第3章:死にゆく領地の解剖図 ( 4 )
「薬草を捨てろとはどういうことだ! 俺たちの夢を奪う気か!」
「伝統ある税の仕組みを壊して、得体の知れない数式で俺たちを縛るつもりだろう!」
広場を埋め尽くす領民たちの怒号が、冷たい冬の空気を震わせる。
アルスは演説台の上に立ち、騒然とする群衆を見下ろしていた。
隣に控えるセバスの顔は緊張で強張り、今にも暴動が起きかねない空気に、護衛の手が剣の柄にかかる。
アルスは深く息を吸い、声を張り上げた。
「静粛に! 私は、この領地の『致命的な病』を治すためにここに立っている。……いいか、今、この領地からは『人』が消え続けているんだ!」
アルスは、執念で作成した巨大な人口分布の図表を掲げた。
そこには、歪なほどに細り、底が抜けた人口のピラミッドが描かれている。
「過去五年で、この地の乳幼児の生存率は激減した。働き盛りの男たちの二割が消え、新しい命の産声はこの二年間、一度も響いていない村すらある! これはバルトロが課した過酷な労働と、貧しい者からより多くを奪う『逆進性』という病の結果だ。このままでは、十年後、この領地に耕す手は一人も残らなくなる!」
アルスは、現代的なリスクマネジメントの観点から、人口を「失ってはならない資本」として語った。
だが、その言葉は空しく広場を滑り落ちていく。
「シホン……? なんだその得体の知れない言葉は!」
「俺たちを物のように扱いおって! 資本だと? 俺たちは生きてる人間だぞ!」
一人の男が叫び、群衆がそれに同調する。
彼らにとって、アルスの語る統計学的な「人災」は、自分たちの血の通った生活を無視した、冷徹な理屈にしか聞こえなかった。
「違う、そうではない! 人口が減れば、残された君たちの負担がさらに増える。だからこそ、私は複雑な税を廃止し、所得に応じた透明な税制に変えると言っているんだ。稼ぎの少ない者は免税し、次世代を育てるための『共同投資』として――」
「『共同投資』だと!? 笑わせるな!」
ロレンツが差し向けた煽り手が、群衆の中から声を張り上げた。
「閣下は、俺たちが努力して稼げるようになったら、そこからごっそり奪うつもりなんだろう? 『累進』とかいう得体の知れない言葉で、俺たちの頑張りを否定する気だ! 昔からの税のやり方なら、どこに何を出せばいいか分かっていた。閣下のは、俺たちから考える力を奪うための罠だ!」
「そうだ! 薬草だって、王都で高く売れれば、俺たちは一気に金持ちになれるはずだったんだ! 麦なんて時代遅れのものを作らせて、俺たちを貧乏なまま閉じ込めるつもりか!」
「……待て、話を聞け!」
アルスの叫びは、波のような罵声にかき消された。
彼には見えていた。このまま薬草栽培を続ければ、外部の商人に首を絞められ、飢饉が来れば全滅するという未来の数式が。
だが、領民たちが求めているのは、数年後の生存ではなく、明日手に入るかもしれない「黄金の夢」だった。
「情報の檻」は、単に知識を隠すだけでなく、領民の思考を「今、この瞬間」だけに縛り付けるという副作用を伴っていたのだ。
「閣下……これ以上は危険です」
セバスが必死にアルスの袖を引く。
演説台から降りるアルスの背中に、泥混じりの溶けた雪が投げつけられた。
厳しい冬が明け、芽吹の春はそこまで来ているが、今日は少し雪がちらついている。
この領地の冬は厳しく、長い。
執務室に戻ったアルスは、汚れを拭うこともせず、机に突っ伏した。
「……セバス。正論が、これほどまでに届かないものだとはな」
「閣下の仰ることは正しい。ですが、彼らにとってその『正しさ』は、慣れ親しんだ地獄よりも恐ろしい『未知の呪い』に見えているのです」
アルスは、震える手で書きかけの新税制の草案を見つめた。
透明な統治。情報の公開。その理想を掲げた刃が、今、自分自身の首を絞めようとしていた。




