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境界の灯  作者: えるま
第二章 熾火の夢想

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第九話

とりあえず更新はここまでです。今しばらくお待ちいただけますと幸いです。

ロウェルとフギンについては番外にお話があるので、よろしければご覧ください。

 ――そう、たった今までエリオットと話をしていた。


 しかし、体の主導権がフェンリルに切り替わり、部屋に静寂が訪れた途端、フェンリルは、強い既視感を覚えた。

 炎が辺りを焼き尽くし、仲間の遺体が転がる道を駆け抜けた、あの夜だ。

 フギンの指先の方向に向かって走りながら、雷と豪雨と風に、すべてを置いていった。

 仲間も、希望も、そして未来までも。

 フィオナから自分が寂しいこと、孤独を恐れていることを諭されても、それが変わることはない。

 フェンリルは静かな部屋で、どうしようもない焦燥感に駆られた。

 あの時のように、自分は何もできないのではないかという嫌な考えが頭をよぎる。

 それを抑え込むために、決して自分は一人ではないと確認するように身を屈めると、エリオットの心音を感じた。

 その音に合わせて、フェンリルはゆっくりと深呼吸を繰り返した。



 日が完全に沈んだことを見計らい、フェンリルはスクロールを開く。

(改訂する部分は仕切りの魔力源……)

 目で文字を追いながら、右手を動かし、その箇所を探す。

 パラパラと、スクロールはページを捲られていく。


 それからどれだけ時間が経ったのかは分からない。

 膨大な量のスクロール、限られた時間。

「クソ……」

 思わず悪態をつくフェンリルだったが、既に仕切りが限界なのか、スクロールを捲る右腕に人間には不自然な白い獣毛が表面に現れている事に気が付いた。

 目は不安げに開きかけるが、すぐに視線をスクロールに戻す。額には汗が浮かんでいた。



 読めば読むほど目の端々に映る術式には、この魔法の作成者であるフギンが、どれほど術者の魂を守るために手厚く保護を施していたかが、嫌と言うほど理解できた。

 魂を無理なく回復させようと設計されたそれは、まるで壊れやすいものを包み込む、幾重にも織り重ねられてできた繊細な布の様だった。

「クソ……」

 震えた声が喉から小さく漏れる。

 今はいない存在が、どれほど自分を大切に思っていたか、強い思いが痛いほどに刻まれていた。

 錨を下ろすように、彼は歯を食いしばり、込み上げる感情を押さえつける。

「クソッ……クソ……ッ!」

 それでも滲む涙を、時折右手で乱暴に払いながら、フェンリルはスクロールを読み続けた。



 目的の術式付近で、文字を零さないようにと沿わせていた指が、ふと止まる。


 読み進めていく内に、フェンリルは術式に違和感を覚えた。

 頬から顎にかけて流れていった涙は静かに止まる。

(これは――……あまりにも術者が優位だ。)

 フギンがどれほど自分を大切に想っていたかは充分に伝わった。

 しかし、「共生」と名付けられたこの魔法は、その名に反して、魔法をかけられた対象—―つまりエリオットへの負担が大きく感じられたのだ。

(そもそも魔力がある生き物が対象になる術式だ。あいつなら人間の魔術師に行き当たる可能性がある事は分かるだろう。それを踏まえて、これを作成したのなら……)

 フェンリルは眉を寄せ、固唾を呑んだ。



「……これは【共生】じゃない。」



「っ!?」

 その刹那、文字に沿わせていたフェンリルの指先に小さな衝撃が走る。

 フェンリルは弾かれるように指をスクロールから離した。

 目を見開き、その様子を窺っていると衝撃を始点に術式の文字に光りが走っていく。

 分厚いスクロールのページを一枚ずつ凄まじい速さで駆け抜けていった。


「なんだ、これは。」

 フェンリルは手を抱えながら、思わず言葉を零した。

 光が走った後の文字を見れば、その一部が赤く色付いていたのだ。

 まるで、問題はここだとでも示すように。


 やがて光が行き渡り、スクロールは静まった。

 フェンリルは困惑しながらも、術式の赤字に目を凝らし、読み解いてく。

(……確かに、この赤字の部分が仕切りの魔力供給先の設定部分で間違いない。)

 目を細め、何度確認しても、間違いはなかった。


 その間にも爪先は黒が濃くなり、右腕には懐かしさを感じる白い獣毛が少しずつ広がっている。

 フェンリルは意を決すると微かに震える拳を一度握りしめて、赤字部分の改訂に入った。


 指先で丁寧に赤字を直していく。

 頭の中にはエリオットの慎重に、という言葉が巡っていた。

 呼吸を落ち着かせ、焦らず、冷静に。

 じわりと広がる右腕の感覚からは意識を逸らせて、目の前の術式に集中して書き続ける。



 ようやく改訂を終え、フェンリルは広げる時とは逆方向に手を振り、スクロールは閉じていく。

 その動きと同時に、エリオットの腕に広がった狼の毛は霧散するように溶けて消えていった。

 長い緊張状態から解放されたフェンリルは、体から力が抜けた。

 そのまま、ベッドに身を預けると視線だけを窓に向け、期日に間に合ったことを確認する。

「……とりあえず、約束は守れたみたいだな。」

 フェンリルは安堵して軽く笑いながら、大きく息を吐いた。


 術式を書き換えた事で、エリオットとフェンリル間の仕切りの魔力源はフェンリルに変更された。

 魔力を溜められない魔族であるフェンリルの、内部の魔力とは魂と同義だ。

 フェンリルの魂の一部で作られたそれが、どんな影響を及ぼすか確認したいところではあったが、今はエリオットの意識もないので確かめる術もない。


 (とにかく緊急事態は避けられた。あとは俺が引っ込んで、エリオットの回復を待つだけだ。)

 フェンリルは気だるげに体を動かして、布団に包まる。


 そうしている内に、ふと熱いものが頬を伝い落ちるのを感じた。

 フェンリルは戸惑い、その跡を指でなぞる。


「……涙?」そう小さく呟いた。


 エリオットが嫌な夢でも見ているのだろうか?

 そう思い意識を向けるが、いつもの様に深く沈んでいて夢を見ている様子はない。


(俺が?俺が泣いているのか……?)

 狼の身体の頃は感情で涙を流したことはなかった。

 こんなに安易にボロボロ出てくるのは、宿主であるエリオットのせいだと思っていた。

 だが思い返せば、スクロールを読んでいる最中にも溢れ出ている。

 あの時は、嵐の中別れてしまったフギンが、自分をどれだけ大切に想っていたかが術式を通して伝わってきたからだ。


 それならば、これは……?


 フェンリルは微かに濡れた指先を見つめた。

 そうして、しばらく考えていると自分の胸の内に、ぼんやりとした思いが浮かび上がり、ようやく答えが見つかった。

(……失いたくなかったのか、俺は。)

 フィオナに拾われて三年半。

 エリオットという一人の人間の器に入ってからは、たった半年。

 そんな短い期間の中で彼らと交流していく内に、フェンリルはこの日々を守りたいと願っている事に気が付いてしまった。


「……早く良くなれよ、エリオット。」

 誰にも聞こえない程、小さく囁くと彼は静かに目を閉じた。


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