第三話
鳥のさえずりが聞こえる。
エリオットは重たい瞼を開けた。
明るい天井を見て、朝だという事がぼんやりとした意識の中でも分かる。
彼はのろのろと頭を掻きながらベッドから身を起こした。
「んっ……」
今日は引っ越しの予備日で休みだったはずだ。完全には覚めていない体を引きずるようにして備え付けの簡易な洗面所へ向かった。蛇口を捻り気持ちの良い温度の水で顔を洗えば眠気も幾分かマシになった。タオルで顔を拭いて鏡を見る。
(……そういえば、昨日フィオナと話をしてから片づけをして――…そこからの記憶がない)
久しぶりに会う幼馴染に対してあまり良い対応ができなかったと、エリオットも感じていた。
会うのは数年ぶりだし、特に引っ越してからやり取りもしていなかった。それなのに今回の頼みをきいてくれた彼女には頭が上がらない。
そんな負い目を少し感じながら、いきなり以前のような口調で話すのも失礼かもしれないと無難な敬語で話してしまった。
……それ以上に彼女は少女から女性になり綺麗になっていたというのが最大の理由だが。
(僕があんな態度だったからか、フィオナもあの後硬い表情だった……)
自分の不甲斐なさに、はぁー…と顔にタオルを押し付けながら大きくため息を吐く。
気を取り直して、服を着替えて身支度を整える。
(ご飯は……一階の食堂だったかな)
そう思いながら、洗面所から一歩踏み出そうとした瞬間、不意に足が止まった。
鏡に映る自分の姿を見つめたエリオットは、寝癖が右側に跳ねていることに気づいた。
(あ……寝癖が)
自然と右手が動き、髪をそっと手櫛で整える。
「……あれ?」
手が髪を整えている様子を、どこか他人事のように感じながら、エリオットは首を傾げた。
しばらく鏡に映る姿を見守っていると、寝癖は綺麗に治り、手は自然と動きが止まった。
(自分が考えより先に……体が動いていた?)
止まった手を目の前で、動かす。
先ほどの動きと違い、自分が動かしている。という感覚があった。
まるで自分の腕が勝手に動いたような、妙な違和感が脳裏を過ったが、エリオットはまだ寝ぼけているのだろうと自分を納得させて、考える事をやめた。
(……食堂に行って、彼女に挨拶をしたら昨日の態度を謝ろう。それで叶うのならば、以前のように話せたら……)
エリオットは頭の中で何度か、シミュレーションをする。
「……よし、行こう」
ようやく納得のいく結果になったのか、彼は覚悟を決めて自室を後にした。
主に宿泊客が使う朝の食堂は静かで、窓から差し込む柔らかい朝日がテーブルを照らしていた。
「おはようエリオット、昨日はお疲れ様。ご飯できてるよ」
エプロン姿のフィオナがこちらを向き、微笑みながら声をかける。
その声に反応するより早く、エリオットの視線は彼女の姿をとらえて言葉が詰まった。
部屋で何度もしていたシミュレーションも吹き飛んでしまった。
(自然に……自然に……)
頭の中で自分に言い聞かせながら、エリオットは口を開く。
「……おはよう、フィオナ。その、昨日は固い態度でごめん。緊張、してしまって」
(こんな年齢にもなって……。)
エリオットは恥ずかしさと申し訳なさで、視線を下げて首元に手を掛けた。
その言葉に、フィオナは小さく肩をすくめた。
嫌われていた訳ではないことを知って、胸をなでおろした。
「ううん、私もエリオットが立派になっていて緊張してたから。……嫌われてなくて安心した」
フィオナはふっと笑みを浮かべて、安心したように彼を見つめた。
その笑顔にエリオットは思わず目を奪われる。
「嫌いに……嫌いになるわけないよ。これからよろしく、フィオナ」
エリオットは少しぎこちない笑顔で、手を差し伸べる。
クスリと笑い、フィオナは差し出された手を優しく握る。
「うん、よろしくね。エリオット」
二人は笑い合い、かつての穏やかな空気に戻りつつあった。
朝食を終えたエリオットは、再び自室へと戻った。
扉を閉めると、静まり返った部屋のベッドに安堵の息を漏らしながら腰を下ろす。
(誤解が解けて良かった……ちゃんと伝えられてよかった)
ほっと肩の力が抜けて、無意識に髪に手が触れる。
ふと、エリオットは朝の出来事を思い出してため息をついた。
(朝が弱いからって、自分の考えている事と体の動きが合わないだなんて……ぼけてるんだろうな……)
「しっかりしないと。」
明日からはこの地域の駐在所での勤務が始まる。久しぶりの故郷での生活に加えて、新しい環境に緊張がないと言えば噓になるが、それ以上にフィオナがいるこの場所に戻れて、関われることが嬉しく、気を引き締めようという思いが強くなる。エリオットは、自分に言い聞かせるように口に出す。
彼は、気合を入れる様に立ち上がり、昨日できなかった引っ越しの荷物を片付けようと箱を開き始めた。
荷物の片づけを終えたエリオットは、部屋に足りないものを補充するために宿屋近くの個人商店へ向かうことにした。
彼の荷物は元々少なかったため、片付け自体は短時間で済んだのだが、久しぶりの故郷に、どうせなら懐かしい場所を歩き回りたいと買い出しに出掛けることにしたのだ。
歩くたびに目に映る懐かしい光景に、フィオナと過ごした記憶を次々に思い出して心が弾んだ。
しかし、それとは裏腹にいくつもの店が閉まっているのを見て、彼は驚きを隠せなかった。
(……あそこのパン屋さんも閉まってる。そういえば昔、フィオナとパンを半分こにして食べたっけ)
記憶の中の光景がよみがえり、足が止まる。思い出の中より大分色褪せた建物が、自分のいなかった時間を嫌でも感じさせる。
できるのならば、ずっとここにいたかった。今更そんな気持ちが沸いてしまう。
しばらく歩き、目的の商店がまだ営業していることに、エリオットは安堵の息をついた。
(ここは変わっていないんだな……良かった)
必要なものを買い揃え、袋を片手に宿屋へと向かう道すがら、エリオットはつい道草を食ってしまった。かつて遊んだ広場や公園――足は自然とそうした場所へ向かい、更に自分の事を覚えている近隣の住民に話しかけられ、気づけばすっかり夕暮れの時間になっていた。
(思ったより遅くなっちゃったな、昼ご飯の事、フィオナに謝らないと)
赤く染まる空を見上げながら、エリオットは少しだけ歩みを速めて宿屋の扉の前に立つ。
荷物を持ち替えながら、ドアノブに手を掛けた瞬間だった。
蠟燭の炎がゆらりと揺れる様に意識が揺らぎ、消えた。
ドアノブの少しひんやりとした感触、肌寒く感じる温度、袋を引っ張る指の重みも、すべて煙のように闇に溶けていく。
「―――っあ?!」
不意に浮かんだ闇の中から引き戻される感覚。急に水から上げられたように、呼吸が荒くなり、心臓の鼓動が耳元で響く。
急に掛かる重さに、足が少しだけバランスを崩しかける。気が付くと、エリオットの姿をした何かが、目を見開いた。
「あれ……俺は?」
漏れた声は低く響いた。彼は周囲を見渡す。
見慣れた宿屋の扉、手に持っている荷物。そして沈みゆく夕日が長い影を作っていた。
「これは……どうして」
相変わらず自分の身体と違う感覚に戸惑いながら、彼――モフモフは自分がエリオットの身体の主導権を奪っていることに気が付いた。




