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境界の灯  作者: えるま
境界の灯

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第八話

 フィオナは昨日モフモフから聞いたことを思い出しながら、一つずつ丁寧にエリオットに説明した。時折、モフモフが彼の口を借りて注釈を挟む形で、ぎこちない会話が続く。

「……つまり、僕は事故でこんなことになったっていう事?しかも魔族に?」

 冗談でしょう?そう言いたくてフィオナの顔を覗き込む。しかし彼女の表情はそれを否定したように静かなままで――。エリオットの顔からさっと血の気が引いた。


 自分の記憶がない間に、体を好き勝手に使われていた事実に衝撃と絶望を覚えた。

 先ほどまで懸念していた事はもう起こっていた後だったなんて――…目を伏せ、頭を抱えた彼の肩はわずかに震えている。

「で、でもね。モフモフは別にエリオットの身体を悪い事には使ってなかったよ。」

 フィオナは慌ててフォローするように言葉を重ねた。

「自分は人間の作法が分からないからって、食堂に行くのも控えていたの」

「人間の……作法?」

 エリオットの頭に浮かんだのは、犬のように皿に首を突っ込んで食べる自分の姿だった。

 想像するだけで血の気が引くが、同時にこの得体の知らない魔狼が意外と常識的だったことに少しだけ安堵してしまう。


 フィオナは、そんなエリオットを静かに見つめていたが、やがて柔らかな声で言った。

「……多分、ここからはエリオットとモフモフで話し合う必要があると思う」

 そう言いながら、彼女はエリオットの手を両手で包み込むように優しい力で握りしめた。

「心配な事が多いと思うけど、もし生活面で不自由があったら教えて。私もできることがあるなら何でも協力するから」

 フィオナの優しい微笑みに、震えていた肩が少しだけ落ち着きを取り戻す。

「……ありがとう、フィオナ」

 彼女の言葉には漠然とした不安の中に小さな光を灯していた。


 エリオットは食堂で簡単に朝食を済ませると、今日から働くことになる駐在所へ足を向けた。まだ朝の空気は冷たく澄んでいて、道を歩く彼の足音が静かに響いている。


 しかし、周囲に誰もいないことを確認した途端、彼の口が勝手に動き出した。


「……ここからはフィオナに伝えていないことだが」

 低めの声で語り始める口の動きに、エリオットは眉を顰める。いつもの自分の声よりも少し低い響きが、余計に自分の体が自分以外の意思で動かされている感覚を強め、正直不快だった。

「昨日、この魔法のスクロールを確認した。俺の回復がこの魔法の目的になる。回復方法はお前の体内の魔力を用いて……――」

 そこで、モフモフの言葉が一瞬途切れる。エリオットの体内に意識を向けたらしい。

「いや、ちょっと待て。お前剣士なんだよな?なんでこんな魔力貯まってんだよ?」

 少し驚いたような声が、彼の口を通じて響いた。

「しかも質も良い……」


 勝手に話し出す声に、エリオットは深く息を吐き、苛立ちを抑え込んだ。

「悪いけど、僕自身の事を話すつもりはないよ」

 言葉少なに、彼は体内の存在に拒絶の意思を伝える。

 たとえフィオナが信頼を示してくれたとしても、相手は魔族だ。この状況で信じ切れるはずがなかった。

「ふーん、ま、別にいいけどな」

 つまらなそうに答える声が自分の口から出てくるのを聞いて、エリオットはさらに眉をしかめた。


「ともかく、スクロールをざっと確認したが、俺が回復したら、この魔法は効果が切れる。それまでこの状況が続くだろうな」

 モフモフの言葉が終わり、しばらく二人の間に沈黙が訪れた。その沈黙を破ったのは自分の口から洩れた大きなため息。

 それがどちらの意思によるものか、あるいは両方なのか。――わからない。

 ただ、この奇妙な同居生活が続くことに彼は早くも嫌気を覚えていた。


 駐在所に到着すると、責任者である隊長のロウェルがエリオットを出迎えた。

「お前が新しく赴任してきたエリオットだな?俺はここを任せられてるロウェルだ。こんなド田舎で驚いただろう?今日からよろしくな」

 そう言って右手を差し出す。エリオットは自分よりも大きく、しっかりとした体つきでフランクに接するロウェルに圧倒され、緊張しながらも自分も手を差し出し、握手をした。

「ロウェル隊長……、こ、こちらこそ、今日からよろしくお願いします」

 大きな手に触れると、手のひらにゴツゴツとした感触が伝わる。

(すごいタコの数だ……)

 指の付け根から、手のひらにかけて隆起した無数の跡。

 相当剣を握り、戦わなければ、こんなにタコはできない。

(一体この人は、どれだけ……)

 伺う様にロウェルを見上げるとロウェルは「ん?」と軽く眉を上げ、視線を合った。

「どうした?俺の顔になんかついてたか?」

 冗談ぽく笑いながら言う彼に、エリオットは思わず恥ずかしそうに目を逸らせた。その様子に思わず、ロウェルは含み笑いをしてしまった。

(……こりゃあ、からかいがいのあるやつが来ちまったな)

 笑いながらエリオットの肩に腕を回し、気にするなとでも言う様にポンポンと軽く叩く。

「……とりあえず、お前が今日から使うロッカーに案内するぞ?」

 気を使われたのが分かったのか、エリオットは赤くなりながら、小さく「はい……」と蚊の鳴くような返事しかできなかった。


 案内されたロッカーに荷物を預けると改めて駐在所の施設を案内され、歩きながら業務の内容について説明された。

「地図を見りゃあ分かるだろうが、ここは丁度魔物の生息地と人里との境目にある。基本的には境界に侵入してきた魔物の討伐、あとそれを防ぐための見回りってとこだな」

 説明を受けながら、エリオットは施設の中を見回す。

 (……他の兵士が見当たらない?)

 不思議に思った彼は思わず疑問を口にした。

「……侵入してくる魔物は、やはり多いのでしょうか?」

 ロウェルは「うん?」とエリオットの方を振り向いた。

「あぁいえ、先ほどから他の方を見かけないので」

「その事か。いや、最近じゃ毎年の事なんだ。秋口は冬眠の為に動物が食料を蓄えるんだが、山の方が不作らしくてな。それで野生動物や魔物もこの時期食料探しで山から下りてくる。人里にまで入り込まないように今の時期、見回りで人を割いているんだよ。」そう言ってロウェルは頭を掻く。

「魔物を使役する魔族が少なくなったおかげで、人的被害は少なくなったんだがノラの魔物が増えすぎて、これはこれでなかなか骨が折れるんだ……とりあえず、しばらくの基本業務はそれになる。頼むぞ、エリオット」

 ロウェルからそう言われたエリオットは背筋を伸ばし、拳を軽く握ると「はい!」とまっすぐに返事をした。


「まぁ、あとは境界にある堀や壁の維持管理のための見回り、場合によっては補修。それから近隣で起こった事件の担当捜査ってとこか」

「いろいろな業務があるんですね」

「あぁ、ここは結構辺鄙な場所にあるから、唯一の行政機関も兼ねてるんだ。あんな感じで近隣住民も困りごとがあるとここに来るんだ」

 ロウェルがほら、と親指で軽く指した方向を見ると、窓口に老人や若い女性などが数人いた。

「……あんな風に困りごとや申請でここに来る人間は多い。去年一番の大事は老人たちの家の雪かきだったな。建物も古いから倒壊の危険もあって隊員総出で行ったんだぜ?」

 ロウェルはその時の事を思い出しながら、乾いた笑いを浮かべた。

(魔物の討伐より大変だったんだろうな……)

 ロウェルの表情を見てエリオットは、作業の過酷さを想像して思わず苦笑いをした。


 一通りの案内を終えて、彼らは人のいない待合スペースのベンチに腰を下ろした。

「まぁ、大まかな案内は終わったかな。疲れただろ、これでも飲んで一息付け」

 ロウェルはスペースに常設のポットから、コーヒーを注ぐとエリオットに差し出しだす。

「ありがとうございます」

 エリオットは丁寧に礼を言いながら、渡されたカップを受け取った。

 暖かい湯気と共にコーヒーの香りが立ち上り、緊張していた気持ちが少しだけ落ち着く。

「さっきも言ったが、住民から要請があれば俺たちは出動することになるし、魔物がくれば討伐に向かうことになる。」

 ロウェルはコーヒーを一口飲んで、少しだけ息を吐く。

「……そっちの方は、おいおいやることになると思うから、とりあえず当面は日常業務に慣れてから、ってとこだな。……ここまでで分からないことはあるか?」

 そういってロウェルは湯気が立ち上るカップを机の上に置くと正面のエリオットに笑いかけた。


 一方エリオットは緊張がほぐれて落ち着いたからか、すっかり忘れていた今朝の出来事を思い出して暖かくなっていく指先とは裏腹に心はどんどん冷たくなっていった。

(……魔物の討伐の件なんて、魔族であるモフモフが口を出したい話題なんじゃないか?)

 今は忘れていたほど静かだが、朝の時のように勝手に口が開き、声帯を使われたらと思うとゾッとする。

(そもそも、僕はあの魔族の事を何も知らない。どこから来たのか、何の目的であそこに来たのか……何もわからないから、こんなに怖いんだ)

 エリオットは手元のコーヒーを見ていた視線を上げ、意を決してロウェルの方を向く。

「……業務の方は大体わかったんですが、このあたりの事を聞いても良いですか?」

 おずおずと口を開いたエリオットに、ロウェルは緊張をほぐすように軽く笑う。

「そんなに緊張しなくても良いぞ?それで?何が知りたい?」

 エリオットは唾を飲んだ。もう口から出てしまったものは戻せない。

「……先ほど、魔族が少なくなったと隊長は言っていましたが……」

 人のいないこの空間に自分の鼓動が聞こえてしまうのではないかと思うくらい心臓がばくばくと早鐘を打ち始めた。

 自分の中にいる魔族が邪魔をしないか探るように少しずつ声を出していく。

「隊長は、その、魔族を見た事はありますか……?」

 心を落ち着かせるためにコーヒーを飲みながら、自然に話そう努めたが、彼の声はわずかに震えてしまった。


「あぁ……そんな事か。」

 ロウェルは、特に驚くこともなくコーヒーを一口啜る。

「ここに来る前、俺は魔王討伐隊の一員だったからな、見たどころか一度やり合ったぞ?」

 エリオットの懸念に反して、ロウェルは何でもないようにさらりと答える。

(討伐隊と言えば、近隣諸国から選抜された兵士の合同隊だったはず…どうりであんなに手がタコまみれだったんだ!)

「す…すごいですね。じゃあ、この辺りに出現していた魔族は魔王に近い魔族だったんでしょうか?」

 それなら魔族にも詳しいはずだと、エリオットは少し食い気味に質問を重ねた。

 ロウェルは、食いつきの良くなったエリオットの態度に少し笑いながら首を傾げる。

「妙に聞いてくるな……なんだ?魔族に興味でもあんのか?」

「い、いえ!知り合いがだいぶ前に、狼のような魔族を見たと言っていて……だいぶ前なので、魔王が討伐される前の事かもしれませんが」


 ロウェルは「へぇ、狼……」と目を丸くして小さく呟いた。

「そりゃあ、その知り合いは運が良いな。その魔族は恐らく魔王フェンリルだろう。ここいらで狼型の魔族は、アイツしかないからな」

 それを聞いた瞬間、エリオットは「えっ」という小さな声が漏れた。

 彼の背筋を冷たいものが走り、心臓が一瞬、止まった気がした。


 ロウェルは周囲を軽く見回し、誰もいないことを確認すると、声を潜めてエリオットに顔を寄せた。

「……あと、これは部外秘だから口外してほしくないんだが……」

 エリオットは恐怖で歯がガタガタと震えそうなのを奥歯をかみしめて必死にこらえた。

 やっとのことで息を吐いて、頷いた。

「魔王フェンリルは討伐されていないんだよ。」

「ど、どういうことですか……?」

 ロウェルは少し顔を顰めた。

「魔王の根城が特定されてから、俺たち討伐隊は他の地域で調査や魔族との戦闘をしていた隊を招集して一気に奇襲をする作戦だったんだが、いざ行ってみれば辺りは火の海。魔族たちの焼死体がそこら中にごろごろ転がっていた。後から改めて現場検証をしてみれば、大型魔族の死体は鳥型の魔族のみ」

「鳥型……?狼型、ではなく?」

「あぁ、その魔族はフギン――魔王フェンリルの側近で魔術の扱いに秀でた鳥型魔族だ。フェンリル本体の遺体は最後まで見つからなかったんだよ。」

 エリオットの鼓動はますます速くなり、全身に嫌な汗がにじむ。

(……僕にとり憑いている、この魔族は……いや、そんな、まさか)

 ロウェルは怯えた表情になった彼を見て、苦笑しながら肩をすくめた。

「……どうやら怖がらせすぎちまったな。悪い。でも根城の件は魔族同士の争いが原因で側近はいなくなった。ほかの仲間も根城にいた魔族でほぼすべて……生きている可能性は、限りなく低い筈だ。」


 軽く笑うロウェルの声が、エリオットの耳にはやけに遠く感じた。

 未だに何も発しないモフモフの沈黙が、彼をますます不安にさせる。

「……そう、なんですね。」

 エリオットは絞り出すような声で、無理に笑みを作りながら答えたが、その手は依然として小刻みに震えていた。



「隊長、こちらにいらっしゃったんですね。お電話です。」

 職員から電話の呼び出しを受け、ロウェルは立ち上がった。

「少し待っててくれ」

 そう言い残して事務所へ向かうロウェルの背中を見送る。

 窓口の受付時間も過ぎて、人の気配もしなくなった待合スペースはエリオットの心を一層不安にさせた。


 気を逸らそうと、カップに残ったコーヒーを飲み干そうとした瞬間、突然、酷い耳鳴りに襲われた。

「……っ!!」

 弾みでカップからコーヒーが少し零れる。

 まるで、古いラジオをチューニングが狂ったように、雑音が波打ち耳を突き刺す。

 次第に酔ったような気持ち悪さを感じ、身を屈め、目を閉じて額を押さえる。


 耳鳴りがやっと収まったと思った刹那、頭の中に声が響いた。

『……エリオット?』

 ノイズ交じりの低く、良く通る声が頭の中全体を震わせるように広がる。

 自分のものではないこの声に、心当たりは一つしかない。


『聞こえてるか?』

 ノイズが消え、はっきりとした声を聞いた瞬間、エリオットは目を見開いた。

「ひっ……」と喉が詰まり、息がうまく吸えない。

『……その様子じゃ、聞こえてるみたいだな?』

 声はあざ笑うような調子で語り掛けてくる。

『いちいちお前の喉を使うのも面倒くさいからな、少し弄ったぞ?』

 その言葉にエリオットは息を呑んだ。

 喉に触れても朝のように勝手に動いていない。

 耳を塞いでも笑い声が消えない。

(これは外からの音じゃない……)

 頭の奥で声が響いていた。

(この声は……僕の頭から??)

 知らない所で弄られてしまった何かを知りたくて「何を?」と問い返そうにも、笑い声がそれを遮った。

『……それにしてもエリオット、お前、俺に朝言っていただろう?自分の事を話すつもりはないってよ』

 ケラケラと笑う声が、エリオットの意識の内側に響く。


『だけど、お前は俺を探ってる。なぁ?』


 その一言で、エリオットの背筋に寒気が走った。

 鳥肌が立ち、全身から血の気が引いていくのが分かった。


『これは不平等だよな?』

「……そっ、それはどういう意味だ?」

 ぎこちない声で問いかけるが、頭の中のモフモフは愉しげに笑うだけだ。

『いや?覚えておけよって事だよ』

 エリオットは呼吸が荒くなる。

 恐ろしさで震える体を押さえる様に腕を回し、蹲った。

 ぎゅっと目を閉じる。

 やがて――声は頭から次第に消えていった。


 しかし、静寂の中でもエリオットは気づいてしまった。

 モフモフは確かにここにいる。


 ――逃げ場がない。


 声を遮る事も聞こえないふりもできない。


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