自の「魔導技術」があったからだ。

地下深くから掘り出される魔晶石に熱を溜め込み、極寒の夜を凌ぐ「蓄熱術式」。


それは、豊かな南部諸領が謳歌する華やかな攻撃魔法とは対極にある、泥臭く、執念深い、生き残るためだけの知恵であった。



カスティア領国境守備隊の大隊長、エーリヒ・フォン・グラーフは、二十年以上この極北の最前線で南を睨み続けてきた。



「奪えれば、この寒さから解放される」



南方に広がるレオンハルト領は、彼らにとって羨望と憎悪が混ざり合った「約束の地」だった。


凍らぬ土、黄金色に輝く麦、そして冬を「季節の一つ」として笑って過ごせる温かさ。


だが、カスティアが南へ大規模な侵攻を仕掛けることはなかった。険峻な山脈という物理的な壁、そして何より「冬」という季節が、軍隊の運用を不可能にしていたからだ。



エーリヒは、軍人である以上に現実主義者だった。


彼は数年前から、レオンハルト領に密偵――「草」を放っていた。当初、届けられる報告は失笑を禁じ得ないものばかりだった。



『レオンハルトの若き新領主アルス、無能の評を覆せず、道普請に没頭。私財を投じて石を砕き、領民に土木作業を強いている』



当時のエーリヒは、その報告書を暖炉の焚き付けにしながら鼻で笑った。


泥を捏ねて石を並べ、一度の冬で霜柱に突き破られる無駄な作業に巨額な金をかけてどうする。


すでに王都から各領に道は通っているというのに。


南の温い貴族は、土木作業を庭いじりと勘違いしているらしい。カスティアの冬を知らぬ者の、浅はかな遊戯。それが彼らの一致した見解だった。



だが、一年が過ぎた頃から、「草」が運んでくる情報の質が変容し始めた。



輸送損失トランスポート・ロスの劇的な減少。北の村から領都までの移動時間が三割短縮。雨天後も路面がぬかるむことなく、重荷重の馬車が時速を落とさず走行している』


報告にある移動速度は、平時の行軍速度を遥かに凌駕していた。エーリヒは呼び戻した密偵を、暗い執務室で問い詰めた。



「誇張ではないな? レオンハルトの道は、魔法で作られたのか?」



密偵は震えながら首を振った。


「いいえ、旦那様。魔法ではありません。ただの石です。しかし、異なる粒度の砕石を三層に重ね、排水を完璧に制御している。アルス領主は、それを『マカダム』と呼んでいました。奴らは、冬の間もその道の上を、壊れない馬車で駆け抜けているのです」



その瞬間、エーリヒの背筋に冬の風よりも冷たい戦慄が走った。


物流とは、国家の血管である。カスティアのような北国が、なぜ南部に飲み込まれずに済んできたか。


それは「冬」という天然の要塞があったからだ。雪が降れば道は消え、補給線は寸断される。南の軍隊が北上しようとしても、冬が来た瞬間に彼らは飢えと寒さで自滅する。冬こそが、カスティアの最大の防御兵器だったのだ。



しかし、もし――。もし、冬でも兵を運び、温かい食糧を絶え間なく供給できる「銀の道」が完成してしまったらどうなるか。


「天然の要塞」は、一方的な「袋の鼠」へと変貌する。レオンハルト領から、銀色の槍のような道がカスティアの国境へ向かって音もなく伸びてくる。それは領地を豊かにする血管である以上に、北の首を絞めるための「鋼のなわ」に他ならなかった。



「あのアルスという青年……無能などではない。何か強いの信念や執念を感じる。」



エーリヒはカスティアの領主、そして王都へ急使を出した。


銀の道が完成すれば、南は変わる。

南が変われば、北は死ぬ。


効率化された南の経済力と移動力に対し、耐えることしか知らない北の軍事力では、もはや太刀打ちできなくなる。


カスティア領の軍事会議は紛糾した。



「冬に山を越えるなど狂気の沙汰だ」


「積雪三メートルの絶壁を軍が超えられるはずがない」


エーリヒは拳を机に叩きつけた。


「今しかないのだ! 奴の『道』が完全に連結され、防衛体制が整う前……その起点を叩き潰す機会は、この冬しかない!」



彼には勝算があった。

カスティアが長年、生存のためにのみ研鑽してきた「蓄熱魔導」。


これを軍事転用する。熱を溜め込んだ魔晶石を鎧の内側に仕込み、雪を溶かしながら進む。

糧秣を凍らせないための専用の術式袋。

カスティアの兵士だけが、この地獄のような吹雪の中でも「動ける」のだ。



「南の連中は、今も冬に守られていると信じきっている。ましてや、今は冬本番。しかも、今年は山脈ではないところですら、大雪になっている。本国の貴族や民ですら、冬に軍隊が行軍するとは思わない。であるならば、敵国・・は夢にも思っていないはずだ。その油断こそが、我らの唯一の勝機だ」



侵攻の目的は略奪ではない。

銀の道の終着点である「北の特区」を占領し、その技術を奪い、南の物流をカスティアの支配下に置くこと。


血管を奪い、北の「耐える心」を、南を支配するための「攻める力」へと転換する。


また、レオンハルト領の北端を支配できれば、その後の侵攻の足がかりにもなる。



決行の朝。

エーリヒ・フォン・グラーフは、雪煙の向こうに霞む南の地平線を見据えていた。


背後には、白い外套を纏い、蒸気を吐き出す魔導装備に身を包んだ三千の先遣隊。


彼らは「冬」という概念を書き換えるために、絶壁の山脈へと足を踏み入れた。



「アルス・ヴァン・レオンハルト。貴公の『合理』は素晴らしい。よほど頭が切れるのだろう。だが、この世界には数字だけでは測れぬ『執念』という変数が存在する」



エーリヒにとって、この侵攻は野心ではなかった。


それは、何百年も氷の下で震えてきたカスティアという地が、ようやく見つけた「未来」を掴み取るための、必死の足掻きだった。


あの銀色の道は、彼らの生き方を否定する存在だ。

だから、叩き潰す。自分たちの「熱」が、奴の「計算」を上回ることを証明するために。



「全軍、進め。レオンハルト領へ、我らの冬を届けてやれ」



三千人は地響きを立てて、北の獅子たちが動き出した。


その先にあるのは、祝祭に沸く銀の道と、一人の青年が待つ「計算された戦場」であることを、彼らはまだ知る由もなかった。

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