エピローグ:【特集】レオンハルト領は、いかにして「飢え」を終わらせたのか
私は、王都での新聞の一つの特集記事が目に止まった。
どうやら王都通信の記者が、懐かしき、空寒い領都に取材に行ったときの記事のようだ。
我が子の忘れ形見は素晴らしい領地経営をしているようだった。
長らく帰っていない。今度孫を連れて帰るとするかの。
⸻
――パン工場と鶏舎から始まった、静かな革命
文・王都通信 記者レイン・フォルツ
領都の正門をくぐってまず目に飛び込んでくるのは、かつて小さな個人商店だったとは信じがたい巨大な建造物だ。
今では人々から半ば冗談交じりに「巨大な工場」と呼ばれるその建物こそ、レオンハルト領の食糧事情を一変させた中核――マルクのパン工房である。
「一年半前です。正直、あの命令を聞いたときは、なんて理不尽なと思いましたよ」
そう語るのは工房の主、マルク氏だ。
当時、彼は個人経営のパン屋で、1日に20個、多い時で40個ほど焼いていた。
そこに領主アルス・ヴァン・レオンハルトから「北の第一村へ、毎日三百個のパンを届けよ」という前代未聞の特命がやってきたのだ。
「もちろん、最初は寝る時間もなくてね。今は主戦力となっちゃいるが、うちの倅も無理やり王都から呼び出して、家族総出でとにかくパンを仕込んでは焼いて……そのときは、店を畳むことまで考えました。でも……」
マルク氏はそこで言葉を切り、工房の奥に並ぶ巨大な回転式オーブンへ視線をやった。
「閣下は、俺に『やれ』と言うだけじゃなかった。設備と仕組みを一緒にくれたんです」
アルス領主は、最新式の大規模回転オーブン導入資金に加え、工程管理表という当時としては画期的な生産管理手法を「投資」として提供した。
それだけではなく、アルス領主は人手も増やした。
近隣の村や領都で口減しの為に売られていた奴隷を買い、自らの館で礼儀や衛生教育をしてからマルクに貸し出した。
その結果、マルクの工房は領内での食糧の需要を一手に担う大工場へと成長。「レオンハルト・ブレッド」の名は、保存性と滋味深さで遠方の商人にまで知られるようになった。
マルス氏謂く
「閣下がいなければ、うちの店が大きくなることもなかったし、こんなにも領都が栄えることもなかったろう。働いてくれた奴隷たちも勤勉で、なにより『フクリコウセイ』という新体制のおかげで職場が明るい。たくさん働いて、領都に恩返しをしたいと思っている。」
⸻
一方、領主館の裏手では、もう一つの変革が静かに進んでいた。
一年ほど前から段階的に拡張されてきた大規模鶏舎である。
最近ではここから最高品質の卵が王都にも運ばれ、簡単には手に入らない金額で取引されている。
鉄製の犂による土壌改良が進められていた同時期、アルス領主は密かに「家畜再生計画」を進めていたという。
「牛や馬は時間がかかる。しかし鶏は違う」
側近のセバス氏は、当時の言葉をそう振り返る。
「卵は貴重なタンパク源で、糞は肥料になる。閣下はそれを“生命の複利”と呼んでおられました」
養鶏のノウハウは、真っ先に北の第一村へと伝えられた。
麦の収穫で余った殻やクズを餌とし、その対価として生まれる卵は、かつて飢えに苦しんだ村人たちの命を支えた。
たまたま領主館に報告に来ていた北の村の村長は当時の話をやや恥ずかしげに振り返った。
「まず私たちの村に鶏が来た時は、閣下に感謝して、その場で捌いて食べようと思いました。当時は今では考えられないくらい空腹でしたから……しかし、閣下にその場で止められました。」
鶏と一緒に荷台に積まれていたパンを差し出してこう言ったそうだ。
「肉を食べるのは今できるが、この鶏はまさに『金の卵』を産む。今は空腹を我慢して、パンを食べろ」
私は鶏が金の卵を産むわけないだろうと思ったが、アルス閣下がそういうのであれば、本当に産むだろうと思った。
と村長は語った。
⸻
この日、取材の席でアルス領主は、焼きたてのパンと半熟卵を前に、こう語った。
「味は信用だ。このパンと卵を、商隊にも積極的に売り出す」
だが、その直後、彼の視線は窓の外――泥に足を取られ立ち往生する荷車へと向かった。
「生産は整った。だが道が、富の流れを止めている」
現状の街道では、卵の一割が運搬中に破損するという。
「資産が摩擦で失われている」と、領主は冷静に分析する。
机上に広げられたのは、精密に測量された領地全図のようだった。
なにやら数字や記号で埋められていたが、詳しく見る前に閉じられてしまったが…
「次に壊すのは“距離の檻”だ。排水を考慮した高規格道路を敷き、荷車には衝撃を吸収する構造を持たせる」
人手と費用の問題を問う声に対し、領主は即座に答えた。
「道は百年先まで富を運ぶ。これは消費ではなく、投資だ」
さらに彼は、不正徴税官や旧勢力の残党を公共事業へ再配置する構想も明かした。
「奪われた富が通る道を、彼ら自身に作らせる。それが再定義だ」
⸻
一瞬しか見えなかったが、アルス領主の描いた地図を、私は鮮明に覚えている。
地図の上に引かれていく新たな道路網は、まるで領地に血管を通すかのようだった。
書いてある文字はまるで魔術のようであり、描いた道路により東方で聞く『魔法陣』のようだった。
「腹は満たした。次は、この領地の血流を最速にする」
その言葉通り、レオンハルト領の改革は、食から物流へと確実に次の段階へ進んでいる。
澄んだ空に鶏の鳴き声が響いていた。
それは、この領地に訪れた「新しい日常」の象徴のように、いつまでも耳に残った。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
申し訳ありませんが、ストックが尽きましたので、更新は来月から再開させたいと思います。
最初の方の文も改めて読むとなかなか芳ばしい仕上がりになってましたので、少し変えると思います。




