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境界の灯  作者: えるま
第三章

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第二話

 ロウェルは窓の向こうの景色を遠い目で眺めながら、懐から煙草とライターを取り出した。

 なるべく手元の書類の山からは目を外して、現実逃避をするようにライターの火をつけようとした瞬間—―。


「おい。」


 低く冷たい声が背後から響く。

 ロウェルは顔を引きつらせながら振り向くと、仁王立ちで立っているエリオット――ではなく、彼と共生している【魔王】フェンリルがロウェルを鋭い目で睨みつけながら立っていた。


 (あぁ……、もうそんな時間だったか。)

 認めたくなかった現実を一緒に実感してしまったロウェルは渋い顔になっていく。

「……お前、こいつに仕事させといて自分はサボりか?」

 親指で自分を指しながら、フェンリルは口の端を上げた。

 その声には怒りと呆れが混ざっている。


 ロウェルは、普段真面目なエリオットならば、絶対にしないであろう表情をするフェンリルに疲れた笑いを向けると、そのまま大きくため息を吐きながら頭を抱えこんでしまった。


「大体、何で俺たちがフギンの墓参りが終わって、いざお前に報告に行こうとした途端いなくなってるんだよ。」

 ロウェルのいつもと違う挙動に若干引きながらフェンリルは尋ねる。


 フギンの墓参り後、ロウェルに一連の報告をしようと執務室に通うも、用事で外出中だと連日伝えられた。

 エリオットからは「忙しいんだよ。」と宥められたが、つい数日前からロウェル直々に仕事の助けを求められ、人のいいエリオットは快く引き受けていた。

 流石に納得がいかないフェンリルは、エリオットの仕事の目途を見計らって、こうして一言文句を言いに来たのだ。


「……秋は人間が動きやすい時期だろう? だから、なにかと集まりが多いんだよ。」

「この紙の山もか?」

 フェンリルは、机に築かれた山を指さした。

「これは……。」

 ロウェルは頭を抱えた指の隙間から、机の上の現実を覗き見ると、すぐに目を閉じた。


「……半野生動物化している魔物は冬眠するだろ?」

 ロウェルは重々しい口を開く。


「—―つまり、この駐在所は冬は雪かきの依頼が来なければ閑散期……だから雪かきの依頼が来る前に備品やら修繕やらの確認と必要費用を計算して、中央に補助金の申請書類を作るんだよ。」

「そのホジョキンは知らないが……。」

 フェンリルは怪訝な顔で窓の外を見る。

 先ほどの説明通りなら、雪が降る前に書類仕事を終わらせる予定の筈だが。


「……雪が、積もっているな。」

「今年は予定より早く降ったみたいでな。おかげさまで調査が難航、専門部署の職員が体調不良で承認のハンコは貰えず、最終的に皺寄せがこっちに来たんだよ……。」

 ロウェルは踏んだり蹴ったりとはこの事だと、泣き声のような乾いた笑いとため息を漏らす。


 フェンリルは特に興味なさそうに「人間は大変だなぁ」と大きく欠伸をしながら頭を掻いた。

 ロウェルの机に先ほどエリオットが取りに行った新聞を投げ置く。


「ま、さっき軽く見た感じ、エリオットの仕事は終わったんだろ? 俺は帰るけど良いよな?」

 そう言って、さっさとエリオットの持ち物を取りに行こうと歩き出そうとした時、ロウェルの手がフェンリルの腕を掴んだ。

「……いいや、まだだ。」

「は?! おい、俺は何もできねぇぞ?! 離せ!!」

 力を込めてもロウェルの腕がびくりとも動かず、フェンリルは血の気が引いていく。


「今は猫だろうが、犬だろうが、魔王だろうが手を借りたいところなんだ。助けてくれ……大丈夫、ハンコを押すだけだ。お前でもできる……。」

 情けない声を上げるロウェルに、フェンリルは頬を引きつらせた。


「……いつまでなんだよ、それは。」

 人間の書類に関して出来ることがあるという事に、フェンリルはロウェルの必死な表情に動揺しながらも、興味本位で尋ねてみる。


「明日の朝だ。」


 フェンリルは、ロウェルの机に置いてある書類の山を見た。

(――これはフィオナが宿屋で客に出すスープを煮込む鍋の高さだ。)


 フェンリルは、窓の景色を見た。

 エリオットの身体の主導権が切り替わる時間は夕方だ。

 それから幾分か経った。

 すでに空は夕闇が広がっている。

 あと一時間もせず、夜が訪れるだろう。


 そして夜が明ければ朝になる事を、全ての生き物は知っている。


 フェンリルは大きく息を吸うと、再び自分の腕を必死に掴むロウェルを蔑んだ目で見つめた。

「お前――……お前馬鹿じゃねぇの?」

「待て! 言い分を聞いてくれ! さっき雪が予測より早く降ったと言っただろ!」

 ロウェルは椅子から、勢いよく立ち上がった。 


「雪が降ると馬車が動けなくなって、物流が止まる!」

 ロウェルは一気に言葉を吐き出す。

「だから本当なら来週の締め切りが急遽明日になったんだよ!」


 フェンリルは、至近距離で迫るロウェルの顔を見る。

 疲労に溢れ、目にはうっすら隈が出来ていた。


 それを見て、フェンリルは肩を落とすと、ため息を吐いた。

「……分かった。お前がサボってこうなったわけじゃない――そう言いたいんだろ?だがな、俺には関係ない。人間の領分の筈だろう、これは!」


 再び腕を引き剥がそうと力を籠めるが、やはりびくとも動かない。

(どっからこんな力が出てるんだ、こいつ!!)

 フェンリルは、振り解けない腕にイラつき始めた。

 喉から唸り声をあげそうな勢いで顔が険しくなっていく。


「エリオットは俺が困っているところを助けてくれた。この数日間、書類の取りまとめと確認作業を終わらせたんだ。残りは俺のサインとハンコだけ! あいつの頑張りを無駄にしたくないんだよ!」

「そんなの……っ!」


 フェンリルは思わず口から飛びかけた文句と一緒に、先ほど主導権が切り替わる前にエリオットが呻くように残した言葉を思い出した。


『ごめん、フェンリル。隊長を助けてあげて……。』

(――あいつ!!)


 世話になっている宿主の願いと振り解けない腕に挟まれたフェンリルは、山積みの書類とロウェルを交互に睨みつけた。

 苦虫を嚙み潰したような顔で舌打ちをする。


「……俺は人間の言葉なんか読めないからな、どうなったって知らねぇぞ!」

 その恐ろしく低いフェンリルの声に反して、ロウェルの表情は一気に明るくなった。


「!! ……あぁ! 大丈夫だ、全部教えるからな!」

 ロウェルは嬉々として自分の机にある書類の山の一部を作業台に移動させる。

 先ほどまでの必死な形相が嘘のようなロウェルの調子のよさにフェンリルは呆れながら鼻で笑う。

「お前らぐらいだよ、【魔王】をこき使うのは……。」

 そう言いながら、フェンリルはロウェルが手招きする席に向かうのだった。


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