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境界の灯  作者: えるま
境界の灯

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第五話

 モフモフの胸に、フィオナの口から洩れた”家族”という言葉が小骨のように深く突き刺さり、心をざわつかせた。

 それは暖かい響きではあるが、同時に彼にとっては自分が彼女に抱いていた感情と、彼女が自分に向けていた感情の違いをはっきりと明示する言葉だったからだ。


 モフモフは、胸が締め付けられ苦しくなっていく。徐々に冷え切っていくことを嫌でも感じてしまった。

(”家族”……。おまえにとって俺はただの”子狼”でしかない……)


 そして彼の冷え切った心は、再び人間の、エリオットに対する妬みが燃え上がり始めた。ずっと分かっていたのだ――エリオットの目を通してみたフィオナの表情が、明らかに自分に向けていたものとは違うことを。同じ笑顔でも愛おしさの種類が違う事も、頬の赤らみも、瞳の輝きも、全てが違うことを知ってしまったのだ。


 今、自分の手には偶然にもエリオットの身体がある。フィオナの目の前にいるのは彼女がそうした特別な感情を向けている“エリオット”」そのものだった。


(フィオナ…お前が思っているよりも、俺はずっとお前の事を――…)


 モフモフは、目の前にいるフィオナを見つめた。その視線は真剣で、どこか切なさを秘めている。

「……フィオナ、きっとお前は今、幼馴染の男がわけのわからないことを言い出したと思っているだろう?」

 エリオットの姿をした彼は、低い声でそう切り出した。

「いきなり、自分が家族のペットだって言われたら、誰だって混乱する。」


 その言葉にフィオナはさらに困惑した。彼が何を言いたいのか理解できないまま、ただ彼の姿を見ることしかできなかった。口を開こうにも何を聞けばいいのかも分からない。


 モフモフはフィオナの姿を一瞥すると、自嘲的に笑った。

(家族のペット。……あぁ、きっとお前はそう思っていたんだろうな。)

 彼はフィオナを強く責めるつもりはなかった。彼女を傷つけるつもりはない――ただ、自分の存在を伝えたかった。それがどれだけ難しい事でも。


 モフモフは、困惑しているフィオナの体を優しく支え、彼女を起こした。軽く乱れた彼女の髪を整えようと手を伸ばしかけるが、視界に映った自分のものではない手に気づき、開きかけた手は少しずつ閉じていった。視線を閉じていく手を見つめながら、少しだけ下げる。


「……そうだな、エリオットが分からないことを話せばフィオナは信じてくれるか?」

 そう言いながら、頭を上げてフィオナの目を真剣に見つめた。

「えっと……エリオット?」

 フィオナは自分自身の事をまるで他人のように話す目の前の人物を確かめる様に彼の名前を呼んだ。その声には、ほんの少しだけ迷いが滲んでいた。

 しかし、モフモフは彼女の呼びかけに軽く首を振り、優しい口調で否定する。

「だから、俺はエリオットじゃないよ。」

 悲しそうに笑いながら、モフモフは覚悟を決めてゆっくり息を一度吸うと口を開いた。


「……そう、だな。それこそ3年前――」

 モフモフは目を伏せた。当時の事を思い出しながら語るその声は低く、どこか懐かしさを滲ませている。

「俺がこの宿屋にやっとのことで辿り着いたときの事だ。丁度天気が荒れていて、俺は濡れて弱りきっていた。……そんな俺を、フィオナたち家族が迎えてくれたんだよな。」

 そう語りながら、彼はそっとフィオナの背を撫で始めた。

「……こうやって元気になって、大丈夫だから、頑張って、って」

(どうして、その事を知っているの…?)

 その時その場にいたのは、自分と母親とモフモフだけだった。誰かに話したこともない。擦られる背中から感じる安心感とは裏腹にフィオナの心臓の鼓動は速くなっていく。

 フィオナは目の前のエリオットを驚きの表情で見つめた。

 その視線に気づくと、モフモフは優しく微笑んだ。

「……俺が大きくなったら森へ帰すんだよって、フィオナのお母さんから言われた時、お前、悲しそうな顔をしてたよな。」

 名残惜しそうに、静かに身体を離しながらモフモフは苦笑いをする。

「だから俺、一生このまま、子狼の姿でいいやって思ったんだぜ?」

 フィオナはその言葉を聞いて息を呑んだ。目の前のエリオットの姿をした人物が語る、本人は知りえない記憶。それは正しく確かにあった出来事だった。

 そんなことある訳ない。信じられない、でももしかしたらと躊躇いがちに口が開いた。

「……モフモフ?」

 彼女の震える声に、モフモフは息を呑んだ。心臓が高鳴り、全身が熱を持つような感覚に襲われた。嬉しさで今すぐにでも触れたくて、抱きしめたくて仕方なかったが、フィオナを怖がらせたくない一心でその衝動を押し留めた。深呼吸をして、いつの間にか握りしめていた拳の力を解いた。


「……いつまでもこうしちゃいられないだろ?」

 モフモフはフィオナの髪を名残惜しそうにそっと撫でると、立ち上がり、彼女にも立ち上がるよう手を差し出した。

 フィオナは少しだけ躊躇しながらもその手を取る。その小さな手が自分の存在を認めてくれたような気がしてモフモフは喜びをかみしめながら、彼女をゆっくりと立たせた。

「……後で話そう」

 そう告げると、彼は散らばった日用品を袋にまとめ始めた。ひとつ、ふたつと拾っていく自然な動きに、先ほどまでのやり取りが、全て幻だったのではとフィオナは思ってしまう。

 彼は淡々と作業を終えると、何事もなかったかのように荷物を片手に宿屋に入っていく。

 入る間際フィオナを軽く一瞥すると、早く入るようにとでも言う様に扉を開けたままにして、エリオットの部屋がある二階へ向かって行った。


 まだ頭の整理ができていないフィオナは宿に入っていく彼の背中をじっと見送った。先ほどまで家族を必死に探していた焦りは、今はもう影も形もなかった。

(彼は、本当にモフモフなの……?)

 けれど、モフモフは自分の知る限り、ただの狼だった。小さくて愛らしくて、時折気まぐれでこの宿屋の周辺を散策していた、大切なフィオナの家族だったけれど人間の姿になるなんて思ってもいなかった。まして昨日引っ越してきた幼馴染のエリオットと同一人物だなんて、到底信じられる話ではない。けれど――

(……エリオットに伝えていないことを知っていた。)

「偶然、じゃない……よね」フィオナは自分自身に確認するように声を出した。


 フィオナの中で先ほどまでのやり取りを思い出す。3年前の記憶、モフモフを家族に迎え入れた日、母が話した言葉。それらはエリオットに話した覚えは一度もなかったはずだ。それなのに、目の前の彼はそれを知っていた。


 しかも事実、昨日からモフモフの姿を見かけていない。気まぐれな性格だから、晩御飯時になればひょっこり戻ってくるだろうと深く気にしていなかった。けれど、こんなに長い間見かけないことは一度もなかった。

 だからこそフィオナは、不安に駆られて仕事の空き時間を見計らって外に探しに回ろうとしていたのだ。まさかそれがこんな状況になっているとは思ってもいなかったが。

 胸の奥で、まるで大切な何かが少しずつずれていくような、もやもやとした重苦しい感覚が広がっていく。


「フィオナちゃーん!」

 宿の中からお客さんの声が聞こえ、フィオナはその声にハッと現実に引き戻された。

「あっ、はーい!」

 慌てて返事をしながら、彼女は足早に宿の中へと戻って行った。


 今は分からないことばかりで不安が募る。けれど、彼は話すことを約束してくれた。エリオットの姿をしてはいたが、自分に対しての態度や起き上がるときに差し伸べてくれた手――…今はそれを信じるしかないのかもしれない。

 まずは目の前の事からしっかりしなくちゃ―そう自分に言い聞かせるように、フィオナは足を前に踏み出した。



 モフモフは部屋に入ると、ドアをそっと閉めてその場に立ち尽くしていた。先ほどフィオナの髪に触れた右手をじっと見つめる。

(フィオナに、伝えられた――。)

 触れた熱を逃がさないように右手を握りしめる。胸の奥に小さな炎がともるような感覚がした。これはエリオットの身体で、本来ならば決してやってはいけないことだと理解している。フィオナを困惑させるだけでなく、エリオットに対しても本人の承諾もなく勝手に身体を使っているという事がどれだけ罪深い事か分かっている。ただ、それでも――。

(触れられた。話せた……俺自身の思いを、伝えられたんだ。)

 狼の姿では伝えられなかった、叶わなかった願いが今エリオットの身体を借りて初めて実現したのだ。

 この身体の主であるエリオットの為にも、一刻も早く自分はここを出るべきだ。それが分からないほど愚かではない。だが理性とは裏腹に、指に触れたフィオナの髪の感触やお互いが重なった時の熱がどうしようもなく、この身体を手放したくないという強い感情が芽生え始めていた。

 モフモフはため息をつきながらベッドに腰を下ろすと、無意識のうちに右手を抱きしめる様にして身を丸めた。

(もう少しだけで良い……もう少しだけ、このままでいさせてくれ)

 握りしめた手の中には、フィオナの温もりが残っている気がした。自分の思いを伝えられた喜びと、この身体を離れるべきだという葛藤の狭間で彼は息を殺すように、そっと目を閉じた。

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